00:28
sleepover radio // スリープオーバー・ラジオです。
今回の話題は、第18回の話題です。
前回の話題は、第17回の話題です。
今回の話題は、第18回の話題です。
前回の話題は、図書館の話題でした。
今回の話題は、本の話題です。
今回の話題のテーマは、今、売りに売れている千葉雅也さんの、
現代思想入門にあやかって、現代思想をテーマにしてみようかなと思います。
難しいですね。
でも、現代思想は難しいとされているものだからね。
確かにね。現代思想は難しいとされているという文自体も、遠くなりにきるというか。
かつて、難しいものとされていた。
僕ら10代、20代の頃、まだ難しいものということになっていたよね。
そうだね。だから入門書とかいっぱいあるが、その入門書どれにも難しいのだ。
具体的には文体とかが意味わからなかったりして、
なんか良くなかったり、それが良かったりするんだみたいな。
そうだね。
ことが書いてあったね。
だから入門書は、まだ一応読み通すことはできるけど、
入門書に書かれている、紹介されている、実際の現代思想家の本を手に取ると、
一個にわけわからない、みたいなのが普通だった。
まあ、そうね。特にデリダ・ルルーズの一部。
まあ、ラカンは意味不明だよね、普通に。
まあ、風光もいきなり言葉と物とか手に取ったら。
そうね。物によっては意味不明。
意味わかんないね。
まあ、だからあれね、なんだっけ、生の歴史とかね、最初に手に取れば。
まあ、一応意味はわかるから。
でも、なんでこんな話してるのかってことまで考えると、
普通に意味わかんなくて、興味の持続的には結構難しい気がするけどね。
いや、俺でもね、あんまなんか、なんていうの。
つまり、僕の今の知識では、現代思想は意味不明ですが、
それが故に入門書が大量に出ているので、
現実的には別に、何となくこういう感じかなって思うのは難しくない。
かつ、講演録などを先に読むと良いみたいな知識とかも、
なんか込みで今は得てるから、
まあ別に、理解してるって言われたら困るけど、
03:03
まあ別に読めますよねっていう感じにはなってる。
ああ、なるほどね。
この今僕が言ったいくつかの3つぐらいのポイントは、
僕がそれに触れた時にはそうじゃなかったものもある。
具体的には、講演録とかは、川でのドゥルーズとかが出てるじゃん。
記号と事件とかね。
はい、競争記号と事件。風光もなんかある?
風光は、ちくま学芸文庫から、私は花火市ですとか、
まあなんかちょろちょろあるかな。
そうっすよ。
てかまあ風光はすごい、なんだろうな。
ドゥルーズとかよりも、講義録とか講演録とかの文献が、
日本では充実しているように。
まあ別にドゥルーズもあるっちゃあるんだけど。
で、なんか当時で言うと、中学生ぐらいですけど、
最初になんとなく現代思想のあるものを触れた時は、
たぶん講演録とかはなかったか、なんかわからんけど、
そこでそんなにレコメンドされてなかったからか。
そうだね、まあまず基本的には、
まあまず前提からしゃべると、
現代思想って、今僕らがしゃべってる現代思想ってのは
基本的に1960年代から80年代ぐらいまでの
フランスの現代の哲学を中心とした学問。
さっきウィキペディア見たらさ、
現代思想には分析哲学も入るなどの、
なんか僕がそれに触れた時には、
誰も言っていないと思われる。
あ、あんね。それはね、俺も同じページを見たんだけど、
あれは英語版のコンテンポラリーフィロソフィーのページと対応してるページだから、
つまり20世紀の哲学なんで。
なるほど。
ウィキペディアの現代思想の。
だから今のことからも分かるが、
日本において現代思想っていう時、
今は知らんけど、
少なくともかつてかなり特殊な用法で使われており、
それがジョージが言ったように、ほぼフランス現代思想を意味していた。
そう、だから英語研だとフレンチテオリー、
フランスの理論って言ったりするんだよね。
そうですね。
でもこれもちょっと作想としていて。
そうだよね。入門書などによるとフレンチテオリーって言うと、
またニュアンスがちょっと違ってきて、
それは日本におけるフランス現代思想よりも、
なんかより特殊な定義なんだみたいな、
謎の議論とかもあった。
そう。しかも、
そのフレンチテオリーは、
英語版のウィキペディアのページはないの。
フランス語版のページしかなくて、
今見たらね。
つまりこのフレンチテオリーってなんだっけ、
ナンチャラキュッセとかいう人が、
フランス人が書いた本であるんだけど、
つまり彼が、
60年代とか70年代、80年代のアメリカにおいて、
フランスの現代思想がどのような影響力を持ったか、
みたいなことを書いてるっぽいんだけど、
06:00
つまりそれを書いたのがフランス人だから、
フレンチテオリーのページはフランス語しかない。
っていう、
かなり、なんだろう、
結局、現代思想ってなんだろうって言われても、
こんな感じで、
人によって定義が異なるし、
国によっても定義が異なるけど、
とりあえず漠然と、
60世紀後半の、
だいたいフランスの。
あとあれじゃん、せっかく千葉さんのバカ売れしてるわけだから、
千葉さん定義っていうか、
定義まではちゃんとわかるんだけど、
千葉さん本だと、
とりわけ、
ドゥルーズ、
風光、
デリダ、
の3人だっけ?
ラカンとかもある。
ラカン、あとルジャンドルっていう、
ルジャンドルを現代思想に入れる人ってあんまりいないから。
サンモンバジラとしては、
風光、ドゥルーズ、デリダってことになってる。
構成上も見出しが大きくなってる。
だいたいそういう人たち。
60年代以降にフランスで活躍した、
哲学者や精神分析家や、
歴史家とか。
これが今すごい大前提で。
なんで現代思想かっていうと、
日本で現代思想って雑誌があるから、
現代思想って呼ばれてるんだと思うんだよね。
今もそうなのか。
現代思想っていう制度者が出してる雑誌で、
おそらく勢力的に、
当時の新進経営のフランスの哲学者とか、
80年代とかに紹介していたから、
70年代とかも。
おそらく日本ではずっと、
現代思想、現代思想って呼ばれて続けてる。
今や恐竜特集などもやる。
そうね。
何十年も続いてる雑誌ではあるけどね。
あとは日本ではニューアカデミズムっていう
ムーブメントあったけど、
朝田明とか、中澤新一とか。
これはまだ批評っていう、文芸批評の中の一個の動き。
これでもさ、むずいよ。
批評とかも解説しなきゃいけない。
文芸批評って何?
批評はもう知りない。
単に現代思想とニューアカデミズムは、
かなり重なってるって話をしたいね。
ニューアカデミズムは何かまでは言わなくていい?
言わなくていい。
日本でフランス現代思想を紹介していた人たちってことね。
はい。
という感じで、何だっけ?
いやまだ入ってないよ。
中澤さんの本とかも売れてるし、
そもそも現代思想って何かっていうと、
みたいな感じでウニョウニョウニョウニョって話。
なんでこの話になったか思い出したけど、
つまりさっき講演録とかを読もうとしたけど、
なかったか、自分で探す能力はなかったみたいな。
講演録とかを読もうという発想もなかった。
したがって入門書を読んだ後、
いきなり出張的なものを図書館で借りて、
確かに意味不明だなと思って、
だけど意味不明だって書いてあったから、
じゃあ読みませんって結論に。
09:00
その理由を説明するために今ね、
坂戻って説明してて、
何でかっていうと、
つまり60年代から活躍してきた人たちの
主張について入門書では論じられているから、
つまりこの人たちに最初に手に取るのは
講演録がいいんだみたいなことを
書いてある入門書はあるんだけど、
基本的には主張で言ってることが
それこそ当たり前だけど、
それが重たる主張なんだから、
それについて解説してるわけで、
それをとにかく最初に手に取るのは
入門書を読んだ読者としては普通の振る舞いで、
特に僕が中学生の頃とかの入門書では、
俺の記憶ではそんなに講演録とかを激推しとか、
今の入門書みたいじゃなかった気がする。
別にそういうのはなかった記憶があって、
かもしくは講演録のうち出版されてないものもあったとか、
文庫になってないとか、
もちろん主張の方が数としては売れることが多いわけだから、
流通してるんだよ。
そっちの方が難しいのに、
主張だかという理由で流通してる。
僕はドゥルーズはマジで意味わかんないなと思って、
最初すごい嫌だった。
でかいドゥルーズ語りってことだけど、
結構大学の途中ぐらいまでもずっと、
ドゥルーズはあんまりノータッチで行こうみたいな。
偏見をすごい助長した。
最初に読んだやつがわからなかったから。
最初に何読んだ?
アンジョー・エリプスってこと?
だったと思う、たぶん。
ちょうど当時新訳が出たぐらいかな。
そうなんだ。
だとしたらそうじゃない。
川出文庫のやつが新訳だったはず。
でもデリダも手に取って、
意味不明だなって思った。
ノータッチで行こうって思った。
風光はわかる。
なぜなら社会とかのことが書いてあるから。
そのせいでかなりいろいろ偏った。
かなり途中まで。
ちなみに何で現代史書とか読もうと思った?
たぶんルートとしてはいくつかあって、
まずハテナダイヤリーっていうか、
現ハテナブログ上で、
いろいろ人文系の陰性とかを議論して盛り上がるみたいなのに、
中学校の時に何か知らんけど触れて、
その人たちがだいたい現代思想のことを扱ってた。
歴史修正主義は何とか論争したりしてて、
その中でデリダとかが何とか書いてあって、
じゃあ気になるから入門書を買ってみたいな。
一個はそういうルート。
ネットで重要そうなやつとして扱われてる。
ネットの議論で重要そうだったっていう。
あとは、これはネットじゃないけど、
サブカル経由。
12:01
王権とか経由で、
真相真理とか無意識みたいな。
で、ユングとかの入門書を手に取り、
するとフロイトとかももちろん出てくる。
するとラカンとかに行き着く。
で、ラカンは現代思想ってことになってる。
ラカンを含む現代思想入門みたいなやつを読む。
だいたいネットルートと、
サブカル、真相真理、何とかみたいなルート。
なるほどね。
で、どっちのルートも多分中学校ぐらいで開拓し始めて、
高校はあんまちゃんと行ってなかったから、
無限に接種みたいな。
それが相当早熟だよね。
僕とかは高校は出てたから。
でもなんか浮いてたよ。
そりゃそうでしょ。
俺だからメッセージとして大沢雅一とかを
机の上に置いたりとかしてたけど、
何も起きなかった。
僕の高校の偏差値では。
ちょっと足りなかった。
偏差値が多分15から10ぐらい足りなかった。
なるほどね。
本当に何も。
で、未だに何も起きてない。
その頃の人から何か言われたりとかもないし。
変な本読んでたよね、みたいなのもない?
そりゃないね。ないないない。
本好きだってぐらいが。
ネットでは何か書いたりしてた。
で、何かコメントをもらったりしてました。
そういう関わり。
なるほどね。
ジョージはどうですか?
ちなみに僕はね、
これ何だろうな。
割と人が一昔前の人文系に入っていくパターンとして
小説とか読んでたら
文庫版だと解説があるよね。
その解説とかで
現代思想系の日本の論者が書いているパターンが
小説とか?
あるっていうのがまず一個で
それで何となく高校生の時から読んでたけど
あんまり意味わかってなかった。
え、何のあれ?高橋健一郎とかってこと?
まあそうじゃない?
まあそういうことになるよね。
つまりポストモダン文学じゃないと
現代思想のことが出てこなそうだよね。
まあそうだね。
まあでもなんかさ、
何ていうの。
和志田清和とかがいた記憶はないけど
どこでも別に問題ないわけじゃん。
和志田から入るは
多分僕もジョージも違うけど
かなりメジャールート感あるよね。
僕も全然違うんだけど
そのルートにすごい近くて
僕最初、本とか読み始めた頃って
アメリカ文学とかいっぱい読んでて
まあそうしたら楽だよね。
そうそう。
で、なんか
まあだいたい90年代とか0年代に
15:00
すごいアメリカ文学で影響力を持ってたのは
村上春樹と柴田茂之と翻訳家
村上春樹ももちろん翻訳家として
アメリカ文学の紹介者としてすごく影響力があったね。
まあフィーツ・ジェラルドのとこね。
そうそうレイモンのカーヴァンとか
そうそうだからそれこそね
僕は高校の頃
フィーツ・ジェラルドの
グレート・ギャッツビーの新訳が出たりして
でもなんかそういうのから行くの難しそうじゃない?
いや、で
とにかく春樹と柴田の翻訳をいっぱい読んでたんだけど
で、ある日柴田が
さっきと逆パターンで
柴田が解説を書いている文庫本があるって言ってて
いうのを話を聞いて
で、それが柴田本由紀の
オールタイムベスト3冊みたいなのが入ってる
って話を聞いたんだね
で、それがね
今ここにたまたまあるんだけど
三浦雅史っていう人の
私という現象って書いてある
まあこれ大変珍しい配列だと思うんですね
この世代では
三浦雅史そんなにね
すごいこの世代に読まれてるかって言われる
まあ全然読まれてないと言っても
まあそうだよね正直
で、そう
さっきこの現代思想って何なのって話したときに出てきた
制度社の現代思想って雑誌があったけど
その現代思想を
現代思想が
という雑誌が
紹介していた頃の
雑誌現代思想の
編集長が三浦雅史なんだよね
まあだから三浦雅史まで行けばもうね
楽勝だよね
そうそうだから
この私という現象って
なんかまあ当時の60年代とか
70年代とか
日本の小説とか
あと現代史とかについての
批評文集なんだけど
同時に当時の最新の現代思想について
まあだからデリダとかを間接的に引用したりとか
だから宮川敦史とかを引用しながら
なんか孫引きみたいな感じとか
あとは
だから日本の現代思想のスターのうちの一人である
空谷光人って人がいるけど
空谷光人の初期のデビューを支えたのも
三浦雅史なんだけど
空谷光人を論じたりとかしていて
なんかよくわかんないけど
とにかく現代思想ってやつがあるらしいということが
これを読んでも分かって
これだとね
基本的には批評なので
小説とか批評なので
三発的に出てくるだけだから
じゃあちゃんと勉強しなきゃいけないのかな
みたいな感じになって
で多分その後入門書とか読んだ感じかな
僕なんか具体名さっきあんま言ってなかったかあれだけど
ブログから関連だと
普通に本が出てるような人だったら
大沢雅治とか内田達郎とかを
かなり最初に読んだ記憶がある
安嶋裕樹も高校生ぐらいで読んでた
ネットでそういう人たちの名前が出てきて読んだみたいな
精神分析系は宮城太弥っていう
18:01
僕いまだにこの人の文脈はちゃんとわかんないけど
丸山とかと一緒にいろいろやってた心理学者
この人がクレッチマーっていう
今から考えたら何も意味ない
お前は非マンガトだからオーラかのやつだみたいな
終わってる分析をしてる人とかの入門書を書いてて
フロイトがそこ横にさっき言ったよっていう話
あとさっきも具体に言ってなかったけど
そこからフロイト現代版だと
ラカンっていうのがいますみたいな書いてあって
それを検索すると斎藤珠紀っていう
これまたブログとかにも参加してる
精神分析系の研究者がいたんで
斎藤珠紀読んで
何だっけこれでわかるみたいなやつあんじゃん
ラカンはこう読めた
ラカンはこう読めた
ああいうのから入ったっていう感じでしたね
ちなみに現代思想とか読んで
自分にインパクトあった?
めっちゃあった
めっちゃあった?
え、ない?俺めちゃくちゃあった
めちゃめちゃあった
まあそうだよ
めちゃめちゃあった
普通になんか
僕ブログとかから入ってることによって
入門書以上にさ
つまり人の会話みたいなことじゃん
ブログ記事とか
そういう話をしてるところに入っちゃってるから
壮大的に本のインパクト弱かったと思うけど
雰囲気はわかっちゃってるから
それでも
自分が何かから知的なインパクトを受けるみたいな
ことがそもそも存在してるってこと自体が
それでわかったって感じ
なるほどね
だから現代思想より以前に
喋り方に影響を受けるとか
この人すごくかっこいいなとかそういうことはあるけど
明確にあるフレームワークっていうか
こういう現象に対してだいたいこういう風に考えるみたいな
理論自体が新しいみたいな
のが現代思想の始まり
つまり理論ってもの自体が新鮮だったっていう
そうね
それはなんか僕も近くて
三浦剛史のこの本を読むまで
僕はほとんど小説とエッセイしか読んだことなかったから
ノンフィクションで
なおかつ戦争行きましたとかいうノンフィクションとか
そういういわゆるノンフィクションで
自分が想像しがちな
ジャーナリスティックなものでないものを
種類の文章が存在するってこと自体知らなかったから
理論
何の理論にのっとって解説するとか
もしくは何々の理論を立ち上げるみたいな
っていうかね
今っぽい言い方をするっていうか
それまでは広域だったと思う
あなたの感想ですよね以上のことはない
だから考え方ねみたいな
賛成できる人もいれば反対な人もいるとか
こいつの興味が何か価値を感じないとか
そういうことはあったと思うけど
パッケージになってるっていうこと
21:01
そのパッケージを入れると
それなりに何か特定のことについては
分析能力が高まるみたいな
現象自体が始まる
だから考え方に対して考え方ですよね以上の
価値を感じたのがそもそも
現代思想は初めて
理論って言っちゃえばそれまでかもね
そのことだね
フレームワークでもいいんだけど
同じだけど
これってちょっとねじれてるって
ねじれてるような気がして
基本的に現代思想って何をやってるかっていうと
それまでの西洋の学問とかが持ってた
フレームワークとか理論っていうのを
ちょっと
脱構築って言うと
何も説明してないことになっちゃうんだけど
一緒破壊的だったっていうことがある
ジェンガのすごい弱いところ突くみたいな
ことをしてた人たちだね
つまり理論をある程度壊しに行ってる人たちを
最初に理論として我々は摂取してるから
それは分かりにくいのは当たり前っちゃ当たり前なんです
僕でもなんかね
反論とかではないけど
僕はなんか少なくとも
今は多少考えが違うけど
僕アナキズム的なものとかはそれより前に
通過してるはずなのよ
通過っていうかアナキズムっぽい価値観のものを
見聞きしてるはずなのよ
てかパンクとか
ニューウェーブの方が自分的には大きいけど
っぽい音楽とか見てたけど
あとあれもかな
無意識っていう意味では夢の急削とか
だからなんかこうさ
今までと考え方違うものみたいな
の時代は中二病の時に
なんか摂取してるんだけど
なんかね知的だって思わなかったのよ
別にそういう風に考えてないよ当時
だけど今から思うとどっちかというと美的なものっていうか
かっこいいみたいな話として捉えてて
頭いいとは思わなかったのよ
夢の急削とか見て頭いいとは思わないくない?
頭おかしいとか狂ってていいとかそういう感じじゃん
まあそうね
で
要するにさっきどちらかというと壊すようなものですよねって言ったけど
なんか単に壊したり
我々が正常か異常かみたいなことで
なんか実は変なこと考えてるかもみたいな
暴き立てるみたいなこと自体は触れてたんだけど
普通にって思ってて
やっぱ現代思想を読んで感動したのは
そういうアナーキーなものっていうことが
なんか実際問題あり得るかもしれないとか
あるいはアナーキーであることとかを
なんか想像することに具体的なメリットがある
あーなるほどね
だからマサイさんあなたの感想で一緒に思ってたけどパンクとか
お前がそうしたいのねみたいな
24:02
でも現代日本では誰もあんまりそう思ってなさそう
だからニューウェーブとか好きなんだよね
そうそうそうそう
あーそうそうそうそう
だから一回そういうの飽きた後
で
だけどやっぱ
まあ主に風光関連
まあベテルズもそっちはそうか
の入門書とか読んだ時に
今ある慣習とか社会秩序とか
そういうのじゃない秩序ってことがあり得るみたいなことを考えるのが
現実的な感じがした
はいはいはいはい
リアリティがあるなと思った
あー
っていうのがなんかすごい一番大きいインパクトだったから
なるほどね
うん
風光とかなんか根拠ありそうに見えるしね
そうだね
ただ言ってるだけじゃないっていうか
なんか色々調べた結果
そうなんか風光はなんか一応歴史とかすごい遡って
古い文献とか見つけてきて
この頃と現代ではなんか
人が自分のことをどのように主体化するかとかいうのが
全く違いますよみたいなこととかをやっていくんだよね
あとまあそもそもだから主体とかない世界とかもあるんだよね
主体とかなくてどうするのみたいな
会話とかどうしてたのみたいな
謎みたいな
そうそうそうそう
だからこうやってさ今知ってるみたいに議論できないかもしれないわけじゃん
まあそうね
まさにさ今こう系譜的にっていうかさ
かつて俺はこう考えてた
でそこがこう影響を受けて今はこう考えてるみたいな
なんかアイデンティティある感じの喋り方とかしてるけど
でも主体とか主体化をみんながちゃんとしてない時代もあったみたいな
そうだから自我に一貫性があるっていうこととかって
別に昔なんだろう
昔から人間そうだったわけじゃないよねみたいなことを言うんだよね
そうだからそれが社会的に構築されたみたいな
そうそうそうそう
どういうことみたいな
じゃあないとしたらどうだった
具体的には監獄とかでっていう
そうそうそうそう
教室とかね
教室とかね
教室の分析とかやっぱり分かりやすかったね
なるほどね
僕だから上山なんとかさんっていう名前忘れちゃったけど
いじめの研究者がいてさ
すごいブログ論談で活躍したの
でこの人はそういう教室とかの権力とかがどういう風に生成するかみたいな
分析とかをしてて
すごい身近だったから
なるほどねみたいな
あとスクールカーストとかを結構真面目に考えてた
そういうのとかも感動してた
でバックボーンは精神不適化だったと確か
はいはいはい
そういうあったか無意識にとか社会的に構築されたとか
要はなんかこうあんまり自分が意識してない
要するに脳みそ乗っ取られてる系っていうか
実はお前操られてるんだに近いような話を
それこそアナキストとかさ
サハっぽい言い方だとさもっと直接的になるじゃん
お前洗脳されてるよって
そうそうとかある時の
下大的にはその時は小泉が首相だったから
27:00
なんかそういう奴らとか大資本家によって
なんか新自由主義的な価値観に染まってるんだみたいな
僕はその言い方はあんまり納得でいなかった
はいはいはい
別になんか感じてないです
てかすごい陰謀論っぽく聞こえちゃう
そうそうそうそう
でそれはなんかアホってことになってた俺だから
だけどなんか現代思想家たちのそういう語り口だと
一定自分が今意識してることとか
なんか教室の中でみんなが喋ってることとかと
別のルートから何かの考えが集団的に作られていくとか
歴史的に作られていくみたいなことに対して
それを認めるようになった
はいはいはい
でそれはまあ普通に効果として
例えば学校とか会社とか組織とかで浮いてるやつとかも
面白い人間かもしれないみたいなことを思うみたいな
徳とかを関与した
極めて具体的に
変人とかが
その前から別に変なやつが好きだったんだけど
理論的に正当化された
なるほどね
スクールクラストとかをかき乱している変な人
はいはいはい
例えばなんかめっちゃ可愛いけど
なんかキモい男子とかにも優しいやつとか
はいはいはい
とかなんか変な風に空気になった時に
なんか注意したりする人とか
そういうなんか特殊なポジションに行くやつとかは
なんか面白い人間なんだっていうことが確かになったみたいな
なるほどね
当時の中学生時点の僕にとっては
なんかそういうエフェクトを与えてたり
はいはいはい
それなんか日記とかが残ってる
あーすごいね
うんなんかそういうことを言ってる
へー
あとなんか好きな子になんかそういう話をしたりとかしてる
なるほどね
へー
そう
なるほどね
あと高校の時お笑い議員になりたいと思ってたんだけど
うん
なんかそれはなんかそういうことで思ってた
え?どういうこと?
いやそれ基本的に笑いは権力を作るやつやん
うん
だから笑わせたら偉いわけじゃん
うん
でなんかそういう力とかを使うと
なんかいろいろコミュニケーションとかが変化して
いいんじゃないかみたいなことを考えてた
あーなるほどね
あーだから別の権力が
笑わせてないやつが笑わせたりとかすると
まあだから基本的には教室とかで笑わせるやつっていじめっ子じゃん
そうそうそうそう
いやいじめっ子よりも因出ないじめっ子じゃん
うん
あのいじめの主導者にならない
うん
なやつで
でも
いやだからスベオポジでギャグとか上手いとかが一番強いわけじゃん
もちろん
でこれをなんか違うやつ
なんかいじめられたやつが意外とおもろかったりとかすると
いやこれをジャイ子が
あそうそうそう
実は一番おもしろかったってことにすると
スネ夫が雑魚になるから
そうそうそうそう
あのまあだからこの権力を
そうそう
構造を組み替え可能になるってことだよね
いやだからジャイ子がなんか
この車3人乗りだからみたいなやつとかを
真似とかしてドッとかやれば
笑
ジャイ子が勝つわけじゃん
笑
でスネ夫は次の日から
あいつはなんか金持ちで威張ってるだけのなんか不快な
30:00
しかもそれをなんか上手い子とジャイアンの陰隠れて
ごまかしてる不快なやつみたいな風に
変えれるかもしれない
まあそうだね
笑
ジャイ子からの階級闘争とかもあり得るわけじゃん
そうだね
でなんかそういう
まあもちろん今ではなんかその全体が
なんか芸能とかこうもっとズブズ
なんか全てをズブズブにする
もうちょっと上位の力とかに
なんか頭ぼやりさせるだけなんだとか
いろいろ思わないではないけど
うん
なんか当時そういうこと考えてて
なるほどね
だからなんか権力批判というもはみたいな
はいはいはいはい
そうだからまあ実際生き方っていうかなんか
芸能をやりたいとか
考えるのに影響を与える程度には
はいはいはいはい
インパクトが
なるほどね
で同じほどのインパクトは他はない気がします
あー
僕の場合はさなんかあれなんだよね
なんか基本的に現代思想の思想形のなんか
共通点ってまずなんか人間雑魚ってことなんだよね
あーそうね
そう
人間
かっこつけなくてもかっこつけの人間
そうそうそうそう
人間がてか特に近代的な
したい
性を持って大人としてなんか決断したり
うん
えっとまあなんか仕事したりっていう
人間像っていうのは
まあ実は作られたものでしかないし
そうね
えっとむしろなんかやらされてるだけ
そうね
だからとりわけあの改善したりとか
反省して次に生かすとか
うん
自分に何か罪があったんじゃないかとか
そういうタイプの思考とかは基本的に
すげー雑魚扱いされてる
そうそうそうそう
うん
まあだからそういうのも
まあ風光に言わせれば
まあ自分で自分を充足化させているだけで
うん
あのー
まあそれ自体に何らの根拠もないし
うん
まあそれ自体権力の効果に過ぎない
みたいなことを言うわけ
うん
でなんかそういうのを読んで
最初に何に思ったかって言うと
そういうことは
じゃあ別に頑張んなくていいじゃんって思ったわけ
あー
でも結構人生にかかってる
いやそうそうそうそう
だから
でもめっちゃ影響はあった
だから進学もしないし
労働もしない
労働もしない
方向に一気に切ったと
そうそうそうそう
まあそれは大きいよね
うん
でも基本だから
あんままともじゃなくていいっていう話になるっていう
問題はまあある
問題っていうかまあ
まあ問題
エフェクトが
まあ少なくとも
まあ間に受ける系の人はそうだろうね
うん
だからなんかとにかく
だからあとはさなんか
19世紀とか
まあでもまあもっとちゃんと言うと
18世紀とかからある
西洋の学問とかっていうのも
全てなんか
えーと
たまたまその時代に成立しただけの
権力機構に過ぎないみたいなことを言われて
あーだから
18世紀までめっちゃあった
僕もだから中高生くらいの時に
あの
えってことはもうカントとか読まなくていいってことで
やったーみたいな
読む本めっちゃ減ったわみたいなことは思ってた
はいはいはいはいはいはい
つまんなみたいな
でしかもさ
なんか基本的にシステマティックじゃん
18世紀のやつとか
はい
まあヘイゲルくらいまで
なんか
まあ19世紀
でしかもなんか
俺用語みたいなやつ
知ること多くて
で意味ないのになんでこんな
こいつの体型に入んなきゃいけないの
で入んなくていいってことみたいな
19世紀までの哲学とかも含めた
33:01
科学とか
そういう学問全体も批判してるんだよね
まあそうね
だから
なんか大学の役割とかも
だから
普通に考えれば
なんか終わったはず
って少なくとも
なんか10代後半とか
僕はそう思った
思ったよね
現代思想を読んで
ということは大学行かなくていいじゃんみたいな
まあそうですね
そう
だって学問とか全部なんか
史的になんか
あの
教会が決められてるだけだし
その領域だって別に
特に根拠ないでしょみたいな
僕はだから
それで言うと
あの
いわゆるサハーみたいな人からの
あの
現代思想
ポストモダン系列は
こう
いろいろそういう批判をするが
結局なんか
代替となることをあんまり言わないので
結果的に
現状肯定に近いんじゃないか的な
言い方あるじゃない
はいはいはい
それにすごい近くて
はいはいはい
その批判対象にすごい近くて
ということは
じゃあ何でもいいってことですよみたいな
要はなんか
だったら勝った方がいいじゃんみたいな
ことを思ってた
ああ
だからすごい
なんかセコいことを考えてたね
すごいね
でもなんか
まあでもそれやっぱなんか
なんだろうね
その違い
だから僕たちは
だったら負けてもいいじゃん
だからその勝ち負けのルール決めたのは
あの
てか決めたやつなんていないし
うん
なんかそのたまたま決まってるだけだし
じゃあ負けも別に負けじゃないから何でもいいじゃん
みたいになっちゃってたから
そうね
だからやっぱこの二つが影響あるんじゃない
補修的になる
ああ
てかある面では
社会批判とかはするが
なんとなくいい感じのポジションに行った方がいいかなみたいな
気持ちになることも
はいはいはい
まあ肯定し得ると思う
まあそっちに行ってもいいはずだからね
うん
つまりなんか現代人ってだから
つまり俺みたいに適当に生きればいいってことも実は言ってなくて
うん
その適当に生きればいいっていうこと自体も
なんかやらされてることの一つなんだよね
そうね
なんかやらされてないことって存在しないから
うん
でやらしてるやつがどこかにいるわけじゃなくて
人間ってのは常に何かをやらされていて
で何もしないって選択自体もやらされてるみたいな
だから
すごい素朴に
でもこいつら大学教授じゃんって思ってた
ああ
普通に
はいはいはいはいはい
余裕はみたいな
はははははは
まあせめて今でも思うけど
まあまあまあ思うことはある
うん
実際にだから
社会批判と何か
その階級とか
その人の不労
不労ってのは不労所得じゃなくて
ストックに対する不労
はいはいはい
不労の生き方が
別に一致しないよねっていうことは何か
ある
なるほどね
つまり誰もリオゲネスじゃないわけじゃない
うん
というわけで樽の中入って暮らしますみたいな
うん
ことじゃないっていうことのインパクトも大きかった
つまり言ってることに納得してるが故に
ああなるほどね
うん
だから資本主義案とか行動資本主義案とかめっちゃ
やる人でも
特にいない人なんかでも分かりやすくサハっぽい人だと
ガリガリやるけど
でも絶対ユニクロ行ってるやんみたいな
36:01
まあそうだね
コンビニ行ってるやんみたいな
まあユニクロ行ってないかもしれないけど
コンビニはいかないことは無理だよ
まあみたいなこととかも
言ってることを納得するが故に
だから逆に
なんかパンクとかはもう最初からアホだと思ってるから
はいはいはいはい
まあこいつらはバカだから分かんないんだよ
はははははは
って思ってる当時
今違いますよね
はいはいはいはい
今はナーキズムとかにはすごいなんかむしろ
もうちょっと神話性を感じるようになったんで
うん
なるほどね
うん
そうねそういうインパクトはあったし
だから
ああだから教育みたいなのやってて
うん
その
やっぱ現代思想読んでほしいなと思う
ああなるほどね
でそれある時期までは大学受験で
うん
必須なので
はいはいはいはい
現代思想的な
はいはいはい
大雑把な本当に入門書レベルでも
うん
フレームワーク持ってるだけでめちゃくちゃ強いから
なるほどね
まあ今は違うけどね
あの
ああそうなんだ
まあ違うまではいい時期だけど結構変わってきてる
へえ
あのそれこそ環境問題とかさ
はいはいはい
むしろもうちょっと回答があるようなもの
ああなるほどね
で環境問題とかだとむしろ資料を読むに近いような
うん
方向の問題になったりするから
はいはいはい
だけどやっぱり
なんていうのかな
ああだからやっぱ評論文でさ
うん
論理をちゃんと終えてるかチェックするときに
ポモってわかりやすいと思うんだよね
ああ
主張おかしいから
はははは
なんていうの普通考えてることと主張が違う方がさ
選択肢にしたときにいいじゃん
ああ
つまり読めてなくてもなんとなく感じた
つまりその人が元々持ってる信念を
高校生とか持ちがちな信念で丸付けさせたら
解ける問題よりも
ああ
謎な結論に持ってった方が
はいはい
えこんな選択肢でいいのかなみたいな
こんなこと考えないやろみたいな
まあだから論理構造だけを取り出して
そうそうそうそう
いや読んだら確かにそうなってるよねっていう方がいいから
はいはい
そうそうそうそう
まあそれこそねこの間早稲田大学の
なんだっけ現代文化なんかで
あの問題だったやつね
そうそうあの風光研究者の
大本田曽根
さんの文章が問題になったんだけど
あの学校側と予備校側と著者の回答が食い違ってる
そうね
まあだからあれはまあ本当現代思想一個難しいよねっていう
そうそうそうそう
わかりやすい例ですよ
まあ大本田さんってそんなね
思想的な難しい書き方する人ではないんだけど
うん
まあでもまあ風光自体はそういう書き方
まあある程度はしょうがない
あれしかもだって問題になってた箇所もさ
まさにさっき言ってた話に近いっていうかさ
あの
なんか権力によってなんとかさせられるみたいな
あそうだよね
その刺激のが問題だったでしょ
それっぽいね
俺はめちゃくちゃ見てた
説明でも
そうそうそうそう
だからまあそれは一個面白い点ですよね
なるほどね
はいはいはい
うんでもやっぱそういう
なんて言うんだろう
ああまあでもあれだねだから
未だに影響があるって
自分に影響があるって話なのかも
だから
ああ
やっぱ構築主義的な態度みたいな
はいはい
まあ構築主義って言葉は別に本当は説明必要だけど
うん
まあ何かが社会的に作られたものだっていう
うん
タイプの認識を
その
39:00
特定の政治的立場とは無関係に
うん
そもそもそういう可能性があるっていう
うん
つまり
例えばじゃあジェンダーが社会的構築さ
まあジェンダーって言葉の定義自体が
そうだね
ややこしいけど
うん
まあ性別役割分業とかが
まあだからジェンダーもそうだし
うん
まあバトラーに言わせればまあ
セックス
だからいわゆる性域によって
そうそうそう
分けられた性別っていうのも
まあ社会的に作られたものの一つだよね
そうですね
まあこれだからどこまで
うん
あの
社会的に作られたことにするかっていうのは
すごい深い
うん
まあ難しいけど
うん
まあでもまあ人間がね
言語で定義している限り
まあそれはある程度は社会的に
作られたものだろうっていうのは
うん
ある程度はまあ合意取れる
そうだね
うん
だからそれをその
僕がなんか教えるときには
なんか立場によらずって
すげえ強く思ってて
ああ
それはやっぱり
じゃあ例えば今の例だったら
フェミニズムを別に
のことをすごい教えたいみたいなことって
よりは
うん
限らず
はいはい
だから権力規案でもそうだし
消費社会でもそうだし
うん
環境問題でもそうだし
うん
なんでもいい
特に環境問題とかさ
うん
今環境問題について
社会的に構築されたって言うと
どっちかって言うと
つまり環境問題ないって方向に行きうるじゃん
うん
まあ
まあ
行きうるね
ねえ
つまりSDGsこう
社会的に作られすぎやろみたいな
そうです
でも
僕はそうなっててもいいから
うん
いいからって言うと言いすぎだけど
別問題として
2段構えで
うん
なんでも作られてるけど
別にどれが作られた方がいいかは
別問題っていう
そうだね
うん
ぐらい
なんか
一旦は抑えたほうがいいかなっていう
はいはいはい
思いますね
まあまあまあ分かる分かる分かる
うん
それやっぱ人生をなんか豊かにしてる感じがする
うん
うん
まあだからなんか
すごいね
なんか
ありきたりな言い方をするとなんか
自分たちが当たり前だと思ってることが
当たり前じゃないんだよってことを教えてくれるんだよね
そうね
でそれをやっぱり
なんか
納得するっていうことのなんか知的快楽はやっぱすごいよね
すごい
脳汁ドバドバ
そうだからそれこそ僕が最初に読んだこの
私という現象とか
うん
まあこれタイトルから
そうね
ある程度想像
ってかまあ
読み慣れてる人からすると
想像がつくんだけど
私というもの一体が
うん
自分が
自分が
自分が
自分が
自分が
自分が
自分が
自分を
自己説得する
だけっていう
ものの
一貫性自体が
まぁなんか
作られた物だったり
自分の中で
えと
えと
自己説得的に
ん
まあ作られ続けて
うん
いってようやく保たれる物に
過ぎない
みたいな
ん
てかまあ
つまり
私の一貫性って
フィクションですよね
みたいな
だから私という本質とかじゃ
ない
そうそうそう
そうそう
え〜
ってつーだから
だからじゃあ何もしなくていいじゃんって思えたし まあ別になんか俺が読むとなんか何もしなくていいじゃん以外の結論が導き出されることが
少ないんだけど僕は何かそれでそういう自分の パターンっていう意味で言うと
変身願望みたいなのがすごい正当化されたね 別容になるルールみたいなことがすごい強調して見てた
さっきの権力もそうだけどだからデザインできるっていう すごい効果的なバイアスがかかって読んじゃうことが多い
42:05
まあまあでもそれもなんかまあかなり近くてつまりフィクションなんだったら作り 変えることできるよねっていう
文庫とかも僕は最初じゃあ老爺変えればいいってことって思ったのはめっちゃ多い 老爺が変わってその老爺が社会的に重要だってことになればいいってことみたいな
最初すごい思った でも実際ね
なんていうか 老爺の仲いい感じにするみたいな改革とか
まあそもそも風光の議論自体が 監獄をそのように改革した結果人間が近代的に主体化していった
だから最初はだからぶん殴ってやらせてお前やっちゃダメってやってたのが やってやっちゃダメとかもないよね
無駄にぶん殴られますという仕組みだったのが そう
ダメなんですよっていうダメなんですよって言ってる奴が見張ってるかもしれないと思うと みんな自発的に自分の振る舞いを改め始めるからそれで
いるかいないかもわからない監視人の目を気にしてみんな従順になっていくって話 だまさに心の中に
先生とか監視の人が自分で作るようになると そうそうまあでもそういう認識はやっぱりなんか得た方がいいですよね
まあわかるわかる そうなんかやっぱり今あるものが偶然に過ぎないのはとしたらということは変容可能ですよね
変革可能ですよねっていう感覚を与えるという意味で これはまあだから普通の意味では単に今がその現代思想が標的にしていたような時代の
なんていうか延長戦にあるからだと思いますけどね普通に まあだからその後期資本主義と言ってもいいし
後期近代と言ってもいいし最適近代と言ってもいいしなんて言ってもいいけど まあいずれにせよ
近代批判ということをある程度ビルトイン してしたことが前提になっているかなってないかぐらいの
時代にやっぱり生きてるからっていうか でももしかしたらまあ10年20年ぐらいに読んだらもうあんまりよくわかんないしそうなる可能性
なくはないとは思うっていうか入門書とかでパッて読んでなんか すごい10代の人が刺激を受けるものじゃなくなる可能性なくはないなと思うけど
でまぁちょっとボートなし持ってくるけどだから千葉さんのが売れているのはそういう 意味ですごいなんていうかまだそうじゃないんだっていう感じ
千葉さんの方もすごいさっきまで話したような認識に特化してるからね 別になり売るとか
何かやらなきゃいけない気がしているものもそうかわかんないとかそういうことに 気づかせようっていう
そうだねものすごいは何ていうかピントがあっている 極端極端極端と言ってもいいぐらいそうだよまぁまぁまぁでもやっぱり
現代思想という意味でくくった時にやっぱり個々の思想家で言ったらさ それはもっといろんな要素を取り出せるけどやっぱりこの繰り方をする限りはやっぱり
45:02
なんかそういったポジティブな捉え方に ってかなまぁちょっと漠然としているけど
まあ何か可愛い可愛い売るよねとかそういう形のあの 認識にが取り出しやすくわかる
でまぁ千葉さんだとあのそもそもであの まあ現代人というのはもうちょっと精神分析という打ち出しだと思う
勉強の哲学時点でかなりそうそうだね さっきまで話したようなしさを与えるっていうことをかなり
なんていうかそこに絞り込んで書いてる 今勉強ですよよりもちろんそもそも解説じゃないから余計そうだけど
なんかそういう本ですよ なるほどねあとなんか現代総
うーん まあなんか喋ってて思ったのは
まあなんか哲学的な面とかも別に普通に色か考えたことがあるけど まあこうやってパッて喋ると現実的にはまあなんか社会学で良くねみたいな感は
ああ なるほどね
だから なんだっけハビディスとかの人
ヘッドペルーでねあそうだブルーヒューとかでもまあいいっちゃい ああ
なるほどね いいのかもまあでもあってがまあ別に社会学
現代思想に何だろう 含むという説まあブルーヒューとか別に含まれるか全然ありうるしさ
だからさっきフランス現代人の話ばっかりしてるけどすごい 近い立場のしてねまあ4ちゃんと読んだことないから本当にそうなのかわかんないけど
さまだルーマンて人とか言う あああああああ
まあルーマン まあでも難しいのは
あの やっぱ近代批判っていう
ポジショニングが明確な方がいい ああなどんだな最適にないのとかはなんか
最初に入って何か関心するかって言うちょっと頭良すぎる気がする あーまぁあれはそうだね売り引くとかさ
中学生でこれ読んで感動するとかなり難しいと思うまあそうねうん だからそれでやっぱ僕とかはだから何のアナーキーなものとかはなんか単純すぎる
やろみたいなのがあって ポモが来てみたいな
ブーブー 順番の議論があるかもしれん
なんで現代思想が最初がいいのかってから最初に出そうとインパクトを受けるのか っていうのか
よくわかんない分体かっこいいからまあな言葉がなんか呪文ぽいからとかある まあそうだよね中二心
すぐる的なアジャンスまあまあいい 明日だがむそうまたつ構築必殺技がある
必殺技で あーとアレだわあの
は制したあのだ構造主義とかもめっちゃインパクトあったああわかるわからん だもっとなんかそのさ
さっき風光で例にしたから結構歴史的に作られたっていう感じの言い方をしたけどもっと なんか空間的な感じって言うんですよ
家族構造とかがなんかよくわかんないグラフみたいなので なんか親族構造がわかりますみたいな
48:01
そうだからなんかさっきまで喋ってたんだけどいわゆる 現代その中でポスト構造主義という人たちがほとんどで
あの構造主義でポスト構造主義っていうのはなんかその なんでも一応もうちょっと構造主義歴史というものが導入されていて何かが作られた
何僕たちが何かをやらされているとしてもそのやらされたものは の発生の起源みたいなものが存在するってことで構造主義っていうのは
まあ人間ってそもそもまあこういう言語を喋ってこういうふうに生きるものでしょう みたいなものがもう全人類に備わっているみたいな
でまぁ人間はまあ言っちゃうとそれをやる機会に過ぎないみたいなところがあるん でそれのないインパクトがでかかったまあ普通にあのなんかサビアオフとかさ
怪しい議論いろいろあるじゃんなんか寒い国の人とかは雪がいっぱいに見えるんだとかさ 雪を指す
5位がいっぱいあるぞとかなんか虹の色が増えたり減ったりするとかさああいうのとかはさあ やっぱすごい感動したまあわからばから僕のソシュールとかそうかんそう
ソシュールレビストロースの入門書ってかまあ具体的には寝ながら学べる構造主義 うちだった
かなり最初の方に中がアレって絶対中学校と思うよかなり感動した 普通のがソシュールは翻訳で読んでる
やっぱなんか猫が猫って呼ばれてる理由ないとか 考えたことなかったまあ感動するよ
うんこそに 確かにいじゃキャットと猫はどういう関係あるとそうそう
絶対例えばなんかさ 漢字の部首の成り立ちとか
をさあ習うとさあなんか言葉って全部なんか期限があるかのように いやそうなんだよねやら漢字がで悪さしてるねそう
やっぱ感じはなんか直感が合いすぎてるそう であれにもたしあれも確かでももうなんかかなりあやふやな記憶で言うけど
なんか時空とかって何か確か あの漢字ができてからかなり立ってから後に捏造された
えっと期限まあだから単語の覚え方とかと同じなんじゃないかせずそれからあのさん ずいが彼はとかねう
まあ別そこまでグレそれぐらい本当だと思うけど あの
あそこで言われているような期限は別にかかなりの程度 構成の捏造である
平仮名とかカタカナとかやっぱり適当感とかさアルファベットとかも適当なわけじゃん そうやっぱそれ確かにそう思いますよね
猫がとそれもではやっぱ猫が猫って呼ばれる理由なんかあんのかと思ってたん なんか耳が音の形に出るとかさ
まあそんなことは考えてなかったけど僕だからあの代替えた時とかにそれ への一種の逆張りみたいな感じオノマトペとか関心があった
ああなるほどねうんだ音と なんか意味とかの対応関係みたいな
はいはいはいはい小さい頃とかでもわかるん はいはいはい
51:00
なるほどねそうだそれぐらいその音と意味の姿勢みたいなことにはとか g と 意味とか
はい姿勢にインパクトがあった なるほどねあだからその社会的に構築されたと同じような何かが恣意的だっていうのさ
そうだねやっぱり現代思想必殺技感というか セップインパクトある
でやっぱりそれは主に なんていうか教育が厳しいっていうか教員とかうざいからっていうか
それそれは恣意的じゃないって言ってくるわけじゃんはい すごい深く結びついているいい人間になるとかと
あらまずいい人間といい人になった方がいいということも深く結びついているし いい人間の遅刻しないとかも深く結びついているし
すべてがうさ緊密なネットワークを作ってるわけだよ 厳密にそう言われてるわけじゃないんだけど
総席の心を読めばいい人間になるかのように 言われているような気がしてそうそうそうそう
でそういう子作って嘘だよねみたいなことをそうそう普通の意味では教えてくる だまず悪い行為があるじゃんでそしてそれをお前は何か苦しんでいるなみたいな
で苦しまないといけないじゃんみたいな そういうなんか近代文学的に特に日本の詩小説的な
僕はやっぱり詩小説もすごい好きだったから 苦しんだ方がいいのかなみたいな
なんかあの子のことすごい好きなのにそれはピュアな気持ちなのになんか考えても何とかしちゃうみたいな
よくないんじゃない? だいたい同じじゃん
だからそういうのを重要なんじゃないかと思ってたのよ 重要じゃないかみたいな気持ちになったりしてる
悩めば人生の深みが出るみたいな
だからやっぱ反省文カルチャーみたいなことを
俺の生理では教室的な反省文カルチャーに対して俺なんか別の反省文カルチャーに行くみたいな気持ちだったけど
詩小説読んでるとき もっとかっこいい反省文があるはず
反省文自体が意味ないんじゃないかっていう驚くべき 教室で心読まされちゃうし心も舞姫も読まされる
で読まされてるってことじゃんみたいな なるほど舞姫は単になんか急かなとかうるさかったけど
普通につまんなすぎやろみたいな 心とかは面白いじゃん
心はねなんか中高で読むものの中で一番面白いからさ
まあだからやっぱりそういう まあでもやっぱり教室規範はでかいんじゃないかな
思春期に読むと とかまあだから大学生
高校大学とかで読んだら 社会科の圧みたいな
まあでも別の社会科 就活とかへのいい意味での逃避っていうか
唯一の価値じゃないよねみたいなことはありますよね
54:00
まあだからその人間が雑魚っていうことによって 結局何かをすることによって人間が深まっていくっていうモデルを基本的には取らないんだよね
だからあの 特に社会とかは雑魚決定
だからもちろん社会人になるやつも別に大人でも何でもないし 大人とか言ってる奴らオツみたいなことだし
文学読んで自分深まったと思ってる奴らも雑魚に過ぎない つまり人間に深まるなんてモデルは存在しないからということ
あと何か真面目みたいなのは基本的に雑魚ってことになりがちだよね
ああそうだね真面目とかね大体なんか虐殺に結びつくから良くない
そうそうそうそう
真面目ないせいもう全然失格って
カジロウ
真面目だと大体ヒトラーかスターリーになるのでやめてくださいって
できるだけふざけた方がいいです
かき乱すと基本的に強い
だからジジェクトが人気ある
大体ふざけてるだけ
ふざけないから真面目なこと言うっていうのと
あと真面目にふざけたこと言うのが2種類あるね
大体そんなもんですかね
意外と1時間くらい喋ってる
現代思想とか喋ることあんだね
あったね思ってる
はい
まあそんなわけで気になった人は千葉さんの現代思想入門
まあそうですね
まあいいと思います僕も読みましたけど
本当に文字通り一冊目っていうか
今話されてることが面白いと思ったがこういう名詞は一言知らないみたいな人とかいたら
それはもう千葉さん確定でいいと思うな
そうだね
まあまあ知ってるんだったら別に何というか
千葉さんなる必要はないとは正直思うけど
まあでもなんかこのラジオって別に何て言うのかな
まあ我々のフォロワーが多分基本的に聞いてるんだと思うけど
でも別にそんなに人文とか現代思想が好きな人に偏ってるフォロワーではないと思ってる
僕も全然そうだと思います
まあだからそういう人で今の話が面白いと思ったら
まあ千葉さんの本を読む
めちゃくちゃ読みやすい
めちゃくちゃ読みやすい
あとは僕が翻訳したジジェックの動画とか見ると
なんとなくこういう雰囲気かなとか分かったりするかもしれない
ああそうですねジョージの動画もいいと思いますね
ジジェックがサングラスかけたり外したりする動画とかあるので
まああとはあれかな
なんか僕がバトラーとかについて喋ったのとかもいいかもしれない
まあちょっとあれに貼っときます概要欄に
まあそういうのとか見ると今話してない
今話してないことが実際どういうものかなんとなく分かると
そうねまあもうちょい具体的になると思います
なると思います
であとは次回はビッグゲストも
ビッグゲスト回そうだねそういえば
登場するんでお楽しみにっていう感じで
そうだねまあだからそう
2回連続でなんかちょっと本っぽい感じになったけど
まあちょっともうちょっと我々もやらかして
特集名は言っていいんじゃない?
57:00
特集名言っていいの?
いいじゃない別に
じゃあゲストは言わない?
脱構築されない?
脱構築されない?
されないでしょ
おしゃれとは何か
次回おしゃれ回です
ご期待ください
ご期待ください
はいではでは