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こんにちは、上水優輝です。
永里優輝です。
コーチングの始まり
さて、今日はコーチングについてお話ししたいと思います。
コーチングについて。
選手辞めたじゃないですか。
辞めたので、最近…
ちょっと待って、選手辞めたじゃないですかって面白いですね。
最近、コーチっていうか、個別指導っていうんですか、選手に対して、個別トレーニングをするっていうのをちょっと始めて、
というか、頼まれたので、やり始めてみたいな感じなんですけど。
最近、シカゴにチームがあって、そこに所属する日本人選手の個別トレーニングを始めたんですね。
で、その子試合にちょっと出てなくて、
で、時間があってオフの日とかお願いしてきてトレーニングしてくれませんかっていう感じで、それで始めたんですよ。
で、始めた当初と、
3週間、4週間くらいやってるんですけど、
明らかに動きが変わってきて、
で、選手を予約して試合に出たんですよ、ちょっとだけ。
そのコーチングというか、指導をしてるってわけでもないんですけれども、
技術的な部分だったり、体の使い方の部分だったり、毎日何かを意識させるだったりとかっていうところをしっかりやらせたら、
こんなにも動きに変化が出るもんなんだっていう事象を目の当たりにして、
なんか選手時代より、なんかこれやりがいあるなって思ってる自分がいるんですよ。
で、だからもっとコーチングについて勉強したいなって思ってる自分がいて、
なんかコーチングをする機会とかってあったりします?上道さん。
コミュニケーションの重要性
えーとね、やんわりコーチング的なるものをやることがあっても、そんなガッツリ人を指導するっていうようなことはないかもですね。
なんかそういうのを求めてる人もあんまりいないって感じですか?
いるけど、その今の例ってすごく具体的じゃないですか。
サッカー選手がサッカーがより上手くなるというかより良くなるために、
サッカー経験者というかレジェンドが指導することでパフォーマンスが高くなるっていうすごくわかりやすい例だと思うんですけど、
僕が何か関わるとしたら、もうちょっと抽象的になるじゃないですか。
例えば僕は別にセールスのプロでもなければ何かのプロでもないから、
もうちょっとふわっとしたところのコーチングになっちゃうから。
でもビジネスコーチングってありますよね?
ある、あるけど。
なんかYouTubeとかで見てると、そういう感じのコーチングの指導のYouTubeビデオとかがやっぱり出てくるんですよ、ビジネス関連の。
そうですね。それはね、今度僕がやりたくないのかもしれない。
なんか友人にアドバイスレベルでちょっとこうしたらいいんじゃないですかみたいなのは好きなんですけど、あんまり指導するみたいな感じで育成するって。
それもうわからなくもないんですよ、私も。
ここまで踏み込んでいいものなのかっていう。
どこまで何を与えていいのか、どこまで自分の価値観を押し付けていいのかっていうのがちょっとわからないなって思うところはあるんですけれども、
でもそこは割り切って受け取るのはあっち次第だから、選ぶのもあっち次第だから、とりあえず100%こっち持ってるものを与えるっていうのをやるべきなのかなってちょっと最近思ってるんですけど。
いや、そうだと思います。
どうなんですかね。
領域がやっぱり決まってるからすごくいいと思いますけどね、サッカー選手っていう。
でもサッカー選手もやっぱり人それぞれ考え方とか、トレーニングメソッド的なやり方みたいなのとか、結構こだわり持ってる人は持ってるんですよ。
だから考える前提の考え方が違うと、こっちが言ってもそれが理解までは行かないみたいな。
あるね。
ありますよね。
経営とかもやっぱりありますもんね。
だから、そうなんですよ。
で、ある程度こっちの考え方を知った上で来てくれるんだったらこっちもやっぱりやりやすい部分はあるんですけど、全く何も知らない上で来られると、これを言っても大体これを言ったらこういうことかっていう風に頭の良い人になるじゃないですか。
けどそうはならない人に対してどうコーチングしていくのかっていうのがすごく難しいなって感じることもあって。
それはもう本当そうですよ。僕は全く僕のことを分かってない人にコンサルとかするのは難しいですもん。
そうですよね。
コミュニケーションのコストがやばすぎるっていうか、一時伝えるのにものすごい時間がかかるっていうかね。
信頼関係を築くところまでの、ゼロから1までのところにめちゃめちゃ時間がかかるみたいなやつなんで。
そうなんですよね。メンターシップやっててもそうなんですよね。この選手はどの程度まで知ってるのかっていうのを、プレーを見ずにどうやって知っていくかっていうのはすごく難しくて。
聞いても質問しても表面的なものの答えしか返ってこなかったりだとか、
じゃあ実際にそれを頭で理解してたとしても、それを実際にアクションに起こせてるかどうかっていうのも実際は確認できないじゃないですか。
プレーを見てるわけじゃないので。
じゃあどうやって思考の部分の変化っていうのを導き出していけるのかなとかも思ったりするし。
意外とメソッドだったりとか、すごい哲学だったりとかを伝える以前に、やっぱ好きになってもらうとかがすごい重要だなって思ってますね。
選手との関わり
自分のことを好きになってもらう。
僕とかだと、ある会社の若手社員のこと、それこそパーソナルトレーニングじゃないけど、
この子に仕事の仕方を教えてってくださいみたいな、すごいざっくりした触られ方をして、月に2回ぐらいその子とセッションするみたいなのが3ヶ月ぐらいあったのかな。
で、いろいろ話聞きながら困ってることが具体的にあったから業務上。
それはこういうふうにしたらすごい楽になるから、こうやったらいいんじゃないですかとか、板挟みでここが難しいんだとかいうときとかはこういうふうにコミュニケーションしたらいいんじゃないですかとかっていうことをアドバイスするのとかをやりながらも、
1ヶ月ぐらい経ったら何も1個もやってこないから、もう20個ぐらい伝えたけど1個もやってないとどうだろうみたいな感じで、
同じことをまた言ってきてるから、これはもう何か方法がわからないんじゃなくて、やりたくないんだなって思って。
だからもうやりたくなるしか方法はない、もうそれ以上ない方法を提示してるし、その方法をやりやすくするためのコツみたいなのもお伝えしてるから、
やろうと思えばもはや誰でもできるっていうところまで紙砕いてるのにやらないっていうのはもう本人の問題になっちゃうので、業務上はね。
ただ、変化が起こってないっていうのは僕の問題になるけど。
けど、そのやってないのはもう本人の問題だから、あんまりそこをプレッシャーに感じずに自分自身、切られてもいいやと思って契約。
もう純粋にその子に向き合うというか、アドバイスもするけど、どっちかと言ったらずっと仲良くなるような会話をしてたら、契約がいよいよやっぱり切られることになって3ヶ月ぐらいで。
ちょっとやっぱりもうやっても変化なさそうなんだよみたいな。
そしたら契約が切れるっていうタイミングで、急になんか要はもうコミュニケーションなくなるじゃないですか、切れたら。
なんかまた喋りたいからって頑張りだしたっていうのがあったんで。
ヤバい、それは良さそうですね。
だからこのセッションは当たり前じゃないんだと。
この作戦いいな。
これができるのは私が結果を出しているというふうにクライアントから見なされて初めてこのセッションを成立してるから。
そうなんですよ。
そこにフォーカスしすぎると確かになんか嫌なコーチっていうかね、なんかガミガミ言う人になっちゃうからそうはしたくない。
あなたと人間的に接していきたいんだけど、人間的に接してあなたが結果出さなければ別に普通に切れちゃうもんね契約が。
終わっちゃうよこの関係っていう。
そこなんだよねみたいなバランスがやっぱり難しい。
あーなるほどな。
それぐらいの余裕を持ってやった方がいいのかもしれないですね。
メンターとかは。
切られちゃいますくらいの感じじゃないですか。
一人そうですよね、見てる子が試合にほんと全く出てない子で、目標が結構高くて。
で、話を聞いてなんで試合に出てないかっていうのを導き出そうとするんですけど、
なんかそのコミュニケーションの部分しかやっぱり出てこないんですよ。
コミュニケーションがまだとか、監督とのコミュニケーションがみたいな、コミュニケーションからやっぱりそこから外に抜けれないっていうか。
確かにそこに問題はあると思うんだけれども、それ以外にも何かあるよねっていうところに気づかせるのが難しいというか。
しかも別にそこに問題があるとしても他人が関係してることって難しいから。
自分にフォーカスを向けてほしいっていうのがすごくあって、それは他人が関わることだからっていうところで。
試合に出てないのに絶対に能力的な問題も絶対あるだろうし、
能力的なところで何が足りないのかっていうところにもう少し目を向けてほしいなっていうところで。
でもプレーは見れないからどうやって指摘していいのかもわからないしみたいな。
すごく難しくて。
だから月に1回から2回ぐらい話す程度で、あとはテキストでやり取りをしたりだとか、
これをやった方がいいよっていうドリルとかエクササイズ的なのを送るんですけど、
やってるかどうかわからないですけどね。
それに対する返信とかあんまないんでちょっとわかんないんですけど。
これじゃない、これコミュニケーション取れてる感じじゃないですよ、だから。
確かに本人がコミュニケーションが問題にしないでるんじゃないっていうのが、
これを自分で感じてるんで、それが原因なのかなってちょっとわからなくもないんですよ。
コミュニケーション問題だなって思ったな。
思った。
なるほど。
難しいよね。
難しいよね。
難しいなと思いながら、だからどっちが向いてるかって言ったら、
私多分直接指導するほうが向いてるんだなって思って。
間接的なものよりも。
僕はね、結果がふわっと見えづらいけど、間接的に指導のほうがいいかもしれないですね、僕は。
なんか手応えなくないですか?
手応えないですよ。
ないですよね。
なんもなくないですか、手応え。
手応えないけど、やっぱね、面白いことに、
どっかのラインで急激に変わり始めるみたいなのが手応えかもしれない。
やっぱ来るんですね。
やっぱしんぼう強く仲良くなり続けるっていうのが一番いいのかもしれない。
でも仲良くもやっぱ舐められちゃダメなんで、なんか信頼されるみたいな、
なんでも話せるし、頼りになるなって思ってもらうのにやっぱ時間がかかるっていうか、
やっぱ警戒してるから、なんでしょうね、
自分で申し込んできてる人とはやっぱ違うじゃないですか、
誰かからこの子見てあげてみたいなのが来るパターンってその子は別に見られたくないじゃないですか。
でも基本本人の意思で来てるんだ。
来てますね。
なのにコミュニケーションなんかあれなんだ。
そっか困ったな。
そうなんで、なんなんだろう、ちょっとでもプライドもあるのかなっていう気はしてて、
だから一応試合に出てるか出てないかチェックしてるんですよ。
試合どうだったとかって聞くと、2日後ぐらいにやっぱ帰ってくるんですよ。
試合は出てないんですけれども調子がすごくいいですよね。
どうやって返したらいいんだろうっていう。
すごく難しいなって思っちゃうんですよね。
課題と自発性の重要性
なんかその別にその質問があるわけでもなくて、
なんかこう課題を何かこう感じていて、こうどうしていいか、
そういうのがあって、
どうなんでしょうね、なんかその、
それができるような人ばっかりですか、基本的には、
その自分で何か課題感みたいなの持ってて、
これを自分でやってるような人だったり、
それができるような人だったりっていうことで、
もうそしたら、
なんかその、
その、
ですか基本的には自分で何か課題感 みたいな自分持っててあーそんな聞いて
これるような人たちばっかりですか いや逆の多いですね
課題見つけられる人のが少ないですね ねえねえねえそんな気がする
確かにそのそれが何か課題を見つけて 自分でいるのが当たり前だと思ってそれ
は私だけだ
それはチャンピオンズリーグで優勝する 人の
思考でしょ そうだった
でしたでもやっぱでも与えたらあのやる こやるんですよね
うんそこの違いはやっぱりませんやる とことんやれることを
与えたところで与えられまちでこう与え てもやらないみたいな子もやっぱいますし
いやーそこのねーやっぱそうありますね ありますねうんあるあるビジネス界隈
もありますよ やっぱるんですね
指示待ちだけど言ったらめっちゃ切ってる タイプと寝る子指示待ちなのに言っても
やらなくてでも気持ちが乗ればやるみたい な人もいるしみたいな気持ちの
マネージメントみたいなそういう重要 みたいな人もいるしなんか
なんかそうですねいっぱいいるんだなぁ って
ある程度トップのレベルでやってる人でも 全員が全員課題を自分で見つけてこう行ける
わけじゃないんだなぁっていう
面白いなぁ どうやってここまで来たんだろうって
がちょっと思っちゃうんですけど
そうですよねうんまあとても良い指導者 がいたんですかねなんか常にそうなんのか
その何でならそのもともと持ってるその 能力だけで来てもう頭落ちになっちゃってる
のか確かにここに来て
だからなんか余計にそういうコーチング っていうかそこの
ポジションの役割っていうのが現代っ子 にはすごく重要な気がするんです
指導者の役割
今は結構なんか指導者に重きがすごく 置かれている時代だなってすごく感じて
良い指導者がいないとこう選手はなんか こう潰される選手は伸びないみたいな
だから結構なんか指導者のせいにされる 比重の方がちょっと高いかなっていう
感じはしてるんですよね そうですか
だからなんかこう自分でそういうふうに 考えて課題見つけて解決していくっていう
力も育っていかないしみたいな なんかそれがそのサッカーだけじゃなくて
教育全般に言えることなのかもしれないん ですけど
選手が悪いんじゃなくてなんか指導者が 悪いみたいな流れになってきてるなーっていう
のがちょっとあるんですよね
あの会社とかもそうな気がしますね 前は前で良くなかったと思うけど全部
社員のせいになってたみたいなのが今は やっぱりもう経営が悪いからだっていう方に
シフトしてるみたいなのがある気がする 何なんでしょうねそれって
なんかでも確かにそれはそれで一例あるんです けどどっちかじゃないよなっていう
どっちもでしょっていう 両方ですよねだから指導者もその
なんだろう選手たちの邪魔をするような 指導者は論外ですけど
論外ですけどね 論外ですけど
必ずしも高めてくれなくても自分たちで 高めればみたいな部分はありますもんね
そうあるんですよだから例えばその自分の 戦術チームの戦術だったり指導者
の影響で自分のパフォーマンスをやっぱ 最大化できないみたいになることって
まぁあるんですよ あるんですけれどもその中で
自分の力を発揮しなきゃいけないのが 私は思ってるんですよね
けどそういう状況に陥ったときにその影響 もろに受けてしまってそこから自分の
パフォーマンスを自ら出しに行くっていう ところまでいけない人が9割だなって思う
そんなに感じ
もちろんわかるんですよ観空のやり方も そうだし周りにいる選手の影響もあるし
システムだったり その関係性だったりっていうのを見てると
まあ確かにそれだとムズ発揮するのは 難しいよねってのはわかるんですけれども
それでもなんかやりようあるでしょっていう ふうに私は思っちゃうんですけどこれって
選手に求めすぎなのかなっていう いや求めすぎじゃないとも言いますけど
多分マインドがもうそうなっちゃってるから 伝え方が超難しいって感じですよね
求めていいラインだと思うけどそこに 自分で張ってなれたらいいけどそのまま
行っちゃうとなんかやべえなんか言われたわ ってなんかこう
うわ嫌だなってなりそうな感じのメッセージ じゃないですかでもそれに自分で気づいて
そうだなって自分でできることを自分で やればいいんだとか自分から起こせること
ってあるよなって思えたら すごい変わると思うんですよねプレイが
それはサッカーだけじゃなくていろんな 生き方って多分そうでかいじゃないですか
コミュニケーションと成長
生きるということは全部周りの選手はずっと なんかねうまくいかないじゃん
自分のために周りがいるわけじゃないからさ そうなんですよね
自分がパスを呼んでるのにそれに気づいて もらえなくてパスが出てこないことが
ものすごく多い でそれはなんか周りのその認知力が
低いから低いしそのサッカー観的にそういう ところを見ないサッカーで育ったから仕方ない
みたいなねまあそれは確かに仕方ないんです けれどもじゃあ
その受けたいその自分が受けようとしている ポジションというのは自分が受けたい
ポジションだよねっていう じゃあそこからそのじゃあ味方が持っている
そのボール味方が出せるところだったり 出したいところに動くっていう選択も
できなくないっていうふうに思うんですよ その自分が受けたいところじゃなくて
その人が出せるとこ出したいとこみたいな ところに動きを変えるとかなんかそういう
発想にならないのかなとか
でその出てこないのはその人が見てくれない からっていうふうに
思う人が多いなっていう 日本人あるあるの感じがしますよね
コミュニケーション的にはなんか気づいて 欲しいというか自分で主張はしない
というかね うんそうそうなんですよ
そういうのとかすごく気になるんですよね そういうマインドセットというか
そういう選手に対するそのコーチングとか その選手のなんだろうプライドを傷つけずに
とかっていうのも考えなきゃいけないし 確かにそれは良さではあるけどじゃあ
そうじゃないところにもっと目を向けなきゃ いけないよねっていう
ところに持っていくのとかも どういう声かけをしたらいいのかとか
確かになぁ ずっと日本にいてそのアメリカに出てきて
すぐみたいな感じなんですかねそういう 選手たちって
ああそうですねまあなんか数年ですねアメリカに 来て数年とかそういう感じですね
1年目とか2年目とか
なんか気づいてください系の認知ってやっぱり 日本に行っても多分やばいんですけど
仕事とかになってくると けど
よりアメリカとか行くとね余計そうじゃないのって 気づいてくれないんじゃないのっていう
イメージがすでに僕でさえあるから 自分でもちょっとこうさっき言った
みたいに自分から合わせに行くか自分で 主張して自分はそこで欲しい人間なんだ
ことを周りとコミュニケーションしていって もう分からせるぐらいのパワーを持つか
どうするかやっていかないといけない なんで気づいてくれないんだろうとか
気づくわけないじゃんってなると思うんです けどどうなんだろうね
わかんない
だから話せば話すほど
プレイを見れば見るほどそういうのがなんか よりそういう風になってこういうことなんだ
自分がここでパスをもらいたいこの タイミングでっていうのは自分の世界
じゃないですかそうですはいねさっき 長谷さんがおっしゃった通りそのじゃあ
ボールを持ってパス出す人はその人が 出したいところ出せるところってがあって
そこにはギャップがある可能性があると それは別の世界を生きている他者だから
ですよねみたいなことが分かんなくなっ てる人は結構いっぱいいるなって思うん
ですよ 自分はそうだからそうのはずだっていう
のがこう言葉にするとそんなわけねーじゃん って思うんだけど生活レベルではそう
思い込んでる人がめちゃくちゃ多いなって そうですね確かに
これやばいな何とかしなきゃなんとかし なきゃっていうかこのままだとちょっと
一緒にやれないなってことがよくあるっていう そうなりますよね一緒にやれない
ですよねそれはもう正義をぶつけられる みたいな感じなのかな
そう正義のぶつけ合いみたいになっちゃいます もんね
でしかもその外国人の方がその人に合わせる なんていう感覚は日本人よりはないんです
よね 文化的にそもそもあんまないってことですよね
文化的にはいなので日本人のがそういう 感覚を持ってるはずなんですけれどもその
日本人がそれをできないっていうのはどういう ことなんだってちょっと思っちゃうわけなんですよ
でそれをやった方が自分のそのプレーの パワーも引き上がるしできることも増える
のはもう確実なんですよ それは自分がいつもそのね
心地よいところでボールを受けるわけでは なくなるのでそこの違うところで受けた
ときに求められる技術っていうのがやっぱ あるわけなので
それができるようになったらにレベルアップ できるじゃないですか
気づくそこに取り組まないのはなぜなん っていう疑問とかもやっぱありますよね
コーチングかしろって話は逸れてます けど
求めすぎなんですかね
いやいやだからやっぱもう本当 情報がどう刺さるかだと思うんですよね
結局その情報が情報として受け取られて しまうみたいな問題ってあると思ってて
例えばさっきのボールパスをもらう話で 言うと自分が合わせにいけばいいじゃん
っていう話をするとするじゃないですか 自分が合わせにいけばいいという
その結論だけ入ってると思うんですよ 頭に
そうするとそのプロセスみたいなところが さっき長谷さんの話で言うと
文化的にまず合わせるみたいなことが 自分たちの方が得意であると
相手はそもそもそういう観点を持ってないから なんで合わせてくれないんだとか言っても
合わせることがそもそも難しい相手である っていうことが一つと
自分が合わせにいくことによって 新たな技術を身につけることができるとか
新しい自分が成長できるきっかけにも なるじゃんみたいな
いろいろ要素があるわけじゃないですか
故に自分から合わせに行った方が良くない って話をしてるわけだけども
その間が抜けちゃうとですよ 損してる人みたいになるじゃん
なんで自分が合わせなきゃいけないんだろう みたいな 大変じゃんみたいになるじゃないですか
そうか その説明もしなきゃいけないのか
説明しても入んない可能性があるから その意図みたいなところをどう入れるか
みたいなのがすごく重要で 確かに自分たちは日本人として生まれてきて
その生まれながらにして 育ってきて得てきた感覚ってのがあるんだ
それを生かさない手はないなって そのポジティブな感覚で本人が思えれば
変化を促す背景の理解
やってみようって思えると思うんですけど
だからそこの背景のところをどう伝えるかが 多分重要になって
それはサッカーだけじゃなくて いろんなことを伝えるときに
結局結論の情報だけ入っちゃうと
どういう背景でこれ言ってるかどういう目的で 言ってるかが理解足りないまま
そこだけ入るから 全然違う結論に至っちゃうみたいな
めんどくさいとかになっちゃうみたいな
やらないほうがめんどくさいよ みたいなことが分かんないみたいな
でもその背景を理解しようとするとか そこにどういうプロセスがあるかっていうところよりも
結果を求める人が多いじゃないですか その最後の結論みたいなところを
でもじゃあその求めてる結論 じゃあこっちが言ったとしても
そのことを理解できない 理解しようとしない
背景が読めないってなると じゃあこれは
それはあなたが求めてること 私とは言ってるけれども
なんだろう
なんて言ったらいいんですかね これ
役に立ってないというか
求めてることと その求めてることを返しても
それがあなたのためにはなってないよ っていうふうになっちゃうじゃないですか
なんかなんだろう そっちは結論
あなたは結論を求めてる じゃあこっちも結論だけを与えます
じゃあ与えた結論に対して これじゃ分かんないよみたいなことを
言われてるような感じがするんですよ そうなると
いやでもね 分かってるんだと思うんですよ
それが分かってるって思ってる内容が 間違ってるみたいな
こっちはAというルートで その結論を言ったのに
なんか結論を捉えて Cのルートに入っちゃってるから
いやいやCのルートに入っちゃったら 意味ないんだよみたいな
そういうことか Aのルートでこのゴールに辿り着くよね
みたいな話をしてるのにみたいな なんかCに入っちゃってるから
むしろそうしちゃうと 何にも意味がないみたいな
結論一緒だけど何にも意味がない 確かにそれだとやらないよね
みたいな意味がないんだからさみたいな
意味があるのはこのAのルートだから この結論に意味があるんですみたいなことが
伝えるのは難しいなって思ってるって感じですね
それは論理とかでもなくなって思ってるっていうか
論理が分からないのかなとかいう話でもなくて
なんか上手く言えないけど
究極分かりたいか分かりたくないか みたいな世界というか
もうそこになってきますよね
だからもうちょっと真相心理には
自分の不安だったりとか
自分はもうこれ以上頑張りたくないとか分かんないけど
すごい真相心理としていろいろあって
もうなんかフィルターかかってる感じになってるんじゃないかなと思うんで
そこのフィルターを外して
その結論とそのAのルートの話をしたら
初めてパキッと入るみたいなのがあると思うんですけど
それが意外と情報を与えたから
そうなるってことでもないなっていうのが思う
それこそこのセッションが
来月終わることになりましたって言ったら変わるみたいな
なんかそこでフィルター外れるんだみたいなのとかあるから
今まで散々言ってきたことが
急に全部覚えとったんかいみたいになってるんですよ
で終了したけど結局3ヶ月で僕の場合は
結局終わったんですね
終わったんですけど終わるって決まったから
でもすごいあの後変わってたみたいな
でクライアントからめっちゃ喜ばれて
またちょっと再開しようかなと思って
それはその終わる時に言ったんですよ
もうこれ一応ね
今月で終わることになっちゃったんですけどみたいな
やっぱりそれは変化が
この時間は自分は有意義だと思ってるけども
変化としてその依頼主には受け取ってもらえなかったから
今月終わるようになっちゃったんで
またこのセッション再開するためには
あなたが変化したなって思ってもらったら
もしかしたら意味があると思って
また依頼があるかもしれないから
ぜひ頑張ってくださいって言って終わったら
マジで頑張りだして
でも変化のタイミングって
結局人それぞれだなって思いますよね
タイミングと人間関係
その何かトリガーが入るタイミングだから
気づくタイミングとか
どこなのかわかんないかなそれは
わかんないですよね読めないですねそこって
やっぱりそれも含めて
なんかそれになんか振り回されずに
関わり続けるっていうことの方が重要なのかなって
今話を聞いても
そうな気がします
あまりこちらの意図というか
その状況を押し付けるような感じになっちゃうと
向こう向こうで不可だろうから
なんか人間として接するみたいな方がいい気がしますよね
いいアドバイスをいただきました
いやー難しいですね
人が人を変えるって
そんな簡単なことじゃないですよね
簡単なことじゃないですね
なって思いました
いやーでもお仕事がね
またそうやって広がりが出てるみたいで
よかったですね
はい楽しみにしてます
今後のご活躍も
ありがとうございます
はいというわけで
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それではまた来週じゃなくて
また来月さよなら
さよなら