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2025-10-25 11:45

#802 古代日本は“征服された”のか?騎馬民族征服王朝説 from Radiotalk

関連エピソード
https://youtu.be/y5iyK29uiYU
https://youtu.be/BqRNu4tuhDI
https://youtu.be/1aCTf1dgvXc

主要参考文献
江上波夫 (1991) 『騎馬民族国家: 日本古代史へのアプローチ』 東京: 中央公論社

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育

サマリー

古代日本における騎馬民族の征服王朝説について議論されており、江上奈美雄がこの説を提唱し、古墳時代の文化的変化が紹介されています。また、考古学や言語学的な観点からこの説に対する反論や支持が語られています。

騎馬民族征服王朝説の提唱
古代日本は騎馬民族によって征服されたという、
騎馬民族征服王朝説という説があります。
これは江上奈美雄という先生が提唱した説で、
今でも中古新書でね、新書で出ているので読めるんですよね。
この新書が出たのが1967年で、説の発表自体は戦後すぐとかなので、ずいぶん前に提唱された説なんですよね。
ここで古代日本と言っているのは古墳時代ですね。縄文屋酔いときて、その後日本史の区分としては古墳時代が来るわけですけど、
その古墳時代に大陸から馬に乗った騎馬民族がやってきて王朝を立てたというのがこの騎馬民族征服王朝説です。
この番組でも古代日本の話は何度か多分していて、縄文時代の日本語の話をしたこともあるし、
弥生時代の日本語の話もしたことがあります。
それと奈良時代の日本語の話もしたことあるんですけど、その間の古墳時代についてはあんまり話したことが多分ないんじゃないかなと思います。
関連エピソードがございますので、URLからね、そちらも合わせて聞いていただけたらと思います。
BGMです。
始まりました。4月15日のツボ。皆さんいかがお過ごしでしょうか。ソフィアローレンです。
江上奈美雄説にのっとれば、古墳時代は前期と後期に分かれるそうです。
その根拠として古墳の構造、作りが前期と後期で大きく違うそうで、
後期の古墳時代になると、我々に馴染みがあるというかね、よく知っている前方後円墳。
前方部分と後円部分が大きさとしても高さとしても均等な、そして規模も大きな古墳が大きく作られるようになったんですね。
そういう古墳そのものも違いがあるわけですけど、服装品、一緒に納められているものもちょっと傾向が変わってきていて、
前期の古墳時代だと象徴的な、あるいは呪術的な意味合いの強い服装品が多いんですが、
後期古墳時代になるともうちょっと実用的なもの、あるいは日用的なものが増えて、武器とか、あるいはバグとかですね、こういったものが納められるようになったそうです。
で、そういった武器やバグ、あるいは服飾品なんかが、時代としては3世紀から5世紀にかけてのモンゴルとか、あるいは中国北部で活躍した東北アジアの騎馬民族の文化と共通しているところがあるそうなんですね。
こういったことから江上先生は、騎馬民族征服王朝説を唱えました。
前期の古墳文化は、その前の弥生文化と連続している、共通しているようなところがあるんですが、
そこから後期の古墳文化、古墳時代っていうのは急激な変化が認められるので、おそらく大陸部から騎馬民族がやってきて、求神的な征服をしたんであろうということなんですね。
説の反論と検証
そして何より古墳時代の後期になると、大規模な馬の飼育も認められるんですね。
馬だけが大陸からやってきたと考えるよりは、それを扱う人間と一緒に日本列島にやってきたと考える方が自然なので、そうなるとその時代に騎馬民族がやってきて、武力でもって日本を征服したんだと言うんですね。
今お話ししたのは考古学的な証拠ですが、これを日本初期とか古事記とかと照らし合わせて考えると、そういう紀記に登場する天津神が、もともと日本に住んでいた国津神を征服するんですよね。
これがいわゆる国譲りで、この国譲りにおける天津神というのが、今お話ししている騎馬民族であったと考えるんですね。
さて、散々お話ししている騎馬民族征服王朝説ですが、これは考古学的には否定されているそうです。
僕はそっちの方面全然わかりませんけど、かなりとんでも説というかね、オカルートに近い感じで全然受け入れられてはいないそうです。
例えば弥生時代から古墳時代にかけて、植文化の変化というのはあまり認められないそうです。
稲作というのは皆さんご存知の通り弥生時代に入ってきたわけですけど、その稲作は古墳時代でもずっと続いているし、
乳製品を含むそういう騎馬民族的な植文化っていうのが認められないんですね。
あとは遺伝子的にも、日本人の遺伝子にあんまり騎馬民族のルーツはないとか、いろんな方面から反論があるんですね。
では言語学的に見てみるとどうなのかというと、そもそも文字資料がないので、一つそこが大きな壁となります。
文字資料ができるのは次ぐらいから始まる奈良時代ですね。
奈良時代になれば万葉仮名を使ったその資料というのがあるので、我々が学校で習う古墳より1個前の時代の日本語の姿というのがわかります。
上代日本語とも言われることのあるこの奈良時代の日本語については文献があるのである程度確かなこともあるんですけど、
古墳時代以前については関連エピソードにも取り上げている縄文語とか弥生語とかも含めですけどね、このあたりの時代の日本語については様々な説があります。
もし騎馬民族が古墳時代にやってきて日本を征服したんであれば、やっぱりその痕跡は言語にも残っていると考えるのが普通です。
一般的な傾向として征服した側の言語が征服された側の言語にとって変わられるので、今回の話で言えば騎馬民族の言語、チュルク系とかモンゴル系の言語だと思いますが、
そういった言語が日本で話されていた土着のネイティブの言語ととって変わられたとまず一旦考えるわけですけど、
現代話されている日本語とそういうチュルク系モンゴル系の言語の間には系統関係は認められていません。少なくとも定説にはなっていません。
征服した側の言語が完全に土着の言語ととって変わられるということはないとしても、少なくともその政治の言語というかね、上流階級の言語として使われるというパターンもあるんですよね。
例えばイギリスでノルマンコンクエストっていうのがあった時に、英語は庶民の言葉でしかなくなった、庶民の間でしか使われなくなったっていうようなことがあったわけですけど、それと同じような状況が古墳時代にもあった可能性は考えられなくはないです。
その言語全体がとって変わられるんじゃなくて、支配者層の言語だけがその騎馬民族の言葉だった。ただそういう状況だったとしても、釈養という形で騎馬民族の言葉の痕跡は残っているはずで、
特に馬とかその周辺、バグに関する言葉っていうのは当然そのものと一緒に日本に入ってきたはずなので、そういったものが釈養として残っているはずですが、そういった痕跡もないんですよね。
皆さんご存知のように、文化的にあるいは政治的にも影響の強かった中国からたくさん釈養があって、漢語という形で、現代日本語でも中国風語からの釈養の痕跡があるのに対して、騎馬民族の言語からの釈養っていうのはほとんど認められないんですね。
ですから言語学的に言っても、この騎馬民族制服を調節っていうのは支持しづらいかなと思います。
最後にお便りご紹介しようと思います。
ジミーちゃんさんからやってるやってるラジオトーク宛てにギフトいただきました。ありがとうございます。
そして好きな品種はどうしさんからギフトとメッセージお便りいただきました。ありがとうございます。
おくればせながら番組800回、そして阪神タイガース日本シリーズ進出おめでとうございます。ありがとうございます。
番組の方は一言語学好きとして、野球の方は一セリーグファンとしてどちらも楽しみに応援してます。ということで、好きな品種はどうしさんどうもありがとうございます。
今日10月25日からね、2025年の日本シリーズ始まりますので、阪神タイガース応援していこうと思います。
それではまた次回のエピソードでお会いいたしましょう。番組フォローまだの方はよろしくお願いいたします。
お相手はシガ15でした。
またねー!
11:45

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