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はい、そのです。今日は朝はね、もう振り返りを取ったんで、ちょっとなんかボヤボヤとしていて、
考えをまとめたいコーチングについての、
特にね、先週末の受けた講義の振り返りを中心に考えたいなと思っていますというわけで、
そうだね、なんだろう、どうやって振り返っていけばいいんだろう。 事前事後
とかはあるかもしれないね。事前のそのコーチングのイメージと、受けた後で変わったことっていうのはいくつかあって、
事前はね、過去に一応コーチングのセッション受けたことがあったりとか、
あと日々1on1で面談として、でも割とその奥の場合は相手の立場に立ったというか、
相手に寄り添う面談みたいなのを考えていたりはして、
なんかね、ある意味、
ある程度できてるだろうみたいな感覚はあったんだよね。
講義受けた意味でちょっと変わったのは、まずできてないところがまだあると。
それは自体は予想はつくけども、より専門的にやることで、相手に寄り添うっていうのがパワフルになるなみたいなのは一つある一方で、
なんかもともと思ってなかった、
ライフコーチだね。もともとそれがいいなと思って選んだんだけど、
相手の中に全てを求めるというか、相手を信じて相手から開き上がってくるのを手助けするっていうところの感覚は、
改めて、今までやってたものとは違うなっていうのが一つ大きいかな。
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自分自身が働きかけたり引き出したりとか、
ティーチングとコーチングの違いが、こちらの知識を使うのか、誘導はしちゃうティーチングだと思ってたけど、
でもこちらの感覚で、相手から話させるみたいなものをコーチングって思ってたんだけど、
多分それもまた違って、今のコーチングのイメージはやっぱり鏡とか、
イメージでどっちかっていうと、最高のケースで言えば何もしないで、ただその時間喋ってもらうだけで本人が気づいて納得して終わるのがいいっていうような感覚。
鏡だからね。本当に働きかけないっていう。
ただ、いることによって何かしら相手が思って考えることを引き出すみたいなことができるのが理想なんだなっていうふうに今は理解してる。
変わると思うけどね。それはやっぱり教えられていた、ザ・コーチアカデミアって説明会とかでもパッとは出るけど、
インテグレーションモデルってコーチングを構成する要素をちゃんと分解してるんだけども、自分の器みたいなものがあるけど、
一番下、なんか順番がたまに変わってたからあれだけど、パートナーシップっていう相手との関係性、あるいはその場での相手との関係性みたいなところと、向き合う自分の器っていうのを磨く自分の在り方みたいなもの。
相手を受け入れる器。自分の器っていうところとしても、何か祭器みたいなものを思い浮かべるけども、相手を受け入れるための器。
その上で環境を整えて、話しやすかったりとか、安心して話せる。だから守秘義務っていうのはすごく重要で、コーチングのプロフェッショナリズムって話になると特に決められていて、
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国際コーチ連盟の守秘義務で言えば、すごく端的に言うと、ここで話されたことは誰にも家族だろうが、何だろうが、力関係があろうが、すべてに対して独立で話しません。
ただし、社会的な批判に従って、犯罪行為であるとか、そのままの状態でいるのが健全じゃない状態、社会として健全じゃない状態の限り、それは伝えさせてもらうっていう。
それは多分、コーチ本人を守るためのレギュレーションでもあると思うんだけど、そこが多分一番厳しい基準を持つわけよね。
その上に、スタンスとか、その場に臨んでいる自分の態度とか、スキルっていう、それは経調だとかっていうものが作り上げた結果、コーチングっていうセッションが成り立つっていう。
だからなんか、より深く大事なのは、相手が安心して話せるための元々の関係性であったりとか、自分の在り方なんだけど、この在り方っていうのが今回学ぶことによって、
どうしてもワンワンってマネージャーだし、育成をしなきゃとか、逆に言うと、相手の望んでるか望んでないかとか、望みの強さっていうのに関係なく関わっている。
それは暗黙的に、会社のこの関係性の場合にはそれが必要とされているだろうっていう。あるいは会社に来るっていうことは、そういう前提を持ってきましたねっていうところでやっているから、
やっぱりマネージャーのワンワンとコーチングっていうのはちょっと違うんだなと。ただじゃあ、誰しも常にコーチング的なその人の可能性に寄り添うっていうだけっていうのも多分違くて、
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それをずっとやり続けるっていうのは、表の世界しかない人だったらそういうこともあるのかもしれないけども、大抵はそのマネージャーの立場だったりとか、コーチング、コーチとクライアントの立場とか関係性をその場面場面で切り替えて、
特にコーチングの場合は更に安心するためにはそこをオープンにちゃんと関係性を確認して行うっていうのが本来のコーチングなのかなというふうに思ったんだよね。
もう一つの発見は、最終的にはやっぱりセッションの中での自分の振る舞いスキルっていうところを磨かなきゃいけないというか、真摯に向き合う態度として磨くものだけども、
なんかこう、もっと大きく言うのはやっぱり在り方とかパートナーシップ、そもそもの関わり方の方がより大きいし、さっき言ったように多分究極はスキルは別に持ってても持ってなくても、結局トタする頃には持ってるレベルになる気もするけど、
あんまり関係なくて、最高のパートナーシップで自分自身もその瞬間に立ち会える、その人にとって最高の、なんていうのかな、誠実な鏡みたいになれれば、その方がいいと。
ただそれは、ある意味、そんなに明快に区切られる世界でもないし、心の中なのかな、多分心の中なんだろうな、こんなことだから、そうするとそこに色がそれぞれ出てくるわけで、
そうすると、コーチの意味っていうのは、やっぱりその人に向いた在り方の鏡としてきちんといるっていうことで、そのセッションがその人にとって有意義になるかどうかは、その人次第っていうところが本当のところなんだなと。
ただ、それでもやっぱりその在り方とかパートナーシップで、だいぶその人にとってのコーチの良し悪しっていうのが決まるなと、そんなことを思いました。