ゆきママの自己紹介
スナック愛と毒 1分だけ付き合って。
スナック愛と毒は、ちょっと独絶で、でも愛が重いゆきママが、あなたの持つ愛と毒をおつまみにして語り合う番組です。
ちょっと聞いて、何あれ見た?とわざわざ誰かに連絡して話すことでもない日常のあれこれを、ここで吐き出していきませんか?
そしてこの番組、ただのポッドキャストじゃないんです。
このスナック愛と毒の実店舗オープンや、イマジストリームというオーディオドラマ企画を通じて、大阪でドラマ制作会社をつくるという夢を追いかける挑戦でもあります。
もしわかる、応援すると思ったら、ぜひフォローと高評価をポチッとお願いします。
あなたのその応援が、この夢を形にする大きな力になります。
それでは、今回もゆきママの愛と毒をたっぷりお届けします。最後までゆっくりしてって。
それでは、乾杯!
12月になって初めての配信ということで、またちょっとオープニングを変えてみましたが、いかがでしょうか?
みなさんお元気でしょうか?ゆきママはあっという間にシワスが来て、引いてます。
時の流れの速さに、っていう話って毎年しますよね。
年を取るって、時が経つのが早いと言いますが、でもあれですよね。楽しいってことなので、それって。
その1年間が、もうあっという間に過ぎてしまうぐらい楽しかったということだと思うので、いいことだと思っております。個人的に。
なんかもうね、ポッドキャスト始めて1年と2ヶ月ぐらい?3ヶ月目になるんですけど、
平日の夜とか、ポッドキャストの編集とか、サムネイル作ったりとか、
何かしらが、ポッドキャストに関わることをやってなかった時って何をしてたんだろうって思うぐらい濃かったから、
あんまり何かね、覚えてないっていうね、不思議なことに。
まあ、でも本当に無駄な時間を過ごしてたような気がするな。スマホ見たりとか。
ゆきママの職業経歴
さあ、今回はお便りをいただいておりますので、ご紹介させていただこうと思います。
顧客No.5のKUSUさんです。アルファベットにしたら別人になるあのお方です。
はい。ウィーン、ガチャン、バリーン。
なんか終わったな。
ゆきママ、ただいま。とりあえず、バースデーシャンパン出してや。
え?KUSUさん誕生日やったのかな?
おめでとうございます。じゃあ今日はママからドンペリをあけましょうかね。
はい。でさあ、今日はゆきママの職業ちゃんぽん歴について教えてくれた漏れ?ってのも、
わしも高校卒業して新卒、18歳で入社した会社を3週間で辞めて、それを皮切りに数ヶ月単位で転職を繰り返してきて、
20代の行きつけの場所はハローワーク、趣味履歴書書き、特技退職願い書きってなぐらい職を転々としてきたんよ。
22歳までに9社、時間単位で辞めて帰った会社を合わせると、軽く10社超えとんじゃなかろうか。
血の毛盛んな20代前半なんて気に食わないことがあれば全部投げ出しても失うものなんて少ないですからね。
世の中的には職を転々とすることは良くない印象ですが、
いろんな経験ができて、今に活かされとるけん、わしゃしょうもない人間関係を我慢せずに転々としてきてよかったと胸を張って言えます。
ゆきママの職業ちゃんぽんとは意味が違うかもですが、ゆきママのちゃんぽん歴もお聞かせくださいませ。
そういうことを誰かがツイッターで書いてたからお便りしたわけじゃありませんからね。
んじゃ、ごちそうさま。ちょっと先の焼き鳥屋で飲み直すけん終わったらキーヤートのことでいただきました。
ありがとうございます。そうですね、クスさんにそんな話をツイッターでしたような気がしますが。
はい、すごいね、すごい辞めてはるね。私多分負けてんじゃないかな、数で言うと。
プロフィールにね、職業ちゃんぽんってそのちょっとスナックのママにかけてみようかなっていうワードがなんか思いついたんでしょうね、たぶんプロフィールを書いてた時に。
結構ちゃんぽんしてる方やと思うけど、9もないかも、私。全然少ないかも。
でも、今34歳でまた私辞めるんですね。だからその記録がちょっと更新されるんですけど。
確かに前、夜の職務経歴書っていうタイトルで石川さんとちょっと夜の履歴、どんなことをしてきたのかみたいなのを軽くしゃべったエピソードがあるんですけれども。
その昼の話ってあんまりしてないなと思ったので、この話をしてみたいなと思いまして考えてみたんですけど。
もともと私も嫌なことがあれば、気に食わないことがあれば、会社だったりとかそういう気に入らない人が変わってくれるよりかは、自分が辞めた方が早いし、変えた方が早いから、その辺もせっかちなんでしょうね、たぶん。
もう無理やなって思ったらすぐ辞めちゃってたので。
でも確かに時間単位で辞めて帰ったりとか、数週間で辞めるはないかも。数ヶ月で辞めるはよくしてたな。
で、同時に引っ越すから結構家もてんてんとしてて、でその間キャバクラとかで働いていることがあったので。
えっとね、一番最初というか、もともともう高校生の頃から学校生活というものに馴染めないタイプの人間だったので、
高校生の頃からまあ部活に入るぐらいならお金稼ぎたいなと思って、
高校1年生の春、もう16歳になる誕生日を迎える前の4月からコンビニでアルバイトを始めて、
で、16歳の誕生日を迎えたら居酒屋で働けたんですよね、当時。今もなんかな。
なので居酒屋のバイトに変わって、で高校2年生とか3年生とかもカフェとかで働いていて、
大学に上がってから多分一番最初にアパレルで働いたんですよね。
メンズのアパレルショップで働いて、でなんかこう3年生ぐらいになってくると結構みんな就活とか普通はね、
行くんだと思うんですけど、私はちょっともうみんなと同じことなんてやらないぜみたいな。
あの天野ジャックガールだったので、でそんなに意味を見出せなくて、
あんななんか同じような格好して、なんか練習させられた面接の文言みたいな言って、
それを良しとする、それ以外に何かこう見抜く力があるように思えないようなおじさんたちのところに採用されてもって思ってしまって、
やらなかったんですよね、就活を。で、親のお金で海外留学させてもらったりとか、
1ヶ月とかですけど、夏休み利用してオーストラリア行ったりイギリス行ったりとかしてて、
すごい楽しかったし、英語はその時から結構好きで、なんか字幕なしであの映画を見たいなとか思ってたりしてたんですけど、
その後まあ就職しなかったから、その時当時外資系のアパレルブランドで働いてたのかな、
そのまま働こうと思って、まあいわゆるフリーターになるっていう、大卒のくせにフリーターになるっていう選択をしたんですよね。
でもそこも、まあなんかせっかくその外資系で英語喋ったりとか、海外の人が視察に来た時に、なんかこうお仕事的に外資っぽい感じがあんのかなと思ってたけど、
全くないし、結局なんか飽きたじゃないけど、なんか半年ぐらいか、8月ぐらいに多分辞めたんですよね。
で、まあ立ち仕事でしんどいし、もうなんか接客業、アパレルとかもう嫌と思って、その後に広告代理店、求人広告だったりとか美容系の、まあいわゆるリクルートの広告代理店に入って、
ホットペッパービューティーに掲載しませんかみたいなアポ取りの新規の営業みたいなのやってたんですよ。
もうね、あんなもんやるもんじゃない。
で、その時もやってみます。やってみた。8月ぐらいか多分1年弱ぐらいやったんかな。やったけど、なんかその意味がわからない。
広告代理店でその大手サイトに載せる営業をするっていう、めちゃくちゃ無意味やんって思ってしまって。
だって自分が逆に美容室のオーナーさんやったりとか、なんか飲食店の経営をしていて、誰か求人出したいなとか、お客さん呼び込みたいからなんかサイトに登録しようかなって思ったら、
リクルート本体に電話するやん。なんかその辺でぽって入ってきて、忙しい業務してる時に営業かけてくるやつのところに、思い出したとて電話しようなんて思わんしとか思っちゃって。
でも結構成績良かったんですよ私。このままのテンションで。とりあえずアポさえ取れればよかったから。
ノルマ的なのはこなして、インセンティブとかもらったりとかしてたけど、なんか別に誰の役にも立ってないというか、思わないなと思って。
で、やっぱりあれやな。海外に行こう。海外でかっこいい人と結婚して、向こうで子供もみたいな。
安直な考えで、若かったし、23、4とかの時やったから、オーストラリアのワーホリーを調べ始めて行くことにしたんですよ。
で、とりあえずお金貯めなあかんしって思ってて、そのリクルートの広告代理店で働いてる時は、本当に当時から奈良に住んでることが嫌で嫌でしょうがなかったから、
社会人になって速攻で、大阪の割と治安の悪めのところで一人暮らしを始めて、一人で住んでたんですけど、お金が貯まらないから、そのままケバクラも働きつつ、オーストラリアに行くまでのお金を貯め始めたんですよね。
で、その間に派遣会社に登録をして、テレビの関西のテレビ局の契約がちょっとだけ短期で出してるみたいな求人を紹介してもらって、
そこで働いて、夜も働きながらオーストラリアに行く準備をして、お金を貯めてオーストラリアに行きました。
で、オーストラリアでも英語なんてほぼほぼ喋れない、聞いたことあるぐらいのレベルで言ってるから、大した仕事にはつけなかったんですけど、そこも結構いろんな人生のターニングポイントだったりとか、
自分がいかにちっちゃい世界で生きてたかみたいな、奈良が嫌とか、学校がどうとか、死ぬほどどうでもいいことで悩んでたなって思う1年間をちょうど過ごしたんですよ。
で、最後の最後にももちゃんに出会って、それを収穫として私は日本に帰ってきたから、人との出会いがあったのはすごい行ってよかったなって思うとこやし、
大学も私、みゆきに出会うために行ったと思ってるし、オーストラリアもももちゃんに出会うために行ったと思ってるから、もう友達に出会えたことが全ての財産ではあるけど、
英会話スクールでの成功
で、帰ってきてからは、一応ね、英語を使いながら、形は暮らしたわけなので、バイトしたりとかしながら、お土産屋さんで働いたり、ホテルで働いたり、飲食店で働いたりとかしてて、
それを活かさなくちゃと思って、子供向けの英会話スクールで働き始めたんですね。
で、そこも一人で校舎運営をしないといけないっていうところやったんですけど、契約社員で、で、それがあまりにも安すぎて、17万ぐらいとかしかもらわれへんかったんちゃうかな、当時。
やけど、12時に校舎が開いて、レッスン、最後のレッスンが終わる9時半とかぐらいまで授業があって、みたいな、なんか割に合わない仕事をしてたんですよね。
外国人の人とも関われるし、子供はもともと好きやから楽しかったし、で、営業のスキルも活かせて、私ここで多分抜群の成績を残して辞めたんですよね。
で、その辞めた理由も、今までにないぐらいの生徒の増加をさせたんですよ、ある校舎で。
で、めちゃくちゃ、なんか前代未聞ぐらい、でもその事務作業とかも全部自分でやらないといけないし、なんか成績として残って、ほんまにね、評価されんのやったらいいけど、
されもせんへんのに、自分で頑張ってしまって、生徒を増やせば増やすだけ、自分だけ一人忙しくなって、その評価が、なんぼやったっけな、5000円?5000円上げます、みたいな、手当を。
で、それも、前代未聞、5000円を手当として給与アップさせてあげるなんて初めて、みたいな言われて、
あ、こんだけ頑張って、こんだけ成績を残しても、これぐらいの評価なんだったらやめます、って言ってやめて、で、そのタイミングで、そういうことをやってるのを、
エリアマネージャーみたいな人が見てくれてて、もっと正社員で、バリバリ自分が本当にやりたいこととして、子供に英語を広げたいと思うんやったら、紹介するって言ってくれて、
で、知り合いの、この英会話スクールを立ち上げたい、みたいなことを言ってる会社さんに入ったんやけど、それがもう、えっとね、兵庫県の瀬戸大橋があるところ、
ホステスからテレビ局へ
らへんのちっちゃい塾に行ったんですよね。それもでもね、1年ぐらいでやめたの。あの、子供向けの英会話スクールはちょっと続いた。2年、2年ぐらい続いた。
別になんかこう、一生の使命を掲げるような仕事じゃないな、別に私何が好きやったんやったっけ、とか思って、で、その辞めるタイミングが、ちょうど2019年とかやったんよね。
ちゃうわ、そうやな。2018年とかか。で、最後に、またその仕事を辞めたタイミングで、ヨーロッパの旅行に行ったんよね、友達と。
フランスとスペインに行って、その無職を謳歌してから、よしじゃあ何が好きなんかわからへんけど、とりあえずお金があればなんとかなるって思って、本腰入れてホステスをやろうと思ったんですよ。
その兵庫の山奥の英会話スクールにいた時から、通って神戸市内のホステスをやってたんですよ。クラブで。ママがいて、ちーママがいて、みたいなところで。
それだけそのいろんな人と関われることはすごい楽しかった。私、夜がずっとやってたらよかったんかもって思ったよね。
で、思ったけどコロナが来るんですよね。で、神戸に引っ越して住んでたけど、コロナでもう緊急事態宣言の1回目の時点でもう完全にロックダウンというか、店もちろん開けないし、
これはもうあれか、神様がこの世界におったらあかんって言ってんのかなとか思い出して。で、その時になんかいろいろ何ができるんやろう、何がやりたいんやろうみたいなのを考えてたから、検索したら出てきてしまう診断サイトみたいなのをもう多分全部やったんちゃうかなっていうぐらいやって、
で、もう何も向いてない。別にやりたい仕事なんかないしって思ってたよ。でも、その過去を辿っていったら、私が好きなことってもうワンピースとジャニーズしかないってなったから、そうやん!円溜めやん!私がやりたかったことって!と思って、
なんでそこ頑張ってけえへんかったんやろうって思って、その一瞬だけ派遣に登録して、そのテレビ局でバイトしてた時も楽しかったやん!みたいな。
芸能人が来て、その時あの、当時中学の時に熱狂してた方にお会いしたことがあって、そんなこととかがあったら生きていけるやん!と思って。大阪でもね。
チャンスは少ないけど、その一瞬のために仕事に行こうって思えるやん!ってなって、よしじゃあテレビ局で働こう!って思って働き始めたんよね。
オンラインスクールと起業家支援
もう一回、うんよくバイトで受かって、そこがもうめっちゃ楽しかったの。それも関西の警局で働いてて、そこの人事の人が、面接してくれた人が、
アルバイト担当やけど、私と同い年やったんですよ、その時。で、その人に、なんか他の部署でも空いてるとことかってないんですかね?みたいなバイトって募集してないんですかね?って言って、
みゆきを誘って、私がそこで働き始めた1ヶ月後に、みゆきもその同じ職場で働くことになったんですよ。
まあ毎日、女友達が一緒にいるときって、死ぬほどくだらない話もするけど、お互いのその時のことだったりとか、飲み会頻度で会うレベルじゃないぐらい、
週5日?7時間?8時間?まあちょっと部署は違うけど、お昼毎日一緒に食べてってしてたら、大学の時に戻ったみたいなアウトプットを毎日してたから、
結局、自分がいたいのはこの世界やし、やっていきたいのはこういう仕事やし、これがなんだろうな、好きなことなんだろうなって思って、
その職場環境が、バイトやからめちゃくちゃ暇やって、職場でも時間を持て余すみたいな、ずっと座っとくか、みゆきとお茶するか、おやつ食べるか、みたいなことばっかりしてて、
じゃあもうパソコンも何の制限もかかってない会社やったから、そこのパソコンでオンラインの勉強をしようと思って出会ったのが、
シーライクスっていう女性向けのオンラインスクールみたいなのを受講して、なんかこう、自分が得意なこととか、あんまりそれが仕事になるなんて思ってなかったけど、
え、ゆきこんなことぐらいやったら代わりにできるんちゃう?みたいなことをみゆきが言ってくれるから、やってみようと思って、
なんかマーケティングだったりとか、ライティングだったりとか、確かに好きやなって思うスキルをつけようと思って入会したんですよ。
で、入会してからすぐ、ネクストファウンダーズっていう、なんか女性起業家を輩出するために、
ポーラとオルビスのキャピタル、ベンチャーキャピタルっていう投資する会社さんみたいなところと、
そのシーライクスっていうところが共同で、その企画みたいなのを立ち上げて、起業家を応援しますみたいなのをやるっていうのがあって、
自分がやりたいことって、そもそもそういう会社で働くの向いてないから、それを考えてみようと思って、
その患者にが脱退したりとか、そういうことも人生の中でいろいろあったりしたから、
なんていうかな、エンタメの世界がもう1回自分が中学生の時とかに思ってた感じのキラキラした世界に戻ってほしいなと思って、
みんなで作れる2チャンネルみたいな動画投稿サイトがあったら面白いのになぁと思って、
で、ファン主体になって、こういう脚本家さんとこういう監督とこういう俳優さんでこういう作品が見たいみたいなのを自由に投稿して、
それを出資しますよっていう人だったりとか、出たいですみたいな人も、
全部自発的に、能動的に動く人たちばっかりが集まって、なんか作品が作れたらいいなぁって思って、
で、その企画案をイマジストリームっていうオーディオドラマの、今ね、愛読でもやってるオーディオドラマの企画の、
イマジストリームっていうサイトを立ち上げるっていうピッチコンテストに出るやつに応募したんですよ。
で、それが1期生として10人に選ばれて、最終までは行けなかったんやけど、それまでにそのメンターの人っていう、
いろいろ相談に乗ってくれたり、こういうところもちょっとじゃあブラッシュアップして、
こういうところを考えていきましょう、自分でできる範囲のテストマーケティングをしていきましょう、
インタビューとかもしていきましょう、みたいなのをやってくれたりとかするメンターさんがついてくれて、
チームで行動するみたいなのをやってたんですよね。
で、その後にプレゼンだったりとか、もう5分だったら5分って決まった時間で、
自分でスライド作って、自分がやりたい事業の収支計画書とか事業計画書みたいなのを作って、
プレゼンするみたいなのをやったんですよね。
で、それが結構大きかった、私の中で。
ポッドキャストの開始と新たな挑戦
んで、やってダメあった後かに、ポッドキャストをやればいいんじゃない?これでっていうのと、
そういうそのイマジストリーム自体は自分の割と私理主欲というか、
アイドルとそのエンタメの世界がもっとキラキラしてほしいって思って考えたけど、
応援してくれる人は集めなあかんってなって、
私がこういうことをやりたいんですって言ってることをめっちゃわかるみたいな、
もう二度とそういう組織が崩れてしまった時に、
なるべく傷つくファンが少なく済むように、
なんか汚い間に入る、何もしないくせに中抜きだけするようなおじさんたちがいなくなればいい、
そういう人たちがいない世界で、アイドル本人たちも活動してほしいなって思ってることが、
わかるって言ってくれる人、私もそう思うって言ってくれる人を集めないと思って、
私のこの考え方に賛同してくれる人だったりとか、
それを応援したい。何かあるんやったら、ゆきママがそれをやりたいって言うんやったら、
なんか拡散もするし、クラウドファウンディングもやるんやったら出すよみたいな、
言ってくれるぐらいの同士を集めたいと思って、
ポッドキャストを始めたんですよね。
だからその自分の考え方だったりとか、あれが嫌いとかこれが好きみたいなことを洗いざらい、
喋っていく番組を作ってみようっていうので、
ポッドキャストをやって、
仕事の中での人間関係のストレスが結構少ない環境をやったからこそ、
自分の内面を見つめ直すというか、向き合える時間が作れたっていうのと、
やっぱりほんまに何より毎日週5日で、下手したら夜ご飯を飲みに行ったり、
土日も一緒にみゆきとおったっていうのがでかくって、
で、みゆきと喋ってるうちにそれをどんどん形にしていくことが、
一番私の生きていく上でストレスが少ないんやろうなと思って、
ポッドキャストを始めた。
でもそのタイミングで、その契約が満了になってしまって、
テレビ局のアルバイトが。
でもそこから完全に振り切るっていう勇気はなかったよね。去年ぐらいか。
ある程度お金を貯めながらじゃないけど、やりながら、
それが今後このポッドキャストとイマジストリームっていう企画を立ち上げるときに、
役に立てるような業界というか、なんか役に立てる人脈が見つかりそうなところとかに行っとこうと思って、
探して、ちょっと別の関西の議局に。
もう私ほぼほぼ関西の議局網羅してんのよね。
やっぱり、なんか一緒やなって思うの。
テレビっていうものをイマジストリームで変えたい。
もうそのマスメディアと呼ばれる人たちが体制としては合わんかったんやんな。やっぱり。
だからこそだってイマジストリームやりたいって思ってんのに、
その世界におったら結局抱えるストレスは一緒やなってなって、また辞めることになって、
で、ここからもうポッドキャストだったりとか、この夢に向かってスナークアイトドックをオープンするっていうのもそうやし、
イマジストリームの企画を立ち上げるっていうのもそうやけど、
これを自分の将来の夢だと仮定して、動いていくために時間を作れる環境を作ろうと思って、
探したら、ほんまにね、風の時代が来てるんですよ。
こないだの11月20日から、地の時代から風の時代に変わって、
長く続けることだったり、自分がこう気づけてることが美徳って思われてたことが、
個人で輝くだったりとか、横の繋がりを大事にするみたいな時代が始まったんですね。いよいよ本格的に。
で、私がそう思って、ホロスコープとかとも出会って、そういうのを調べたりとかしてて、
あの時代のタイミングで、やっぱりこういう働き方はもうやめよう、こっちに振り切ろうって思って、
勇気が出たから、その後ポンって決まったの。あのフリーランスとしての仕事が。
で、それも全部今までの経験が生きてて、接客業も営業も、もともとの私の性格もあるかもしれへんけど、
自分がやっと得意やと思って、人の役に立てることをこの形でやればよかったんやっていう仕事を、
長期でもらえることになったから、その仕事をやりつつ、でもポッドキャストのこととかも話をしてて、
いついつまでにこういうことをやりたくて、今こういうことをやってるから、在宅で仕事ができるような環境っていうのを整えて、
やっていこうと思ってるんですっていうのを面接でも話をして、お話をいただいて、
もうね、そういうもんなんだと思う。自分がやってきたことの答えなんてないけど、そんなんないけど、
本当に職を転々とすること自体も、KUSUさんも言ってた通り良くないって言われてるけど、その時代はもう終わったので、
これをいかに良いこととしてアピールできるスキルがあるかとかにかかってくるし、
私結構大事な面接とかで落ちたことがないんよね。本当にアカンなって思う時は、向こうもアカンなって思ってるパターンが多かったりするから、
その辞めた理由も、何でここを応募しようと思ったんですか?何で今の会社を辞めようと思ったんですか?って言われた時に、
自分の中で裏付けを持って喋れてたら、別に落ちないのよ。自信あるもんだって。
この経験をして嫌な思いをしたから、自分はそういう上司とかそういう先輩にはならないって決めてるし、
自分の口で語れるスキルがもうめちゃくちゃあるから、それを面接でこのテンションで熱量を込めて喋って、
私、あんまり気に入らなかったこととかなくて、
自己責任と職歴の重要性
まあ、それを就活の時にやれてたらどういう結果になってたんやろうとか思うけど、
あそこにみんなと足並み揃えてやれって言われたら、この才能は開花してないような気がするから、やらんでよかったんやと思うよね。
どうせなんかね、嫌なことを我慢しないといけない時もある。もちろんあるし、
そればっかりをしないといけないっていうわけでもないけど、なんやろうな。
その、あれよ。自分で責任を取れるかどうかなの。
自分が就活をしてこなかったことも、職歴をいっぱい重ねてしまってることも、自分の人生として別に誰のせいにもしない。
もうその奈良に生まれ落ちたことはだいぶ恨んだりしてたけど、今となっては別にもう何とでもなる時代が来てるし、
今でこそその家で仕事するようにしようと思ったけど、
基本的に私は都会に行きたいから、奈良にずっといたら多分身が腐ってしまうので、
なんかバーチャルオフィスみたいな、レンタルオフィスみたいなところを1ヶ月単位で借りられるとこ探してて、
そこに一応自分は通勤する。
で、仕事しながら合間合間でポッドキャストの編集ができたりとか、
そういうブログとかホームページの更新とか結構時間がなくてできないって思ってたことをこれからやっていきたらいいなぁと。
自分のことを信じてたわけじゃないな、全然。
全然信じてなかったけど、自分でやったことの責任は取らないとって思ってた。
だって誰も助けてくれないから。
それを思って生きれてたら、全然職歴が多いことなんて絵でもないよ。
転職の時に、逆にそれを重視するような会社やったりとか、そういうのが落ちる理由になる会社に、
そもそも私が魅力を感じない、それが評価になる会社って私の性格には絶対合わないから、
そこに行きたいと思わないし、向こうも来てほしいなんて思ってないし、
同じことだけを淡々とできる人間じゃないから、それはもう他の皆様に任せておきたい。
仕事への取り組みと思い
私はもう全部自分で動いて、やれる仕事をやれる会社、それが評価になる会社みたいなところを探すのを諦めなかったし、
今も諦めてない。もし次も会わへんなとか、こういうのが働き方として違うなって思ったら、
変えると思うし、やめると思うし、それをずっと責任を取っていくって言っただけの話なので、
それはね、ちゃんぽんになるんやと思うけど、
KSUUさんよりは増しちゃうかな。
1、2、3、4、5、6、7。7か。でも、まあまあ多いな。
社で言うと7かな。
ちょいちょいのキャパクラとか入れたら何になるのやろ、それって。
ちゃんぽんやんか。
2足のアラジンを履いてた時期とかも入れたら多くなっちゃうんか。
でもね、偉いなって思う、私は。
ちゃんとそれぞれの仕事では一生懸命仕事はしてたから、悪いこともずるいこともしてないし、
逆にそのずるいこととかサボってる人のことがもう許せなくていい、許せなくてたまらなくてやめてきたことの方が多いし、
自分は真面目に人様の何?善意を無駄に取ったりとか、搾取するようなことはしないように生きてきたから、
それを多分語れる。
私は自分で自分のことを、いいところも悪いところもやってきたことと、やれなかったことだったりとかも全部しゃべれるから、
自信ってそういうものなのかもしれない。
わからんけど。
これが開き直りなのかもしれないけど。
はい、ということでちょっと詳しくお話ししてみました。
私の人生の半分ぐらいを。
ほな、今日はこの辺で閉店させてもらいますわ。
お便りくれたKUSUさんもありがとうございます。
エンディングも変わります。
スナック愛読ではあなたのちょっと聞いてよをお待ちしております。
また夜の保健室や大人の遊園地など企画へのお便りも大歓迎です。
お便りは概要欄のGoogleフォームからお名前とメールアドレス、内容の3つだけでOKです。
1分で送れます。
番組の感想もぜひSNSで教えてください。
ひらがなでハッシュタグ愛読をつけてポストしていただけたら全部見に行けますし、番組内でも紹介させてもらうかもしれません。
皆様の投稿が広がることでもっとお店が賑やかになっていくので本当に助かっています。
いつもありがとうございます。
ここまで聞いてくれたら番組のフォローと高評価もポチッとお願いします。
あなたの応援でゆきままの夢がまた一歩進みます。
家はまだ帰りたないわーって人はXやノートも覗きに来てください。
日々の愛とか毒とかプライベートの一面も投稿しています。
それでは皆様のまたのご来店を心よりお待ちしております。
また来てやー。