自分の個性と組織の捉え方
はい、sonoです。朝の散歩から、反省会です、というわけで。
昨日の夜に、ちょっと、あの、Day3の振り返りもしてしまったけども、今日は、ちょっと遅めな時間になってるけども、5日目、最初の週が終わりますかね。
今日は、ちなみに、午前中、家で仕事して、午後ちょっとだけ外での仕事を試そうかなと。なんかそんな感じですね。
まあ、なんだろうな、昨日はDay4が終わって、昨日自体は、そんなに大きく会議とかね、入ったばっかりでそんなにやるかって話なんだけども、
分析アナリスト、データアナリストのチームなんで、分析のタスク確認みたいなところの会議が一個あるだけで、あとはキャッチアップしたっていう感じかな。
まあ、午前中はちょっとね、抜けてたセキュリティ関連の対応とかを急いでやったりとかしたりはしてたんだけど、午後は少し資料を見たりとか、キャッチアップに時間を使った感じでしたね。
で、なんだろうな、昨日考えてたりとかしたのは、オンボーディング中とはいえ、早めにキャッチアップもするし、受け身というよりは、会社のもちろん組織もそうだし、自分自身も、
全職の経験とかも評価してもらいながら採用されているから、別に明確にそれを与えられるというよりはそこも自分で考えてなんだけど、個人的には早く収益貢献につながったりとか、少なくとも周りに好影響を与えるみたいなのを頑張らないとなって思っていて、
そういう意味で、まず最初は、自分という人のタグ付けとかコミュニケーションを積極的にしていくっていうところからだな、一方でちゃんと自分の仕事する基盤を整えなきゃな、みたいな感じなんだけど、
なんかね、それもあるし、なんていうのかな、そんなにだから遠慮してとか様子見とか、ただもちろんね、相手見ないで走りすぎるっていうのもちょっと違うんで、
実際のところは恐る恐るだけども、できるだけ自分を出していく、自分を出していくっていうのをしていて、会議とかでもちょっと意見を出したりとか、自分が思っていることを、スラックの文化だからね、投稿したりとか、
それで、何だろうね、やっぱり慣れてる人ほど、すぐ反応もくれたりとかして、すごくそういう意味では、今風というか、自分も感覚のあった会社だなって改めて思ったりはしてるんだけど、
昨日はすごい弱いけども、小さな発信とかをしてて、面白かったっていうか考えてたのが、個性とか個人を重視するっていうのと、関係を重視するみたいなもんっていうのがあるので、
結構やっぱり今まで自分もそうだけど育てられたのが、オリジナリティとか、それこそ世界に一つだけの花っていうのがやっぱり象徴だと思うんだよね。
集団の中で客観的にというか、すごい階層の中でのトップになるっていうのは、それだけが良いってことじゃないよねっていうような感覚っていうのは僕が育つ時もあって、個人とか個性っていうのが大切ですって言われてるんだけど、
なんかそれもね、最近僕自身は社会公正主義とかをかじって考えるところがある一方で、割と会社自体は元々スタートアップのところから引き継いでいる、
個人が引っ張って事業を作っていくみたいなところと、とはいえその一つのサービスっていうのを作り上げるから、それぞれを尊重するみたいな、多様性を尊重するみたいなところがすごい根強くあるんだよね。
それはすごく良いことなんだけど、その前提になっているのが個人っていう、個々の人っていうのが、何だろうな、言ってみれば本質的に違うみたいな前提ってあると思っていて、
その辺の感覚と、何て言うか、僕自身は個性が出るっていうことっていうのは、
個性って何なんだろうって言った時に、その人が持っている何か本質的、根源がバラバラで、それぞれの違いから生じるっていうイメージよりは、
個性主義的な考え方で、その人の今までの経験であったりとか、いろいろなことが起きたっていう、関係の集積みたいなものっていうのがそれぞれの違いになるんじゃないかなっていう風に感じてるんだよね。
関係性と組織について
だから個性を尊重するってなった時に、根源的に違うっていう立場に立つと、何て言うか、できるだけ制約を与えない方がいいみたいな、やっぱり党になると思うんだけど、
何かこう、関係が積み重なったことによる個性っていう考え方をしていると、捉え方か考え方という捉え方をすると、何て言うか、できるだけオープンというか可視化して、
同じ土俵の中で違いっていうのが見える方がいいっていう、何て言うのかな、経験なんで後から手に入れた武器みたいなもんだと思うんだよね。
だから戦うっていうのも古いメタファーな気もするけども、みんなで戦う、ロープレみたいなもんだよね。みんなで戦うってなった時に、お互いが持ってる武器っていうのは可視化されないと、お互い知ってないとチームワークできないよねみたいな話。
でも持ってる武器だったりとか特徴によって役割は分担しようっていうのが、それが何て言うかね、あるべきというか良い姿なのかなみたいに思ったりはするんだよね。
そうすると制限をなくしてできるだけフリーな場を作ろうという、好きにできる、心から思ってることがやれるっていうのを大切にしようっていうだけだと、難しさもあって統一して行動するみたいなのが難しかったり、むしろ統一して行動するのは悪みたいな。
武器を持ち寄って目指しましょうと。結局みんな別にしたいことはあるけど、同じ方向を目指して同じゴールに、ただ完全に合一してないんだけども、それぞれの中で持ってるゴール方向性で協力し合いながら、触れ合いながらゴールを目指したいっていうところだから。
やろうと思うと関係性を強くしなきゃいけない。じゃあどういう関係性を積むのが良い関係性だとか良いことなのかみたいなことを集中するみたいな、そういうことに注力するようになるみたいなことがあって、
その辺がちょうどすごく組織に関心がみんな強くやりたいと思っているところにいる中で、一つ自分も考えながら関わっていけるところがあるのかなみたいなことをちょっと感じたりしていたかな。
あとは余談だけど、昨日は昨日でチームの話をしていて、担当ガチャになっちゃいけないよねっていう、依頼する人が参加された人によって結果が違いにいけないよねっていう、象徴的な言葉とか使うと結構みんなが一緒に頷いたりとかあるんで、
簡単なメタファーで話すみたいなのも大事だなみたいなのを感じたりした日でもあったかなっていう、ちょっと振り返りでしたが、以上です。
良い一日を。