シャーマニズムとアミニズムの紹介
人生ついでにゆるっと覚醒してみちゃう?
こんにちは、こんばんは。霊性開花の専門家、リアルスピリチュアリスト橋本ゆみです。
この番組は、ビジネスや人生を変えていきたい方に向けて、エンタメでもファンタジーでもない、リアルなスピリチュアルで人生を切り開いた、ゆるっと覚醒マインドをお届けします。
今回のテーマは、日常にあるシャーマニックアンドアミニズム的なこと。
というわけで、日常に根付いてますよね、こういうことっていうのは。
アミニズムって何なんて言うと、簡単に言うと、
物、自然、全部に魂宿ってるよっていう、日本人がよく感じるというか、
西洋の人よりもそういう部分が原始的な部分なんですけど、
宗教的まで言っちゃうと、宗教をどう定義するかなんですけどね、
私の中でね、宗教とは広める活動であるという定義を持っているので、
広める活動ではなく、勝手に広まっている無意識の深いところ、
集合意識、あるいはDNAに組み込まれているような、
人間が自然発生的に感じたり思考するものなんじゃないかなと、
アミニズム的な部分ってね、もともとだから持っているものなんじゃないかな、
傾向というかね、というふうに感じているので、
アミニズム、宗教というふうに私の中ではリンクはしていませんが、
やっぱりその自然の中で、自然と共存、共生という中で、
やっぱり大いなる何かを感じていたわけですよね、昔の人。
大体日本って、日本って区切られないんだけど、日本自体がその時ないからね。
縄文時代、縄文人のあたりの時代ですが、
そのあたりっていうのも既にね、宗教的というか、
宗教ってだから言えないんだよね、シャーマニズム的なものっていうのがあって、
やっぱり祈りだったりとか、
捧げる何かだったりとか、いただいて返す、
贈与、循環というね、そういう時代があったわけですよね。
縄文時代といってもね、縄文時代には別に縄文人だけじゃなくて、
いろいろいるわけですけど、
その辺に入っていくとちょっとまた話ずれちゃうんで、
今日のテーマはね、シャーマニック&アミニズムというところで、
ちょっと日常的な話をしていこうかなと。
日本文化における儀式
スピリチュアルとかシャーマニック、シャーマニズムみたいな話すると、
ちょっと怪しいとかね、それこそ宗教寄りになったり、儀式的になったり、
儀式って祈りとか、そういうのでもあるんだけど、
その祈りを形化、形式化したもの、それは信仰というかね、
信じてるっていう意味で信仰なんだけど、
やっぱりうやまうとか、いふとか、そういう思いが入っているわけですよね。
入った形になっている。
それって日常の中にいろいろあって、
特に日本は本当にね、中国から仏教、中国じゃないか、仏教はね、
あっちの西から、西から仏教が入ってきて、
それと共にとは違うけど、時代の交流、文化交流というかね、
貿易とかそういった流れの中で、儒教とかも入ってきて、
そこからいろんな思想でね、なんとか教というのが生まれていくわけなんですけど、
そういう日本の中にある普通にやられていることっていうのは、
ある種儀式的なんですね。
ご飯食べるときにいただきますっていうのもそうだよね。
何をいただくかって命をいただきますっていう、
のりとというか宣言というか感謝というかね、
いうわけですよ。
うちのちっちゃいときなんかは、手を必ず手を合わせてね、
呪文のように言う言葉が、
ちっちゃいから意味わかんないけど、覚えるわけですよね。
覚えさせられるというかね。
今思うとすごくいい言葉だなと思います。
何かっていうと、
はしとらば、あめつちみおのおめぐみ、
祖先や親の恩を味わいいただきます。
これだけなんですね。
あめつちみおが天皇さんが入ってくるわけなんですけど、
そのね、めぐみがあって、
祖先や親の恩を味わうっていうね、
どっから来てるのか、
祖母からそうやって言ってご飯食べるんだよって、
正座をさせられ、手を合わし、
のんのんしてから食べるっていうね、
幼少期だったわけです。
感謝の重要性と教育
そんな感じで日常にいただきますもそうだし、
あとはね、今お掃除を掃除機でかけちゃうわけだけど、
昔はね畑ではたいて、
ほうきではいて、
拭き掃除するっていうのがね、
お掃除なわけですよ。
なんで今日テーマにしたかっていうと、
いろんなところで、
このシャーマニック・アミニズム的な部分っていうのを
受講生には話すんですね。
こういうことするといいよ、みたいな。
これはここに置くといいよ、とか。
風水っていうのも、
ここに繋がるっちゃ繋がる、
気の流れだからね。
水と風の気の流れを整えるっていう、
簡単に言うとそういうもんなんで、
道具のこととか、
こういう時こういうことするといいんだよって、
ある種儀式的なことを話すんですね。
そうすると、
何かわかるっていう人と、
それって何ですか、みたいな人と出てくるんです。
いつも言うように、
言い悪いないんですよ。
言い悪いはないんだけど、
やっぱり私もあれって思う時があるんですね。
あれ、知らないっていうか、
あれ、なんでそこに疑問が?みたいな。
自分がハテナになる瞬間があります。
最近はそうかってわかってきたんだけど、
昔は本当にそういうのが多くて、
何かって、具体的なエピソードでちょっとお話しすると、
去年、今年、本当に私の周りで受講生たちが
引っ越しが多くてですね。
引っ越しの時にやるといい儀式があるわけです。
空間浄化のやり方とかあるんですね。
部屋に入る前にこういうことをやるといいよっていう話を
できる人にはするんですけど、
タイミング的にね、
引っ越しちゃったって人にはできないんだけど。
引っ越したんですよって言われたら、
そうなんだってわかるんだけど。
あとは引っ越す前、
どういうところに引っ越したいかっていう時に
やるといいこととかね。
細かく、細かくというか、
その人の状況に応じて、
引っ越し前にはこういうとこ行って
こういうことをやるといいよとか。
引っ越し決まって、
一人決まったら、
まずこういうことをやって、
引っ越しの部屋に入る前にこういうことをやって、
お部屋に対してこういうことをやって、
引っ越し入ってからこういうことをやってみたいな。
あるんですよ。
それはかなりシャーマニックな話なんですね。
その一部の事例で、
こういう道具を用意してくださいってお話をして、
すっごい当たり前なんだけど、
入る前に一部の話だけすると、
あることをするとこうなるから
掃き掃除をしようねみたいな話をしたわけです。
で、ふんふんとメモしていて、
多分この人この掃き掃除のまま
部屋も掃除しそうだなと思ったから、
ほうきはうちと外は別にしろよみたいな話をしたときに、
はっ!ってして、
一緒でやっぱりやるつもりだったんだねみたいな。
そこは分けようねみたいな話をしてて、
多くの人はね、やっぱり汚れるからとか、
そういう観点でそりゃ普通に分けるやろうって思うんだと思うんですけど、
一部でそこは履ければいいんだよねっていうので、
道具を分けない、
ワンプレートで食べるみたいな感じですね。
理屈は分かるけど、
うちと外って考え方、
うちと外の境界っていう考え方が、
結局なんだろうな、
知ってる人と知らない人って何が違うんだろうとかね、
履いた後にこう、
拭くときにもこういう道具をこうこうこう使って、
こういうとこを拭くといいよみたいな話をするんですけど、
その、履くっていう行為そのものがむしろ儀式的で、
服も儀式的なんですよね、
それの本質的な部分を捉えないまま、
言葉上で履けばいいってなると、
うち外の区別なくなったりとか、
あと拭けばいいだと、
何でも例えばね、
着古したTシャツとか捨てていいタオルとか、
そういうの使うっていう発想になるんですけど、
引っ越しして新しい家に入るっていうところでね、
新しい雑巾、100均で今日本は買えるんでね、
100均で買ったほうがいいわけですね。
そこら辺の感性っていうのは、
潔癖症とかそういうことじゃなくて、
結局成り立ちっていうか、
なぜそれをするのかっていうところが、
考えたらわかる人もいれば、
教えられないとわからない人もいるし、
考えなくても教えられなくても、
感覚でもうわかってるって人もいて、
3段階だからあるわけだよね。
私自身はやっぱりもうずっと
感覚でわかるタイプだったので、
そこに疑問、
例えばうちと外のホウキとかね、
100均で買ったらいいよなんて言ってて、
外履いたやつをうちも履こうとするとか、
うちを先に履いてから外履けばいいよねとか、
この順番とかいろいろあるわけですよね。
それを全部言わないとわからないっていうのが
現代なんだなと思って。
間、考えるってことができる人とできない人
っていうところでまず1個分かれていくんですけど、
だから順番としては感覚でわかる、
ちょっと言えばわかる、
ちょっと言えばとか、
自分でも考えて理解する。
次の段階が全部、
全部説明されないとわからない。
一つずつの意味を深く、
本質的に捉えてないから、
表層のやることでしか捉えていない。
言い悪い本当ないんですよ。
これね、ずっと何でかなって思ってて、
ある時に結論1個ついたのは、
育った環境だなって思ったんですね。
やっぱり私が幼少期に、
ご飯食べる前に感謝の言葉を言って
食べなさいって言われていた家系なわけですよ。
毎月神社に行って、
毎月墓参りに行って、
墓掃除してみたいな家だったから、
なんて言ったらいいのかな。
神様っていう存在に対しての捉え方が、
ちっちゃい時から当たり前に教えられている。
子供だから真っさらだから、
何らか教えてもらっているんだけど、
やっぱりそれは、
いろんなエピソードを聞いたりして、
理解していくわけですよね。
ロジカルに理解しているんじゃなくて、
例えば、お米を粗末にしたら怪我をしたとかいうエピソードとかね。
そういうのを聞いて、
やっぱり怖いんだなとか、
こういうことは大事にしなきゃいけないんだなとかね。
こういうことしちゃいけないんだろうなとか。
お膳の上に乗っちゃいけないとか。
それみんな常識とか当たり前っていうのでくくるんだろうけど、
お膳の上なんで乗っちゃいけないかって、
考えたことありますかね。
こういうのを考えるといいですよね。
で、またもう一つエピソードで、
この間、私が好きな本っていうか、
なんだっけな、
シュタイナーの本の話だったんだな。
シュタイナーをそんな勉強してるわけじゃないけど、
本を読むとすごく腑に落ちるから好きなんですよ。
ただ訳が難しく書いてあるから、
あれ普通に読むと非常に難解だって人の方が多いんですね。
それも理解できるんだけど、
感性の重要性
結局自分が実践していると腑に落ちるんですよ。
結局って私の結論なんですけど、
実践している人からすると、
ああってわかることもあるし、
逆にこれってなんだろうってことがあったら、
実践していけばそのうち見えてくるっていうことがあったり。
あとは謎がワクワクするから、
難しい問題と期待みたいなのとちょっと似てて、
ワクワクするから、それをワクワク読むわけですよ。
でも多くの方は難しいで、
わかんないなで終わっちゃうと。
版書とかノートをまとめた本があって、
百冊ノートっていう本があって、
私はそれが一番見てて楽しいし、
思考がアウトプットされているから、
わけわかんない部分いっぱいあると思うんで、
わけわかんない部分っていうかね、
別に全部が解説できるわけじゃない。
なぜならその人の感性で描かれているから、
近しいものがあればああって思うし、
この人はこういうふうに捉えたのは何でだろうって、
また感じるって感じなんですけど、
考えるっていうよりも、
味わいながら思考していくと、
さらに楽しい。
同じ世界を味わうと楽しいわけですね。
この間ね、受講生がね、
その本を買ったって言ってね、
持ってきてくれてね、買ったんですよって。
いいよねそれって話をしてたわけです。
そしたらユイさんがこれが面白いっていうのが何でか、
みたいな質問をされて。
何でか?
そういう言い方じゃなかったと思うけど、
どう楽しめばいいのかみたいなことだったかな。
あまりそこについてはお話ししなかったんですけど、
結局、
今日というか、先ほど言ったその履くとか、
服とかの話とか、
お膳の上乗る乗らないとか、
結局やっぱね、そこを考えるっていうより、
感じつつ考えるっていうことを、
楽しいと思える人と、
それがコストだって感じる。
なんて言ったらいいの?
雑多?
負荷がかかるものとして、
嫌だなって感じる人と、
パターンっていうかね、
その人の傾向だなって思うんですね。
興味があることは、
やっぱり味わいながら考えるっていうことをお勧めします。
お勧めします。
やっぱり内側にね、
昔からそれこそ縄文時代、
もっと前があるんだと思うんだけどね、
そこから培われているというか、
もともと持っている精神性みたいな、
原始的な精神性みたいな、
その根深いところ、
本能的な部分よね。
本能的な信仰って感じかな。
それは誰にでもあることで、
あまりにも思考ロジックに寄ってしまいすぎると、
その感性っていうのはやっぱり、
自分で断ち切っちゃってるっていうね。
それが眠っている状態、
目覚めてないっていう人もいるかもしれない。
そこの、もうちょっとそれを深掘っていくと、
愛っていう単語で言う人もいるでしょう。
どの単語で言っても行き着く先は、
本当にその原始的なというか、
元素的な働き、
湧いてくる源の思い、
それを慈悲、慈愛、祈り、
いろんな言葉で表現され、
それを信じる心があると信仰になっていき、
それが結局、
生きる上での希望にもつながっていくような、
そういう本当に根深い、
人間たらしめる精神性っていうところが、
アミニズム、シャーマニズムの中には見えてくるんですよね。
教育とシャーマニズムの関係
見えてくる。
やっぱりそれが、
幼少期にそういう教育を受けている人は、
やっぱり感覚で捉える人が多いなと思います。
お茶も結局そういう部分が非常に多くあって、
なぜお茶なのかみたいなところも、
やっぱり味わって感じて、
お茶とは何かってやっていくと見えてくる。
最初、私の場合は直感的にこれだって、
始める前からお茶好きだったけどね。
でも結局それが原始的な何か、
衝動というかね、動き湧いてくる、
源なわけですね。
無意識的に欲してしまうっていう、
お茶の歴史長いですからね。
なんというかね、やっぱりそういうところで、
意味理解から入るっていうのは、
大事は大事と思います。
興味を持ったら、やっぱり最初意味理解から入りますよね。
なんでこれなんだろう。
なんでこれをしなきゃいけない。
しちゃいけない。
いろいろあるよね。
それも結局、
しちゃいけないっていうのには理由があるし、
しなきゃいけないにも理由があって、
でもその根源がわかると、
絶対しなきゃいけないにはならなくて、
余白が見えてくるんですよね。
これがやっぱりね、戦後の教育っていうところで、
白黒した方が支配しやすいっていうのがあるわけで、
そういう社会的な背景もあり、
その感性っていうのが鈍っている人が多いんだなというね、
感想でございました。
その感性っていうのが今後本当に大事になります。
特に2030年以降は、
ここの格差は大きいですね。
この格差は大きくなる。
だから今のうちから本当に感性を養う、
あとはEQって呼ばれるね、
共感力とかそういういろんなものですね。
そこをね、やっぱり養う。
IQよりEQ力が求められる時代にもう入っちゃってるんでね。
入っちゃってるんですよ、これがまた。
だからね、日常にあるシャーマニズム的なこと、
お掃除とかも結局アナログとか昔のやり方をやっていくと、
日常生活の中の実践
なんでこんなことをやるんだろうっていうので見えてきたりします。
面白いですよね。
そこがね、面白いと感じるかどうかなんですけどね。
そこも大事だし、
そこも大事だし、
でもちゃんとそういう部分を見える化させるとか、
言葉にするっていうのも大事だし、
それはね、両方のバランスをとっていくのがリアルスピリチュアリスト養成講座で。
今日もね、午後からその養成講座卒業した人だけが入れる研究生クラスっていうのがね、
ずっとやってるんですけど、月に1回。
今日はね、ほんと関東は雨で、
他の地域も結構雨らしくてですね、
いろんな変わり時期で、その変わるほんと一瞬手前のピークの時期でもあり、
いろんなピークがあるんだけど、
その中でね、今日はかなりね、
深いことをやっていこうかなーなんて思ってる橋本でございます。
今日聞いてる人にはなんだよくわかんない話かもしれませんが、
今日のね、お話にあったね、日常にシャーマニズム、アミニズム的なことっていうのは、
本当にね、たくさん、特に日本は隠されてますのでね、
ちょっとそこを振り返ってというか、
お茶を入れる時も、やっぱりね、ガスからとか、
できる人は火を起こすことから始めてみたりすると、
やっぱり楽しい、楽しいというかね、
いろんなことを見えて感じてくると思います。
またね、そういう味は体感しながら深めていくっていうのは、
うちで言うとリトリートっていうのをね、今後もやっていくので、
神社ツアーとかリトリート、
そんな募集があったらぜひ参加いただければなと思います。
では今日の話があなたの人生の扉を開くヒントになりましたら嬉しいです。
ポッドキャストのラジオ番組、魂に目覚める魔法の知恵袋も、
ぜひぜひ合わせて聞いてください。
そしてお便りをいただけると、これを続けることができますので、
ご質問やお悩み相談などお寄せいただけますと、
スタイフかポッドキャストかね、どっちかでお話ししますので、
ぜひぜひお寄せください。
というわけで、ではまた皆さんお会いいたしましょう。
ではでは。