こんばんは、しおりです。今日は、浅井涼さんの小説、イン・ザ・メガチャーチをきっかけに、その後考えたことを話します。
直接に加えて、宗教や儀式についての本をいくつか読んだので、不安との付き合い方についてじっくり話していきます。
よかったら、あなたがどう思うかも一緒に考えながら聞いてもらえると嬉しいです。 それでは今回のコンテンツを紹介します。
浅井涼さんの小説、イン・ザ・メガチャーチは、過去の回でも何度か取り上げていますが、3人の主人公がいて、それぞれの視点から推し活について描かれます。
アイドルグループの運営に関わることになったおじさんと、最近アイドルグループにはまった大学生。そして、かつて舞台俳優を応援していたけれども、ある事件をきっかけに変わってしまった30代の女性。
この3人の視点を入れ替えながら、推し活の良いところと悪いところっていうのが描かれていて、推し活のあり方について考えさせられる作品です。
今日はちょっとここの3人目の人のところについて話したいと思っているので、少しネタバレを含んでしまうかもしれません。まだ読んでない方はご注意ください。
タイトルにもメガチャーチってついてるんですけれども、この最近のコンテンツというのはチャーチマーケティングっていう、教会とか宗教がどうやって信者を増やすかっていうようなことを考える時に使っているマーケティング手法が応用されていたりだとか、
あとはアイドルファンの熱狂度合いってやっぱり宗教とちょっと似てるよねみたいなところが小説でかなり描かれていたかなというふうに思います。
あのあれかな、恋愛裁判の回でも私喋っていたんですけど、私すごい昔からオタクで、推し活っていう言葉は最近できた言葉だと思うんですけど、
それまではなんだろう、オタクって知人権がないものだったかなっていうふうに思っていて、日陰でこっそり楽しむ趣味でした、私にとっては。
小学校高学年ぐらいからかな、からもう明確に自分はオタクだなっていう自認があって、もうその頃から、いやもうちょっとしてからかな、中学生ぐらいからかな、ずっと思ってたんですけど、
すごいオタクの活動って宗教みたいだなっていうのはもうずっと思っていて、インザメガチャーチはなんか推し活がメジャーになったことによってそれが一般に広がったから描かれた作品だなとは思うんですけど、
元からオタクカルチャー内にあった事実ではあるかなっていうふうに思っています。
なんか昔から同じ人を好きで応援してたりとかするけど、人によって全然その応援のスタイルも違うし、考えてることとか解釈とかも全然違ったから、
同じ神を信じてるけど、宗派が違うから解釈が違うんだなみたいなふうにずっと思ってました。
私自身は大学生時代はすごいどっぷりハマって一人の人を応援してたんですけど、ちょっと不健康でもあったなと思っていて、
オタク活動に全てを注いでいたから、お金もすごいギリギリで回してたし、そのために平日アルバイトを入れまくって、
サークルとかも行けなくなるし、寝坊して朝一元の授業に遅刻したりもしたし、
あとはもうオタク友達とライブとかイベントとかの会場で会うことばっかりだったから、大学の友達ともそんなに遊んだりとかしなくて、
もう少しだんだん疎遠まで行かないけど、あの人いつも来ないねみたいな感じの存在になっちゃってて、
結構不健康な状態になってたなっていうのを思っていて、
今はあんまりどっぷり疲るっていうよりは、いくつかのアイドルとかアーティストとかスポーツ選手を軽くライトに応援するぐらいの感じに落ち着いてるかなっていうふうに思います。
なんかそのどっぷりハマっちゃう感じも宗教っぽいですよね。
インザミラチャーチではその押し勝つカルチャーだけに閉じずに、そのカルト宗教的なものについても描かれていたかなと思います。
舞台俳優を応援してた女性は、その舞台俳優が死んじゃったことをきっかけに陰謀論みたいなものであったりだとか、カルト的なものにハマっていってしまうんですけれども、
でね、インゾミがチェチを読んだら、チャーチマーケティングとか宗教が気になってしまって、私その後本を4冊読みました。
追加で読んだ本、全部はご紹介しないですが、ビジネスとしての宗教っていう、その宗教がどういうふうに広まっていってるのかみたいな、
マーケティング的な本であったりだとか、ご利益を科学するっていう、どうして宗教の儀式とか祈りが効くのかっていうのを科学的に見た本とかを読みました。
で結構その、実際にご利益を科学的に見ていくのってすごく面白くって、夢中になって、バーッと一気に4冊読んでしまったんですけれども、
これらの本を読んだ上で、私としての理解では、宗教の存在意義って2つぐらいあるかなっていうふうに思ってます。
1個目が、みんなで生きていくためのルール作り。人間って資料採取を始めてからだと思うんですけど、
大きい集団であっても小さい集団であっても、集団生活をしていると思うんですよ。家族であったりだとか、近所であったりだとか、それが村とか町とか単位になっていったりだとか、
どんどん国とか大きい単位にどんどんなっていくと思うんですけど、その集団をうまく回すってなった時に、
宗教によって決まり事みたいなのがあると、悪いことはしちゃいけませんよっていうことになって、集団の治安を維持するっていうことに役立つ。
それから、悪いことを防ぐだけじゃなくて、いいことも促進する。隣人を愛しましょうみたいなことをキリスト教は言ったりするわけですけど、それによってうまく集団が回るっていうのが1個目。
で、もう一個は一人一人の不安の解消っていうのが結構大きな役割なんじゃないかなっていうふうに思いました。
なんか不安になったりするから祈ったり、何かを信じたりするっていうことなのかなっていうふうに思います。
辛いことがあって一人ぼっちだなって思うとすごい辛いですけど、神様とか仏様がいてくれるって思ったら頑張れるし、
あとは何か理不尽なこととか辛いことがあっても、自分のせいじゃないって思えるだけで、辛いなって思いすぎずに済むみたいなこともある。
で、さっき話したみたいに、その宗教のコミュニティに集まった人たちとその愚痴りあったりだとかして不安を解消するみたいなこともある。
宗教って日本だとちょっと私はって人も多いんですけど、振り返ってみると自分たちの生活の中に祈りとか儀式とかってあっちこっちにあるじゃないですか。
今、都会のお家とかにはない家も増えてますけど、家に仏壇があって毎日手を合わせるとかもそうだし、お盆みたいなものもそうだし、お葬式とかもそうですよね。
それから日常の小さなところで行くと、なんかじゃんけんするとき、じゃんけんをするときに勝ちたいなってなったときに、じゃんけんする前に祈ったりだとかする人もいますよね。
あとは受験の前に神社に祈りに行ったりだとかお守りをもらいに行ったりする人もいますよね。
なんかそういうレベルも含めて、祈りとか儀式とか宗教だと思っています。
資本主義だから、資本主義社会だから、全部の行動とか全部の何々したいみたいなものとか、全部の不安が全部お金になっちゃうんだなっていうのがあるから、
祈りとかで解決できるはずの不安もお金を取って解消してあげますよみたいなものが出てきてしまって、
それによってカルト的な策集であったりだとか、お金をどんどん吸い取ってしまうような仕組みができちゃうんじゃないかなっていうふうに思って。
だからなんかその宗教そのものが悪いっていうよりは、その宗教にお金をくっつけて、資本主義的なものをくっつけて、
どんどんお金を取るためのツールとして使ってしまうっていうのが、本来のその宗教の持つ効果みたいなものと、その宗教の悪いイメージみたいなの、そのギャップみたいなものを作ってしまってるのかなっていうふうに思います。
自分の話をすると、私すごく不安になりやすい自覚があって、ちょっとしたことですぐに不安になっちゃうんですよ。
一般的な人と比べて、周りの友達とか会社の人とかと比べても自分って不安になりやすいなと思ってて、同じ物事を見た時にネガティブに取られて悪い方に進むんじゃないかっていうふうに想像しやすいですよ。
だからなんか宗教とかお仕活とかでうっかりお金を使わされることになっちゃったりだとか、うっかり搾取されたりとかしやすいかもしれないから気をつけないといけないなっていうふうに思ってて、
なんかそういうものに頼らなくても、自分で落ち着ける方法みたいなのを見つけたいなっていうふうに思っています。
たくさん読んだ本の中で、結構儀式に関する内容がかなり参考になりそうだなっていうふうに思いました。
儀式って、皆さん何でもいいんですけど、神社に行った時にお祓いしてくれるものを想像してもいいし、
入学式とか卒業式みたいなものを想像してもらってもいいんですけど、決まった方法があるじゃないですか。
こういう流れで、こういう順番でやるみたいなものが決まってるから、それをやることによって予測不可能なことが減ることによって不安が減るらしいんですよ。
大体の不安って予想できなくて、悪い方に行くんじゃないかみたいに思っちゃうから起きるので、
チェリーの中で、そういう予測ができないことがいっぱいある中で、予測できることみたいなのを作ることによって不安が落ち着きやすいっていうのが、その本に書いてあったんですよ。
確かに、スポーツ選手とかって試合の前に同じ動作とかしてたりとかしませんか?
私はフィギュアスケートが好きなので結構見るんですけど、ハニー・ユーズルフンとか滑り始める前に絶対同じ動作をしてたりとかするんですよ。
ルーティーンみたいなやつですよね。
そういうのを見てると、結果がどうなるかわかんないとか、うまくパフォーマンスできるかわかんないみたいな不安を落ち着けるために、いつも決まった動作をするみたいなことが結構有効なのかなっていうふうに思いました。
でね、しかもその、自分でゼロから作るのって難しいと思うんですけど、なんか既存のやってる、いろんな人がやってるものとかを切り張りして、自分のやりやすいように作って大丈夫なんだみたいなことが本に書いてあって、
しかもそれを自分が聞くって思い込んでればいいみたいな、プラシボ効果とかプラセボ効果ってありますけど、自分が聞くっていうふうに思ってやることが大事で、
その行為自体に本当は意味がなかったとしても、科学的な効果がなかったとしても、これをしたら大丈夫っていうふうに自分が思ってれば実際に効果があるっていうものがあるので、結構その、儀式的なものってプラシボ効果が当てはまるんじゃないかっていうのが本にも書いてありました。
あとは、なんかあの、私は大丈夫って声に出すことも大事っぽくて、それをやってみようかなって思ったんですよね。
脳科学で儀式とか宗教について説明してる本の中に、人間はその自分で言葉に出したことと自分が頭の中で思っていることの区別ができないっていうのが書いてあって、
人間の脳ってそんなに私たちが思っているほど複雑じゃなくて結構単純だから、自分が喋っていることが本当だと思っちゃうらしくて、私は大丈夫って言ったら脳みそが大丈夫だと勘違いするみたいなものがあるらしいんですよ。
なので不安になったら口に出して大丈夫って言ってみるとかをしてみようかなっていうふうに思いました。
というところで、ざっくばらに話してしまったんですけれども、もう少し本を読みながら具体的に自分なりの落ち着く方法を見つけようかなって思っています。
なんか簡単なのがいいですよね。時間がわからなくてすぐ落ち着けそうなやつ。
瞑想とかよく落ち着くためにいいよって言われますけど、ちょっと時間かかるじゃないですか。
深呼吸何回かして自分に大丈夫って声かけるぐらいの簡単さがいいなって思っているので、ちょっと試してみたいなというふうに思っています。
あと手軽さで言うと香水とかルームフレグランスとかで気持ち切り替えるのもいいかなって思っているので、
いくつか思いついたやつ試してみて、これはいけそうだって思ったやつを自分の儀式として定着させて、不安な気持ちに対処していけたらいいなというふうに思っています。