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始まりました、志賀十五の壺。皆さんいかがお過ごしでしょうか。妖怪人間ベムです。
以前、シャープ527で、言語類型論、「語とはさらである」っていうエピソードを配信しております。
言語類型論っていうのは、英語でタイポロジーと言って、
言語を分類する言語学の一分野なんですよね。タイプ分けするっていうことですけど、
いろんな基準があるんですよね、当然。 その一つの基準に、
この語、単語の構成に従って、
言語を分類するっていうようなね、そういった方法がございます。 で、そのシャープ527で話したのは、
タイトルにあるようにですね、語っていうのを更に見立てて、 考えてみたと。
まあ、そこでね、同じ話をしているので、ぜひ合わせて聞いてほしいんですけど、 例えば、
何か伝えたい内容が食材だとしたら、 皿っていうのが語に当たって、必ずその食材そのまんまで渡すんじゃなくて、
お皿に乗っけて渡さなきゃいけないと。 で、そのお皿に乗っけるやり方っていうのは、
各言語によって結構様々だみたいな話をしたんですよね。 分析的言語と言われるような言語は、
一つのお皿につき、 一つの食材しか乗っけらんないみたいなタイプで、
中国語とかね、ベトナム語っていうのがよく分析的な言語と言われております。 それに対して、
一つのお皿に複数の食材を乗っけるっていうことができる言語もあります。 そういった言語は統合的言語と言われます。
日本語がよくそういうふうに言われてて、 確かね、そこでも例を挙げたのは、「食べさせられなかった」みたいなものだと思うんですけど、
この食べさせられなかったっていう一単語、一つのお皿の上には、「食べ」っていうのと、「使役のさせ」、「受け身のられ」、「否定の中」、
そして、過去の「他」っていうようなね、複数の食材があると。 これがもし分析的言語だったとしたら、それぞれの使役なり受け身なりっていうのは別々のお皿で提供されるだろうと、
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そういったお話をしております。 この統合的言語よりも、さらに食材を乗っけることができる言語っていうのもあるんですね。
それについて、 シャープ527ではどのように言ってるかっていうのをね、
ちょっと聞いてみましょう。 日本語みたいな統合的な言語の上に、
さらに副統合的な言語というものがあるんですね。 統合的っていうのをシンセティックと言って、
副統合的な言語を ポリシンセティックと英語で言います。
で、この副統合的な言語は言ってみれば、 なんか品目が多く入っているサラダっていうことをですね、やたらめたらいろんなものが入っているものがありますけど、
あれです。 こういう副統合的な言語になると、
他の言語では文で表すようなものが、 まあ一つのお皿に乗ってね、つまり一つの単語で表されるんですね。
どんな言語かというと、こういった言語はね、少数言語が多いんですね。 例えばアイヌ語とか、
シベリアのチクチ語とかコリアーク語とか、 あるいは新大陸のいわゆる先住民の言語である
とか、 まあ言ってみればマイナーな言語に
副統合的な特徴が見られます。 これはもちろんたまたまだと思います。
今お聞きいただいたようにですね、シャープ527では副統合的な言語はマイナーな言語、
話者が少ない言語でよく観察されると、 それはたまたまだと思いますと言ってるんですが、
実はこれはたまたまじゃなくってちゃんとした理由があるという説もあるんですね。 今回はそのようなお話をしていこうと思います。
今回参考にしているのは、言語が違えば世界も違って見えるわけというガイドイッチャーという先生が書いている本です。
これはね10年ぐらい前にすごい流行って、 僕の感覚ではね、流行った本で、最近去年だったかな、
文庫で出ています。早川書房で文庫で出てますので、ぜひ皆さんも読んでいただけたらと思うんですが、
副統合的な言語っていうのは、さっき言ったようにお皿に、 つまり一つの語の中に情報量が多いということで、
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要は単語の構造が複雑だっていうことですね。 例えば、
その動詞の中に主語が何かを表す、 これはいろんな言語であることなんですけど、主語に加えて目的語や間接目的語の
情報も動詞に表すっていうのが、 副統合的な言語なんですね。
このような副統合的な語、複雑な語が見られるのは、 比較的話者が少ない、
単純な社会の言語で見られるっていうのは、
これはたまたまではなくて、 理由が3つぐらいあるというふうに、
このガイドイッチャー先生はおっしゃっております。 一つは話者が少ない、
あるいは社会が、共同体が、コミュニティがこじんまりしていると、 必然的にその自分の親しい人とか身近なものについて話すことになります。
となると、それこれあれとかね、彼とか彼女とか、 そういう代名詞とか支持詞だけで結構話が済んじゃうんですよね。
ただ単純に彼と言っただけでも、誰のことを指しているかわかると。 そういう親しい人とかね、身近なものを表す代名詞支持詞っていうのは、
どんどんどんどん簡単な形式になって、 節字と言われる単語の一部になりやすいんですね。
そのために、主語の一致とか目的語、間接目的語との一致の、 語のパーツになるというのが一つの説明としてあります。
まあこれはなかなか面白い仮説だと思いますね。 で、別の説明として
逆に、話者の多い言語、大規模な社会の言語っていうのが、なぜ 副統合的にならないか
つまり語の構成が単純かということですが、 いろんな人が使うからっていうのがあって
まあいろんな人が使うっていうことは、ある程度形が単純じゃないと なかなか覚えられないものなんですよね。
一種のクレオル化と言っていいと思います。 英語もね、そういった側面はあると言われていて、英語の単語
特に動詞の変化っていうのは、昔はもっと複雑だったんですけど、 一種のクレオル化
言語接触の結果、 現代英語は単純になったっていう説があるんですね。
こちら関連エピソードが確かあったから、ぜひそちらも合わせて聞いていただけたらと思います。
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それともう一つ、書き言葉があるっていうのも、 ある意味で
副統合化を食い止めている要素となっていて、 書き言葉っていうのはある意味で、一つ前の世代というかな
ちょっと昔の言語の形を保ってるものなんですよね。 で、そういうものがあると
話し言葉の方はどんどんどんどん変化していっても、 書き言葉が規範的なものとして、一つの単語としてね
まとめあげるのを食い止めてるっていうね、そういった側面があるということなんですね。 まあこういった要素が絡み合って
副統合的な言語は、話者の少ない言語で見られると、 その要因になっているということです。
まあ簡単に言えば、話者の数が少なければ少ないほど、 一単語の情報量は多くなるっていうことなんですね。
ぜひね、今回は関連エピソードがいくつかありますので、 そちらも合わせて聞いていただけたらと思います。
参考文献もね、ぜひ読んでいただけたらと思います。 それではまた次回のエピソードでお会いいたしましょう。
お相手はシガ15でした。