番組紹介と『嵐が丘』の概要
こんばんは、しおりです。今回からしれっと番組タイトルを変えてるんですけれども、内容は変わりません。
本や映画などのコンテンツを見た後に考えたことについて話します。引き続きよろしくお願いします。 さて今回は、映画嵐が丘が公開されたので、その感想を話します。
ネットでざっとレビューを読んだんですけど、私の感想ちょっと世の中の多数派と違うものになってるかもしれません。
こういう人もいるのかなぁぐらいの感じで聞いてもらえると嬉しいです。 それではあなたがどう思うか一緒に考えながら聞いてもらえたら嬉しいです。
では今回のコンテンツ、嵐が丘です。 原作はエミリー・ブロンテの小説で1847年に刊行されています。
英語圏では世界の三大悲劇とされていたりして、かなり古典として有名な作品になっています。 イギリスの荒れた土地にあるお屋敷嵐が丘を舞台にお屋敷の娘のキャサリンと
古事で用紙のヒースクリフの激しい恋愛、そして憎しみを描いた作品になっています。 何十年にもあたって2人の関係が周囲の人だとか次の世代まで巻き込んでお話が進んでいくというような感じになっているんですけれども、
身分の違いであったりだとか嫉妬、それから復讐っていう要素が絡み合って、切ない恋愛というよりはかなり執着の結果の悲劇というような形で描かれている作品になっています。
映画『嵐が丘』の変遷:ワイラー版とフェネル版
この荒らしが丘なんですけれども、過去に何度も何度も映画になっています。 かなりたくさん作品があるんですけれども、1939年のウィリアム・ワイラー版を私は見ました。
このウィリアム・ワイラー版なんですけれども、原作の複雑な内容とか暴力性みたいなものをかなりなくして、キャサリンとヒースクリフの身分違いの非伝っていうところにかなり焦点を当てているクラシックな恋愛映画になっています。
原作はすごく2世代とかにわたって長く描かれているんですけれども、キャサリンとヒースクリフの台だけにフォーカスして、非伝映画としてわかりやすくまとめてあるという感じかなと思います。
そして先日公開されたエメラルド・フェネル版の嵐が丘ですね。こちらはかなり原作を大胆に改編していて、インターネット見るとすごい賛否分かれています。
そもそもヴォーグの記事とか読むと、フェネル監督は原作をそのままに映画化するっていうわけじゃなくて、昔自分が原作を読んだ時の反応であったりだとか解釈みたいなものを元に作っているっていうお話をしているので、原作そのままのものを見たいっていう人には向かない映画なのかもしれません。
原作小説の感想:キャサリンとヒースクリフ
まずね、原作の小説を読んだ時の感想からお話しようかなと思うんですけど、私は2つすごく印象に残っていることがあって、まず1個は主人公のキャサリン。
キャサリンがかなり世の中的なイメージとしての女の子らしさからすごく外れた人として描かれているんですよ。おてんばだしすごく顔通すし、いい子にしてられないっていう子として描かれています。
まず1個すごい好きだったやりとりがあって、キャサリンが父親にどうしていい子にしてられないんだいって聞かれた時にキャサリンはどうしてお父様は私のことをいい子にさせられないの?みたいなふうに言い返すシーンがあるんですけど、そういうこういい子でおとなしいとか、なんていうんだろうな、淑女みたいなものからはかなり遠い存在として描かれているんですけど、
ただそれがすごく魅力的で、私はこの激しいおてんばなキャサリンが大好きになってしまったんですよね。
そしてもう一つすごく印象に残ってるのが、ヒースクリフがですね、すごい怖いんですよ。本当に復讐をする話だからそういうものなのかもしれないんですけど、本当にありとあらゆる怖いことをしてくるんですよ。
暴力的だし、虐待みたいなこともしてるし、もうなんか体もね、ごっつい感じで描かれているし、財産をね、自分のものにしたりだとかね、してくるし、すごい怖い存在として描かれていて、もうその印象が強すぎて、小説の最後の2割ぐらいはもう怖すぎるから早く終わってくれって思いながら読んでたぐらい怖かったんですよ。
で、この小説を読み終わった後にすぐに1939年のウィリアム・ワイラー版の映画を見たんですけど、そしたらですよ、私が印象に残った2つのキャサリンのおてんばさとヒースクリフの怖さが全然なくなってるんですよ。
エレディー・コトはすごくよくわかって、身分違いの切ない恋みたいなのに集中したかったから、余計な要素はかなり省かれたっていうことは理解してるんですけど、私が原作で魅力的だなって思った部分がまるっと消えてしまっていて、ちょっと悲しく思っちゃったんですよ。
で、これを見て、私がもしアラシガオカを映画にするんだとしたら、この2人のどっちかの魅力を最大限に引き立てて作りたいって思うぐらい、ちょっとこのウィリアム・ワイラー版のアラシガオカは私にとって見た後悲しい気持ちを残すものでした。
フェネル版への期待と感想:女性の視点
というのもあって、最近公開されたエメラルド・フェネル版のアラシガオカにはすごい期待をしていました。
それには理由があって、監督のエメラルド・フェネルはプロミシング・ヤングーマンを撮ってる人なんですよ。
プロミシング・ヤングーマンっていうのは、女性の復讐を描いた作品で、女性の目線からいろんなことに疑問を投げかけるっていうのが得意な監督なんだなっていうふうに思っていたので、見る前すごく期待が高まった状態で映画館に行きました。
実際映画を見て思ったこととしては、まあ期待通り女性の目線で作られた作品ではあったかなっていうふうに思っています。
キャサリンのヒース・クリフに対する性欲であったりだとか、キャサリンとヒース・クリフの関係においては常にキャサリンが主導権を持っているっていう関係性もそうだし、
その他の女性キャラクターの描き方も原作からかなり変えていて、そこについてはかなり女性の目線から現代に合わせて描き換えがなされたっていう作品になっていたのかなっていうふうに思っています。
賛否あるんですけど、私はどちらかというと割と好きだったみたいな感じですね。
原作そのままに映画化するっていうことが映画の役割ではないと思っているので、見た感想としてはフェネルのやりたいことはわかる映画になってたかなっていうふうに思います。
この映画すごくずっと性行為が書かれ続けていて、それに対してびっくりしている人のレビューもいっぱいあるんですけど、
女性が主体的に性欲を持つことであったりだとか、その性的な自己表現をすることって歴史的に良くないこととされてきたし、今もだいぶそうだと思います。
だからこそ女性の主体的な性表現みたいなのって重要だよねっていう考え方にフェネルは基づいているのかなっていうふうに思います。
ただね一方でそのやる時にただセクシーな格好をしているとか、ただ性行為を描くっていうふうにすると、それはなんか今まで男の人が男の目線で女の人の体をエロく描いてきたみたいなものと同じになっちゃうし、
男の人が女の人を消費してきたみたいなものと同じになっちゃうから、もし女性の主体的な性表現みたいなのをやるんだったら、男性の目線とは違うやり方であったりだとか、男性が嬉しくないやり方でやらなきゃいけないなっていうふうに私は思っています。
でその点でこのエミラルド・フェネル版のアラシガオカを見ると、私はもうちょっとやってもよかったんじゃないかなっていうふうに思っています。
いやもうね、いっぱい性行為が書かれてるし、もうこれ以上やってくれるなって思う人もいるのはわかってるんですけど、量を増やしてほしいっていうよりは、もうちょっと女性の目線で男性がちょっと居心地悪くなるぐらいのやり方をしてほしかったなっていうふうに思ってます。
すでにね、十分ヒースクリフの体をセクシーに描いてる部分もあったんですけど、もうちょっと露骨に居心地が悪くなるぐらいやってもよかったかなっていうふうに思っているんですよね。なんかまだちょっと優しいかなって思っちゃった。
『ユーリ!!! on ICE』との比較とイザベラの再解釈
でね、というのも、私似た試みをした作品が過去にあると思っていて、アニメなんですけど、結構男性向けのアニメだと女の子たちがすごく露骨に性的に強調されて書かれてたりだとか、なんかおっぱいを大きく書きすぎてたりだとか、太ももとかお尻とかすごく強調されて書かれてることってあると思うんですけど、
それをね、逆転してそういうふうに男の子のキャラクターを書こうとしているアニメとして、私ユーリオンアイスがあると思ってるんですよ。ユーリオンアイスは2016年頃に放送されてたフィギュアスケートのアニメなんですけれども、
この原案の久保光朗がインタビューで、見どころはお色気っていうふうに言ってて、美少女アニメに負けないぐらいのお色気を書きたいみたいなことを言っていたのをすごく覚えてるんですよね。
実際に当時すごい男性のオタクから気持ち悪いみたいなふうに叩かれてたのも覚えていて、ユーリオンアイスの制作時にアメラルド・フェネルと同じような意図があったかっていうとなかったと思うんですけど、やってること自体はかなり近くなっていて、
このアメラルド・フェネルの嵐川家も、もし男女逆転するような形で女性の主体的な性欲みたいなのを描きたいんだったら、ユーリオンアイスぐらい露骨にやってもよかったのではっていうふうに思うなどしました。
ただね、その点はちょっと物足りないなって思ったんですけど、他に面白かった点はいくつかあって、イザベラがすごく原作から大改編されたキャラクターになってるんですよね。
イザベラって原作だと、主人公のキャサリンが結婚する相手のリントンの妹で、割と淑女というか、おとなしくて規範的な女性なんだけど、ただヒースクリフに騙されて被害者になっちゃうっていうような女性として、キャサリンの対象的な存在として描かれてるんですけど、
エメラルド・フェネルの映画ではかなり主体的な欲望を持った存在として描かれてて、一方的にヒースクリフに虐待されてるわけじゃなくて、DDSMってボンテージとか支配とかサドマゾービズムみたいなものを指しますが、
DDSM趣味のある女性で、自分がやりたくてやってるのっていうキャラクターとして描かれてたのがすごく面白かったなっていうふうに思います。
BDSMってロールプレイ的なものなので、一見ヒースクリフにイザベラが支配されてるように見えても、実際はそれはロールプレイで、その関係性はもしかしたらイザベラが優位かもしれないし、それを好んでイザベラはやってるよねっていうのがわかるようになってたなっていうふうに思います。
それからね、イザベラについてもう一個面白かったのが、すごくね、出てきた瞬間のインパクトがあるんだけど、少女趣味ですごく可愛らしい服を着ている人として描かれてて、リボンで埋まってる部屋が一部屋あるみたいな感じで、少女趣味の幼い存在みたいな感じに一見見えるように描かれているんですよ。
でもね、彼女が大好きなリボンって何かを縛るものでもあるわけですよね。だからもう、そんなにBDSMの趣味があっても驚かないわけですけど、エメダルトフィネルはね、プロミシングヤングウーマンでも似たようなことをやってて、プロミシングヤングウーマンの主人公って年齢にしてはすごく幼く見えるような少女趣味的な服装、すごい可愛いんですけどね、そういう服装をしているように描かれてるんですけど、
本当は彼女は服装のイメージの通り、幼いとか愚かとかっていうような存在ではなくて、元医学部生ですごい賢い人だし、別にリンクとかリボンとかにそういうちょっとおバカみたいなイメージをくっつけるのって違うんじゃない?みたいなことを投げかけるっていうことをしてたので、このイザベラのリボンも同じような形。
一見可愛くて幼くて愚かな象徴としてのリボンが、実はその主体的に自分で考えて自分のやりたいように動いていることの象徴に書き換わるっていうような仕組みになってたかなっていうふうに思います。
原作ではね、すごくヒースクリフがすごく怖い存在として描かれてるし、イザベラはね、その被害者ですごく可哀想に感じるんですけど、原作ってネリーっていうキャラクターの語りで前半は進むんですよ。
このネリーが信頼できない語り手っていうやつで、小説とか映画とかでナレーター役というか語り手役になる人があんまり信頼できない存在として存在していて、読んでる人とか見てる人にミスリードをさせるみたいな存在のことを信頼できない語り手って言うんですけど、
そういう位置づけでネリーが語ってるので、本当にヒースクリフがすごい悪人だったかもわからないし、本当にイザベラが被害者だったかどうかわかんないわけですよね。
なった時に、本当はイザベラは望んでやってたんじゃないかっていう解釈があってもいいのかなって思って、すごい面白い書き換えだなっていうふうに思いました。
個人的な解釈:ネリーの片思いと自身の経験
ここまでは結構一般論的な面白さの話をするんですけど、ちょっと私に引き寄せた感想をここから話そうかなっていうふうに思います。
あのね、このね、嵐が丘は私、キャサリンとヒースクリフの恋愛の話じゃなくて、ネリーがキャサリンに片思いしてる話だと思ったの。
これ私だけじゃないかなと思って、Xとかめっちゃ検索しちゃったんだけど、何人か書いてる人がいたから多分私だけが思ってるわけじゃないと思うんですけど、
ネリーっていうのは、原作だとキャサリンたちのお世話係みたいな人になるんですけれども、
このエミラルド・フィネル版の映画だとお話し相手役、キャサリンのお話し相手役みたいな立ち位置になっているわけですけれども、
キャサリンとヒースクリフが小さい時から一緒に育って恋に落ちるっていう話だったら、
同じ家でずっと生活しているネリーが、キャサリンと恋に落ちてもおかしくないのでは?っていうふうに思っちゃったのですよ。
でね、しかもネリーはヒースクリフが来る前からキャサリンと一緒に住んでたわけですよ。
だからヒースクリフが来た時にちょっとショックな顔するんですよ、ネリーが。
その時ネリーはキャサリンをヒースクリフに取られたっていうふうに思ったんじゃないかなって思っちゃったんですよね。
でね、これをどうして私がこういうふうに受け取ったかみたいな話をしようと思うんだけど、
私ね、いわゆるフジ女子とか英語で言うならスラッシャーっていうやつなんですよ。
最近そんなに昔ほど読まなくなったんですけど、男性同士だとか女性同士の恋愛の作品が結構好きだし、一時期すごい読んでたっていうことがあるんですよね。
だからそういうふうに既存の作品を読み換えるっていうことにあんまり抵抗がないっていうのもあるし、
自分自身も女性のことを好きになることがある、同性のことを好きになるっていう当事者でもあるんですよね。
だからこのネリとキャサリンの関係性を見てると、なんか自分の過去の恋のこととかちょっと思い出して辛くなったりとかしながら見てしまいました。
なんかね、すごい昔にしばらく好きだった女の子がいて、
彼女は男の人のこと好きなのわかってるから、好きだっていうことを言うつもりもなかったけど、
ただずっと一緒に遊んでられたらいいなっていうふうに思いながらやりとりしてた子が、
ある時急に連絡くれなくなって、一体何かと思ったら彼氏ができたって言うんですよ。
それがね、すごい私ショックで悲しくもなったし、なんか嫉妬とかでちょっとおかしい気持ちになっちゃって、
私の方が先にこの子のこと知ってたし、ずっと私が一緒にいて付き合ってるんじゃないかっていうぐらいしょっちゅう遊んでたのに、
急に現れたよくわからない男に奪われてしまったみたいな気持ちになったのを思い出しちゃったんですよね。
だから、もしね、ネリーがキャサリンのこと好きだったとしたら、多分あの時の私と同じような気持ちになってただろうし、
その後ね、ネリーはキャサリンとヒースクリフの中をちょっと邪魔するようなことを何度もしちゃうんですけど、
私があの時の精神状態が続いてたら、そういう気持ちになるのもわかるって思いながら逃げてしまって、
私はね、実際好きになった子にいじわるとかしたことはないですけど、まあしちゃうような気持ちもわかるって思って。
だってキャサリンはヒースクリフと一緒になったとしても、貧しくて辛い思いをするっていうのはわかってるし、そんな思いはしてほしくないし、
ヒースクリフじゃなくてリントンと結婚したら、リントンのことは愛してないっていうのはわかってるから、別に嫉妬に狂うこともないし、
自分はね、お話相手役として雇われてるから、一緒に結婚した先のお家に行くことによってずっとそばにいることもできるわけですよね。
だから恋愛的に報われなかったとしてもずっと一緒にいられるから、じゃあヒースクリフの中はちょっとダメにしていただいて、
リントンと結婚してもらった方が嬉しいなって思っちゃうのもわかるなーと思って見てしまいました。
ヒースクリフの魅力とゴシック・カルチャー
ちょっとこれは同じふうに思った人がいたら教えてください。私だけじゃないって思いたい。
でね、最後にちょっとめっちゃ印象に残ってることがあるから、その話をさせてほしいんですけど、最初にも喋ったけど、原作のヒースクリフ本当に怖いの。
本当に怖くて、もう怖い怖いとにかく怖いっていう感想しか私しばらく持てなくて、それぐらいね衝撃的に悪魔化された存在として話されてるんですよ。
だからなんか私がただ怖いっていう印象しか持てないのってなんか理由があるのかなと思って、
なんかゴシック小説みたいなものへの私が造形が深くないためにこのようなことになってるのかなって思って、
ゴシック入門みたいな本を読んだりとかして理解を深めようっていうふうに思ったんですよね。
でね、そのゴシック入門とか読んだら、その嵐ヶ丘の解説がやっぱり書いてあって、
ヒースクリフって吸血鬼的な存在として書かれているみたいな解説がね、その本にはあったんですよ。
吸血鬼って血を飲む存在ですけど、それを比喩的に考えるとヒースクリフって家を乗っ取っちゃうんですよね。
小児としてやってきて、一回去ったとまた帰ってきて、お家自体を買い取っちゃうし、その家の財産みたいなものを全部奪い取っちゃうわけですけど、
ヒースクリフって、その吸血鬼が血を吸うこととかなり近いみたいなふうに解説されてて、
はぁーなるほどーみたいなふうに思って、別にそれなるほどーと思ったからといってヒースクリフの怖さが柔らかいわけではなかったんですけど、
吸血鬼って言われたら、でも確かに吸血鬼とか好きな人いるよなーみたいなふうに、なんか変に腑に落ちたんですよね。
ヒースクリフってすごく人気のあるキャラクターだし、ファンみたいな人もいるし、この人気って絶対なんか説明できるはずだなーと思ってちょっと考えてみたときに、
もしかしてこれって、私にだけ優しい殺人鬼とか病んでる夢小説みたいなものと近いんじゃないかなって思ったんですよね。
私にだけ優しい殺人鬼っていうのを説明をするとですね、去年2025年の2月ぐらいにX上で盛り上がったmemeで、
私にだけ優しい殺人鬼とか、私だけを守ってくれる殺人鬼っていうのが盛り上がって、トゥヤッターにまとめられてたんですけど、
女が好きなのは優しい男じゃなくて、私だけを守ってくれる殺人鬼なんだよみたいな話に端を端しているんですけど、
そんでまとめ読んでると、ハリーポッターシリーズのウォルデモートがあげられてたんですよ。
ウォルデモートの夢小説ですよね、ウォルデモートと恋をするっていうような自分とウォルデモートの恋愛小説を読んでいる人が出てきて、
ウォルデモートは私にだけ優しいけどみんなにはひどいみたいな感じっていうことですよね。
こういうのって一定の人気があるジャンルですごい読んでる人たちがいるし、近いものだとヤンデレですよね。
ヤンデレの人と恋愛するみたいなものも近いかなって思ってて。
ウォルデモートの夢小説読んでる人たちはトムリドル、トムリドルってウォルデモートの本名なんですけど、
トムリドルと同じ孤児院で育つっていうあるある設定みたいなのがあるらしいんですよ。
昔から一緒に育つことによって殺人鬼みたいなキャラクターが私だけに優しくなってくれるみたいなことがあるんじゃないかみたいなことはみんな思ってるからそういう設定が生まれるわけですよね。
ヒースクリフとキャサリンも同じ家で育ってるし、私はヒースクリフっていうふうにキャサリンが言うように二人で一つになっていくわけですけど、
ウォルデモートの夢小説読んでる人も私はトムリドルっていう感じでトムリドルと一つになってるんだなって思って、すごいなんかよくわかんないけど譜に落ちちゃったんですよね。
私個人はあんまりこういう私にだけ優しい殺人鬼みたいなのが好きっていうわけじゃないんですけど、
人気ガールっていうことは理解しているから、なんか謎が解けた、ヒースクリフ好きな人ってこういう感じなのかなみたいな勝手に思っちゃいました。
好きな人違ったらごめんなさい。
まとめと今後の展望
ということで今日はすごくザックバランに嵐が丘について思ったことをあれこれ喋ってしまったんですけれども、
人によってすごく感想も違う映画だなっていうふうに思っています。
それはね読んでるのがすごく面白いから、ちょっといろんな人の感想をしばらく読んでみて、新しい視点みたいなのを探したいなっていうふうに思っています。
今日は嵐が丘をきっかけに女性同士の恋愛の物語としての可能性と、自分だけに優しい殺人鬼の魅力について話してみました。
感想はXでハッシュタグジュエリーボックスにメリ検索、またはカタカナでジュエメリをつけて呟いていただけたら覗きに行きます。
それではまた次回しおりでした。