ようこそ、socialhive WAITING CAFE 点描の弧~。
ここは東京文京区、HONGO3丁目駅の裏にある法律事務所併設シェアオフィス、socialhiveHONGOのメンバーが立ち寄るWAITING CAFEです。
毎週この時間のWAITING CAFEは、決まってメンバーの誰かがフラッと立ち寄って面白い話をしてくださるんです。
まるで世界の見え方がほんのちょっと変わってしまうような、そんな話が聞こえてくるかもしれません。
socialhive WAITING CAFE 点描の弧~ 新しい当たり前をデザインする実践者たちの日常
本日のご来店者は、NPO法人PIECES代表の斎さんです。
2025年3月に再来店いただいた今回は、近況のほかご自身のコラムにまつわる思いを斎さんの朗読とともにお送りします。
斎さん、ご来店、お久しぶりですね。
お久しぶりです。何ヶ月ぶりですか?
何ヶ月ぶりですかね、前回来ていただいたのが。
半年?
もうそんなに経ちますか。
ちょっと暑かったイメージがありますけどね。
お元気されてましたか?
プライベートと、プライベートがちょっとこの春大変なので、大変というか、子供が、上の子が、保育園を卒園、4月から小学校入学みたいなタイミングで、
いやー、いやー。
いやーの3文字にすごいものが乗っかってましたね、今。
すっごく素敵な保育園だったんで、
そこから旅立ってしまうことへの寂しさと。
まあ、下の子もいるのでまだ続くんですけど、
でも、その2人のこう、何て言うんでしょう、離れていく関係というか、
お兄ちゃんがいなくなっちゃうっていう、下の子の。
そうか、5兄弟で一緒に入れたのが良かったって。
そうそうそうそう。
で、その辺の何かこう、2人の様子を見てたりとか、で、上の子もこう、けっこう不安定になって、
けっこう何か怒りっぽくなったりとか、大きい声出すようになったりとか、
合わせると、うわっ、子供、と思って。
うわっ、子供。
いや、そういう、ちゃんと何かこう、イベント、何て言うんでしょうね、人生のこう、タイミングタイミングでちゃんとこう、心の揺れ動きみたいなものをちゃんと受け取って、
それをこう、ね、それが出ちゃうというか。
はいはいはい。
何かイライラしやすくなったりとか、何かちょっとこう、センチメンタルな感じになったりとか、
そういう、人間、子供、みたいな。
そんなのを味わいつつ、こっちもそれにこう、ね、心動かされながら生きてるので、はい、いつも以上に疲れてます。
今日、お疲れのお祭さんだね。
ああ、そっか、ぜひ、おいしいコーヒーでも飲んでいっていただければ。
今日はなんですけども、実は、あの、私はカフェのマスターしてるところなんですけど、
オーナーをですね、あの、小野さん、やってくださってて、
小野さんから、あの、祭さんの毎月出すコラムが素晴らしいというお話を聞いてまして、
なんと。
はい、で、ぜひ、あの、何個かちょっとピックアップしたものがあるので、
ぜひ本人から聞いてほしいというふうに言われてましてですね、
今日ぜひちょっと、お聞かせいただきたいんですが、
はい。
よろしいですか?なんかそんな心がゆるぐこしてる、なんかそんなか、あれなんですけど。
はい。いや、むしろ、じゃあ心を落ち着けて、なんかお話する時間にできればいいですかね。
ありがとうございます。
じゃあ、なんか一つ目がなんですけども、2022年の、
2022年。
はい。これコラムはちなみにあの、祭さんの団体で出されている?
そうですね。私個人が全部書いて、それを団体のホームページ上に載せている。
あとは、寄付者の方々にはメールでお届けしてるんですけど。
はい。なんか活動報告的なとこですか?
そうですね。なんか普段やっぱりこう、SNSとか、
ウェブ上でこう伝えるメッセージってどうしてもこう綺麗なこと、見栄えのいいことをなんかどうしてもこう伝えがちになってるんですけど、
私がこう、昔こう事務局長だったときにこうスタートしたやつなんですけど、
もっとなんかこう、組織のザラザラした部分だったりとか、
事業面、組織面、もやもやすることだったり、なんかそういったことも手に出していった方が、
よりなんかこう、等身大のPCsを外にこう、お伝えできるかなというふうに思ってスタートしたものですね。
なるほど。じゃあなんか等身大のそのPCsが見れるっていうコラムなんですね。
それを心がけて、なるべく、なるべくあの、その綺麗さみたいなものは取っ払って、
そのままのことを、そのままの温度感で伝えていけたらいいなというふうに思ってます。
この発信についてなんか、小川さん感じるものありますか?その発信の仕方というか。
そうですね。綺麗なことだけ書いてるとちょっと、なんていうか落ち着かないっていうかね。
グサグサいって。
それはありますよね。
なるほど。じゃあその、ザラザラの部分が出てくるのか、ちょっとあれでわからないですけども、
ちょっと聞かせていただきたいなというところなんですが、一つ目がですね、
2022年12月27日の事務局長からのお便りボリューム4という内容なんですか。
こちらを聞かせていただいてもよろしいですか。
はい。資金調達の営みについてのもやもや。
1ヶ月ほど前のことですが、とてもありがたいことにPCsの活動に大口の寄付をいただけるという機会がありました。
寄付者の方の希望もあり、詳細は伏せますが、とても思いのある方からの温かさを感じる寄付でした。
この寄付についてはプロセスに特徴があり、自分たちで頑張ったというより、間をつないでくれた人に話が来て、
間をつないでくれた人がPCsのことを紹介してくれ、間をつないでくれた人が提案をまとめてクロージングしてくれたという案件でした。
つまりその間、私たち団体サイドの実度は最低限のもので、ありがたいことに間をつないでくれた人たちのネットワークと人力によって開拓された寄付と言えます。
関係者の方々にはただただ心からの感謝と頑張るぞという気持ちで溢れているのですが、同時にもう一つ湧いてきてしまったのは、
いやそもそも世の中が普段NPOの側に資金調達頑張らせすぎじゃないという気持ちです。
いや何を生のるいこと言ってるんだという感じもするし、そこを頑張るのが仕事でしょって話かもしれませんし、NPOにお金ばらまけと言いたいわけでもない。
ですが本当に社会をより良いものにしていくのであれば、NPO、NGOなどがもっと事業活動に専念できる仕組みになっていっても良くないという正念のような気持ちもあるわけです。
PCSで言えばまだまだ安定財源が十分確立しているわけではないので、時期やタイミングによっては運営メンバーの2,3割のエネルギーがファンドレイズに関連するところに向けられていることもあります。
平時においてはファンドレイジングチーム中心に全身で、玉も心も足も使うので汗かきながら頑張っていますが、正直なところ頑張れば資金が集まるというものではありません。
冒頭の寄付の話もありがたい話ではありますが、再現性は決して高くないのです。
私たちが取り組む領域では、本質的なことをやろうとすればするほど取り組みは一見すると分かりにくく、分かりにくいものに通常資金は集まりません。
なのであの手この手を試行錯誤するわけですが、基本的には事業活動に本来当てたいはずのリソースがそれにより地味に延々と奪われていってしまいます。
いろんな寄付関係のサービスやプロットフォームなども出てきていて、お世話になっているものもたくさんあります。
ですが多くの場合、結局のところは団体サイドのコミットなしでは継続的な打ち手とはなり得ません。
またサービスに寄付や寄付者が集まってきたとしても、そこにコミットができる一部の団体や知名度の高い大きな団体にどうしても寄付者は流れていってしまいます。
実力不足と言われてしまえばそれまでですが、そもそも社会の全体最適を考えれば収益を上げることに関心もなければ、事業発展と収益性が連動しない領域で活動していて、
それでも社会や人々にポジティブな変容をもたらす活動というものは相当数あるはずです。
であればそれを生かそうとするエネルギーや仕組みがもっとあってもいいのではないか、というところに思い立ってしまうわけです。
ちなみに資金調達の外注化に向かいたいという話かといえばそうではありません。
うまく外注文を使っていくことはあるかもしれませんが、資金調達の営み自体は手放さずに一定耐性していくことが大事だと思っています。
寄付者の顔や思いが見えにくくなったりすることの弊害はもちろん、資金提供者との適切な緊張関係を持っておくことは組織の基盤強化につながるとも思っているからです。
ただ今のままだとあまりにも負担が大きすぎる。
さらにはお金を作りやすい、あるいはお金が流れやすいイシューや取り組みだけが生き残っていくことへの危機感もあり、社会全体としてもっとバランスを取る作業が働いてほしいなと思っているところです。
具体案も何もなく、だから何だと思われてしまう話かもしれませんが、良ければ皆さんのお考えや感想の声、場合によっては知ったげきれいな声なども頂けたら幸いです。
じゃ、沙耶さん今読み上げて頂きましたけども、改めてこれを書いていた当時のお気持ちってどういうお気持ちでしたか?
そうですね。本当にこう書いてある通りといえば通りというか、
当時そのコロナがあって、私たちはそのコロナによって寄付、ファンドレイジングがいくつかやっぱり途絶えてしまったというか、それまで継続で続いていた寄付がなくなってしまったりとか、特に企業さんの寄付とかっていうのがなくなってしまったり、
個人の方々も少しずつちょっと一時的に寄付を止めたいとかっていう話もあって、段階としてもこれからどうしていこうというところは結構悩ましい局面でもあったんですね。
2022年の末に出したコラムですけれども、やっぱりこの当時もまだファンディングっていうのがなかなかどうしていこうかが見えてない中で、本当にポンと話が来て、こちらからアクティブに働きかけていたわけでもない筋から話が来て、
でもやっぱりPCsの取り組みっていうのをぜひ寄付者の方につなげたいっていうふうに言ってくださった方が間にいて、本当にありがたかったんですよね。しかも早かった。その話が出てから決まっていくまでのプロセスも早くて。
直接その寄付者の方の顔は見えなかったんですけど、でもどういった方かっていうのは教えてくれて、思いも聞いて、その間に入ってくださった方もなぜPCsにっていうところもすごく思いを私たちにも届けてくれたし、その寄付者の方にも届けてくれて。
で、なんかその熱がちゃんとある。熱はちゃんとあるけども、なんか自分たちが頑張ったわけでもないというか、この寄付のあり方がなんかやっぱりすごくその当時特にありがたかった。でもそのありがたさを感じれば感じるほど、もっとこういう案件ってあってもいいんじゃないというか。
普段やっぱりかなりの労力やっぱりファンドレイジングところって特にこのNPOの取り組み、しかもなかなか時間のかかる取り組みに対してはやっぱりお金が集まりにくい。
もっとなんか仕組みがあった方がいいみたいな。
そうですね。自分たちの当然頑張りも必要なんですけれども、一方で役割分担というか。ある種自分たちはこう自分たちの時間と体を使って活動していて。
一方でお金を託したいと思う人もいて、そういった方と繋がりを持っている人たちというのもいて、役割みたいなものがお互いに作用し合えば、もっと私たちが注ぐべきものに命を、時間を注ぐことができるんじゃないかなっていうことを思っていましたね。
なんかそことすごく真正面に向き合っているような感じがありつつも、なんか乗っかるのもそれでいいのかみたいな、なんかすごい複雑な気持ちがすごくあるなっていう感じがしましたけど。
そうですね。やっぱり苦しいんですよね。資金調達の営みって。
去年は去年でクラウドファンディングをやったりとか、マンスリーサポーターを募ってみたりとか、助成金を申請してみたりとか、いろんな資金を集める方法はあるんですけども。
簡単なものはやっぱり一つもないし、やっぱりお金の流れやすい取り組みっていうのはどうしてもあるし、それはその時々自流潮流みたいなものもあるし、でもやっぱりPC図の取り組みってなかなかそういう流行りになるものでもないし。
っていう中でこれはどこまで、どれだけやり続けていけばいいんだろうみたいなところで、やっぱり日々の苦しみというかみたいなものがあったので、逆になんかこういう大きな岐阜みたいなものがお話が来た時に、こういうものも世の中あるんだみたいな。
甘いものを知っちゃったのかもしれません。
味を示しちゃった。
かもしれません。
のはさんは聞いてみていかがですか?
そうですね。
子どもとか福祉とかって言った時に、そういう資金調達のことを真正面から考える団体ってあんまりないような気がしていて、そういう福祉の業界の人たち、私も含めてお金の話をすることはあんまりしないし、
積極的に助成金とか、いろんなプラットフォームっていうか、お金を得る手段を知ってる人も実はあんまり多くなかったりもするのかなというのがあるので、そもそもお金の話をしない業界かなというのはすごく思うし、
その内面でこの、もらって嬉しいって気持ちと、それにアクセクしなきゃいけない苦しい気持ちっていうのは両方あるのを言うのも、あんまり言う人が多くないような気がして、聞いていて。
私自身は直接資金調達に足を使ったことはまだないですけど、逆に言うと勇気が出ないところでもあるのかなって聞いてて思いました。
なかなか、受け合うのに大変な領域とかあるんですね、特に。福祉の領域とか、そういったところ。
支援官とか、支援の思いみたいなことを語れても、それとお金を同じ土俵にあげにくいみたいなっていうのもあるかなっていうふうな、なんていうんだろう、訓練をしてないって言ったら言い方が変ですけど、訓練?違うかな。
ソーシャルハイブ、ウェイティングカフェ、天霊の子、新しい当たり前をデザインする実践者たちの日常。
大さんはどの辺に大変さとか苦しさを感じてるんですか、今というかその当時も。
そうですね。ある種の、私たちのやってる取り組みって、言い方難しいんですけども、公共的な取り組みというか、でもものすごい私的な取り組みでもあるんですけども、
だから、性質としては税金みたいなものがピッとするような領域というか、本当に50年100年みたいなものを考えたときの社会のデザインみたいな話になってくるので、
私たちが使ってる市民性っていう概念だったり、一人一人の存在、一人一人の力が社会にとって大事だっていうことを私たちも訴え続けているし、
特に今、子どもの周りにいわゆる支援者や専門家ではない人たちが必要だ、こういうメッセージ。
なかなか言われてみればそうだけれども、かといって緊急性があるわけでもないし、ものすごい大きな問題だったり、困難に陥ってる人を救うみたいな話でもないし、
みんなが少しずつ関わってるけども、すごく大きく自分の人生に関わっているかと言われるとそうでもない。そういう領域として寄付だったりそういったことを訴求していくのはなかなか難しい領域で活動してるんだなというふうに思っていて、
やっぱりそこ、私たちからしたら誰もにとってみんなが当事者なんだっていう取り組みではあるんですけれども、でもみんなが自分が当事者だとなかなか思えないような領域で活動していくっていう、そこのメッセージの届き方だったりとかの難しさ、そこが資金調達にも直結していきますし、
一方でNPOとかって、何て言うんでしょうね、本当に表現難しいですけども、苦労してて当たり前というか、大変なことやってて当たり前みたいなふうにもあるし、自分たちが好きでやってるんでしょうみたいなふうにもやっぱり思われているのかもしれなくて、
で、なった時に、こちら側もやってる側としてもしんどいのが当たり前というか、なふうになっていってしまって、いやでもちょっと待てよと、
こんなに社会を、私たちはちゃんと作っているところにコミットしてるという自負があっている中で、なんでここまでこんな大変な思いしてやんなきゃいけないんだみたいな、っていうところはもちろん大変なことだけではないですけども、
もっとなんかみんなの力、エネルギーを持ってすれば、そんなにこんなに苦労しなくてもやっていけるんじゃないのかみたいなことをどうしても思ってしまって、なんかその、このソーシャルのセクターには製品みたいな言葉もありますけど、
こういう活動をしている人がもっとなんかこうウェルビングにいられるというか、自由に動けるみたいな、なんかそういう土壌みたいなものをなんか本当は作っていけるといいんだろうなと思っているんですかね。
なるほど。
製品ってあれですよね、プロダクトのほうの製品じゃなくて、清く貧しいの製品ですね。
確かに、はい。
プロダクトも製品ですね。
そうですね、ちょっと一般人好きってちょっとあれだったんですけど。
でもやっぱりなんかこうNPOの活動だったり、NPO、NGO、こうソーシャルな活動をしている人に向けられる眼差しの一つとして、なんかそういうことが言われますし、なんかこう全部こう綺麗であらなきゃいけないだったり、なんかこう淀みのない感じ。
でもなんかそれはもう本当にこう、で一方でなんかこうなんて言うんでしょうね、そのプレイヤー側に対してはなんかそういうことを苦労というか、そこで貧しいって言葉が使われてますけれども、なんか自分を犠牲にして世の中のためにこう清く活動するみたいな、なんかそういうことがやっぱり目指しとして向けられているっていうのがあるのかなと思ってて。
なんかやっぱりそこを、私はまるでこの方そういう感覚をこういう活動をしている人に向けたことがないので、その感覚はわかんないですけど。
でもなんかこう、別に完璧であらなきゃいけないみたいなこととはちょっと違うかもしれないですけども、なんかその眼差しみたいなものもやっぱりまたどこかでこういう活動をする者たちを若干苦しめているかなっていうところはやっぱりこう感じています。
その空気はなんか変えたいって思う感じですか?それとも受け入れてるっていうような感じですか?
いや全く受け入れてはいないです。
なるほど。
まあまあだからこそ今回のようなこうコラムの話になってくるんですけど、なんていうんですかね。
なんかもっと全体性を持って世の中をノングラムのデザインに作っていけるといいよねみたいなことはやっぱり常々思いますし。
かといってね、なんでもかんでもそういうNPOの活動みたいなものにお金がわらまかれればいいとかってそういう話ではないし、ちゃんとこう淘汰されていくところは必要かなというふうには思うんですけれども。
今この全体性っていう言葉も使っていったんですけども、なんかこう今よりこう正確に言うとすると、まあでも本当にこう言いたいのはなんかやっぱりこう役割分担というか、やっぱりこうNPOのプレイヤーとしてこう活動している人たちがいるし、
でも私たちもどちらかと言えばなんかこう直接的になんかこう困難な状況にある人だったり環境問題だったりなんかこう直接にこう働きかけているというよりは少しこう中間支援的に他社に関わる、ケアに関わる人たちをこう支えていたり、
その人たちの学びを促していたりっていう、まあアリスそこもなんか役割分担みたいなことをしているつもりではあるんですよね。
で、一方でなんかじゃあそれをお金で助ける、お金で支える、そういうことにこうコミットする人もいるだろうし、もっとこう制度とかそういったものをこう作っていく。
あるいはこう市民、社会にこう訴えかけていく中で、ある種こう文化みたいなものをこう作っていく。
いろんな人たちがいろんな関わり方でこう社会を作っていくっていうことだと思うんですけれども、
なんかどうしてもやっぱりこう通常のやっぱりこうビジネスと違って、やっぱり受益者、利用者からこう対価が発生しにくい領域でもあるし、
その意味ではだからこう両サイドにお客さんがいるというか、事業を届ける先、あるいはお金をいただく先っていう、それがこう別になるっていう意味ではある種普通の企業、ビジネスに比べるとやっぱりハードル高いと思うんですよね。
でもなんかそこのハードルの高さってなかなか理解されてなくて、
で、そこにさっきのこう製品みたいななんかこうまなざしが向いてくることで、
あなたたちはこう苦しくって当然でしょみたいな、頑張って当然でしょみたいな、なんかそういうこう案にメッセージがこう届いてくる。
中ではやっぱりこうなかなかこう活動スケールさせていくって本当にこう難しいなと。
両サイドをこう見ながらお金のこと、あるいはこう社会性のこと、こう両方こうやっぱりこう見ながらバランスとってやっていくっていう、
ここのやっぱり難しさはもっともっとなんかこう分かってくれみたいな。
なるほど。分かってほしかったですね。
小田さん、あの今日の鞘師さんの話聞いてみていかがでしたか?
その製品っていう話がパッと聞いたときに、どっちの漢字が浮かんでくるかっていうのは立ち位置によってきっと違うんだろうなと思ったのと、
やっぱりそのNPOとかの代表に立ってる人は少し困ってて、ちょっと疲れてて、
っていうのが当たり前って言ったら変だけど、そういうものだろうというイメージが固定されてるっていう気はしますよね。
それがやっぱりちょっと良くないって言ったら一面的ですけど、なんでそうなのかなっていうのもすごくあるし、
ちょっと例えばパリッとしててすごくいい、例えばですね、ブランド本で身を固めていたら困ってないじゃんみたいになりかねない極端な例ですけどね。
それはそれで別にいいのに。
私なんかも髪がピンクで、爪がカラフルで、服もカラフルでってなったときに困ってないじゃんとか言う。
私はNPOじゃないけれども、まだまだですとか言うと、いやでも困ってないでしょみたいな。
そうなってしまうのはなんでかな、そういうところにまでも評価対象っていうのかな、そういうのありますよね。
それは独特な価値っていうかな、見られ方な気はします。
なんか見る側がそう見たいんでしょうね、そのような像を。
なんかいい人であるべきみたいな感じはすごく強く持たれる気はしますね。
どうですか、さえさん。
そうですね、やっぱ特に寄付とかってすごいこう難しいし面白いなって常々思うんですよね。
PCSで時々クラウドファンディングやったりとか、寄付のキャンペーンみたいなことをやったときに、
大体いつも地元の高校の仲間とかに送ったりするわけですよ。ちょっと助けてくれや。
15人ぐらいのLINEのグループにクラウドファンディングのリンクとか送ったりするんですけど、
まあね、みんな寄付してくれないですよ。
まあまあ頑張ってると思うし、会ったら、さえちゃん頑張ってんねとかって言うんだけど、寄付しないんですよね。
面白いなと思って、彼らは地元が名古屋なので、みんな豊田系の会社でね、
勤めて、もう今やいくらのボーナスだけで俺の年収を超えるんじゃないかみたいな世界に生きつつあると思うんですけど。
でもやっぱり面白いなと思っていて、単にお金があれば寄付をするかとかっていう話とはまた違うし、
だからなんかこう彼らの眼差しとかっていうのをもっともっとなんか知りたいなとか。
より知りたいですね。
まあその意味で、この2年前、3年前のコラムを書いたとき、もっとなんか別に楽したいわけじゃないですけれども、
なんかもっとこうそれぞれの役割にもっとこうフォーカスできるようなことをそっちに向かっていきたいよねみたいなことを書いたんですけども、
一方で、とはいえなんかこう、この課題に向き合ってるとなんかこう社会、それこそ小野野さんの言葉で言えばこうなんか世界の解像度というか、
世の中の人たちのなんかこういろんなこう生活のありようみたいなものもまた、寄付とか資金調達みたいなものを通してこう見えてくるものもあって、
大変なんですけど、これあんま手放したくもないなというか、
この大変さの先になんかこう見えてくるものもあるなというふうに思っていて、
まあそういう意味では大変だしこう苦労するんですけど、でもなんかこのプロセスをすごい楽しみたいなというか、
寄付って本当に奥深いなって、自分の所有してるものを誰かにある種分け与えるみたいなことだと思うんですけども、
所有って何だろうとかさ、送り合うって何だろうとかさ、
うどりがないから寄付ができないとか、じゃあそのうどりってどこから生まれるんだろうとかさ、みたいな、
まあいろんなことをこう問うていくのはやっぱり面白いし、
まあそれを問いながらなんかこういろんな人たちの、なんて言うんでしょうね、
まあ行動がちょっと変わっていったりも話が変わっていったりみたいな、
やっぱその瞬間に触れていくことはやっぱり楽しいし、面白いなと思うので、
まあこんなふうには書いたんですけれども、
まあでもこれからもこの苦労を手放さずに、
まあとはいえ寄付はやっぱりもっと集まったらいいなと思いますけども。