2024-09-04 51:19

#5「葛藤の中に身を置く」(NPO法人PIECES 斎 典道①)

今回の語り手:NPO法人PIECES 斎 典道 

NPO法人PIECES HP:⁠https://www.pieces.tokyo/


内容:私が私であることには変わりがない/市民性の醸成とは/自分なりに生きる子どもたち/居場所は場所だけでは居場所にならない/本当の意味での居場所づくり/何をするかではなくどうあるか/目的や意味に囚われすぎない/醸成する側のマインドセット/人のちょっとした変化は尊い/本質的にあろうとする/葛藤の中で揺れている/斎さんが牧師に見えてきた


ようこそsocial hive WAITING CAFE 点描の孤へ。

ここは東京文京区本郷三丁目駅の裏にある、小野田総合法律事務所併設シェアオフィス『social hive HONGO』のメンバーが立ち寄るWAITING CAFEです。

毎週この時間のWAITING CAFEは、決まってメンバーの誰かがふらっと立ち寄って面白い話をしてくださるんです。

まるで世界の見え方がほんのちょっと、変わってしまうような。

※番組へのお便りは、socialhivehongo@gmail.comまでお寄せください。


聴き手 : ⁠⁠岡田壮麻(スタートアップ支援家)⁠⁠

常連 : 和賀未青(株式会社ニイラ代表)

HP:⁠⁠https://niila.info/index.html⁠⁠

制作 : 小野田峻(弁護士/小野田総合法律事務所)ほか 

小野田総合法律事務所:

HP:⁠https://www.ot-lawoffice.jp/

X [Twitter] :⁠⁠ social hive HONGO(@socialhiveHONGO)⁠⁠

*ご感想は 「#点描の孤」 でお願いします。

BGM:zippy(作曲家。X [Twitter]:zippy@zippy_zippy_)

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Welcome to social hive WAITING CAFE Tenbyo no Ko.

This is the WAITING CAFE where members of "social hive HONGO," a shared office attached to Onoda Law Office, located behind Hongo 3-chome Station in Tokyo's Bunkyo Ward, stop by.

Every week at this time at WAITING CAFE, one of our members stops by to share an interesting story.

It may be a story that will change the way you see the world just a little bit.

00:07
ようこそ、socialhive WAITING CAFE 点描の孤~。
ここは東京文京区、HONGO3丁目駅の裏にある法律事務所併設シェアオフィス、socialhiveHONGOのメンバーが立ち寄るWAITING CAFEです。
毎週この時間のWAITING CAFEは、決まってメンバーの誰かがフラッと立ち寄って面白い話をしてくださるんです。
まるで世界の見え方がほんのちょっと変わってしまうような、そんな話が聞こえてくるかもしれません。
本日のご来店者は、NPO法人PIECESの斎さんです。その事業への思いを聞いてみました。
いいね。何ゆえ。
何ゆえ。
こないだも赤い服着てましたよ。
あぁ、赤い服着てました。
なんでだろう。病院時代はもうほんと黒かったんですよ。
あぁ、そうなんですか。さすがにダメなんですか、病院で。
ダメですよ。チェックはやめます。
そう、何ゆえでしょ。でもなんか、反動?
反動。
我慢してたんだなと思って。
やっちゃいけないってことが多いと、やりたくなって気が済むまでやれば、たぶんいいんですよね。
まだ全然じゃあ気が済んでない。
そう、気が済んでない。
いやでも、ちょっと後でも出てくるかもしれないですけど、デンマークにちょっと1年ぐらい住んでた時があって、
あ、そうですか。
デンマークで、なんかポルケホイスコーレってこう、
成人のための学校みたいなものがあって、そこに通ってた時に、
当時私25ぐらいかな。で、18ぐらいの子もいて、18の女の子がまさに同じ色、
ほんとに今彼女思い出したんですけど、
でもそれもやっぱデンマーク人からしてもなかなかファンキーな色なんだけれども、
なんか結構思ったら鼻にピアスとか開いて、
で、なんかふとした時に、なんかそれとか家族とかってなんか言わないの?みたいなとこ言ったら、
なんかあんまその問いの意味が分かんなかったみたいで、
なんかやっと理解して、なんか別に私が私であることには変わんないじゃんみたいな、
髪の色がピンクだろうが、鼻にピアス開いてようが、別に私は私だしって親は思ってるんじゃない?みたいな、
その感覚。
03:01
確かにそうだよな、みたいな。
で、自分がそれをね、そうしてることで、なんかこう心地よくエネルギッシュであれるっていうところが、
なんもあるかねえよな、みたいな。
ってなってくるとね、学校のそれこそ日本の法則問題。
確かに。
なんだみたいな。
なんだみたいな。
だからね、なんか腹立たしいみたいですよ、同業者からすると。
こういう髪の色している私は。
なんか、なんていうの?
ネタ見。
そうそう、だし、それがやっぱりどうしてもネガティブに働く業界じゃないかな。
たぶんご存知だと思いますけど。
まあ、そうね。
さいさんもきっと、社会福祉士とかソーシャルワーカーって名乗ってる中で、
このハイブのような場所にいるっていうことは、いわゆる特殊っていうか、
確かにね。
まあ、珍しい。
まあ、そうですね。
ソーシャルワーカー時代も、みんなちゃんとYシャツとかスーツとか着て出勤しなきゃいけなかったけど、
誰よりいち早くポロシャツにして、ちょっと周りの様子をうかがいながら、
でも、誰も言わないじゃん、みたいな。
一人クールビズって。
別に言わない。
でも、やっぱりちゃんとしなきゃな。
なんすかね、別にね、その子の言葉を思い出せば、別に何も害は少なくても与えてないじゃん、みたいな。
だけど、なんかこうね、ちゃんとさせたがる。
なんなんすかね、これ。
市民文化。
文化。
お二人とも、結構、地下市業委会のところなんですね。
確かに、そうですね。
そうですね。
基本的にね、ソーシャルワーク。
ソーシャルワーク。
根っこにあるのはそこですね。
僕も、カフェのマスターですけど、一応、僕もそっちの福祉系でもありますね。
そうなんすか。ちょっと全然、岡田さんのルーツを知らない。
集合意向支援事業所とかで普通に研修とかやってます。
そうなんだ。
毎週、障害者の方に。
そういう人。
そういうカフェマスター。
そういうカフェマスター。
いや、でも、なんかその話で言うと、やっぱり、なんかそういうちょっと福祉的なバックグラウンドを持ってる人が、なんか街中に当たり前にいるみたいなのって、なんか超大事じゃないですか。
カフェにふといるとか、なんか飲み合いやってるとか。
で、なんかちょっとこの話の時に、ぽろっと出てきたものに対して、なんか別に笑い話にするわけでもなく、受け止めつつ、ちょっとなんか手を差し伸べられるみたいな、生活動線にそういうソーシャルワーカーとかが、もっといると。
なんかね、ふらっとその辺に溶け込んでいてほしい人たちですね。
いや、間違いない。間違いない。ね、まあ、鬱陶しさもあるだろうけど。
ちょっとね、おせっかいすぎるとか。
ちょっとすぎるところはあるけれど。
あるある。
そこをさえちゃんと内省していれば。
確かに。まあ、なんやかんや話してますけど、なんか僕らちょっと何やってるかちょっとよくわかってない感じですよね。
そうですね。
そういえば、鞘師さんって何してるんですか。いきなり唐突ですね。ごめんなさい。
唐突に来ました。鞘師さん何してるんですか。鞘師さんはですね、今NPO、PCSというNPOを運営してるんですけど。
06:02
はい。
そこでは、一言で言えば市民性を醸成してます。
市民性を調整している。
醸成ですね。
醸成している。
市民性も醸成もなかなか掛け合わせられない日用で使わない言葉だと思うんですけど。
いや、一言で言えば市民性を醸成してます。
すごい、なんか、すごい、空高くなんか見てる感じですか。スカイツリーの上をなんか。
いやいやいや、地に足つけて市民性の醸成に取り組んで。
えー、なんかどんなことやられてるんですか。
そうですね。本当にこれ言葉で表していくのなかなか難しいんですけど。
ちょっとまあ、なぜ始めたかみたいなところから多分喋った方が理解が。
ぜひぜひ。
なので、そこら辺から行きたいと思うんですけど。
PCS今年8年ぐらいNPOになって立つんですけど。
もともと私、ソーシャルワーカーとして福祉の現場、特に児童養護施設。
結構虐待環境にあって、親と家族と離れて暮らしている子どもたちがケアする場所。
関わっていた時期があって。
そこが自分の割と出発点になっているんですけど。
そこにいる子どもたちって、何らか傷をやっぱり、特に心に傷を負っている子たち。
もちろん子どもたちであることには、他の子たちと何ら変わりはないんだけど。
やっぱりその傷の深さっていうものに、その中で触れていってて。
具体的には本当にいろいろ、1日目2日目仲良く遊んでた子が3日目に急に全く関わってくれなくなるみたいな。
無視したり罵倒してきたりみたいな、そういうことがあって。
よくある試し行為みたいなことが言われるんですけど。
この大人がちゃんと自分に本当に関わってくれる、信じて関わってくれる人なのかとか、
自分がこの相手を信じられるのかみたいなことを、たぶん彼らなりに試している。
それはきっとだから、その傷を負った背景には大人に対する信頼感の無さみたいなものがあると。
そういった傷に触れて、突然生活している中で後ろから飛び切りが飛んできたりみたいな。
なかなか長い話ですね。
だけどそれは別に彼らが悪いとかそういうことじゃなくて、やっぱりその環境の中でどうしてもそうせざるを得ない。
彼らなりにそうやって対処して生きている。
もちろんその子たちに触れて、しっかりこの子たちのケアをしていかなきゃいけないなと思うと同時に、
この深い傷を負わせる前に何とかできたんじゃないのかなと。
そこの問題意識が芽生えてて。
でもやっぱり日本の中でソーシャルワーカーとしていっていこうとすると、
結局やっぱり問題が起きてから、傷が深まってから対処していくみたいなのがどうしても通常の関わりになっちゃう。
ってなった時に自分の生きていく道はどこだろうってなった時に、
たまたま同じような問題意識を持っていたNPOの一緒にやってきたメンバー。
彼女は医療者として、児童精神科医というところで同じように深い傷を負った子たちのケアをして、
09:06
同じ問題意識を持ってここで何かをやっていこうかっていうので立ち上げたのがPCSというNPOで。
傷を負う前に傷口の小さいうちに癒されるとか、そういうのってやっぱり日常の中できっと作られていくんだろうと思うし。
なんか別に支援者専門職の人じゃなきゃその傷を癒せないかって言ったらそうでもない。
割と日常の人たちがそれになってるっていうのもあるなと思っていった時に、
人が、市民が市民として身の回りの人たち、もちろん自分のことも含めて大切にし合うというか、
っていうことを日常の中で広げていくっていう、そこが大事なんじゃないのかなみたいなことで、
市民性、要するにその人が市民として一人の人としてできることを大事にしながら、
他者と関わっていく、社会と関わっていく。
一番は自分を大切に生きていくってことだね。
そういう感覚をみんなが持っていけたら、
傷口が本当に深まる前にみんながちょっとお互いに頼ったり、助けてもらったり、
逆に頼ってもらったり、助けることをしたり、
そんなことができる社会になっていくんじゃないかなみたいなことでやっているのが、市民性の情勢。
市民性の情勢。具体的にやっていることがそれなんですね。
事業の単位で言うと、私たちが当初から人作り、ちょっとおこがましいニュアンスもあるんですけど、
それは結局場作りとの対比で、人作りかな。
やっぱりどうしても子どもの領域とか、子どもに限らずですけど、
そういう支援をしていくみたいな風になった時に、場所、居場所とかっていうのは、
NPOを作った当時もたくさん作られ始めていて、
今も結構居場所居場所って言われています。
それも大事なんだけど、居場所って本当に場所があるだけじゃ居場所にはなんなくて、
そこにいる人の関わりとか、人の眼差しみたいな、そこなしには本当の意味での居場所にはなっていかない。
普通的な場所じゃないってことですね。
そうそう。だからそのあった時に何か見渡した時に、地域社会を見渡した時に、
場所は確かに増えている。
けど本当の意味で居場所だったり、自分にとっての頼れる繋がり先になっているのかなって言うと、
なんかちょっと違うようになってきましたね。
なった時に、そこにいる人たちの姿勢、在り方、何をするかというよりもどうあるかのところ。
スキルセットよりもマインドセットみたいな、そこをもうちょっと豊かにしていくことで、
温かい社会が作れていけないかなというので、
人作り、今で言うシーズンシップ4チルドレン。C4Cと呼んでいるプログラム。
12:03
そういうのがあるんですか。
半年ぐらいかけて、自分のことも大切にしながら相手のことも大切にしていく。
その両方を大事にするって、なかなか簡単なことじゃないので。
難しいですよね。
めちゃくちゃ難しいし、プログラム終えたからって言ってそれが完璧に当然できるわけじゃない。
それを対話をしたり、レクチャーを受けたり、リフレクションって呼んでる、
実体験の中で自分の願いがどんなところにあるのかとか、
自分でどんな価値観を持っているのか、
人の行動の背景にはどんな願いがあるんだろうみたいなことを、
みんなで対話し合うみたいなこととかを含めてやっていくっていう、
いわゆる研修とかともちょっと違う、そんなプログラムをやり始めて8年経ちました。
8年もやってるんですか。
すごい。
人の在り方みたいなところを、みんなで考え続けるみたいな活動なのかなって聞いてて思ったんですけど。
そうですね、まさに。
割と子供のこととか社会のこと、社会のために子供のためにって願う人たち、
特に市民の立場で願っている人たちも結構やっぱり多いなと。
もうやればやるほど感じてるんですけど、
この人たちの多くはやっぱりこう、何か知識が自分は足りないとか、
スキルがないとか、なんかそういうふうに考えがちなんですけど、
これは私たちが専門職としてやってきたから思うことなんですけど、
専門性ってそんなに無敵じゃないですか。
もちろん専門性で救えるところはたくさんあると思ってるんですけど、
実はなんか、人が人をこう支えるって、
その専門性よりも、私たちの言葉でいう市民性。
なんかその人の太したところから滲み出てくる思いとか、
ついついやってしまう関わりとか、
思いがけず出てきてしまう感覚とか、願いとか、
そういったことのほうが実は人を幸せにしているんじゃないかみたいなことを思っていて。
で、あればそこのみんながそれぞれの市民性、
っていうものを大事にして生きていく、変わっていくっていうことで、
なんかもう少し日常の風景変わってくる。
なんかこうあふれ出ちゃう、その人らしさみたいな。
そうです。
心の、言葉は難しいけど情勢というかなんていうか。
そうですね。
でももともとみんな持ってると、市民性は。
多くはり少なくはり持ってると。
だけど、なんかどうしてもやっぱこう肩書きとか、役割とか、立場とか。
資格とか。
資格とか、まさにそういうものによって、
なんか少しずつそういう自分の制約してしまうとか、
こうせねばならないみたいなもの、目的とか意味とか、
なんかそういったものに囚われすぎてしまうのかなと。
だからそういうものを一個ずつこう少し取っ払いながら、
なんか生身の自分から出てくるものなんだろう。
なんかそこをもう1回ゆっくりと立ち止まって見つめ直すみたいな。
なんかこうある人が、あるプログラムを受けた人が言うのは、
15:01
サッカー選手になりたいって言ってる人に対して、
まずこうランニングの仕方を教えているようなプログラムだねみたいな。
本当、基礎の基礎みたいなところですかね。
でもなんかそこが基盤となって、そこなしにはなかなか次のステップにはいけないというか。
上辺だけで、なんかこう他者のためにみたいなことを思ってても、
やっぱどっかで息切れしちゃうし。
もちろんそういうね、思いは大事だけれども。
でもやっぱり根源にある自分なりの在り方というか、
なんかそういったものをこう大事にできると。
でも私、その醸成っていう言葉になんかじわっとくるのは、
ちょっとウイスキーっぽいって感じ。
あー、そうですね。
お酒そんな飲めないんですけど、
こう醸成って言ったから、重ねていくっていう感じ。
そうですね。
時間をかけて、それを豊かなものにしていくとか、
だからそれがおいしかったり、味わい深いみたいな。
そんな良いイメージだし、良い言葉だなって。
そうですね。最初は市民の育成とかって言ってました。
ありがちな。
ちょっと強めだなって思いましたよ。
でも分かりやすくはあるって。
そうそうそうだ。
当時はその分かりやすさを変に外から求められてるような感覚がして、
ちゃんと市民の育成プログラムですみたいなことを言ってた時期もあるんですけど、
いや、ちゃうよねと。
そもそもこちらからプログラムを運営してる側からコントロールできるものではないと。
やっぱり本当に一人の市民として生きてくって、
その中で自分なりの少し変容していったり、
学びが起きてきたりとか、そのプロセスにちょっとだけお邪魔すると。
だけど、それを自分なりのあり方を見つけていくって、
我々が何かコントロールできるものではないし、
ってなると育成では少なくともない。
適切な言葉は今でも女性なのかっていう感じはありますけれども、
でも少しずつ少しずつ、
今私自身も自分なりの市民性って何だろうってことを常に探求し続けているんです。
その意味でも、どこまで行っても答えがないっていう意味でも女性っていうことだし、
やっぱり少し滲み出てくるっていう意味合いもなんとなくありそうだな。
滲み出てくるって、でもなんかいい言葉だなと思うのが、
身体性とか、
体にある意味叩き込むもあるだろうし、
じわじわ、染み入ってくるもあるだろうし、
なんかそういう感じです。
身体性って、なんかどういう言葉なんですか?
身体性って、体の感覚なんだけど、
たぶん人は思考で動いているようには思うけど、
おそらく体が滝に出ている。
そうです。
子供を見てるとね、分かりやすい。
確かに。
このプログラムの中でも、
感情、身体性っていうのは本当に大事にしているところで、
自分を大切にするとか他者を大切にするっていうときに、
18:04
感情、要するに、
こういうことがあって悲しいと思ったんですよね、
それは感情ではなくて、
本当にいざそういうときに何か他者に言われたとか、
何かを目にしたみたいなときに心拍数が上がるとか、
なんか体の中に血がなんかずっとなんか流れる感じがあるとか、
涙が出てきてしまうとか、
なんかそれが本当の意味でのたぶん感情だと思う。
それってやっぱりコントロールできないところ。
確かに確かに。
なのかなと。
でも自分が本当の意味で大事にしていることとか、
自分の願いとかって、
そういうときに立ち現れてくるもの。
人と人とかこう触れ合ったり関わったりしたときに、
現れてくる。
その感情みたいなものを起点に、
自分が持ってるじゃあ、
どの価値観って何なの?
っていうことだって、
自分が持ってる願いって何なの?
なんかそこにこうだんだんだんだんたどり着いていけるのかな。
結構なんか伝えていくのに、
時間がかかりそうだなっていう概念な気がしたんですけど、
やっていく中で結構この辺大変だなっていうポイントとかあります?
そうですね。
やっぱり市民性の情勢してますって言ったところで、
まず伝わらないし。
ちょっと若干宗教感ある。
宗教感。
まあ宗教感あるのは否めないんですけど。
どうしても根源に行こうとするとね、
そっちになっちゃうんですけど。
確かに。
いやでも本当にやっていく中で大変なところもたくさんある。
やっぱりこの市民性っていうものが、
結構2時間ぐらい喋ると、
分かってくれたりするんですよね。
今のでもちょっと分かったような感じじゃない?
和田さんどうですか?
なんかすごい分かる。
伝わってくる。
2時間喋って、
割といろんな場で、
自分が大事にしてたことを原稿化してくれた感じがするよ、
とかっていう声をいただいたり、
自分にもそういう体験があるかもなとか、
市民性って持ってるかもみたいな風にはなってくんですけど、
じゃあみんなに2時間喋れるかって言ったら、
そうじゃないと。
今は動画の10秒で、
人は情報を自分に取り入れたり、
排除したりしていくので、
その中で2時間は喋れないなと。
なった時にやっぱりこの市民性っていうものを、
私たちはみんなが当然持っているもの、
だけどそれをもう1回改めてなんか大事にしていこうよっていうことを、
広げていきたいというか、
みんなと共有していきたい。
その共有のしにくさみたいな。
やっぱり子どもたちが貧困で困ってますみたいな、
そういうのほうがやっぱり分かりやすいし。
分かりやすいですね。
待機児童問題ですみたいな、
イシューとして非常に分かりやすいんですけど、
私たちがやるとしたら必ずしも課題の解決ではない。
どちらかといえばよくある課題解決か価値創造かみたいな話で、
やっぱりその価値創造よりの話にはなってくるんだろう。
いうふうに思うと、
団体としてもなかなか出力が出にくいというか、
21:00
ぐわっと人を巻き込んで風速を高めていくみたいな、
それってなかなかやっぱり難しくて、
じわりじわりと。
じわじわしてますね。
じわりじわりと広げていく系なので、
やっぱりそこの共に関わる仲間を作っていくとか、
当然資金を集めてくるとか、
やっぱり多くのNPOの活動と一緒で、
受益者負担みたいなものが成り立つものではないし、
そういう意味でやっぱり収益性を作っていくみたいなところにおいても、
やっぱりこの手のアプローチは大変ですよね。
この辺のビジネス的にもどうやっていくかみたいなのもあるんですね。
めちゃくちゃありますね。
基本はPCSの取り組みを共感してくれた人たちの、
今寄付で成り立っているモデルなんですよね。
でもやっぱり寄付で成り立つモデルの中にも、
やっぱり割と今起きた震災の被害とか、
そういったことに対しての寄付とかだったら出やすいけれども、
私たちのような本当に10年でも無理、
30年、50年、100年とかかけてやっていくような取り組みに対して、
地道に寄付をするとかっていうのは、
なかなかモチベーションを持ちにくいじゃないですか。
確かに目に見えた効果って難しそうですよね。
そうなんです。
そういうのもあるので、この仲間作り、
抗議の意味での仲間作りみたいなところは、
急いでも仕方がないところはありつつ、
出力が…みたいな。
瞬間最大不足、バーみたいな。
目立った活動っていう難しいみたいなところを感じているってことですかね。
そうですね。だからこそ、
私たちは100年続くNPOであろうということを一つ、
これは特に私の中では掲げていて。
なるほど。
100年続くとしたら、たぶん別に最大不足が強くなかったとしても、
でもそこに絶えず、エネルギーを絶やさずに火を灯し続けるじゃないですけれども、
そこは大事なんだろうなというふうに思っているので、
何よりまずやめないということ。
だからそのためにも心地よく、自分たちもやっぱり心地よくあり続けるというか、
無理してやらないみたいな、そういうところは大事とか。
なんか福祉と対比で、対比じゃないな。
ソーシャルハイブ、ウェイティングカフェ、天秤の子、新しい当たり前をデザインする実践者たちの日常。
24:41
何よりまずやめないということ。
だからそのためにも心地よく、自分たちもやっぱり心地よくあり続けるというか、
無理してやらないみたいな、そういうところは大事とか。
なんか福祉と対比で、対比じゃないな、同義で、農業だよねって言われたことがあって、
いや、ほんとにそうだなって。
土を耕して、種を植えて、芽が出るか出ないかもわからない。
だってそこにちゃんと雨が降ってくれるかもわからないし。
確かに、ほんとにできないですよね、さっき言ってたみたいに。
で、完成かどうかもわからない。味がおいしいか売れるかもわからないっていう話と似てるよねって言われて、
わあ、そうだな。だからなんかこう、口に入るものでもないし、福祉は。
すごくだから、わかりにくいところの良さもあって、
だから農業と考えたら、西さんのおっしゃってることは、100年って言ったりとか、まさにそういうことなんだろうな。
おっしゃるように、ショート動画とか切り取り10秒とか、わかりやすさが一瞬大事にされてるんだけど、
ほんとにそれ、人は求めているのかなって思うことは結構ある。
全くの余談というかずれますけど、鶴瓶さん。
鶴瓶さん、家族に乾杯。
家族に乾杯の鶴瓶さん。あの人は話が長いんですよね。
はいはいはい、イメージありますね。
いろんなテレビに出ているような、もっと短くスパンとなんかを言える人たちの中にいたら、
もう特にやっぱり話が長いんですけど、でも鶴瓶さん、生き残ってると思って。
鶴瓶さんに希望を感じてます。
でもわかりやすい例え。
PCsは鶴瓶さんなんですね。
鶴瓶さん、NPO会の鶴瓶さん。
いや、こんなこと言うとなんか他のメンバーに怒られそうになる。
一応なんかゴイア取れてるんですよ。
放送で知るっていう。
蔡さんのイメージ。
27:00
イメージ、そうです。
瞬間法則とか、市民性の情勢みたいなところっていろいろあったと思うんですけど、
あれってなんかどんなところが根本的な課題だと思う?
どうなんですかね。
まず、そもそもその本質的な課題は何かっていうことの一つに、
もしかしたら私も含めて、
こういうことに取り組む人たちのマインドセットも結構大きく影響してるかもなというのを思ってて、
今はやっぱり課題って言葉が出てきてるんですけど、
私自身もですし、やっぱ団体出しやってるときに、
課題としてつぶ立ててしまうところがやっぱりあって、
なんかこう社会課題に取り組むみたいな。
でもその社会課題に取り組むみたいなことを言い始めて、
そういうマインドになったときに既にもうなんかこう、
距離が出てきてしまってるというか、
要するにこういう取り組みって、さっきも言ったように、
全員に関わる話だと思ってて、その市民性って、
誰かだけが持ってればいいとか、どこかにだけあればいいじゃなくて、
いろんなところに必要なことで、
何かこうすごい意識高く何かをしようと思ってる人たちだけじゃなく、
日常を作っているみんなが少しずつ持っているといい話だと思うんですけど、
そこで何かこう課題とかって言うと、
いや何かちょっとそっち側の話でしょみたいな、
一層距離が生まれてしまう感じがあるなと思ってて、
だからこそ何かこう私たち自身が、
何かもしかしたら何か声を上げて頑張りすぎることが、
もしかしたらこの本質的な課題の一つになってるかもしれないっていう、
その辺りにはやっぱり自覚的にある必要があるのかなというふうに思ってて、
何かもう少しシンプルなことなのかなと思ってて、
本当に何か私たちが取り組むことの原点には、
自分のことを大切にしようと、
本当に自分のことを大切にしようと思ったら、
きっと何かそこには自然と他者の存在も何か出てくるのかなというふうに思ってます。
自分が心から心地いいと思うこととか、
豊かだなって感じる瞬間ってどんなことなんだろうみたいな、
基本的にはそれでいいと思ってるんです。
その感覚をしっかり一人一人の人が持ってるっていうことだと思ってて、
何か自分が心地いいっていうことを考えてきたら、
自然と何かちょっと自分の範囲を超えてくるところも出てくるのかなというふうに思ってて、
何か道を歩いてて、
誰かの家の庭先に咲いている花が綺麗だなって思うその感覚、
それってすごい大事な何か豊かな感覚だと思うんですけど、
何かそれを眺めているうちに、
でもここに咲いている綺麗な花が綺麗であり続けるためには、
何かそれを育てている多分人がいて、
庭先に花を植えている人がいて、
その人の心も豊かでないときっとそこにその花は咲かないというか、
心に余裕がなかったりトゲトゲしてたりするときっとそこにその花はないと。
30:02
っていうことを思えば、
何かその家の人とちょっとすれ違った人かに、
この花綺麗ですねの一言ぐらい言うと、
もしかしたらその人はここにまた花を植え続けてくれるかもしれないみたいな、
何かそういうものかなと思ってて、
だからそういう意味で自分がまず心地いいっていう感覚、
何かなって考えていくときっとそこに私の存在が生まれていく。
その目の前の一人っていう人の存在を大事にしていく。
何かそういうことでいいんだろうなというふうに思っている。
なっていくと何かそんなに変に課題課題とかって、
やっぱり言うことじゃなくていいのかなと。
何か課題っていうよりもっと身近な、
自分を大切にする活動みたいなことなのかなっていうふうに思ったんですけど。
そうですね、まさに。
わかんないですけど一つの生命と捉えると、
何かちょっと変な話。聞いてたら止めてください。
どうぞそのまま言ってください。
何かその課題、それこそあえて言えば課題になっている部分も当然あるんだろうというふうに思うんですけど、
でも片一方で別に生命として巡っているものも同時にあるんだろう。
何かちゃんと機能不全な部分もあるけれども、機能しているという。
巡っているところもあるんだろうなというふうに。
やっぱりそこにも同時に目を向けていく必要はあるだろうし、
さっきも言ったようなここに咲ける花が綺麗だなって思うその人の心とか、
そこにお花を植えている人の営みとか、
何かそういったものってちょっとだけ人を豊かにしているし、
そういうものって意外と日常の中に広がっている。
今日もここに来るときに電車の中で赤ちゃんを抱えた、
お父さんがそこで抱えてたんですけれども、
行ったときに近くにいた外国人の人がニコッとお声にかけている。
いやーいいよねみたいな。
こういうことってでも起きてるじゃん。
だからそこもやっぱり大事で、
むしろそういう人の他者に与えている良い影響というか、
そういったところもきちんと大事にしていくことで、
もしかしたら今その課題と言われていることがだんだん薄まっていくようなこともあるので、
だから変に課題課題とつぶさってそれを解決しに行こうという、
それもそれで大事だ。否定もしろにしないし、
大事な営みであると同時に、
何かそういう人の願いとか価値観とかから生まれる、
まさに何か滲み出てしまうそういう豊かさっていうのを、
何かちょっとずつちょっとずつ豊かにあり続けるようになる。
もう少し社会に開かれていくようにという、
何かそこに向かっていけるという。
文化形成みたいな、
この言葉ちょっと安っぽい感じかもしれないですけど、
もっと何か浸透させていく何かみたいな、
湧き水作ってるみたいな、
そんな感覚なんですけど、和歌さんはどう感じましたか?
ちょっと真面目な言葉で言うと、たぶん予防的なアプローチっていう気がするし、
33:01
一方で、でも日常の言葉にすると、
ちょっと余裕とか余白とかっていうのが一人一人持ってたら、
もうちょっと違うんだろうなとか。
でもその課題って言うと、
ちょっとジャンヌダルクみたいな、
背負わされてしまうという業界でもあるし、
あと気がつけば気がつくほど、
課題って探せるみたいな。
でもそれはもしかすると、
全く光を見ていないみたいな気もするんですよね、私は。
だから、私たちみたいな副資料をやってる人は、
そういう課題を探すのは得意かもしれないけど、
同時に、その3倍ぐらい光を探さなきゃいけないんじゃないかなって思ってて。
光ってどういう感じのことですか?
だから、例えば人間であったら、その人のいいところを100個言えるかとか。
あ、だから悪い方に課題課題って見ちゃいがちってこと。
そうそう、原点っていうのはその、
引いて引いて引いてってネガティブになってってるのが、
たぶん社会文化だから。
いや、こんなことはできるよ、こんなことやってるよ、
こんないいとこあるよっていうのを、
言葉にしたり見つけたりするっていうのが、
結構減ったような文化。
どうしてもね、特に、
専門職の人たちによりありがちなパターンかもしれないでしたり。
専門性もある意味、弊害を生むのかもしれないよね。
ない方がいいのかもしれない。
だから、たぶん市民性っていう。
なるほど。
価値なんじゃないかな。
あとは、強い思いとかっていうのも大事なことではあるんだけれども、
やっぱりそれが強すぎると、
市民性のことも、市民性が足りないんだと思う。
だから市民性をみんなでつけていこうみたいな風になっても、
ちょっと怖いじゃないですか。
確かに、さえさんが今遠くに見える。
怖いじゃないですか。
怖いです怖いです。
怖いじゃなくてあるっていう前提に立っている。
誰もが持っているし、
いろんなところに街をよくよく見渡してみると、
その人の行為とか、
まなざしとか、
そういうの一つで、
ちょっと誰かが喜びを感じたり、
なんかこの人になったら、
なんかちょっと言えるかなみたいな、
そういうものが生まれたりとか、
そういうのはあると思う。
だからこそ、そこをちゃんと大事にしていく。
なるほど。
そこはあんまり課題と言わずに、今はやり続けていく。
どんどんそうすると、やっぱり出力は落ちるんです。
それは課題ではないってことですね。
出力落ちるこの時点。
そうそう、まあ確かにそうですね。
まあそんなもんだみたいな。
そんなもんだと。
でもそのほうが結果、なんかいろんな人たちが自分のこととしてという。
なんか社会課題を自分ごととしても、なんか嫌じゃないですか。
はいはいはい。
難しいし。
確かに。
わかんないですもん。
急にポスターとか電車で流れてるとき、
海外の子供たちのワクチン足りませんとか言われて、
うーんみたいな瞬間をちょっと少なからず思ったりとか。
そうですね。
まあその意味で、だからSDGsとかにも感じることですけど、
36:02
なんかやっぱりどこか自分と切り離された課題っていうか、
自分の外側にある社会の課題みたいな風になっているところは若干あるのかなと思ってて、
まあ当然あって共通のゴールを作っていくことに意味があると思うんですけども、
なんかどこかそこに自分がいないっていう感覚だったり、
なんかあんまり心地よさの方は少なくとも入ってない。
うん。
なんかそっち側でみんなで共通の目標を作っていくっていうのも片一方で大事なんじゃないのかなみたいな。
みんなで楽しく一緒にやろうよみたいなのを前提になるというか、
こうすべきとかじゃなくて。
しかもそれも良ければやりませんかぐらいの自由参加みたいなのができたらいいなぐらいな感じのものを感じました。
そうですね。
それなんかやっていく上で楽しいポイントとか、今後こんな感じでやっていきたいとかってあるんですか?
そうですね。楽しいポイントは、
まあ割と私たちの組織にいる人たちみんな共通してはいるんですけど、
やっぱり一人一人のちょっとした自分の持ってた価値観がそれだけじゃないことに気づくとか、
そういう本当に人のちょっとした変化、変容みたいなもの。
そこってやっぱりすごい尊いなと思うし、
そういうことが積み重なっていく瞬間に出会えた時にやっぱり喜びを感じるし、
じゃあ何かそれがね、子供の孤立を解消するとか貧困をとかっていうことではないのかもしれないけど、
そうやって他者と関わろうという思いを持った人の少し目指しが変わる、価値観が変わる。
自分には持ってない価値観を人との対話によって取り入れていくみたいな。
それによってその人の在り方が少しずつ変わっていくっていう。
そうすると結局その後その人が出会っていく多くの人たちとの間みたいなものが変わってくるんじゃないかなと。
関わりだったり、変わり方、時間の過ごし方、仲間との関係性みたいなものが少しずつ変わってくるんじゃないかなと。
なんでこのC4Cのプログラムを受けた人も、みんな最初は子供に子供にとかって言ってるんですけど、
なんかパートナーとの関係性がちょっと良くなりましたとか、
職場でなんかちょっと孤立している人になんか気づいたら話しかけてる自分がいましたみたいな、
そういうことにもやっぱり影響している話を聞いて。
やっぱそういう本当にちっちゃな変化なんですけど、
その人の人生長く見ていったときには結構大きく変わっていく。
なんかそんなことなのかなと思ってるので、
本当にちっちゃな気づき変化みたいな。
まあコントロールできないのはわかっていながらも、やっぱりそういうのが出てくると嬉しい。
なるほど。
いけに波紋がファーっていってるみたいな。
まさにその感覚ですね。
影響を与え合うっていうことが多分良い効果を生むっていう。
だからその最初の方にも話されてたお子さんの試し行動に関しても、
39:05
おそらくはそれしか知らなかった子が、そうじゃない関係性を知ったときに、
彼女なり彼が今後、生きていく上で人に与える影響を持っていくだろうし、
それ試し行動しか知らなかったら、きっと生きづらいかもしれない。
だけどそこで何かちょっとガラッと変わる瞬間が訪れたら、すごく面白いかもしれないし、
それはこっち側の見方であって、彼ら彼女たちの気持ちもあるだろうから。
変えたいと思ってるかどうかもわかんないけど、うっかり変わってたぐらいのほうが素敵かな。
理想感もですね、気づかないうちにそうなってるみたいな。
ふわっと。
だから変えるより変わるっていうことだと思うし、
子どもたちに何か思いを馳せてる人がいたとして、
何かしんどい子たちのためになりたいんですみたいな人がいたときにも、
出会うというよりは出会ってしまうという感覚とか、
そういうコントロールすることも手放して、
でも自分の中で大事になるものをちゃんと携えながら生きていくといいよなって。
変わってたぐらいだから。
変わってた、そうですね。
そういう意味でも社会変革みたいな、
人間がコントロールしようとしすぎちゃってもいけないんだろうし、
っていう意味では文化を本当に少しずつ作っていくと、
どこかで何か潮目が変わっていくっていうその瞬間があるのかなということを信じて、
祈ってやり続けるみたいなかわりと。
いいですね、祈って。
農業みたいですね、本当に。
昔の米も一緒にやってるみたいな雨フレーム。
明確にやっぱりわかんないと。
この取り組みでいいのかもわかんないけれども、
同じこと繰り返すだけですけど、
本当にどこかで少しずつ市民性みたいなものが広がっていったときに、
何でしょうね、本当に潮目としか言いようがないかもしれないですけども、
そういう流れが変わっていく瞬間みたいなものがどこかで起きていったらいいな。
その瞬間はきっと誰もなんかなかなか気づかずに通り過ぎていってしまうもののかもしれないけど、
なんか気づいたら、なんかちょっといい風になってるよねみたいな。
そんなことがいいなと、祈り、信じ。
まさに。
続けていくと。
とりあえずやってみるみたいなところでしたね、誰も正解もわからないし。
まさに、ロジカルに誰かがね、わかっていたら全然もういらないわけなので。
面白くないしね。
面白くないしね。
でもやっぱり、これがいいだろうと思うことを信じられてるみんながいるから、
そのピーシーズさんがあるのかなと思ってて、
そこはなんでそんなに自分たちを信じられるみたいな原理があるの?
42:01
いやでも、きれいなふうに言ってきましたけど、みんな半信半疑です。
試行錯誤で。
どんなきれいには本当にこれでいいんだろうかっていうこと、
もっと早くできないんだろうかとか、もっと効率的にとかって、
やっぱりどうしても思ってしまいがちですけど、
でもどうなんですかね。
やっぱりその度に自分たちでもう一回立ち戻ってくるというか、
やっぱり行き着くところは、一人一人が自分が主体として生きていく。
それぞれが市民性みたいなものを大事に生きていくって、
やっぱりどうしてもコントロールできないし、
私たちがどんだけ意気込んでやったところで、
むしろかえって逆効果みたいなこともあるかなと思う。
っていうことをみんなでひたすらチームのメンバーともやっぱり対話をしていく。
対話をしてきたこれまでっていうのがあって。
で、やっぱり例えばゴリゴリのビジネスセクターとかから、
最近だと入ってきてくれる人とかもいて、
そうするとなんか、やっぱり最初はザワザワしてるみたいですね。
ザワザワしちゃうんですかね。
ザワザワすると思います。
結果が出ない。
結果がやっぱり見えにくいっていうのもあるし、
なんかやっぱり目標があって、
そっからの逆算でワークキャストで何かを積み上げていくみたいな、
そういうことではないので。
確かに。
KPIとかKGIとか何ですかそれみたいな。
そうです。
でもやっぱり外からはそういうものが求められたり、
事業計画とか。
事業を求められたりとか、
これで3年後どうなんですかみたいな、
そういうことを言われてしまう。
それはそれでそちらの論理もあるので、
そんなの知らんわというわけでもないですけども、
でもなんかやっぱり本質的にあろうと、
どうしてもしてしまうと、
そういったものはあるし、手放さなきゃいけないし。
そこら辺すごい難しい話ですよね。
本当に。
お母さんはその辺どういうふうに向き合ってるんですか、その辺りとか。
でも同じだと思うんですけど、
分かんないですもんね。
とにかく分かんないです。
どうなってるかなんか分かんないけど、
分かんないことを持ちこたえられない人が圧倒的に多い。
ネガティブケーパービリティって好きなんですけど、
それを持っていられるかどうかが自分にかかってるのかな。
そうですね。
だからこの葛藤の中に留まり続けるって本当に大事なことだと思ってて、
これは市民性とかってことにおいても、
白黒つけずにグレーゾーンに留まり続けられる力というか、
姿勢というか。
本気りますね、それ。
本当に。
例えばですね、NPOの寄附集めとかにしても、
もっときっと寄附が集まりやすい訴え方とか訴求方法って、
45:03
なんかやろうと思えばできることはあると思うんです。
課題を分かりやすくつぶ立てて、
それを何年後でこれだけ解決したいんですみたいな、
そういうこともやれなくはないかもしれないけど、
やっぱりそれはやりたくないし、
でもじゃあそうするとやっぱりファンドレイズという目的に関して言えば歩みは遅くなってしまう。
でも自分たちはそれを大事にしたいっていうその葛藤の中で、
でもやっぱり自分たちが大事にしたいものは何かみたいなところで、
揺れながらも留まり続けるみたいな、
市民としてみたいなところで言っても、
他者を大事にする、自分を大事にする。
それは分かるんだけど、
でも本当に目の前で困っている人を助けようとしたら、
そこに行き過ぎてしまう自分が出てくる。
その時に、でもどっかで自分で手綱を引っ張っておく。
でも目の前に。
そこら辺のこの間とか、
じゃあ自分の家族がいて、
家族の外に大切にしたいと思っている人がいる、
子供がいるみたいな時に、
家族を犠牲にしてまでみたいな、
その間でもう少しこっちかな、もう少しこっちかな、
みたいなことを留まり続けるとか、
そこはすごいいろんな局面において葛藤や、
もしかしたら矛盾みたいなことも中にはあると思う。
でもそこで変に正解を、短絡的な正解を取りに行くとかでもなく、
0か100か白か黒かっていうところでもなくっていう、
それって本当に難しいと思うんですけど、
でもどっちかというと最近はそこに葛藤の中に入れてるっていうことが気持ちよくなり始めて、
なるほど。
楽しんポイントにもなりつつある。
なりつつある。
ちゃんと葛藤できてるってたぶん一つ、
私たちが大事にしたいことがたぶんできてるっていう状態だったので。
なんか苦しそうですけど楽しそうですね。
そうですね。
痛気持ちいいみたいなやつかもしれない。
ほぐされてるみたいな。
そうそうそうそう。
いいツボをしてる感じですね。
そうです。
さゆさんがだから牧師に見えてきたっていう。
いや見えてきました。
本当にちょっとなんか、
目の前で十字組みそうな、
キリスト教かどうかは知らないですけど。
そうですねそうですね。
いやでもなんかそういうこう、
まあ日本は特に宗教にけぎらいをする人が多いし、
無宗教ですということが、
それこそ親民性を得ているというか、
48:00
おそらくそっちのほうがうまくいくのではないかって思うし、
極端にその話題を避けている。
確かに。宗教ですかって確かにいい意味であまり使われないですよね。
使わないですよ、使わないです。
でも何かの時には神頼みするじゃないですか。
うんうん、確かに。
めちゃくちゃ神社でお参りします。
そう、で御神員集め、私も過去にやったことありますけど、
でも何らかそういう目に見えないものを信じてやってる人が圧倒的にいるのに、
いざその仕事の場面とか経済場面におくと、
そういう話はごはっとみたいになるし、
あとはちょっと起業家の人たちに成功パターンで、
そういう話には出てくるけど、
あんまりビジネスとか会社のなんか組織の中では、
そんな話はしない。
だから祈りとかっていうふうに、
サイさんが言った時にすごく、
新鮮と言ったらちょっと上からな感じになっちゃうかもしれないですけど、
そういう言葉のディレクトがすごく大事な気はしますよね。
人に伝えるときに、わかりやすさも大事だけど、
もうちょっと広く言葉を使うっていうのはすごく大事。
包括的にいろんなものが入ってくる。
そうそう。
なんて表現していいんですけど、優しい言葉みたいな感じに僕はすごく。
傍観するっていう感じ。
積み込むし、含まれるし、みたいなのが大事な気がする。
そんなこと僕も感じました。
でも、それをどう取るかは相手次第。
そうですね。そこも委ねるというか。
本人もそれを信じて、楽しければ信じるみたいな。
信じなくてもいいし、信じてもいいみたいな。
本日のカフェの営業はここまでになります。
今回カフェに立ち寄ってくれたのは、NPO法人PCSの西さんでした。
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概要欄からは、ソーシャルハイブ本号を運営している
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51:03
明日はどんな自分をデザインしますか?
それではまたのご来店、お待ちしています。
51:19

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