こんにちは。小説家の岩井圭也です。 ニュースコネクト文化欄のお時間です。
本日のゲストは、小説家の大谷晶さんです。
2025年、ババヤガの夜が、ダガー賞翻訳部門を日本人として初めて受賞し、注目を集める大谷さん。
今回は、小説家になるまでの道のりなどを伺いました。
驚きに満ちた大谷作品は、どのように生まれているのでしょうか。
それでは、本編をどうぞ。
ゲストは、小説家の大谷晶さんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。大谷です。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今日はね、お会いするのは実は2度目ということでですね、前回は某飲み会で。
そうですね。お会いして。
沖縄料理のね、結構こう、なんて言うんですか、下町的なね。
そうですね、ラフな。
ラフな感じの。
お会いして。
そうでしたね、はい。
でもその時、3時間くらいあれ飲んだ気がしますよな。
そうですね、結構長く飲んでましたね。
今回、番組読んでいただいて1個だけ懸念があって、最初に1度だけお会いした時、岩井さんとお会いした時に、私に酒が入っていたっていうことで、
多分、結構調子よくペラペラ喋ってたと思うんですけど、あれは酒を飲んだ時に現れてくれる、このコミュニケーションの妖精さんみたいな状態で。
じゃあ、大谷さんの飲酒バージョンの人と喋ってたってことですね。
そうですね、あれよりはちょっとテンションがあそこまで上げられないシラフだというのがあるので、大丈夫かなと思いながら。
シラフバージョンの大谷さんの話も聞けるということで。
よろしくお願いします。
ポッドキャストってどうですか?初めてですか?
ラジオなどは何度か読んでいただいたことあるんですが、ポッドキャストは多分初めてなような気がします。
貴重な第一回ということで、ありがとうございます。
じゃあ、はじめに大谷さんのプロフィール、私からご紹介させていただきます。
1981年、東京都の生まれです。
2021年、ババヤガの夜が日本推理作家協会賞長編及び短編集部門の最終候補となります。
同作の英訳版、ザ・ナイト・オブ・ババヤガ サム・ベッド翻訳が、
2025年7月、英国推理作協会賞、田川賞の翻訳部門を日本人として初めて受賞されます。
また、ババヤガの夜は、アメリカのLGBTQプラス文学における最高報道されるラムダ文学賞ミステリー部門にもノミネートされました。
その他の著書に、完璧じゃない私たち、君の6月はコール、体は私の何なんだ、などがございます。
そして、2026年10月5日、就営者から新刊、令和元年生まれ、ルリカ50歳を刊行されましたということでございます。
はい、ということで、ババヤガの夜が受賞されたのが、ちょうど1年ちょっと前ぐらいですね。
そうですね、ちょうど1年少し前ぐらいで。
なんかやっぱあれがあってから、すごくこう露出とかも増えたと思うんですけど。
そうですね。
ちょっとどちらかと言っても、うんざり目の顔をされてますね。
本当に顔出しとかそういう表に出るのがあまり得意じゃなくて、説得力がないと言われるんですけれども、あまり目立ちたくない。
すごくこう、格好的にご存じない方に言うと、全身タトゥーとピアスだらけの人間で非常に目立つ要望ではあるんですけど、気持ち的には目立ちたくないんですよね。
なので、そのためにもっと世界人類がピアスとタトゥー入れればいいなと思ってるぐらいなんで、結構それで去年は割と大変、全くそれまで薙のような作家生活で全然露出なかったので、いろんな撮影とかあって、わーって
なってましたね。
もうそれもだいぶ一段落もうついてきたところですね。
そうですね、はい。
もう1年くらい。
落ち着いて。
というタイミングでの新刊ということでですね、後ほどまた後編でゆっくりお話しますが、僕もすごく楽しく読ませていただきました。
ありがとうございます。
ということでですね、前半はですね、大谷さんと何を話そうかなといろいろ考えたときに、やっぱりちょっとまずはご経歴というか、どういうふうに作家になられたのかというところからお伺いしていきたいなと思うん
ですけれども、
僕、いろいろといくつか大谷さんのインタビューを読ませていただいて、もう10歳くらいからいずれ小説家になってしまうだろうなと思われてたというのを読んだんですけれども、これは本当なんですか?
なんちゅうがけだっていう感じだとは思うんですけれども、でも実際そういう心持ちでなりたいとかいうよりは、10歳、11歳くらいで自分が世の中の王道というか、そこは歩けなさそうな人間だなっていうのがなんと
なくわかってきて、
大学行って就職して家庭を持ってみたいな道筋が自分の前に全く見えなくて、じゃあどうやって生きていくんだろうと思って、自分にできそうなことをその引き出しで、頭の引き出しで探したら、たぶん小説家ぐらいしか
ないのだろうなっていう。
それはもう10歳くらいのときに。
もうそれぐらいですね。
早いですね。早かったですね。
たぶんどっかいろんな脇道にそれても結局最終的になっているのはそれだなっていう感じがしていたんですよね。
なんか小説家ってやっぱりいろんな創作する仕事ってありますし、僕も実際この番組で映画監督の方とかプロデューサーの方とか来ていただくんですけど、漫画家の方とか。
でも本当に一人きりでできる仕事ってやっぱ小説家しかないかもなっていう。
そうなんですよ。そうなんです本当に。
漫画家の人ももちろんアシスタントとか入れずに書くこともできるけど、やっぱなかなかそれ難しかったりとか、ましてや映画監督とかは100人、200人。
何百人というチームがあるから。
本当に一人きりで家でできるって僕も小説家しかないかもっていうのは思ってて、僕もやっぱそれが向いてるタイプなんでやってるんですけど、読む本もかなりお好きだったんですよね。小さい頃から。
そうですね。もう他に娯楽がなかったっていうのも。
ちょっと個性的なご家庭というかご両親。
そうですね。家にテレビがないというかテレビの機械はあるんですけれども、南市町地域っていうのに入ってました。電波が入らない。
そうなんですね。
地デジ以前の話なんで、アンテナを立ててもテレビが入らない地域はケーブルテレビを引くか、パラボラ立ててスカイパーフェクティビみたいなのに入るかみたいなので、両方結構お金がかかるもんで、後々スカパ入ったり
はしたんですけれども、
基本的にはビデオデッキとテレビの機械でVHSだけ見れるみたいな、そういう環境でだいたい子供時代は過ごしてました。
じゃあもう本に自然と読むっていうことに。
そうですね。家にいっぱいあるのがそれだったので。
でも本はいっぱい結構読まれるご家庭ではあったんですか。
そうですね、両親が若い頃本屋を東京で本屋をやっていて、それを占めて北関東の地方に引っ越してっていう形だったので、本はとにかくいっぱいあって、何読んでもいいとは言われてたので、それはありがかったですね。
結構小さい頃からちょっとお話作ったりとかはされてたんですか。
してたみたいです。母が言うにはなんか字、ろくに書けない字で、絵よりなんか字の落書きをしたりしてた。
へー。
覚えてないですけど全然。
すごいこう、天才エピソードっぽいかなって。
なんかちょっといい話だなと思うんですけど。
でもそこからまあいろいろ多分本格的に書かれたのが、高校時代の同人誌みたいなのが多分割と本格的にあった最初の。
そうですね。二次創作中学生ぐらいから始めて、高校その先に至るまでずっと基本的には同人やったりとか、もうここしばらくは全然できてないんですけど、同人小説みたいなのはだいぶ書いてましたね。
今でもやっぱまだそのスピリットできてないっていう言い方だったと思うんですけど、スピリットやっぱまだ残ってる感じですか。
もうコアの部分にそのオタク性がある感じですね。
僕はあのさっきも少し話したんですが、君の6月は凍るという小説がすごく好きで、そこにですね、閉録されているのがベイビー一造東京様という小説なんですが、
多分これを読んでいただければ大谷さんがオタクというのがおそらく誇張ではないという。
そうですね。
詩小説ではないですけど。
まあでもだいぶ下敷きにはしてますけど、現実より逆にマイルドに書いてるところも結構あります。
もう日当の警備員をして山城ぐらいのシェアハウスに暮らしてた時期があるんですけど、その頃をベースにした話というか。
ちょうど同人活動もネットでみんなやり始め出したぐらいの時期だったので、そういうオタク活動をネットに発表してっていうことも変容してやってたっていう。
SNSじゃなくてブログと拍手機能でやりとりするみたいな。
まだ個人サイトっていうものがあって、ピクシブとかが本当に出始めてきたぐらいの時期ですね。
僕久しぶりに相互リンクっていう言葉やっぱり見ましたね。
なかなか最近では多分今の人にあんまり通じないかもしれない。バナーとか相互リンクとか。
文体も多分そうなんでしょうね。もうその当時の文体ですよね。
そうですね。2000年代オタク文体というか、みんなこんな感じだったと思うね。
同世代の人は共感性周知で申し上げていただけるんじゃないかなっていう。
私も二次創作はやってなかったんですけど、ネット小説文化には一時期浸ってた時があって、ちょっと本当にニヤニヤしながら読んじゃいましたね。
コメントとかね。独特のやっぱりテンションがあって。
言葉遣いがね。でも小説的なものを書こうとすると、現実よりマイルドになっちゃうというのはそうだなと思って。
僕もやっぱり自分の要素のある小説を書こうとした時に、本当の奥は加工したくなっちゃうというか。
そうですね。やっぱしんどいし書くのが。読んでちゃんとエンタメにならないだろうっていうのもありますし。
それはやっぱりわかりますね。
この小説も含めて、やっぱり同人誌的なものの土壌を僕感じることがあって。
大谷さんの小説って多分ですけど、世界から作ってるのかなっていう気がしていて。
いろんな人がいるじゃないですか。例えばテーマから決める人とか、人物から決める人とか、この事件を書くんだみたいな人がいるんですけど。
大谷さんはなんとなくですけど、その作品世界から作ってる感じがして毎回。
それは短編とかも含めてなんですけど、SFに限らず現代小説の中でも、例えば舞台になるちょっと地方の街とか、それごと作ってる。
ババア映画の夜で言ったらそのヤクザのいるお家の世界から作って、その中でキャラクターがいろんな話を作っていくみたいなイメージがすごくしていて。
そこがすごく大谷さんのその後に同人誌文化にいたっていう話をして、やっぱ同人誌文化もあれ世界が先にあるじゃないですか。
そうですね、もうすでに人が作ったものの世界の中に自分のあれを入れ込ませるっていう。
だからすごくもしかしたらそこって少し土壌としてあるのかなみたいなことはちょっと思いましたね。
まさに完全にその人物とかストーリー前にその舞台を決めてからじゃないと描け出せない。
本当にもうおっしゃる通りで、まず街なり家なりを頭の中なりその図面起こしなりで3Dにして決めてから描くタイプですね、完全に。
じゃあ基本映像で見えるタイプですか?
映像ですね、絵で見える感じ。ほぼ全部そうですね。
文章だけで浮かぶ人ってどうやってるんだろうって。
僕と違って文章だけタイプなんですよ。
そうなんですね。絶対自動的に絵が浮かんできてしまうので、もう止められない。
でもやっぱそれってすごくアクション描写とかですごくそれが多分魅力としてつながってるんだろうなと思ってて。
だといいんですけどね。
パワヤガだったりルリカとかもそうですけど、それこそ君の6月は凍るって二人称じゃないですか、二人称小説があるんですけども、
これは結構映像難しい気もしたんですが、やっぱりこれも見えてはいたんですか?
そうですね。映像というか本当にもう一枚一枚の透明のショットがやっぱり浮かんだんで、そこにつなげるように描いてた感じですかね。
面白い。やっぱ映画もお好きですもんね。
そうですね。本より多分映画の方がいっぱい見てる気がします。
それはやっぱり幼少時代からやっぱりそうだったんですか?
そうですね。さっきのビデオの話にも戻るんですけど、VHSだけ見れたのと、当時は本当にレンタルビデオ屋さんがどんな田舎にでもめちゃめちゃあったっていうのと、
私の母方の祖父が仙台にずっといたんですけれども、録画は趣味っていう。
録画が趣味なんですか?
今の時代聞くと何それって思う気もするんですけど、本当にビデオデッキとかが出始めの時期っていうのは、録画することそのものがホビーになったりする時代があったらしくて、
で、祖父もすごい映画好きだったんで、当初解局したてのワウワウに入ってずっと映画やってる。それを片っ端からビデオに撮って、タイトル書いて分類してみたいな、そういうことを老奥の趣味にしてて。
ワウワウはでもちょっとわかる気がします、なんか。
ほぼほぼもうVHSだからカビちゃってもうダメになってるのもあるんですけど、ほぼほぼ撮ってたんじゃないかなっていう。
それこそつんどくじゃないですけど、いつか見るかもみたいな気持ちが湧くんですよね。
そういう感じで、今だと配信サイトでブックマークして終わりですけど、あの感じで大量にあって、それを送ってきて、暇な時に、小学校あんまり行ってないんで暇だったんで、投稿拒否をしていたので、その暇な時間に
それを片っ端から見てたっていう。
小学生の時から。
そうですね。
でもそれがやっぱりすごく土壌になって、それが多分映像的な描写、映像で浮かぶことだったりとか、やっぱり世界設定から入っていくっていうことにすごくつながってるのかなって感じました。
そうですね、多分そうかもしれないですね。
やっぱりその一つの、まあババヤガンもそうですし他の作品も一部そうですけど、なんか暴力描写だったりバイオレンス、クロテスクなものだったりとかっていうのはやっぱり興味関心は結構強くあるんですか?
子供の頃から多分絵本とかでもちょっと怖そうな絵本とかもありましたね。
はいはい、ありましたね。
本当に子供向けなんだけど、そういう方により惹かれていくっていう性質が本当に小さい頃からあったらしくて、もうこれはなんか生まれながら、多分一番最初にはまったフィクションが、戦い超ロボット生命体トランス
フォーマー。
トランスフォーマー、はいはいはい。
ちょうどもう保育園、幼稚園と保育園の頃にアニメがやってて、めちゃめちゃトランスフォーマーが好きで、なんかあのコンボイ司令官のおもちゃとかクリスマスに買ってもらった。
コンボイ懐かしい。
覚えがありますね。
でもちゃんと戦いから言うあたりに、こうリスペクトがすごい感じがありますね。
マイケルベイの映画番組ではなく、初代アニメーション。
なるほど、そういうことか、なるほどなるほど。
でもやっぱりそこは、子供時代って結構ホラーとか怖いものへの興味が割と湧きやすい時期という。
そうですね。
うちの娘は小2で、そのなんか怖いものばっか見てるんですよ。
なんかそこで、でも小学生終わりじゃなくて、結構中学生高校生になってからも続いたという感じですね。
そうですね、ちょうど小学生、まああまり行ってはいなかったんですけど、高学年ぐらいになるとずっと家で本読んでたので、読める本の幅も広がってきて漢字とかも読めるようになって。
ちょうどその頃に、ライトノベルっていう故障はまだ多分なかったと思うんですけど、それ以前のあの朝日ソノラマ文庫とか商電社ノベルスで菊池秀幸先生の作品が結構ブームというかオタク的にブームになってて。
魔王伝とか、バンバイハンターDとか。
バンバイハンターね、今でも続いてますね。
今でも続いてます、すごいことです。
すごいことです、ほんと。
あの辺の菊池秀幸先生、栗本薫先生、田中由紀先生、あの辺のエンタメ、ファンタジーよりというか、あの辺のエンタメにはまってオタクの道じゃないですか。
もう一直線ですね。
もう一直線で、そのままもう鬼占めたようなオタクになっていったという感じ。
このね、なんかオタクで自称してる人実はそんなにオタクじゃない問題があるんですけど、大谷さんはまあその経歴もそうですし、やっぱり書かれるものを読むと多分間違いないって思われると思います。
そういういろいろなホラーも含めいろいろなものを読まれてきてるんですけど、僕やっぱりもう一つ感じるのは海外文学っぽいなっていうことを毎回すごく結構感じることがあって、なんか結構やっぱり日本のエンタメ、
日本の純文学っていうふうに、僕も含めてなんですけど、書いてるとどうしてもなんかこういう感じ、日本小説らしいっぽい感じを踏襲してしまうというか、こういうことやっちゃいけないんだろうなみたいなのがなんと
なくあったりとかするんですけど、
大谷さんの小説の場合はなんかそれがないというかタブーがない、めちゃめちゃわかりやすいところで言うとババヤガの夜って言ったらちょっとね、卑猥な言葉とかがバーンって出てくるとか、でもそれって別に小説作品の
格を落とすことでは全然ないんだよなみたいなことが読むとすごくわかったりとか、やっぱりそういういろんなタブーの無さみたいなところ、ゆずむげさみたいなところがすごく僕は海外文学っぽいのかなって感じる一つの
要素なんですけど、結構読まれたりもするんですか?
そうですね、高校に入ってから高校の図書館で結構海外文学が読むようになり始めて、まず一番なんか未だに印象強かったのはブレッド・イーストン・エリスのレスザンゼロっていう、81年とかにちょうど自分が生まれた
ぐらいの頃に発表された
センセーショナルな小説で、ハリウッドとかロサンゼルスのすごいお金持ちの家庭の子供、大学1年生ぐらいの若い子たちが刹那的な社に構えたような生活を送って、そこになんかバイオレンスも入ったりとかして、でも
なんか死滅っぽくならないでみたいな感じの風景が延々と描かれていて
とちぎの貧乏人にとっては本当にショックで、そんなかっこいいものがあるのかという タイトルもいいですよねレスザンゼロ
歌のタイトルからとったという、かぶれたというかそういうものを探し求めて読み漁ってましたね
僕それこそ君の6月は俺の話さっきしましたけど、ランズ・デールもすごく読まれた
好きですね、ランズ・デールはもう18過ぎたぐらいからかな、シリーズものがもう絶版になってますけど、門川さんから出てたハップとレナードっていうバディモノのミステリーというかアクションスリラーみたいなバデ
ィモノのアクションのシリーズがあって、それがめちゃめちゃ面白くて
今でも本国では出てるんですけども、日本ではちょっと翻訳が止まってしまっていて、っていうのなんですけども
なんか多分関係ないと思うんですけど、僕は君の6月はコールのタイトルとランズ・デールの凍てついた7月が、別にもちろん内容とか全然違うと思うんですけど
やっぱなんかタイトルの付け方みたいなところも含めてやっぱり少し海外文体みたいなところ、まあ海外文体、翻訳家のあれが大きな点ですけどね
私もそのランズ・デールのシリーズにはすごい文章的にはすごい影響を受けてるんですけど、もちろん原文ではなく、翻訳の蒲田三平さんの訳文がもう素晴らしいので、それに結構大きい影響を受けてるだろうな
っていうのを思います
そういうところはやっぱりすごく、別に駄賀賞を受賞したかいうわけではないですけど、やっぱり海外、日本に留まらない感じというか
高校卒業後は、その後すぐ東京に 東京に、逃げるように東京に 逃げるように
住民票も速攻で移したので、成人式の案内とかも来なかったっていう ああ、なるほどなるほど
で、そこから作家になれるまで10年ちょっとくらいですかね そうですね、この辺結構迷走してまして
18歳で出て、もう帰らんぞと思ってたんですけども 22歳ぐらいで、一回ちょっと精神的にダメになっちゃって、うつ病的なアレで
もう稼ぐ手段も仕事もなんかうまく見つからなくて、もう実家帰るしかないと思って 実家帰って、その実家後に帰ってきてしまったということがショックで
両親はすごい優しく受け入れてくれたんですけれども、もうまだ20代前半自分のことしか見えてないんで帰ってきちゃったっていうそのことそのものだけがショックで
またずーんと落ち込んで、もう記憶にもないぐらいなんかヘドロみたいな生活をしていて
固い決意の下、東京に出てきたわけですからね そう、出てきて4年で戻ってきちゃった、4年か3年ぐらいで戻ってきちゃったんで
もうだいぶショックで、自分自身にアイスをつかしてた時期があったんですけど、27ぐらいの時に
なんかもうきっかけというようなきっかけではないんですけど、まだもう27と思ったけどまだ27か、なぜか気持ちが上向いて
近所のスーパーで1年バイトして、28で10万円を貯めて、それに握ってまた仕事も何もないまま半分家でみたいな感じで東京にまた出てきたっていう
それが2度目の状況だったんですね 2度目の状況で、本当にバイト先すら決めてなくて、住む家もネットで見ただけのシェアハウスでようやったなと思うんですけど
それがまさにさっきの話の中で語られてた時代の話ですね そうですね、時代のもう本当に飛び出てきたっていう感じの
その頃は二次創作もやってましたね やってましたね、めっちゃやってました
その後、商業の作家になるきっかけみたいなのは何かあったんですか?
この辺が普通小説家になるのって基本は商に応募してそれで受かるとか、あとは今だとネットでスカウトとかもあると思うんですけど
はい、ありますあります 私は本当にライター、小説ではなくいろんな雑誌とかの細かい無記名の原稿とか
あと東京にいた時期に編集プロダクション、ごマンションの演出でやってるようなちっちゃい編プロでバイトをしていて
そこの社長のつながりとかでゲームのシナリオを書いたりとかもちょっとしてたんですね
それの人のつながりが一応インターネット上で途切れてなかったので、上京したので何でもいいから書く仕事ありませんかって言ったら
先輩とかが飲み連れてってくれたりとか本当に仕事をちょこちょこ回してくれるようになって
一回どっかの出版社とつながりができたらもうそこからは営業かけてこういうの書けます、これぐらい書けます
一応これぐらい書けますのサンプルで全然その普通のおじさんの編集者に自分の18期の当事者を
中身はどうあれこれぐらいのものが書けますっていう 普通商力はこうです こうですっていうサンプルとして恥ずかし気もなくどんどん渡して
いったらちょうど電子書籍が盛り上がり 第1次盛り上がりぐらいでいろんなとこが電子書籍に
1枚噛んできてコンテンツを作らなきゃいけないってオリジナルのっていう感じで
で小説を書く仕事がもらえてまあそれもあんまりヒットはしなかったんですけどそれ見た人が
うちで書きませんかしてまた書いてそれ見た人が書きませんかで わらしべ長者的に増えていって
いつの間にかちゃんと商業で書かせていただけるようになった 聞いたことないなり方だな
塗るとこの隙間を這いずってきて でもなんかやっぱショーかネットか自費出版からそのままみたいな方とか
いらっしゃいますけどきっかけは確かになんか難しいですね そうだからはっきりと始まった年代もよくわかんないですし
そのデビュー作はねあるとしても 一応紙の本で出たデビュー作みたいなのははっきりわかりましたけど
何で文章でお金をもらった最初っていうともう曖昧なんですよね だいぶだからまあ変な何かとしたなあというのがありますね
でもそこから10年くらいになるんですね だいたいで言うと そうですね専業になって今13、14年ですかね
それまでは派遣とかで仕事しながら併用でやってたんですけど だいたい1年に1冊ペースくらいな感じですかね観光ペース的に
もうちょい遅いかもしれない もうちょい遅いかもしれない 我ながらよく編集者さんにもどうやって食ってんですかって聞かれたことがあるぐらい
そんな直接的な質問来るんですね もうちょっとマイルドにおっしゃってましたけどめっちゃ野心の安いところに住んでるんで何とか塗ってます
やっぱスピード的にはあんまりそんなに早くない感じですか 優しく言っていただきましたけどめちゃくちゃ遅いです
今隣にルリカの担当編集者さんがこれが主演者がリード者だったらゴルゴを雇われてたろうなってずっと思ってて
締め切りってね本当にそうなんですよねなんかこうたまにいますけどね土下座して許してもらったみたいな話とか聞いたりはしますけど
土下座で許してもらえるんだったらもうなんぼでもしますわっていう気持ちになる時はありますけどね
でもそれこそ割と短くなるタイプなんですかね青谷さんはどっちかというと
削っちゃいますねもう削んないでくださいって最終的には言われたんですけどどうしてもこの刈り込みたいっていう気持ちが強いですね
でもなんかやっぱ必要最小限の文字数でやる方が美しいみたいな僕もなんとなく思ってて
なんか難しいんですけど多少こうなんか打則とかがあった方がその人の色が出る部分があるんでなんか難しいんですけど
そうですねそこ悩みどころですね馬場屋がそれこそ書いてた時はもう限界まで削ろうと思って実際短いんですけれども
まあでももうちょっとそこからまあ時間経ってなんかハンドルで言うとこの遊びの部分みたいなのがあった方が逆に読みやすいのかなと思い始めたりもして
多少はでも遊び的なところも描写もあったのかなという気も馬場屋がもしましたけれども
もうそれも計算の上でのなんか遊びみたいな感じでずーっとアクセル踏みっぱだとやっぱり読む方も辛いから
まあちょっと緩めるところでも緩めるとしてもこれぐらいまでっていう感じでギチギチでやってました
そうかだからなんかやっぱその影響もあるのかもしれないですけども大谷さんの作品を読むたびにそのすごいね構造強度の強さをすごい感じるんですよね
ありがとうございます なんかここ抜いたらもう成立しないみたいな場面の連続で本当にできてるってすごいギュッてなってる感じがするんですよね
やっぱそれはやっぱその刈り込む刈り込んでいくどんどん研ぎ澄ませていくっていうところになんかあるのかなという気がしましたね
そういう作業が多分楽しいんだと思いますね構成を考えたりその箱書き的な状態をちゃんと作ったりとかしないこともあるんですけども
どこをどう動かせばこのシーンが効果的になるかみたいなところを考えてるのが一番楽しいのかもしれない
そうなんか必然性がすごいというかそのやっぱ小説の中でもなんでこの人こういう行動したんだろうみたいな納得感がないことってまあ少なからずあると思うんですけど
大谷さんの作品はそれがないというかこう全員がもう完全な必然性の下で動いてるっていうのをすごく感じるんですよね
それもそれでちょっと遊びがなさすぎるな感は最近なんかもっとラフに書いてもいいのかもしれないとか思うようにはなってきてるんですけど
じゃあ結構馬場屋側とかも多分200枚ちょっとくらい
そうですね210、210ぐらいですね
だと思うんですけどじゃあ実際の原稿としてはもっと結構書かれてたんですか
うーんだいぶまあ250ぐらいは書いたのかなでも結局もう書いては削り書いては削りなんでトータル分量がわからないんですか
一回書いて削るんじゃなくて書いて削るんじゃないですか
途中で途中で削ってちゃう
そういうことなんですね
だから時間がかかるのかもやめた方がいいのかもしれない
これ新刊の令和元年生まれる理科50歳はこれ500枚以上ありますよね多分
そうですね月刊連載途中までは毎月ちゃんと出してたんですけど最後の方になって止まってしまって
どうしようかなメールも無視とかしてしまって本当に最悪なことを
今ねメールを無視された編集者さんもいますけども
でも確かに初出を見るとちょっとずつ途中から途切れていくんですよ掲載号が
めちゃめちゃなことになってもう言い訳のしようもないよう許して出してくれたなと
最初のそうですね連載の時から数えるとだから6年後
6年ぐらいかかるもう令和元年8年あれ今年8年でしたっけ
ちょっと追いついてきちゃいました
ちょうどその話が出ましたので後編では新刊の令和元年生まれウリカ50歳を中心に引き続きお話を伺っていきたいと思います
大谷さんには次回もお付き合いいただきます今日はありがとうございました
ありがとうございました
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それではまた次回お会いしましょう