「みんながそう言うから」と、自分の判断を止めてしまうことはありませんか?『プロジェクト・ヘイル・メアリー』をきっかけに考えます。
科学の考え方(帰納法・反証)をヒントに、諦める前にできることを言葉にして持ち帰ります。
同調圧力/多数派/思い込み/批判的思考/科学哲学/仮説検証/反証主義/帰納法
▼今回お話したコンテンツ
- 書籍:プロジェクト・ヘイル・メアリー(アンディ・ウィアー)
- 映画:プロジェクト・ヘイル・メアリー(フィル・ロード&クリストファー・ミラー監督)
▼その他参考コンテンツ
- 書籍:科学哲学講義(森田邦久)
▼パーソナリティ
しおり|おひとりさまを楽しむ30代女
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▼この番組
podcast『ジュエリーボックスにメリケンサック』
本や映画、ドラマなどの物語をきっかけに、恋愛や結婚、女友達、孤独、働くことなど「女の人生」をゆっくり考えるポッドキャスト。
作品の感想というより、物語から人生を考えるエッセイのような番組です。
▼もう1つの番組
podcast『大丈夫じゃなくて大丈夫』
“立場は違っても、女同士だからこそ分かり合える話ってあるよね。”
おひとりさまを楽しむ女&子育てを楽しむ一児の母で日々のモヤモヤを話します
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サマリー
このエピソードでは、SF小説『プロジェクト・ヘイル・メアリー』を題材に、「多数派」や「常識」とされる考え方を疑うことの重要性について考察します。科学における仮説検証や反証主義の考え方をヒントに、日常生活で当たり前とされていることに疑問を投げかける勇気と、それが新しい発見やより良い社会につながる可能性について語られています。
はじめに:多数派の意見に疑問を持つこと
こんばんは、しおりです。今日はプロジェクト・ヘイル・メアリーをきっかけに考えたことを話します。
皆さんは周りがみんなそう言ってるからっていう理由で何かに納得したこととか、何かを諦めたことってありますか?
今日は常識とされていることを疑ってみることについて話します。 ただあの別にエセクワークとか陰謀論の話がしたわけじゃないので、安心して話を聞いてもらえると嬉しいです。
『プロジェクト・ヘイル・メアリー』の紹介と映画版との比較
それでは今回のコンテンツを紹介します。 プロジェクト・ヘイル・メアリーは2021年5月に出版されたアメリカのSF作家アンディ・ディアのSF小説です。
宇宙に一人きりの主人公が人類の危機を救うべく放送する話になっています。 この小説ですね、とにかくネフタバレ元気いいんだよって言われることが多くて、もういいからとにかく読んでくれ
というふうに勧めている人がめちゃくちゃ多いんですよ。 なので私もとにかくよくわかんないけど読もうと思って読みました。
主人公が記憶喪失の状態で目が覚めるってところから話が始まって、記憶がない状態の主人公と一緒にいろんな謎を解き明かしていくっていうのがすごく面白い読書体験になっているので、
それもあってすごくネタバレ厳禁って言われやすい小説になっています。 先日3月20日に映画版が公開になったわけですけど、映画の予告にも地球外生命体と思われる何かがもう映ってしまっているので、
かなりネタバレになる予告編になっていて、人によってはとにかく映画館で予告っぽいものが始まったら目をつぶってくれっていう人もいるぐらい、
とにかく先に本を読んでほしいっていう人が多い作品になっています。 一方で、映画がどうだったかというと、映画はかなり出てくる地球外生命体との友情に
フォーカスして話が作られているので、あんまり科学に関する描写とか、目が覚めた後の謎解きみたいなところに関しては省略されています。
なので、原作を読むとすごく科学って楽しい、サイエンスって面白いっていうふうに思うんですけど、それが好きな人は映画がちょっと物足りなく感じるかなって
思うんですけど、一方で科学のことはよくわかんないので、小説読んだとき前半があんまり面白くなかったんだよっていう人とか、わけわかんなくてついていけなかった
みたいな人は逆に映画の方が楽しみやすいんじゃないかなっていうふうに感じました。 その意味で映画版の方がたくさんの人に見てもらいやすいものになってたんじゃないかなっていうふうに思います。
でね、映画を見てから省略されていそうなものがあるなって感じて、詳しく知りたいなって思った人は映画を読んでもいいのではないかなっていうふうに思うので、
別に必ず先に小説版を読めというふうには、あの私は思わなかったです。あのお好きな方からどうぞっていう感じですね。
いやー小説も映画も面白かったので、ぜひ皆さんにも見てほしいなというふうに思っています。 今日は小説の方を読んで感じたことを主に話していきます。
科学における仮説検証と反証主義
今ねお話ししたように、小説すごく科学って楽しい、サイエンスって楽しいっていうものになっているので、それを感じたい人は小説の方をお勧めします。
私がねこの小説読んでて思ったのは、科学における仮説検証の面白さと反証主義っていうものの教材としてすごく面白いなっていうふうに思ったので、その2つについて話そうと思います。
まず仮説検証についてなんですけど、さっきもちょっと説明したように、何にも記憶がない状態の主人公が、もしかしたらこういうことなのかな、やってみよう、やっぱりそうだったとか、いや違ったみたいなことを繰り返すことによって謎が明らかになっていくっていうプロセスを踏むんですよね。
なので、一般的な科学の仮説を立てて、それを実験して検証するっていう流れを何回も何回も踏むんです。それってすごく面白いことだよねっていうのをすごく感じられる小説になっていて。
それがかなり大きな特徴だなっていうふうに感じました。
私自身もね、科学、サイエンスの一番面白いところって、自分で仮説を考えて、それが証明される瞬間だと思っているので、すごく共感しながら、こういう瞬間がやっぱ面白いんだよなって思いながら読みました。
そしてもう一つの反証書記なんですけれども、ちょっと説明しますね。この小説の主人公グレースは、水を必要としない地球外の生物っているんじゃないか、みたいなことを論文に書いた人なんですよ。
で、その論文を書いたら、学術会から、口も悪かったりしたんですけど、いろんな理由があって、学術会から批判されて追い出されてしまうんですね。
で、大きな理由としては、学術の世界では、すべての生き物は水が必要だっていう理論が一般的なんです。だから、グレースが提唱した、水を必要としない生物が存在するはずだっていうのは、なんか急にとんでもねえこと言うやつが現れたわ、みたいなことなんですよね。
だから、結構頭おかしい奴がいるわ、みたいに思ってる人もたくさんいただろうし、めっちゃ科学界の応募書に喧嘩を売ってるわ、みたいな状態でもあったと思います。
それで、学術会から逃げてしまったグレースは、学校の先生をしていたわけですけれども、アストラファージーが現れることによって話が変わってくるわけですよね。
アストラファージーっていう地球外微生物みたいなものは、太陽のエネルギーを食べているっていうことがわかって、そんなときに地球外生命体、しかも太陽の表面で生きられるってことは、きっとそんな場所にいたら水は全部蒸発しちゃうはずだから、水が必要ない生き物なんじゃないか、こいつは、みたいな話になるわけですよね。
だからグレースの論文を参考にした人から、ちょっと君この研究してくださいよ、みたいに言われることになるわけですが、調べてみたらアストラファージーは結局水を多く含むっていうことが明らかになったので、結果、学術会の一般論を覆すことはできなかったんですよね。
で、やっぱり他の科学者から、水を必要としない生物なんているわけないじゃん、みたいなふうに言われたりするわけですけど、そのときグレースは、いやまだ発見されてないだけで、水を必要としない生物がいないっていうことを証明できてるわけじゃないんだっていうふうに考えるわけですよね。
で、これが反証主義っていうやつで、今のところ存在している理論とか通説みたいなもので、仮説に過ぎなくて、今のところそれを反証、えっと反対の証明みたいなことですよね。
違うものが存在するよっていうことを証明する例が出てきてないから、暫定的に仮に正しいよってされているだけで、一個でも違う例が出てきた瞬間に、その仮説は違いましたっていうことになるんですよね。
だから、今の世の中でいう水が必要ない生き物って存在しないよねっていうのは、暫定的な仮の理論なわけですよ。で、結局グレースはその後、宇宙に行った後にエリディアン、ロッキーっていう水を必要としない生物に出会うわけですよね。
これによって、水が必要ない生物は存在しないんだっていう理論は反証されることになるわけですよ。なので、このお話って実はその反証主義的なものを扱っている教材として見ることもできるんじゃないかなっていうふうに感じました。
これね、結構小説読んでると丁寧に書かれてるから、この流れがすごくよくわかるんですけど、映画を見てるとロッキーが二臓必要としない生物なんだみたいなことがわかりにくくなっているので、この面白さを感じたかったらぜひ小説を読んでほしいなっていうふうに思います。ちゃんと説明できてたかな、ちょっと自信ないですけど。
帰納法と科学的思考の限界
今話してきたように、今存在している科学、サイエンスって結構機能法みたいなものをベースにしてるんですよ。機能法、皆さんご存じな方が多いとは思うんですけど、たくさんの事例を観察して、たくさん似たものに対して共通して言えること、共通した傾向を見つけることによって、それが法則だっていうふうに言うのが機能法なんですけど、
今の科学ってたくさん実験して、たくさんやってみんな同じことが言えたから、きっとこれが答えなんだみたいな感じで、機能法のやり方に基づいて成り立っている部分がすごく大きいんですよね。
ただ一方で、前回まで同じ結果が繰り返されたからといって、次回も同じ結果になるとは限らないんですよね。
例えば、コインをひっくり返すみたいな、コインとすみたいなのをしたときに、例えば3回やって3回連続表が出たとします。
じゃあ3回連続表が出たから、絶対毎回表が出るとは言えないですよね。4回目は裏が出るかもしれないみたいなことがあるわけで、
3回まで実験した結果としては、暫定的に仮に毎回表が出るっていう理論を立てることはできるけど、4回目にもし裏が出ちゃったら、それは4分の3の確率で表が出るっていう風に仮説を更新しなきゃいけないわけですよね。
だから今ある仮説が本当に正しいのかみたいな、今ある理論が本当に正しいのかみたいなことについては、何回も実験することによって確認しなきゃいけないし、本当にその理論が正しいのかなみたいなことに対しては、ちょっと疑いの目を向け続けなきゃいけないっていうことになるんですけれども、
プロジェクトヘルメアリーはこの本当かなそれってっていうのを考え続けたグレースの達成の物語でもあるんですよね。こういうことを考え続けないと新しい発見ってないわけで、新しい発見ができた時の喜びもまたひとしようかなっていう風に思います。
ちなみに今のコインの話をちょっと補足すると、今の説明をすると機能法って万能じゃないじゃんみたいな、機能法って何も使えないじゃんみたいに思うかもしれないんですけど、実験って回数を増やせば増やすほど信頼性が高いものになっていくんですよね。
だからさっき話したコインの表裏の話とかすると、3回とか4回しかやらないから、あんまり信頼できない結果が出るわけであって、それをじゃあ100回とか1000回とか1万回繰り返したらどうなりますかってなったら、かなり2分の1に近い結果になっていくと思います。
で、たくさん繰り返せば繰り返すほど信頼できる結果になっていくっていうことを、これまでの経験から科学者の人たちは知っているので何回もいろんな人が実験を繰り返すっていうことを知っているわけですけど、
プロジェクトヘルメワリーの中で、指揮官のストラットがすごく十分に検討された既存の技術っていうのを好むんですよ。あんなに新しい技術で爆知したくないみたいなことを言うわけなんですけど、それはこのあんまり実験が繰り返されてない技術っていうのは、あんまり信頼できなくて失敗する可能性もまだあるよねっていうふうに思ってるからだなっていうふうに感じて、
そういうところも勉強しやすい小説になってるなっていうふうに感じました。実際、現実のロケット開発とかだと、あんまり十分に検討できないままスタートしてしまって犠牲になった人とかもいるし、このプロジェクトヘルメワリーの中でも事故によって技術者が犠牲になっているっていうシーンもありましたよね。
あとね、ちょっと脱線だいぶしちゃうんですけど、このプロジェクトヘルメワリーの中だと、人類の存続の危機みたいなのを理由に、あれとあらゆる障壁、なんていうんですか、ハードルみたいなものが全部なくなっていくんですよ。お金の問題も全部解決されるし、いくらお金がかかってももうとにかくやるみたいな感じだし、倫理的な問題みたいなもの、著作権の問題とか、
途中で訴訟が起こされたりしますけど、そういう問題も全部なかったことになって、全部のハードルをなくしたら、科学には何ができるのかみたいなところも示されている小説になってるんですけど、ちょっとでも全部の問題って本当に無視して進めていいんですか、みたいな気持ちにもなるんですよね。ちょっとこの問題については話が大きすぎるので、次回別の話としてまとめて話しますね。
日常生活における疑問と変化への期待
さて、科学って楽しいの話に帰ってこようと思うんですけれども、私はですね、大学院を出ていて、今もちょっと研究っぽい仕事をしてるんですね。
自分が研究してて一番楽しいなって感じるときって、やっぱり自分の考えた仮説が正しかったとか間違ってたっていうのが検証されるときなんですよ。結果が出るときが一番楽しいなっていうふうに思ってるから、だからそのグレースが未曾有必要としない生物に出会ったときってすごい感動だっただろうなっていうふうに読んでて想像できるものでした。
自分のそこまでのね、大きい発見とかしたことないから、どれぐらい本当に嬉しいことなのかみたいなのは実感持ってじゃないですけど、まあそりゃ嬉しいよねみたいなふうに読めたんですよね。
でもなんか実際こう、通説と違うこと、世の中一般で水が必要じゃない生き物なんているわけないじゃんってみんなが言ってるのに、いやそんなことないはずだ、理論上は絶対に存在し得るみたいに言うことってすごい勇気のいることじゃないですか。なんか私だったらできるかなーってちょっと考えちゃったんですよね。
で、なんかそう考えたときに、こういう話って科学に限ったことじゃないよなーとも思って、世の中でそれって当たり前だよねって思われてることって意外と当たり前じゃないみたいなこともあるじゃないですか。
なんかね、私がもう一個やってる番組、大丈夫じゃなくて大丈夫っていう友達と2人でおしゃべりしてる番組があるんですけど、それではね結構ねそれをやってるつもりだったわーっていうのを思い出したんですよ。
そっちの番組では女が日常生活で感じることについて、当たり前だと言われてることって意外と当たり前じゃないかもねみたいな話をしてて、最近だと否認方法、妊娠を防ぐ否認ですね、の方法あって、コンドーム以外だと結構女の人がピル飲んだりミレイナ入れたりとかして防いでることが多いけど、
それって女の人にばっかり負担が偏ってて、おかしくない?みたいなことを言ってるんですよ。男の人もできることもっと増えたらいいよねみたいな話をしてるんですけど、これって結構その世の中で否認をコンドーム以外の方法でやりたかったら、女の人が女の人の体のホルモンに合わせて対処するのが当たり前だみたいな風に思われていることに疑問を投げかけているわけですけど、
なんかね、こういうことを言っていくことによって結構世の中変わるだろうし、周りの人の考え方も変わるだろうなみたいな風に思っているからやってるので、一人一人がこういうことを続けていったら、より良い世界ができるのでは?みたいに個人的には思ってるんですよね。
だから、科学を仕事にしてない人、別に自分は研究者じゃないしって思ってる人も、実は当たり前だと思われている説とか言われてることとかに、いやそうやって違うんじゃない?って言ってみることはできるんだなぁという風に思いました。
ということでね、一般に広まっている説を疑ってみたりするのって、今話したように意外と誰でもできることなんですよ。それが新しい発見につながって、実はそれが誰かを助けるかもしれないわけですよね。
なので、私も今後もこの姿勢を続けてみようかなっていうふうに思いますし、聞いてくれてる人がちょっと自分もやってみようかなっていうふうに思ってもらえたら嬉しいなっていうふうに思います。
まとめ:疑問を持つことの意義
今日はプロジェクトヘールメイリーをきっかけに、世の中の当たり前に疑問を投げかけることについて話してみました。感想はXでハッシュタグ10Aメイリーをつけてつぶやいてもらえたら覗きに行きます。
それではまた次回。しおりでした。
17:17
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