2024-12-04 34:56

#18「社会に信頼を再分配する」(特定非営利活動法人 Social Change Agency 代表理事 横山北斗②)

今回の語り手:特定非営利活動法人 Social Change Agency 代表理事 横山北斗

HP:⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://social-change-agency.com/⁠


放送内で取り上げた社会保障ゲーム

(クラウドファンディング)

⁠https://camp-fire.jp/projects/802219/view?list=search_result_projects_popular⁠

内容:社会保障制度におけるスティグマ/助け合う文化・関係性自体もセーフティネット/テクノロジーと保障までのスロープ/社会保障利用のプロセスが人をつなげる/社会に信頼を再分配する/困難な人ほど届かない保障/自分のストーリーを語れる場所/届ける手段としての「聴く」/社会保障とサポートの必要性


ようこそsocial hive WAITING CAFE 点描の弧へ。

ここは東京文京区本郷三丁目駅の裏にある、小野田総合法律事務所併設シェアオフィス『social hive HONGO』のメンバーが立ち寄るWAITING CAFEです。

毎週この時間のWAITING CAFEは、決まってメンバーの誰かがふらっと立ち寄って面白い話をしてくださるんです。

まるで世界の見え方がほんのちょっと、変わってしまうような。

※番組へのお便りは、socialhivehongo@gmail.comまでお寄せください。


聴き手 : ⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠岡田壮麻(スタートアップ支援家)⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

常連 : 和賀未青(株式会社ニイラ代表)

HP:⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://niila.info/index.html⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

制作 : 小野田峻(弁護士/小野田総合法律事務所)ほか 

小野田総合法律事務所 : 

⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠HP:⁠⁠⁠⁠https://www.ot-lawoffice.jp/⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠


X [Twitter] :⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠ social hive HONGO(@socialhiveHONGO)⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠⁠

*ご感想は 「#点描の弧」 でお願いします。

BGM:zippy(作曲家。X [Twitter]:zippy@zippy_zippy_)

ーーー

Welcome to social hive WAITING CAFE Tenbyo no Ko.

This is the WAITING CAFE where members of "social hive HONGO," a shared office attached to Onoda Law Office, located behind Hongo 3-chome Station in Tokyo's Bunkyo Ward, stop by.

Every week at this time at WAITING CAFE, one of our members stops by to share an interesting story.

It may be a story that will change the way you see the world just a little bit.

サマリー

このエピソードでは、横山北斗さんが社会保障制度に関するスティグマと、その制度を気軽に利用するための教育の重要性について述べています。さらに、テクノロジーを活用した情報提供の可能性や、信頼関係を築くことの重要性にも言及しています。社会保障制度は、社会に存在する信頼を再分配するためのインフラとして重要であり、その利用を通じて人々がつながる機会を提供することが求められています。この制度の改善を通じて、困難な状況にある人々が安心して生活できる環境を整えることを目指しています。また、ソーシャルワーカーによるテクノロジーの活用とサポートが、社会保障制度へのアクセス向上に寄与する重要性が語られています。加えて、制度の複雑さや心理的な障壁についての理解が深まり、コミュニケーションの大切さが強調されています。

00:07
ようこそ、socialhive WAITING CAFE 点描の弧~。
ここは東京文京区、HONGO3丁目駅の裏にある法律事務所併設シェアオフィス、socialhiveHONGOのメンバーが立ち寄るWAITING CAFEです。
毎週この時間のWAITING CAFEは、決まってメンバーの誰かが、ふらっと立ち寄って面白い話をしてくださるんです。
まるで、世界の見え方がほんのちょっと変わってしまうような、そんな話が聞こえてくるかもしれません。
socialhive WAITING CAFE 点描の弧ス新しい当たり前をデザインする実践者たちの日常
本日のご来店者は、前回に引き続き、特定非営利活動法人 Social Change Agency の横山さんです。
スティグマの理解
開放症制度みたいなのがいっぱいあって、それの使う必要性みたいなのがすごく僕の方でも理解できたんですけど、
そこの使うまでのプロセスでいろんな障壁があるみたいなお話もあったと思うんですけど、
その中でどういうことが具体的に横山さんの目の前で起きてるんだろうっていうのがすごい気になっているところなんですけど、
その辺について感じるものとか考えたことありますか?
そうですね。制度があるけれども、それを利用できない人たちが排除されてしまうポイントって様々あるんですが、
前のセクションのお話のところで知らないとか、内容が難しいとか、書類を揃えるのは大変だとか、
役所の窓口に行って自分のお借りの条件を話さなければいけないとか、そういうことをお話しさせていただいたんですが、
そういったところに加えて、一つはスティグマというふうに呼ばれる、どれにその刻印を押す、その刻印のことをスティグマというふうに呼んでいて、
社会保障するのスティグマというふうに言いますと、それを利用することであまり望ましくない状況にあるんだというふうに、社会的に認識されてしまうように感じてしまう。
生活を受けているということを誰かに知られたくないですとか、というふうに思ってしまうことイコール、その制度に何かしらそういうスティグマが付随しているというふうに言われるんですけれども、
権利である社会保障制度を利用するにあたって、それを利用することが恥ずかしいとか、それを利用していることが誰かに知られたくない。
例えば、都内とかだとあまり聞かれないんですけれども、地方などに行きますと、社会保障制度のこの制度の手続きを一緒に役所の窓口に行きましょうって話をしたときに、
でも役所の窓口はカウンターでもう誰からも見えちゃうから行きたくない。
あと、自分の知り合いが役場に勤めているので、自分が今困っている状況であるってことを知られたら困るっていうことを聞かれることがあったりするんですね。
それってわかるなというふうに思いつつも、制度が権利などだとしたならば、ゲーム教育で学校に行くみたいなことを、別に権利行使っているとは思わないじゃないですか。
自覚的になりませんよね。
制度を利用するっていうことを、学校に行くのと同じような感じで、制度を当たり前に使う、そういったものであってもいいわけなんですよね。
でも、青山さんがさっき言われたような、その、大上からの施しとか、
あと私たちが内在化している、自分のことは自分でやる、自己責任が望ましいとか、相手に頼ること、誰かに助けてもらうということ自体が、あんまり格好悪いとか望ましくないとか、
そういうのはあんまり言葉にしないかもしれないですけれども、私たちが無意識のところで共有しているような制度があるけれども、それを利用しようとなったときに、
あ、知られたくないなとか、それを使っているってことはダメなやつ、そういうふうに思われたくないなとか、そういうスティグマと大きな大きなハードルがあるんですよね。
この大きなハードル自体は、なかなか知る機会をいくら増やしたところで、直接に変えていくとやっぱり難しいわけなんですよね。
そうなってきたときに、やっぱり教育、中学校とか早いタイミングでそういうものを使うってことは、私たちに手の中にある権利なんだっていうこととか、実際に使うシミュレーションをしてみるとか、そういうこととかを地道に社会の中に埋め込んでいくみたいなことが、
まずなんかハウの話になっちゃったんですけど、やっぱりスティグマが一つ大きな制度から人々を排除させてしまうものなのかなっていうふうに思うところがあるんですか。
教育と権利の意識
たどり着いてプロセスも理解した上で、やっぱり気持ちが追いつかないみたいな障壁が最後大きいんですね。
そこに対して、なんかどう一緒に考えていったらいいんだろうっていうのもちょっと今、もう僕自身もよくわかんなくなりました。同じ立場でそういう人たちと。
難しいですけども、なぜその利用を信順されるかっていうことを、丁寧にまず聞いていくっていうところから始まるというところと、なんでしょうか、その何か施しては、そういう直接な表現はしないにしても、私も困ったら利用するべき権利なんだとかですね、生活保護の利用を信順している人に対して、生活保護っていうのはこういう根拠に基づいて、
私にも何々さんにもある権利で、ちゃんとその条件も決まってるんだと。何々さんが一人暮らしでどこのほうに住んでいるのであれば、1ヶ月の収入がこれの金額よりも下だから利用ができるんです。
なので今後働けるようになったら、その金額はそれの金額より上回ったら、もうそこから強制的に生活保護が廃止になるので、一時今大変なんだから、一時これを使って大臣を整えて、また働けるようになりましょうよとか、そういう形で、権利という言葉をその時初めて一緒に出して、それを一緒に噛み砕いていくことは難しいんですけれども、あなただけじゃなくて私にもあるっていうことですとか、ずっとそれの世話になるわけではないんだから、
今この時を踏ん張るためにちょっと使おうよとかですね、その人に合わせたコミュニケーションというか、そのぶつかり方でぶつかっていくみたいなところですか、どうですか。
そうですね、きっとその気持ちの部分を解消するのは、制度を利用するからオッケーおしまいっていうことではないんですよね。だから、結構そこで俊々した気持ちをどれだけ聞き手側が想像できるかみたいなところがあって、そうは言ってるけどこの人まだ納得できてないんだろうなーとか。
だから私なんかは結構大事にしてたのは、さっき横山さんおっしゃったように、とにかく聞くっていうことだし、あとは自然発生的にではないですけど、ちょっとした先輩を話に聞いてもらうとか病院のベンチの中で、
そういえば何々さんは以前こういうことを利用して、今こんな風になってるんだけど、今ね、この方が迷ってて、使うにあたって抵抗があるみたいなんだけど、どう思います?とか。
私は結局、例えば患者さんだったり利用者の方からすると、ちょっと立場が違うじゃないですか。本人の気持ちはやっぱりわからないから、だから同じような立場で経験者に助けてもらうとか、患者さんの話してくれそうな人とか、話がちょっとわかりそうな人とかに、いいですか?みたいな。
そういうのはありましたね。自分の力が足りないから、足りないっていうのは、そのいい意味で足りないっていう自覚は大事だと思ってて、それは今も。けど、そういう方が意外と横の繋がりを作っていった方が、いつも私とかみたいに病院の相談室にいるものに話すよりはもっと話しやすいのかなって。
ややこしくなってしまう場合もあるかもしれないけれど、結局人と人は結構助け合える関係みたいなね、ところがあるので、そこはなんか任せて助けてもらう、私も。
それは患者側に参加した立場からも、すごくやはりわかるというか、やっぱり同じ状況にあった人だからという共通項によって、それだけで少し信頼できることとかって、あとそういう人であれば、その人の話を耳を傾けてみようかなっていう風に、なんか思えたことがやっぱりあったんですよね。
なので、そのピアノの力といいますか、そういったものをその人に繋がってもらう資源として持っておくというかね、お伝えするみたいなのは確かになという風に思えたんです。
お二人の話を聞いて、社会保障制度が本当にセーフティネットをたるのはどうしたらいいんだろうって思ったときに、形とか制度じゃなくて、そこのスティグマとか文化的なものも含めたセーフティネットなんだなっていうのをすごく感じて。
そうですね。
そこに対するアプローチを込めてセーフティネットなのかなっていう風な感じをすごいお二人の話を聞いてて感じてました。
そうですね。誰がどのように編み込んでいくかっていうことも含めると、本当になんか構築的な制度の中身とかシステム以外の、今おっしゃったようなところも含まれてきそうです。
一方ででも、横山さんがやられていることの中にはテクノロジーを使ったり、広く伝えていくっていう手段としてのテクノロジーを使ってたりするっていう、それも大事だと私も思うし、
やっぱり一対一の関係は前提なんだけれど、みたいなね。そのあたりは結構、横山さんが考えていることとか、今活動としてやられていることに近い、その手段のいい意味ですごく使ってるんじゃないかなって。
信頼関係の構築
ありがとうございます。なんか自分もソーシャルワーカーの仕事からキャリアをスタートして、今もソーシャルワーカーだというふうに自覚しているので、なんか大和さんおっしゃっていただいた通り、一対一の関係によって生きることや支えられることがあるっていうことも分かっている反面、何でしょうか。
何かを精度を探すとか、誰かに聞くとか、相談するとか、そういうことに対するハードルが高い方たちっていうのもやっぱりいらっしゃる中で、そこをやはりAIとかテクノロジーを使って、対面の一対一の人とつながるまでの色々な調べるとか、ちょっとしたことを聞きたいとか、そういうプロセスをテクノロジーの力を使ってできることがあるだろうなというふうに思っていますので。
本当におっしゃる通りかな、私。
僕の全然経験なんですけど、英語の学習をすごいしたいなと思った時に、人と話すの最初すごいハードルがあったんですけど、最近だとAIスピーカーみたいなのがあって、そこで一回慣れていったら人と話す英会話スクールもちょっと通えたみたいなのがあって、なんかやっぱりテクノロジーの力ってそういうところにもあるなっていう。
スロープを作る一つの階段として、すごくいい機能があるなって感じました。
同じ構造ですよね、相談するの。
よくいろんなところで何かあったら相談してくださいとか、メディアとかもいろんな事件があったときに対応に相談窓口に乗ってたりするんですけれども、もう和田さんも何かで話されてましたけれども、相談をするということにもいろいろな技術というか。
ハードルが。
相談するって誰に見知らぬ誰かに、何からどう話していけばいいのかと。
そういうことはやっぱり経験がないとなかなか難しかったりしますので、そういうものをAIとの相談のプロセスで少し経験をされて、実際のサポートに結びついた後に対面の人と相談していくみたいなところは構造的には似ているのかなと思います。
最初から誰かに頼るっていうところのスティグマがない状態ってどういう状態だろうと思ったときに、やっぱり一つのことを社会っていうのが信頼関係がある状態っていうのが前提かなと思ってました。
やっぱりそこをどう作っていくかっていうのも社会保障のスロープづくりなのかな。
僕はそう思います。
信頼についてはよく感じることはありますか?
そうですね。非常に抽象度を上げて、自分がやりたいことを考えたときに、社会にどのように信頼を満たすかっていうことをよく考えるんですね。
信頼の再分配の必要性
社会保障があるけれども、それが利用しづらい、要するにアクセスに障害がある、障壁があるみたいなことをそこを改善していきたいというふうに思うのも、
社会保障制度というのは、一つの社会の中に偏在している信頼を再分配するインフラの一つというふうにも考えられると思っているんですね。
何か自分が困ったときに、じゃあ現金の給付なり、人のサポートなりというものが要するに自分がアクセスされるということは、
そこを通して結局、人と何かしらのやりとりを発生させたりですとか、そういうことが生じるきっかけとしての仕組みが社会保障制度だというふうに私は思っていて、
例えば、何か困難な状況にある人ほど、自分の身の回りの人とのつながりが立たれていたりですとか、そういった状況にあることが多いと思うんですが、
そういう人が社会保障制度を使ったときに、その制度を使うというプロセスを通して人とつながるわけですね。
自分たちが屈辱として、その仕組みの中で人とつながっていくみたいなところのパーツとしても存在しているわけなんですが、
そういうことを考えたときに、社会に存在しているその信頼のパーツみたいなものを、きちんとその人と人との間で繋ぎ直す、再分配する。
要するにその信頼というのは何かしらの対象に対する不安を縮減する。
要するにこの場に安心していられるのは、この場にいる人を最低限信頼しているからこの場にずっといられると思うんですけれども、
いろんなことに困難がある人にとっては、例えば家族が信頼できなければすでに不安を家庭の中で感じているわけですね。
何か職場のバランスメントとかを経験した人にとっては、職場に対していつも不安を抱えているとか、信頼が不足していることで不安がその人の中に生じて、
それによっていろんな行動が起こせなかったりですとか、安心安全に過ごせないみたいなことがあったときに、そこに対して信頼を再分配する仕組みの一つが社会保障制度だというふうに自分は考えているので、
社会に適切に信頼を満たしていくために、その回路、インフラの整備というような形で社会保障制度のアクセスをよくしていくみたいなことを自分はやりたいんですよね。
なので、自分の中でそれが正しいかどうかとか、ロジックとしてどうかみたいなことは自分の中でどうでもよくて、自分の中でそういうふうに繋がっているという、そういう話ですね。すみません。
信頼を得る経験
でもそれをやりたいという欲求なんですね。
そうですね。やっぱり自分がその信頼を再分配してもらったというのがすごくありましたので、例えば命を助けてもらったんですとか、
あとその通費バンクのドナーの方を通して補助を提供してもらったというのも、非常に大きな増えを通した信頼を私は受けているわけですね。
なので、社会に対する信頼というのは私は比較的高いんです。それはすごく自覚しているところでして。
それをやっぱり振り返ってみると、もちろん幼少期の親族の関わりというのもあったと思うんですけれども、非常にクリティカルな命の瀬戸際みたいなところで、全く会ったこともない、見ず知らずの40代の男性ということしかわかんないんですけれども、当時ですね。
今も60超えていると思うんですが、その人がどういう人かわかりませんけれども、仕事休んで検査に行って、2、3日入院して骨折を取って、よく家族の反対があって、生きないみたいな人も結構聞きますので、そういうこともあってですね、今みたいなことを思うようになったと。
なんか受け取ったものがあるからこその思いなんですね。
これもですね、先ほどのナラティブじゃないですけれども、自分がきちんと行動要因として、何度も頑張って駆動できるような通りにしているわけですね。そういうところもやっぱり少なからずあると思います。
でも何回か語ってくる中で、それがそうなっていってるっていうことですよね。きっと体の中にはあったけど、語らないとそこにはあまり気づけないっていう。
そういうとおりですね。
結構それを言葉にしない人も多いですもんね。
そうですね。
自分のマイストーリーを聞く人なんていないみたいなね。
そうなんですよね。
それ自体もやっぱり。
自分のストーリーを安心安全に自由に語る場がある人ばかりではありませんか。
確かに。
まずその場自体がそんなにいっぱいあるかと言われると、社会の中にはそんなにあるのかどうかなのか。
そうですね。
もちろんだから話そうとする勇気も必要なんだけど、話していいよっていう場とか人とか雰囲気とかがないと、まあ話せないですもんね。
そうですね。
そういう景色があればいいですね。
景色出ました。
ようやく使いました。
使いたかった。
正解かどうかわからないですけど。
まあでもそうですよね。
だから、もしかしたらそういう義務教育の間でとか、小さい時とか若い時とかから、そういう自分のことを語る時間みたいなのね、あったらいいんだろうなーなんて思ったりしたい。
それが親とかいつも会ってる人じゃなくて、ちょっと離れた人とか、見え方が違う人に対して話す時間とかいう経験ができたら、結構面白いかな。
そうですよね。
語るっていうよりかは、なんかそこも総合的な関係な感じもすごい感じますね。
だから実は雑談だったりする。
なんか発表しますみたいな、プレゼンしますとかいうことではなくて、プレゼン資料とか必要じゃなくて、今小学校とか行くとタブレット教育、私も小学校6年生の命の授業っていうことで一コマやらせていただいたときに、
でもタブレットで見てるんだけど、やっぱりタブレット置いて私の話を聞いてくれたときに、やっぱりグッとこうみんな前、体が前に動くみたいなところがあったんですよね。
だからやっぱりその、自分の話もしたいし人の話も聞くしみたいな、相互作用みたいなところがあるから、きっとそういう子供だから分からないとか考えてないってことはないから、
もしかしたらその制度利用の手前の声を上げる。声を上げるって言うとすごく真面目な感じがするけど、声を上げるっていうか、中から声を出すとか、自分の言葉で自分のことを語るとか、そういうことがもしかしたら積み重なっていくと、そういう相談へのハードルが低かったり。
いや、そうかもしれないですね。声を上げるということ自体が、誰かがその声を受け止めてくれるだろうという機会が、場への期待みたいなものがあるからこそ、我がさんであれば何か応答してくれるかなと思って、私が言葉を絞り出すのと一緒ですよね。
もし応答してくれないだろうって思ったとしたならば、そこに対して絞り出すみたいなことはないかもしれないと考えると、声を上げるということは宛先が何か。
必要。
何か喋っていること自体が、まず期待とか信頼があるからの第一線なのかなとか、言わないことが一番の発言みたいになっていることもあるかなと。
そうですね。でもそれはちょっと、体に悪い感じがして。蓄積してってしまうっていうかね。あとやっぱ気づきの時間を失っている感じがしますよね。
話しててあんまり今まで気づかなかったですけれども、信頼の再分配のシステムとしての社会保障みたいなことを自分は考えていたんですが、
その設置点としてのシステムである社会保障の給付としていくワーカーとしての自分が、信頼を再分配する相手と出会うところで重要なのって、まず聞くっていうことなのかなと。
ストーリーの共有
改めてちゃんと言語化したことはなかったんですけれども、社会保障のアクセスみたいな話は非常に抽象度が高いんですが、ちゃんと具体に落としていくと、制度を届けていく人というのは、ヘルパーさんとかだとそうですね。
実際にその社会保障制度の訪問介護とシステムの中で、その仕組みのヘルパーさんが実際に横山とか誰かに届けると。
そこで聞くということが、あんまりその解像度みたいな、あんまりそこまでなくて。
とにかくおしゃべりから始まっていいと思うし、自然と人ってこの人話せるんだと思うと、いやー実はね、みたいな話が始まるじゃないですか。
本当に表面的な話しかしない人もいるのかもしれないんだけど、最短最速で手続きを終わらせたいみたいな人もね、中にはいるかもしれないんだけど。
本当にね、それでいいのかっていうのは、時間がかかるとか、あのタイパーコスパみたいなことがどうしても福祉サービスでもあるし、病院でもたくさんあるんだけど。
でもお互いストーリーを知った上で手続きをしていくと、すごくちょっと達成感という言葉が間違ってるかもしれないんだけど、ここまで一緒に山を登っていこうみたいな。
あって、さっき横山さんが言ってくれたけど、ここで会ってここで別れるみたいなね、そういう瞬間も来るんですよね。
山も一回登って頂上で、それで降りるっていうよりは、連なってる山みたいな感じ。
重創する感じなんですね。人生みたいな感じじゃないですか。
曲がったり下がったり、横道行ったり、休憩したりみたいな。山小屋泊まったりとか。山登りしないんですけど。
自宅ではね。
でも周りに山登りの人が多いから。そんな感じがするんですよね。
ストーリーをちょっと一緒に歩むっていうかね。
そうですね。なんかその語ってもらう、体操というか、舞台みたいなものを一緒に演奏するみたいな。
舞台な、そう。ドラマを見せてもらう感じ。
そうですね。そうだ、確かに。
情報とか生徒じゃなくて、なんか相互性のある場所の発見みたいな感覚に、そこの接点としてそういう人たちがいるみたいな。
そうですね。相互性というのは確かに。
その中、道中一緒に歩いてとか電車に乗って、生活保護の申請に行く人と、言い方はあれですけど楽しく会話をしながら行くのと、
パッて行ってパッて手続き始めますっていうのとは全然やっぱり違うと思ってて。
それは相手の役所の人の対応が悪いとかよくね、それこそツイッターで嫌な思いをしたとか二次被害とか書いてあるけど、まあそれも事実なのかもしれないんだけど、
こちらもなんかオープンな状態で言ってなくて、もちろんそれはね、制度利用はすごくネガティブに考える人が多いので。
なんだけど、オープンに行ってこういうことがあってって、別に盛るわけじゃないんだけども、ストーリーとして伝えるっていうのはすごく大きいことで、
で、相手の人もやっぱり心が動けば、それなりにやっぱり難しいかもしれないけど、一生懸命じゃあこれはどうだろうって考えてくれるんですよね。
共同作業になっていくみたいなね。そういうふうに生まれるから、信頼とかもそうかもしれないけど、なんかドラマを共有していくみたいな。
そういう時間になれば、ディグマとかネガティブな要素は少しずつゼロにはならないんだけど、ちょっと肩の荷が下りるとか、あるかな。
そうかもしれないですね。
おっしゃる通り、やっぱそれを体験してる人と体験してない人だとやっぱり最初の一歩が全然横山さんみたいに違うなっていうのをちょっと感じてましたね。
ない方のその第一歩っていうところにすごいなんか尊さもあるというか、そこを作れる環境があるっていうのもなんかすごいいいなというか、
この辺に対して向き合っていくことなのかなとか、感じたりはしましたね。
いや、なんかシステムの話が菊の話と総合作業の話につながって。
連動しますもんね。
そうですね。
でもやっぱり、これは別に横山さんを持ち上げるわけじゃなくて本当に思うんですけど、
テクノロジーとソーシャルワーカーの役割
テクノロジーのこととかBotの導入とか、その第一接点をテクノロジーの力で活用しようっていうのは、ソーシャルワーカー側でやっぱり提案するってことに意味があるなと思ってて、
これはそうじゃなきゃダメだってことではないんだけれども、やっぱりそことそのテクノロジーの専門家とか、またちょっと違う、
例えば小野田さんとか弁護士さんとか、いろんな立ち位置の人がコンソーシアムっていうかね、共同することがすごく大事なことなんだろうなって、
そこにやっぱりちゃんとソーシャルワーカーがいるっていうことがいい感じがしますね。
どっちかというと、降りてきたものを私たちも使っている感覚があるじゃないですか、制度って。
横山さんがやっていることはソーシャルアクションっていうことなんだと思いますよね、本当に。
ありがとうございます。いろんな制度とのアクセスの接点を作っていきたいなっていうふうに思って試行錯誤している感じです。
社会保障を社会保障って言った時に、それは何を指す言葉なのかも、もしかしたらすごく伝わりづらいし、
それで社会保障を知らない私はダメなんだっていうふうに思ってしまう人も結構多いのも事実で、
そんなことも知らなかったですっておっしゃる方が多いんだけど、
それは知られないんですよねって知らないことを知らない状態っていうのがすごく、どっちかというと普通になっちゃっているので、
それをネガティブに考えることもないし、だからもしかしたら心理的な障壁も高いけれど、
制度を知らないということのも障壁がまずあるみたいなところが話してても思うし、自分自身もこの職業じゃなかったらきっと知らない。
そう思うとね、どうですか岡田さん。
社会保障とか言葉、あと生活方法とか聞いてたんですけど、何なのかって改めて問われると、やっぱりわかってないなってことに、
これを知らないことを知るっていう状態な気がするんですけど、まずこの機会が今まで全然なかったんだなっていうのはすごく感じますね。
だからこういう機会が改めてその言葉問われるだけでも全然違うなっていうところとか、
簡単なこうちょっとした何かこうライフプロセスの中にちょっとあるだけで何かこう触手が伸びるきっかけっていっぱいありそうだなっていうのはすごく、
今日のお話を聞いてても感じましたね。
だから日本の制度には私からするといい制度はあると思うし、病気とか怪我とか障害を持った時に、それは全部全て制度で叶えるわけじゃないんだけど、
結構いろんな制度があったりはする。ただ何回言葉も漢字が多いし長いし、パッと見ただけでわからないっていうのが障壁ではあるけど、
でも本当にそういう時はね、教えてくれる人に聞いたほうが絶対いいかなって思います。
そうですね。なんかサポートが絶対必要な領域だなっていうのも改めて思いますね。
全部自分でやらないほうがいいなって思います。疲れちゃうし。
社会保障制度へのアクセスの重要性
確かに。一回なんか資料見たときにですね、両面印刷の資料だったんですけど、裏面が全部注釈で、そっと閉じました。
そうなんですよね。疲れてるとか具合の悪い時に読めないっていうのはよく聞きますよね。
そうですね。だいぶハイカロリーですね。
ハイカロリー。本を読むよりも大変だと思います。
そうですね。
ね、漫画になってればいいけど、漫画になると結構量が多いかな。
でも何らかやっぱりアクセスしやすいっていうのは一つの大きなポイントかもしれないですよね。
全部知る必要はないけど。
ぜひ、本当にストーリーとかためにしてほしいですね。
そうですね。本当に大事だと思う。
本日のカフェの営業はここまでになります。
今回カフェに立ち寄ってくれたのは、特定非営利活動法人ソーシャルチェンジエージェンシーの横山さんでした。
授業内容について興味のある方は、ぜひ概要欄からご確認ください。
概要欄からはソーシャルハイブ本部を運営している小野田総合法律事務所のホームページもご覧いただくことができます。
また番組のお気に入り登録やフォロー、SNSのアカウントのフォローもお願いいたします。
そして番組ではお便りを募集しています。
概要欄のお便りフォームから感想やご質問をお寄せください。
明日はどんな自分をデザインしますか。
それではまたのご来店お待ちしています。
34:56

コメント

スクロール