1. その感動、言語化するまで発酵中。
  2. #4 TED動画「映画が男の子に教..
2020-07-11 30:02

#4 TED動画「映画が男の子に教えること」コリン・ストークス、から感じたこと

TEDの動画、コリン・ストークスさんの「映画が男の子に教えること」を観て感じた不安についての言語化

https://youtu.be/ueOqYebVhtc

今回は、動画で話されてるテーマに心動かされたことの深掘りなので、抽象度高いかも。お付き合いいただいた方は、本当にありがとうございます。

#教育
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サマリー

彼女は自分の中でハラスメントに関するモヤモヤがあり、映画が男の子に教えることというTEDの動画に影響を受け、ハラスメントに対する彼女自身と男の子の教育について考えています。彼女はコリンストックスのTEDの動画を見て、いくつかの不安に心を動かされました。彼女は親としての不安と自分自身についての不安を感じました。

ハラスメントに対するモヤモヤ
今日はね、また30分ぐらいで少し考えたいと思っていることがあって、
それが今日は、この前、ツイッターで流れてきた動画で、youtubeにあるTEDの動画を一つ見て、
自分の中でハラスメントっていうのが大きいなぁみたいなところがちょっとモヤモヤしているところがあったんで、
あんまりネガティブにならず、劣勢にもともと見ていたビデオに対しての感動の言語化と、
また、合わせてハラスメントに対しての自分というのを築いていきたいかなと思います。
というわけで、いつものたてつけとして、30分ぐらいで10分ずつで一回振り返りを入れて、
最初は自分の状況の観察とか、そこからまた考えたことで言語化されて、そのネクストで何するかみたいなところを考えていこうと思います。
そうなんだよね、この前見たのは、コリン・ストークスっていう人の
「映画が男の子に教えること」っていう動画を見ていて、TEDの動画なんでこのコメントのところにも貼っておくし、
もしかしたら一回見てもいいかなって思うんだけど、まあ10分?15分ぐらいだからね。
まあなかなか興味深かったなって言いましたよね。
で、僕自身も小学校3年生の息子を持っている親だから、男の子ね。
だから結構見ていて気になるところは美味しかったかな。
その動画を見たときに、もともとちょっとその前にハラスメントで、特にセクシュアルハラスメントで言うと、
オンラインサロンを主催している編集者のミノワさんの事件というか、話がすごい動かされていたときでもあって、ちょっと前だからね。
今は収まっているわけではないんだけど、少し旬から外れたような気もするけど、
そのときの自分がね、別に完全にそれを否定できない、別にやったこと自体は悪いと思うんだけど、
それを罰することに対してすごいもやもやする自分がいて、
そんなことを考えている最中に見た動画だったというのもあって、いろいろ考えさせられたなぁというところはある。
この動画は、動画じゃないな。
録音はもしかすると、この風が強く人がいっぱいいる公園の中で散歩しているので、今まで以上に聞き取りづらいかもしれないですが、
すいませんって感じですね。
動画自体は見てもらえばいいと思うんだけども、
結論というか受け取ったメッセージとしては、別に映画自体が悪いことではないけども、
男の子に教える物語
子供が、特に男性の子供が、男の子が成長する過程で触れている物語というのが、
何か女性を勝ち取るみたいな、魅力的な女性を勝ち取るみたいな、そういう物語に触れていることによって、将来そういう価値観を持ったまま育つことがあるというところで、
それは2つあって、1つはそもそも男の子向けには、そうやって競争で、競争なのかな、試練に対して勝ち取ると女性を得るというような、女性を物として扱う。
極論しちゃうとね。そういったことを助長しているっていう話と、女性をそういう宝物というか、活躍するヒーローというか、
主人公として扱わないことによる、女性自身にそういう存在であるということを押し付けているという、2つが擦り込まれているんじゃないかと深く考えなきゃいけないんじゃないかという、
動画自体は問題提起だし、引き合いに出されていたのはピクサー、ディズニーの映画で、2012年になって初めて女性が主人公の映画があったよねっていうので、
ちょうどディズニープラスが日本に上陸している時だったから、僕も入ってちょうどメリンダーをまた見れたりして、その辺のすごい手触り感もあって面白かったっていうのがあるんだけど、
その時に自分自身の中にあるセクシャルハラミスメントに対しての意識が低いんじゃないかというモヤモヤと、
あとは自分が息子の親として子どもの教育に良かれと思ってやっていて、知らず知らずに悪影響を与えるんじゃないかというようなところの親としての立場と、
他にそうだね、ハラスメント自体に対しては僕は結構強く反発する方で、特にパワハラみたいな上の立場にある人のハラスメントっていうのはどっちかというと敏感な方なのに、
セクシャルハラスメントになった瞬間に僕がもしかしたら結構加害者になる確率が高そうだとか、そこがすごくモヤモヤしてたかな。
かつ、オンラインサロンの問題というとちょっとおかしな話なんだけど、オンラインサロンという軸である程度近しいと感じていた、
井上さんの問題を考えるときにどうも、すごい近しい人ってわけじゃないけど、どちらかというとファンだったから、なんとなく擁護しちゃうような気持ちがあるんだけど、
これって正しいというか健全なんだろうかみたいなところのモヤモヤっていうのがあって、そういうので結構見たときからずっとこの問題というか、なんとなく心の中につっかえるような感じではあったんだよね。
ちょっとあまりネガティブで自分の内省みたいな感じにはこの収録番組自体にはしたくない。別に内省している番組もあるし、あまり深い内省をここでしても、
僕の本当に近しい人、僕自身リアルに知っている人とかは多少気になるかもしれないけど、多くの人はよく知らない人の部屋の中を覗いちゃったみたいな気になってもしょうがないので、
よくある男性で父親で一つの悩みとして考えていければなとは思っています。
10分くらい経ったんで一度振り返ろうとは、ほぼほぼ振り返りっぽい内容は話したけれども、テッドにあるコリーンストークスの映画が男の子に教えることっていう動画を見たときの感情から遡っていて、
なんとなく自分自身のセクシャルハラスメントに対しての立場が甘い。一方でパワハラみたいなものに対しては敏感という矛盾とか、
息子の親としての自分を見ながら自分が成長していった実態について、どうしても鏡のように考えてしまうものだから、自分の成長したところに対してのモヤモヤというのもあって、
結構この動画っていうのは僕の中では心に刺さる問題提起だったなというところですかね。
そしたらまたここから深く考えていこうと思うんだけど、言ったように個人的なっていうよりは一般的な人、そういう人がいるっていうような多少ちょっと抽象度が高めでは探っていきたいと思うんだけど、
自分のハラスメントのモヤモヤそういう意味だとちょっと一旦置いといてもいいのかもしれない。それは別にこの場では深掘りしなくてもいいのかもしれないなとは思って、
より強く息子の親として受けた時の衝撃と、それひるがえって自分が成長する時に受けている衝撃で、やっぱり気になるのはヒーローものってどちらかっていうと積極的に息子には教えるし、
伝えるし、よく見せると思うんだよね。
それこそこの前の漫画の回でも話したけど、ヒーローズジャーニーのような、ヒーローズジャーニーは突き詰めると実際には手に入れる宝っていうのは物質的なものとかは全部結局は失うか置いてきて、
一番の報酬っていうのは自分が変わったっていう物語だっていう風にはなっていて、それはそれで確かにその通りだと思うんだけど、でもやっぱり旅立って何か困難の中、自分が成長しつつ大きなハードルを超える、そのことによって世の中にも影響が出るっていうのは、
一つの大きな物語で、その結果目に見えてわかる物質的なもの、お金だとか贅沢だとか、あるいは仲間からの賞賛とか、この辺になってくるとちょっと怪しくなってきて、
そういう意味だと、もともと興味があった女の子の関心を引くと、これって書き方がすごい微妙で、自分自身がかっこよくなったことを表現するために、自分が意中だったけど見向きもされてなかった女の子の目が向くみたいな、
書かれ方がされていると、自分が伝えたいと思っていることはあくまでヒーロージャニーな自分が変わることへの大切さっていうところなんだけど、
意図せず違うメッセージを伝える可能性があるとか、あるいは日本の会社とかもそうだけど、明らかに人口比率と比べて偏った出演者の構成になると。
ヒーローとか主人公が女性でなかったりとか、あるいはその他にも多分人種的なものだったりとかっていうのが、世間で今普通にリアルな世界で触れるような人たちと違うということが、
何らか思想の偏りを擦り込んでいるっていうのは結構ショッキングだなと思うんだよね。
それが自分自身にも起きているのかって思ったときに、すごく不安にもなるわけだよね。
自分の立場と子どもの教育
それはある意味反抗的に、その昔がダメだったっていうふうに否定するにしても、軸としてはプラスかマイナスかで偏った状況に対してっていうような見方になるから、
それはどうなんだろうね。自分自身のオリジナリティになるのか、ある意味思想の制限みたいなものなのかっていうところが結構グレーだなというふうに思う。
あとは自分自身が偏っているんじゃないかっていう、何ていうのか、意図せず偏っているんじゃないか。
自分が自覚してその上で何か立場を決めているものであれば、それはある意味公平に見た意見と自分なりの結論っていうふうに分けて考えれるんだけども、
仮に自分の立ち位置っていうのが意図せずして偏っている場合って、将来息子に対してその意見っていう、その見方が謝ってるというか偏りがある。
その時は多分、やっとして謝っているっていうふうに、もちろん一人の意見ではあるけども、客観的に考えてそれは謝ってると思いますよっていうふうに自分自体が偏っているっていうところに不安があるよね。
なんかそこに対する怖さみたいなものがあって、ひいてはそれがメジャーなコンテンツだとか、巷にあふれるものすべてに起きているとすると、
それが世界全体、少なくとも文化圏なのか言語圏なのかよくわからないけど、日本なら日本全体でそういうことが起きているかもしれないのかなとか、
周りによっては文化的にというのかな、資本主義国というか、わりとキリスト教圏の中の文化というか、アメリカハリウッドとかの影響を強く日本が受けているという意味では、
もっとアメリカとかヨーロッパまで含めたような文化圏の中でそういったことが起きているのかなって思うと、
なんかそうすると、逆に世界の大多数はそうなっているけども、そこに正しさはないわなみたいな、正しくないことを世界が信じるみたいな状態になるっていうのもすごい不安はあるよね。
とはいえ、何かな、世界全体に対しての不安はあるにしろ、具体で言うとやっぱり自分と自分のその周りで考えた方がいいと思うんだけど、
基本的には息子の行いに対して、親として保護者として少なくとも公正で正しい立場の見解を持った上で自己判断して行動したいと思う。
なんていうか、根本が緩きそうだなっていうところにすごい不安を感じたっていうところかな。
それでひるがえって、今言った偏りをなくすっていう観点から見ると、
テッド自体も2012年にむしろ女性主人公のヒーロー映画が出たよねっていう話をしていて、
その後、ディズニーの映画っていうのはやっぱり女性自身、女の子が逆に主人公になることは多いし、何かを獲得していく。
あるいは、こっちは昔からかもしれないけども、NHKのアサドラみたいなものとか、
そういったコンテンツも、女性が頑張るとすごい良い男に目取ってもらえるとかっていうような感じじゃなくて、
もはや自分自身が成長していて、一人で生きるような話もあるし、そこに逆に言うとレアリティがある。
それだけやっててもまた変わってくると思うんだけど、っていうのがあるから。
アメリカとかのコンテンツの話だと、それこそ人種とかの偏りをなくさなきゃいけないとかっていうところをすげえやってて、
日本だからよくわかんないなみたいなことを思ってたけども、
割と考えていくと、今言ったリアルに接する世界に、やっぱり準拠をしている、あるいは偏っていることについて
ちゃんと知覚的になるっていうのが必要なんだなっていうふうには改めて思うよね。
というわけで、ちょっとまた振り返りを入れると、コリンストックスのTEDの動画を見て、いくつかの不安。
息子の親としての不安っていうところと、自分自身のハラスメントに対する立場の弱さというか、ゆるさに関しては不安みたいなものがあったんだけども、
子者の方はどちらかというと、個人的な部分と土台はありつつも、この動画に対しての危惧という意味ではちょっと違うので、
その親としての不安というふうにフォーカスすると、自分自身が成長した世界っていうところでも、そういう意味だと偏りがあった中で育っていて、
自分が公正だと思っていた価値観自体が揺らぐ可能性があるっていうところで、親としての責務を果たせるかとか、ひいては自分自身についての不安っていうのを感じるところが、
結構心を動かされたところなのかなと思ったところだね。
ちょっと今回はそういう意味だと、コンテンツがどうというよりは正直なところ、テーマ自体で心が動いたっていうちょっと抽象度が高かったので、
あんまりうまいというか、詳細な振り返りではできなかったかもしれなかったけれども、どっちかというと心に大きく引っかかる問題だったので、内省的な話にはなったかなと思うところかな。
この根っこのところっていうのを見た結果としては、やっぱりコンテンツっていうものが人を楽しませたりとか前に進めされたり勇気づけたりする、そういう意味ではちょっと荒っぽいけども、
自分が人にするアドバイスとか振る舞いですらやっぱり人に影響を与えるものなんだけど、その伝わり方っていう中でやっぱりそのハラスメントっていうのは意図せず巻き込むことがあるかもしれないので、
そこの自分の立ち振る舞いもそこからまた接するものとか、あるいは子供に見せるものだったり、その中でも見方とか立場についてはきちんと息子だったり、
あるいは周りの人に対して伝わるように振る舞わないとなというふうには思ったかな。
親としての不安と自己に関する不安
なんかね、自覚してできるかどうかとかは自分のまた自分を利する問題なんだけども、そもそもそういう視点を持っているのか注意しているかっていうところに関しては気づかないとできないところなので、
そこについて今日は気をつけようというのを結論にして終わりにしようかなと思います。
そんなわけで、今日はコリーン・ストークスの映画が男の子に教えることについて、心を動かされたことについてお話ししました。
どっちかというと、子供が知らないうちに偏った思想だったりとか考え方っていうのを受け取っているかもしれない。
それは自分の身にも起きているかもしれないっていう不安について感じていることが心を動かされたことだし、
今回でいうと、コンテンツそのものというよりは話されているテーマについて、
これが例えば同じテーマについて語った別のビデオであっても、多分同じように感じたことについて話していたので、
若干抽象度が高かったなというところは反省としてあるけども、
このテーマについての心のつっかえの中身というのがちょっと見れた感じですかね。
そういう意味では自分の振る舞いとか、そういう視点があるということへの意識は欠かさないようにというのが今日のアクションになります。
そんなわけで、今回もふわふわした振り返り会、振り返り会じゃない、言語化のためのセッションお付き合いいただいてありがとうございます。
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