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こんにちは、ハタラクボクラです。 この番組は毎回違う働く人をゲストにお招きして、働くことについてのお話を時に広く、時に深く聞いていくことで、働くって何だろうと考える番組です。
本日はですね、Aoiさんにお越しいただいて、 いろいろとお仕事のことを伺っていきたいなと思います。
Aoiさん、よろしくお願いします。 よろしくお願いします。
まあね、なんかこんな敬語で喋ってるんですけど、 Aoiさん、もうほんと大学時代とかの、バイトの後輩というか、
地元が同じ福岡なんで、同じバイトの後輩。 付き合いはそれなりに長いと言えば長いとかね。
そうですね、もう気づいたらタメ口で喋ってるぐらい。
おかしいな、後輩だったはずなんだけどな。
お世話になっております。
お世話になっております。 今更特に先輩風邪を犯すこともないんだけど。
言語聴覚師として仕事をされているっていうところを伺っているので、
この番組で最初に、普段聞いてもくれていると思うんですけど、
2つ最初に教えて欲しいなと思っていて、
1つが職歴ですね。
と、もう1つが最寄り役の偏見というか。
これはとはいえ、すごくそれを細かく特定したいということでは全くない。
どちらかというと、暮らしのプロセスみたいなものに何かしら変化みたいなものがあったのか、
とかをちょっと話せればいいなっていう程度なので、
差し支えがない範囲で適当にぼかしていただいて、
全然いいかなと思っています。
行くとまず職歴というかお仕事の編歴、キャリアの編歴みたいなところで行くと、
どういった形にはなるのかなっていうのを改めてお伺いしてもいいですか?
はい、ありがとうございます。
先ほどしんさんからもお話があった通り、
出身は福岡なんですが、大学進学のタイミングで熊本に移り住みました。
その後就職を機に上京して、
今は東京の回復期の病院で言語聴覚師として働いています。
ちょっと馴染みのない名前の仕事だと思うんですけれども、
ざっくり言うとコミュニケーションと食事に関するリハビリの仕事をしてまして、
今は入院なさっている患者さんと、
あとはご入院からお退院されて、
その後もまだリハビリが継続して必要になる方々を
外来でご一緒してリハビリをさせていただいているという感じです。
ありがとうございます。
回復期っていうのはいくつか、
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ちょっと僕も全然病院のカテゴリーみたいなのがわかってないんですけど、
どういうところに携わるんですか?
そうですね、基本的に、
例えば私がご一緒させていただく方のメインが、
脳血管疾患の拘束とか脳出血とか、
例えばクモマッカ出血とかっていうご病気の皆さんが特に多いんですけど、
その方々が、例えばご自宅で倒れられて救急搬送されますよね。
っていうところが、まず最初に救世機って言われる病院に行かれます。
そこで、例えば血栓を取り除いたりっていう治療をして、
状態が安定しましたというのが救世機と呼ばれる病院の役割で、
私が勤めている回復期っていう場所の役割としては、
例えば治療は済んだ。
一目は取り留めたけど、
例えば麻痺が残ってしまったとか、
私が主に関わる方として、
頭の中の後遺症が残ってしまった。
だからご自宅に帰ったり生活に戻ったりするのには、
まだリハビリが必要でなったときにリハビリをするっていうのが、
いわゆる回復期の役割になります。
そこからまた、例えばお家に帰ったり、
施設にご入所したり、
あとは療養期、移植期って言われる、
違う病院にまた移られたりっていうところの経過にある病院です。
確かにそうか。
リハビリで入院をするっていうのが、
それこそそんなにあまりメジャーではないというか、
イメージとしては通いでいるみたいなのも結構ある中で、
話すことであったり食べることに関わる治療リハビリのプロセスにある患者さんを主に見ていると。
そういう感じです。
なるほど、面白いですね。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
ちょっとここ何で選んだのかとかは、
この後聞いていくんですけど。
ありがとうございます。
もう一つ、今出てきてっていうところ、
福岡から出てきてっていうところもあったんですけど、
ざっくり東京ではどんなところに暮らしてるんですか?
そうですね、入職の仕事を始めた時から今の病院に勤めているので、
大きくエリア自体は変わってなくて、
あとそうですね、最初が借り入れの療養扱いになる職場だったので、
そこでまず病院の近くのエリアに住み始めました。
そうですね、イメージ的には東京の北の方の、
なんか板橋区とか練馬区、北区みたいなファミリーが多くて、
おじいちゃまおばあちゃまがお散歩なさっているようなエリアに住んでます。
そこから結構大きに寮は出たんですが、
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幸い夫の職場に対するアクセスと、
私がもともと住んでたところのアクセスが良かったので、
ほぼ同じエリアに今も住み続けているような感じかなと思います。
東京の北の方?
北の方にいます。
住みやすそうなエリアですね。
穏やかなエリアです。
いいですね。ありがとうございます。
ちょっとちょこちょこたまにね、
それこそアルバイトの時にそういうの目指してるみたいなのも聞いたりとか、
たまに東京でこう会って、
あ、働き始めたんだとかいうのも聞いたりはしつつも、
意外とその、改めてその仕事の年齢みたいなのを聞くみたいなのがなかったので、
ちょっとそのルーツみたいなところから結構気になるなと思ってて、
あんまり言語聴覚師って多分普通の生活の中では、
あまり馴染みがない職業なのかなって思ったりもするんだけど、
それを結構昔から知ってたんですか?
そうですね。目指すきっかけになったところのルーツとして、
私は父親は理学療法士、同じリハビリの仕事をしていて、
母が歯科衛生師をしているんですね。
なのでもう家で聞く、働く仕事の話が、
本当に患者さんの話とそのご家族の話がメインだったんですよ。
だったので、自分の中でもなんとなく医療職っていうのにずっと興味があるところから、
幼少期スタートして、最初は父と同じ理学療法士になりたかったんですね。
だったんですけど、父に理学療法士になろうかなっていう話をした時に、
ちっちゃいからやめときなって言われたんです。
っていうのは、私身長が150センチないぐらいなんですけど、
やっぱり患者さんのお相手になる方々は、もちろん男性もいらっしゃるし、
お年重ねられたとはいえ、皆さん結構体格のいい方も多くて、
となった時に、正直やりやすいお仕事ではないっていうところがあるんですよね。
それはもちろん同じ小柄なスタッフもたくさんいて、
テクニックをもとにリハビリはしてるんですけれども、
純粋な得て不得てで言うと、ちょっと大変かもっていう風に言われたのと、
あとは勉強面で考えた時に、都分系なんですよ私。
となった時に、いわゆる医療系ってやっぱり理系のイメージがすごくあって、
となると適性として医療職あんまり向いてないんじゃないかっていうところが出てきたんですね。
逆にじゃあ適性があることでやりたいことは何だろうって思った時に、
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私は本を読んだりとか文を書いたりが好きだったので、
日本語に関わる仕事がしたいなっていうところが今度出てきました。
じゃあやりたいことと適性があることと、あとは食っていけること。
お金をいただいて生活をしていくってなった時に、
じゃあどういう仕事がいいんだろうなっていうのを悩み始めたのが12歳とか13歳の時なんですよね。
そんな時に両親から誕生日に村上隆さんの13歳のハローワークっていう本をいただいたんですよ。
一応軽くご説明をさせていただくと、職業図鑑みたいな本で、
世の中にあるいろんなお仕事の紹介と、どんな風にしてなる仕事っていうのがざっくり書いてある本があって、
それをもらったんですね。
した時にじゃあいろんな仕事があるんだと思って、やっぱり興味があった医療職から見ていった時に、
言語聴覚師っていう医療職で、しかも日本語に関わる仕事っていうのがあるっていうのを知って、
最高じゃんみたいな。
こんな医療職ができて、しかも日本語に関わる仕事ができる。
しかもどうやら食事にも関わるらしいってなった時に、
なんか好きなこと全部詰まってるっていうことがあって、
父に、なにこの仕事最高じゃんなろうかなって言ったら、
父が向いてんじゃないって言われたんですよ。
食べるのも好きだし、食べるのも好きだし、いいじゃんって言われた時に、
父がいいって言うってことは、転職だみたいな感じに錯覚して、
そこで13歳の時に今年は言語聴覚師になるって決めて、
そのままあれよあれよと大学に行って就職して今に至るっていう流れになります。
13歳のハローワークがここまで美しく機能してる例っていうのが。
本当にあの本に感謝だなっていう。
もう村上隆さんに手紙を送っていいレベルですよね。
ありがたいなと思います。ラッキーでしたね。
なるほど。
そうか、だからもうご家庭の環境的にも、
なんとなくこう医療職みたいなものがすごく身近で、
そうですね。
何かその、じゃあその時点の情報みたいなもので、
自分がこう働くっていうことを想像するなら、
おそらくその領域というか、
そうですね。
なんとなくちょっとうっすら。
そうですね。逆にそのいわゆる会社勤めのイメージが全くなかったので、
本当になんでしょう、
コピーを取り会議に出てぐらいの、
本当に貧困なイメージしかなかったんですよ。
絶対にそんなことだけではなく、
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皆様いろんなお仕事をなさっているっていうのを、
最近やっとわかるようになってきたんですけど、
中学生の頃までそこのイメージの浅さしかなかったので、
やっぱりやりたい仕事っていうイメージは持てなくて、
じゃあみたいな感じですね。
でもそれでいくとこうずいぶんその、
何の仕事がしたいかの具体を考え始めるのが早いなというか、
確かに。
だって13歳より少なくとも手前で、
一旦理学療法士になるっていう宣言をしてたりする。
そうですね。
それはなんですかね、
すごい早く働きたかったとか、
そういう感覚があった。
確かに父も母も仕事が大好きなんですよ。
本当に楽しそうに仕事の話をしてくれて、
今日患者さんがこうでこんな風におっしゃってて、
っていうのをすごく楽しそうに話すのを聞いていたので、
何でしょうね、仕事って楽しいものなんだろうなってずっと思ってたっていうところはあるのかなと思います。
っていうのを聞くと、
働きたいみたいなところがずっとあって、
っていうところがそのまますくすく来てしまったっていうところかなと思いますね。
結構ポジティブなものとして普通にあったというか。
なるほどね。
じゃあそこでもう13歳で転職を見つけてからは、
それから大学がそのあれですよね、
それを専門に学ぶ学校に。
そうですね。
行くまでの間っていうのは、
ほとんどぶれることなくというか気持ちとしては。
そうですね。
基本的に何でしょう、
こういう仕事もあるのかっていうのは、
高校生になる中であったんですけど、
言語聴覚史上にやっぱり自分の中で魅力に感じる仕事はなかったので、
ずっとそのままでしたね。
それこそ大学、入る大学を決めたのも中学を卒業するタイミングだったので、
高校3年間ずっとこう結局行くことになった大学がもうずっと第一志望で、
そこの専攻だけっていう感じでした。
あー。
一途に。
一途に思い続け。
ですね。
普段だと割とこう、
お仕事が始まってからみたいなところで伺うことが多いんだけど、
やっぱりすごく一本筋が通ってるというか、
ずっと思い続けてた仕事みたいなところもあると思うんで、
まさか13歳より前まで遡るという感じではあるけど、いや素晴らしい。
それは実際にじゃあその憧れだったものが、
初めて実体を伴うのって、
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多分その大学で実際に学び始めてなのかなって思うんですけど、
そこの時点でのギャップとかってあったんですか?
そうですね。
学び始めて、私はやっぱりその言語聴覚師っていう名前しか知らずに、
道を選んでしまったので、
多岐に渡る仕事っていうのを正直あんまり知らなかったんですね。
言葉についてできる、ご飯もできる、最高っていう気持ちだけでいたんですけど、
蓋を開けてみると、何でしょう、
専門としてやってることは今はすごく狭いんですが、
言語聴覚師としての領域は結構広くて、
それこそ老若男女、下は生まれたての方、
あとは、例えば小児の発達のことだったりとか、
あとは先天的な口が、例えば何でしょう、
そうですね、例えば口外っていう、
お口の天井が裂けて生まれてしまった方に対しての、
その形質的な難しさによって、
お話しにくくなってる方に対してのリハビリもご一緒させていただくし、
聴覚の分野で言うと、いわゆる自閉化分野のことだったり、
めまいのことだったりっていう、結構多岐に渡るんですよ。
っていうのを知ったときに、全然わからなくて、
その聴覚のこととか、飲み込みのことっていう具体的なことをしてきたときに、
あ、言語だけじゃないと私ちょっとついていけないかもっていうギャップはありましたね。
想像してたよりも幅広くカバーをしてた。
そうです。でなると、向いてるって思ってたけど、
大変かもみたいな自覚はやっと湧いてきました。
すごい言われて思ったけど、
言語聴覚師ってすごい自分も言葉に出して言ってるのに、
本当に言語だけしかほぼ頭に残ってなかった。
確かに聴覚もすごい。
ってなると、やっぱり耳の構造も知らなきゃいけないですし、
聞くっていうことがどういうことなのか、神経のどこを通ってとかっていう、
いわゆる解剖的なところもたくさん出てきたときに、
あ、思ってたより大変かもしれない。
ところは出てきて、そこはやっぱり挫折じゃないですけど、
ギャップというか大変さみたいなのは感じました。
あれは面白い。
そこはもう時にはひひ言いながら、
そうですね。
勉強しつつというか。
そっか。
熊本のその大学に通われて、
まあなんかほら、普通のというか、
例えば、専攻とかじゃない学生とかだと、
たぶん普通に新卒で就活をして、
民間企業を受けるとか、公務員試験を受けるとかかなと思うけど、
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言語聴覚師の場合とかだと、
働く先を選ぶっていうのはどういうステップを踏んでいく?
そうですね、確かに。
基本的に、働きたいところを選んで就職活動するっていうところは、
一般の企業と変わりないかなと思うんですけれども、
皆さん一応大体の人が言語聴覚師になるっていうことは決まってるので、
じゃあ病院で働くのか、とか施設に働くのか、
っていう一部分岐にはなります。
で、実際に就職試験を受けて、
合格で内定をいただいてっていうところは一つ一緒なんですが、
結局国家資格なので、
言語聴覚師免許がないと仕事ができないので、
いったん内定をいただいて、
2月にある国家試験を受けて、
合格したらやっと働けるし、
もしちょっと今年は残念っていうことになると、
内定取り消しになったりっていうこともありますね。
内定を得た後で本番の戦いがあるというか。
そうですね、そこはちょっと違うかもしれません。
じゃあそうすると、
どんな病院に行きたいかとかを選ぶっていう、
例えばことになるのかなと思うんですけど、
青井さんの場合だと、今勤められているところですかね。
どういう基準で選んでたとかってあるんですか?
そうですね、実を言うと、
第一希望として就職活動を始めた時に掲げていた場所ではないんですよ。
というのが、病院実習というのがあるんですが、
そこでいろんな経験をさせていただいて、
恩師と呼べる存在にも出会ってっていうところがあったので、
最初は実習先の病院で働きたかったんですね。
だったんですが、ちょっとその年に新卒の募集がかかりませんでして、
働きたかったところは就職できないんだっていうことがわかったんですよ。
で、まず一回ちょっとどうしようかなと思った時に、
恩師にどこがお勧めですかっていう話をして、
一箇所、東京の病院を勧めていただいたんですね。
そこは本当に病院の中でも最高峰というか、
もう著名な方々がリハビリをなさっていたようなところの病院で、
そこに行くといろんなことが学べるんじゃないかっていうことを言っていただきました。
で、じゃあそこに就職したいな、見学に行こうかなと思った時に、
さすがに一箇所だけ就活に行くってやっぱり地方から行くのはもったいないんですよね。
ですると、やりたい自分の言語の分野が好きだったので、
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そういうところができて、何とかができて、こういう条件があってっていう、
その分野の中でやりたいことを絞って、
学校の先生にお勧めの病院を何か4つぐらい教えていただいたんです。
そこの見学に行くところ以外にこういうところがいいんじゃないのっていう風に言っていただいて、
でも正直私はもうそこに行くつもりだったので、
別に見学はどこでもいいなと思ったんですね。
でして、すごい失礼な話なんですけど、
ホームページが一番きれいな病院に見学に行こうと思って、見学に行きました。
で、見学に行ってみたら、街並みとしてもすごくこう住みやすそうでしたし、
何よりそこの病院が掲げていたモットーというか、
理念がすごく自分が目指していた言語聴覚思想に近いなと思って、
行ってみたらそっちが本命になってしまって、
帰る頃にあ、じゃあここに癌症を出そうと思って、
就職試験を受けて受かったのが今の病院です。
なるほど。
なんかあれですね、その時にやっぱりここだって思ったものを思い続けるというか。
考えなしなんですよね、たぶん。
本当にこう偶然というか、ホームページがきれいだったというわけで、
今の職場に出会えたと。
そうですね、なので全然就職活動をして病院に見学に行く、
1時間ぐらい前までどれぐらいの規模の病院で、
何をやってる病院なのか正直あんまり知らなくて興味がなかったので、
でもさすがにちょっとお会いする上で失礼だなと思って、
ちょっとまあ調べてみるかぐらいの感じの前情報で行きました。
はいはい、なるほど。
で、まあじゃあそこに就職をされて、
はい。
もう今何年ぐらい働いてるの?
今は春で6年目になりました。
どうでした?実際にその憧れのお仕事についてというか。
そうですね、本当に恵まれてる話だと思うんですけど、
すごく楽しくて。
もちろん思っていたより大変なことだったり、
やっぱりこう人様の人生を一部とはいえお預かりする仕事の、
すごく重みは感じるし、苦しい仕事ではすごくあるなと思うんですが、
やっぱり思い描いてたことだった、
そのコミュニケーションとか食事の面から、
誰かの幸せに一緒に寄り添うっていう仕事としては、
本当に楽しい仕事だなあ。
寄りがいがあってありがたいなあと思ってます。
うーん。
そっか。
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ずっとそのコミュニケーション、
アオイさんとして仕事に、
なんて聞けばいいんだろう。
難しいね。
そこがずっと自分が携わりたい領域でもあって、
実際にその道を通りながら、
ちゃんと貢献できてるみたいな実感というか。
だといいなあとは思いますね。
実際にあれですよね。
病院の中に入っても多少移動というか、
役割が少し変わったりとかっていうのもあったりするんですか。
例えば担当するお客さんの、
お客さんじゃないね。
患者さんの。
職業病みたいな言い間違えちゃった。
担当する患者さんの、
それは全部細かくっていうことは別にないんですけど、
いくつかのフェーズとかがあったりするのかなとか、
勝手に想像をするんですけど、
お子さんもいれば高齢者もいるのかなとか、
そういうのって結構変わってったりするもんね。
そうですね。
病院によっては本当に多岐にわたる方をお一緒するっていう場合もあるんですが、
当院だけの話で言うと、
基本的にお若い方だと40代ぐらい、
上の皆様だと90代、100歳代ぐらいの皆様と
お一緒させていただくことが多くて、
それこそ入院だと本当に治療が終わって、
どれぐらいそうですね、
早い方だと2週間後とかにうちにいらっしゃって、
まだ意識もあまりないような方、
治療がもちろん済んだとはいえ、
例えばそうですね、
頭の骨をまだ入れられないような、
腫れが引くまで待たなきゃいけないんですけど、
なので片方骨が入っていないような、
いわゆるちょっと意識のあまり、
まだはっきりとなさってないような方もいらっしゃいますし、
お一緒する中には、
イメージしづらいと思うんですが、
お体はしっかりまひなく動く、
全くはたから見てると問題がないけど、
言葉が話せなくなってしまった方だったり、
記憶が新しいことが覚えられない方とか、
そういういろんなご症状の方がいらっしゃるので、
その方々に合わせて今までどういうご生活をしてて、
今後どういうことがやりたくて、
じゃあどういうことをできるようにならなきゃいけないのか、
現状何が大変なのかっていうところを制御して、
その方々に合わせて目標を立てて、
一緒に頑張っていくっていう感じですかね。
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答えになってますか?大丈夫ですか?
患者さんの病状だったりということとか、
あとは最終的にどうなりたいかじゃないんですけど、
こうちゃんとすり合わせて、
その上でのケアというか、
本当に全然やることも変わってくる。
そうですね。
やっぱりもちろん皆様、
病気がなかった時に戻りたい、
っていうところはもちろん一緒だと思うんですけど、
やっぱり現実、それが全て叶うかと言われると難しいことも多いので、
その中で、じゃあこの目標だと達成できそうとか、
お家に例えば帰るためには、
ご家族がこういう支援が必要で、
こういう社会サービスを使えば、
ご生活が遅れるかもしれません、
っていう選択肢をいくつか提示する中で、
いろんなことを決めていくっていうご提案をさせていただいたり、
実際にじゃあお家にお伺いして、
どこら辺に手すりをつけたらいいのかっていうことを、
例えば理学療法士さんとか作業療法士さんが考えてくださったものを元に、
じゃあどうすれば、
例えば記憶が持たない方はどうご生活がしやすいのか、
みたいなことをチームで話し合って考えていく、
っていうような仕事をしています。
なるほど。面白いですね。
何だろう、想像、もう少し何か想像してたのっていうのは、
その機能そのものを回復するためのリハビリ?
そうですね。
例えば、僕昔故障した時に、
理学療法士さんのお世話になったこととかはあるんですけど、
それでマッサージしてもらいたいとか、
ちょっと動かしてみたいとかあって、
それのもう少し言葉とか、
食べることに関わるっていうイメージ、
もちろんそれもあると思うんですけど、
何だろう、かなりビジネスっぽい職種に引き付けてると、
かなりコンサルティングに近いのかもなって思って、
ちゃんと暮らしを取り戻すじゃないですけど、
こういうふうにまた暮らせるようにしたいっていうのを聞いて、
それで手すりの位置まで提案したりとかっていうのは、
かなり関わり方の面が広いというか、
すごい奥深いなっていうのが楽しいのかわかんない。
そうですね、確かに。
一人の患者さんに対しての生活を見るには、
やっぱりいろんな側面から物を考えなければいけないので、
手すりのことはあくまで一例なので、
私たちが専門的に何かを述べることって本当に少ないんですけど、
例えば、毎朝モーニングを食べに行くのが楽しみだった方だったら、
じゃあペラペラのパンだけ食べれればいいかっていうと、
そういうわけじゃなくて、
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じゃあ食パンの焼いたのがそのまま丸かじりできる幸せがあるって考えたら、
ちっちゃ口切るじゃダメだよなとか、
そういうことを考えてますね。
お一人で暮らしてるってなるけど、
お孫さんとビデオ電話するのが楽しみだったんだったら、
じゃあ自分で設定できるようにならなきゃいけないのかとか、
そういうその方が何を楽しみにして、
どういうふうに暮らしていきたいかっていうところを考えて、
一緒に考えさせていただいてるのかなと思います。
それってでもすごくこう、ものすごく想像力を駆使しないと、
自分と50も60も離れてるおじいさんとかの、
しかもそれはこう、みんながみんな、
いやもう僕はパンをね、分厚いパンを食べるのが楽しみで、
多分彼女も言ってくれるわけじゃない。
そうですね。
それはこうじっくり聞いていったり、
想像力を強く働かせたりっていうのがやっぱり大事なの。
どうやって掘っていく?
基本的にこういろんな職種で関わっているので、
そういう道筋を作ってくれるのは、
医療療法士さんがそういう分野はすごく得意なんですよ。
なんですが、
例えば私がお医者させていただくような方だと、
ご病気の影響でうまく言葉がお話しできなくなった。
これは路列の回りにくさもそうですし、
そもそも話したい言葉が浮かばなくなってしまう、
っていう後遺症があるんです。
となった時に、
ご本人は思ってらっしゃること、伝えたいことはたくさんあるけど、
それを伝えることができない。
っていう時に、間に言語聴覚師が入って、
例えば何でしょう?
オープンクエスチョン。
どういうふうにしたいんですか?って聞くと答えられないけど、
じゃあこれとこれだったらどっちがいいですか?って言うと答えられそう。
っていうコミュニケーション手段だったりですとか、
漢字で書いた方が伝わりやすいですとか、
声の方がいいです。文字の方がいいです。
どれがいいのかっていうところを専門的に検査を取って、
分析をして、
どうしたらご本人が表出しやすいか、
理解しやすいかっていうところを共有するっていうのも一つ、
手立てなのかなと思います。
かなり、
さっき自分でコンサルティングっぽい部分もあるなっていうことを言ったんですけど、
同時に全然その、
ある種ドライな部分とは真逆というか、
同時にそのすごく、その人の、
ちょっと大きい言葉を使って、その人の人生の物語みたいなものを、
ちゃんと読み取ってあげないといけないんだなっていうのが、
思いましたね。
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そうですね。
それはすごく病院の領域だったり、
働いてる環境によって違うとは思うので、
言語聴覚師とはこうですっていうのはおこがましくて言えないんですけど、
私個人の仕事としてはそういうことになるのかなと思います。
ありがとうございます。
ちょっとね、タイミングがあれなんですけど、
後半でもうちょっと詳しく聞いていこうかなと、
よろしくお願いいたします。
引き続き、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。