1. その、帰り道に振りかえり。
  2. 朝の散歩から。メンバーがモチ..
2024-10-29 12:01

朝の散歩から。メンバーがモチベ高くチーミングする組織が面白そうって話 from Radiotalk

サマリー

このエピソードでは、メンバーが意識を高く持ちながらチーミングを行い、組織のコミュニケーションや環境づくりに挑戦している姿が描かれています。また、チーミングに関する思い出や、組織での目標設定の重要性についても語られています。

組織づくりの意識
はい、sonoです。おはようございます。朝の散歩から、正解です。
ちょっと寒くなりましたね。
そうですね、今日は火曜日。
のんびりと、というか、ポツポツとミーティングがある中で作業をするっていう日になるかなってところですね。
昨日は、ちなみに、ちょうど出勤中に収録をしてたと思うんですけど、出社をして、ただ会議が入っている日じゃなかったので、
今、夕方に予定があったんで、
なんか、割と6時まで、
にっちりと作業をして、まあね、なんか、
空間も広いし、
あの、割と、なんだろうね、
なんか、休む場所とか、お菓子もあったりとかで、
割と集中して、6時間ぐらい作業をしたかな。
で、
その後、
まあ、あの、銭湯に行く部活みたいなのがあって、
昨日はね、ちょっと行ってみたら、
お休みだったけども、まあその後の飲みをしっかりと、
しっかりとやり、
まあなんかね、結構、昨日は3人って小人数だったのもあって、
じっくりと話せたいい機会だったかなっていう感じですね。
来てたメンバーは、あの、
自分よりも年数が長い人とか、
だったりはしたので、
なんかね、
また、いろいろと会社について、
違う見方とか、違うところを見てたりして、
新鮮だったかな。
まあ、それで、
そうね、
なんか、みんなが、
まあそれぞれ組織について意識してる。
まあ意識が高いっていうとね、
ちょっと、今は変な意味合いも持っちゃうけども、
意識を向けているのが大切だなっていうか、
まあね、その、オンラインとか、
あの、在宅とかも、うちはフリーなんだけども、
それでもまあ意識して、ちゃんと、
あの人と繋がるためには、
リアルも意図わず、
来るみたいなのが大事だよね、みたいな話をして、
まあ、そう、
ではそうなりつつも、こう、
なんていうのかね、
人の理解してる感覚ってそれぞれだから、
やっぱり思い描いてるものが違って、
それで十分にっていうのが難しいよな、みたいな話を、
したりはしてたかな。
なんかね、その、それで言うと、
自分もなんか組織のこととかも、
気にかけてくれますよね、みたいな話をされて、
そうなのかなって思いながら、
まあ多分それも、
組織に気をかけるみたいなところの意味合いがちょっと、
違ったのかなみたいな、
さっき散歩しながら考えていて、
その、僕自身はなんかこう、
チームとか、
まあリーダーシップとか前から取り組んでいるから、
その、良いチームを作るとか、
その、ね、そういう意味だと、
まあ組織を作る、チームを作るとか、
人間関係を作るみたいなところは、
あの、確かに気をかけてるから、
チーミングの経験
それをまあ組織に気をかけてるっていう、
かもしれないなって思いながら、
でも、なんか、
会社の組織構造がどうとか、
まあなんかルールがこうあるべきとか、
あるいはそういう前者施策ってどうすべきみたいなものには、
そこまで強い関心は、
そこまで強い関心はないっていうよりも、
あんまりそういうとこ考えないから、
なんか自分の中では組織に関心があるっていうのが、
言われたときピンとこないところもあったけど、
まあなんかそういう、なんていうか、
言葉を合わせるみたいなレベルもそうだし、
なんかこう、
深度も、なんか前に話したかもしれないけども、
そのね、人に例えばお願いするときに、
まあその人の人生の一部を借り受けるみたいな、
その考えを持っている人もいるし、
まあそれも確かにそういう捉え方も正しいなというか、
まあそういうぐらいの重みを持って扱うっていうのは、
自分自身も共感するところだけでも、
一方で普段意識してるレベルとか、
まあ潜在的な意識で多分そこまで深くは考えてなくて、
もう少し、まあなんか、
何らかの、
まあそれだけだとネガティブになる、
仮を作るみたいな感じにはどうしても、
どうしても仮を作るっていう感じはするけども、
なんていうか、
まあ重みについてはもっと軽く思っているところもあったりして、
まあそういう重みみたいなものも、
人によって捉え方が違うし、
なんかそれって、
そうなんだよね、
別に個性とか個人の感覚とかっていうだけでもなく、
まあ最後の最後はそうなるのかもしれないけども、
まあ共通で認識する知識だったりとか、
情報の違いだったりかもしれないし、
またまた重く捉えた時に、
その人によっては行動しづらくなるから、
結果としてそのコミュニケーションというのが進まなくなって、
環境がうまく回らないから、
まあその中で培われた感覚としてもっと軽めになっているとか、
そういう環境から来る感覚の違いみたいなものもあったりとか、
必ずしも本人に帰結しないものでの差っていうのも出てくるとなると、
で、なんかちょっと環境の話にも近いけども、
実際に会話とか伝えるのが起きる文脈とか状況によっても、
さっき話したように行動が結果として起きにくくなるみたいな、
まあその視点を変えた時に必ずしも裁量と言えない選択肢になってたりするとか、
なんかこうそう考えると正解が何かない、あるいはいくつもあるみたいな状況っていうのが、
なんていうか、どっかに修煉されない気がする。
そうすると共通理解っていうのは、よくあるのは必要最低限というかになるとか、
あるいは必要最低限の共通理解と、
あとは何でも受け入れるっていう許容度を上げるとか、
あるいはそのために安全性を高める、安心を高めるみたいなマージンを取るとか、
あるいは都度都度誰かが入ったりしてそのシチュエーションを安定させるとか、
まあなんかいろいろな防護策が取られたりっていうのもあるよね。
でもそんな中で個々の人たちがそれを意識しつつも伝える、共有する、
それも何度もちゃんと行動する、その熱量を下げないみたいなところを保ちながら組織を保つ、
あるいは大きくする、新しい人が入ってきた中でオンボーディングするみたいなものっていうのは、
なんかすごく難しいなって思いつつ、そのチャレンジが新しかったりとか、
自分にとっては多分面白い変化なんで、
なんかその辺をこだわるとまたちょっと違った世界が見えるのかなみたいな思ったかな。
昔懐かしく、自分がチーミングっていう中で、すごく自分の中で肥やしにもなってるし、
素敵な経験として、昔作ったチームで、
プロジェクト的、仕事で作ったチームでもあったんで、
プロジェクト的に目的を達成するとか、仕事の品質を保つみたいなところではなくて、
ただ楽しいチームであるとか、チームがすごくモチベーションが上がっている状態っていうのだけって言うとちょっと語弊があるけど、
を目指したチームっていうのが昔いたことがあって、
何しても面白いから、それこそ穴掘りしてても面白いみたいなね、そういうのを話してたのを思い出したりして話してたかな。
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