1. 志賀十五の壺【10分言語学】
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2020-12-19 10:43

#237 言語によって思考は異なるのか? from Radiotalk

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
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始まりました、志賀十五の壺。みなさんいかがお過ごしでしょうか。志賀十五です。
みなさん、こういうふうに考えたことないですかね。我々は言語、言葉を使って、
物事を考えていると。 じゃあ、もし人間が言葉を持ってなかったら、
我々は思考すらすることができないのかなぁとかね。
あるいは、日本語母語話者であれば日本語を使って、物事を考えていると。
英語母語話者であれば英語、中国語母語話者であれば中国語を使って、 おそらく思考してるんだろうなぁってことですよね。
じゃあこの 母語である言語の違いによって、
なんか物の考え方って違ってくるのかなぁとかね。 そういうこと考えたことないでしょうか。
どうでしょうか。ないかな。 僕自身は
日本語母語話者ですからやっぱり、 なんか物を考える時は日本語を使って考えてると思うんですよね。
その言葉にならないような概念みたいなのを 言語に移し取ってるというよりはやっぱり、
言語を使って思考を組み立てているといった方が妥当だと思うんですよね。 ただね、これは非常に反省しづらいですよね。
わかんないと言えばわかんないと。 このように言語っていうものが思考とか考え方に影響するのかどうかっていう問題は非常に、
言語学の中でも厚いトピックでして、 こういうのを言語相対性仮説とか言ったりするんですよね。
言語によってその思考とかあるいは物の見方っていうのが相対的だっていう仮説ですよね。 もっと大げさに言えば世界が言語によって違うっていうことなんですよ。
この言語相対性仮説はサピア・ウォーフの仮説と言われたりもして、
2人の偉大な言語学者の名前から取ってるんですよね。 で、サピアとウォーフは
言語によって、 つまり母語によって世界の見え方が違うっていう考え方だったんですよ。
それに対する批判もあって一番有名なのはね、スティーブン・ピンカーっていう先生が
これに反論してて、 日本語でも読めるものに言語を生み出す本能っていうのがあって、
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その中でサピア・ウォーフの仮説を否定してたりするんですよね。 つまり、
母語に関係なくどんな人間でも普遍的な言語っていうのを持っているっていうことですね。 これを言語本能説みたいな言い方をすることもあります。
僕自身はどちらかというと言語相対性仮説を支持したいというか、 そっちの方が好きなんですよね。
やっぱり言語によって物の見方が違うっていう方が面白いんじゃないかなっていうふうに考えてるんですよ。
言語学の流れとしては、いろんな流れがあるんですよね。
言語っていうのは普遍的で本能的だっていう流れの時もあれば、
いやいや、母語によって世界の見え方が違う相対的なものだっていう流れの時もあって、 振り子のように揺ら揺らしているものなんですよね。
今日は言語相対性仮説、サピア・ウォーフの仮説を支持するようなものをちょっとご紹介しようと思います。
例えばこういう実験があるんですよっていうのが、
ちょっとこういう部屋っていうか場面を思い浮かべてほしいんですよね。
長い椅子がこう2つ並べてあって、
その長い椅子が平行に並んでいる間にくるくる回る椅子がありますよね。
それが置いてあると。
今あなたは片方の机の上に左から順番に1,2,3と並んだカードを椅子に座った状態で見せられていると考えてください。
何のことはないですよね。左から順番に1,2,3。
これを覚えてくださいと言われると。
今度はそのくるくる回る椅子に乗ったまま180度回転して反対側の机に向き合う形になると。
今度の指示は1,2,3というカードを渡されて、さっき見た順序通りに並べてくださいと言われると。
我々日本語母科学者にとっては何のことはない。
さっき左から1,2,3と並んでいるので覚える間でもないですよね。
そのまま与えられたカードを1,2,3と左から順番に並べると。
ただこれは母語によって並べ方が異なるんですよね。
日本語母語話者であれば、あるいは英語母語話者もそうですけど、1,2,3と左からですけど、
右から1,2,3と並べる人もいるんですよね。
実験の結果が全く逆になるってことなんですよ、母語によって。
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これはどういうことかというと、
日本語のように左とか右っていう方位を持つ言語であれば、当然左から1,2,3と並べるんですけど、
そういう言語ばっかりではないんですよ。
こういうのを相対方位を持つ言語とか言ったりします。
相対方位があるってことは、絶対方位があるってことなんですね。
なので右から順番に1,2,3と並べた人は、絶対方位を持つ言語の母語、話者であるということなんですね。
絶対方位ってなんだっていうと、これは東西南北を軸にして方位を認識している言語ということになるんですね。
なのでさっきの長椅子の実験で考えると、最初長椅子で見せられて、例えば東から1,2,3とあった場合は、
そのまま180度くるっと回ったとしても、東から順番に1,2,3と並べるってことなんですね。
なので絶対方位の言語の母語、話者にとっては逆でもなんでもないんですよ。
東から順番に1,2,3と並べているだけなので。
これって言われてみれば、そういう並べ方もあるかなと思うと思うんですが、
でも母語によってこういう違いが出てくるんですね。
つまりこれはどっちが正しいとか逆だとかそういう問題ではなく、
母語によって相対的に物の見方が違うということなんですね。
方位の捉え方が違うと。
日本語のように相対方位の言語の場合は左とか右っていうのがあって、
それは自分がどっち向いているかによって変わってくるわけですよね、相対的に。
そういう言語が母語である人にとっては左からとかそういう見え方になっているわけですよね。
一方これも繰り返しになりますけど、絶対方位の母語話者にとっては、
自分がどっち向いてようが、東は東、西は西、南北も含め、
方位っていうのは変わるものではないので、そういう並べ方になるということなんですね。
実はこれと同じような話を過去のトークでやっているので、リンク貼っておくのでそちらも聞いていただけたらと思います。
これはかなりサフィア・ウォーフの仮説、言語相対性仮説を支持する格好の例になっているんですよね。
これは面白いですよね。つまり言語によってものの見方が違うってことですからね、世界の捉え方が違うと。
あとよく挙げられるのは色彩語彙、色の名前の問題で、
これも日本語で考えれば割とわかったりするんですけど、
昔の日本語で青って言ったら青と緑も含んでたんですよね。
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青信号とか青ガエルとか考えるとわかるように。
なのでこれは、昔の日本語を母語話者にとっては、青も緑も同じ見え方がされていたということなんですね。
これは難しいところですけど、階分類はあったにせよ、ひとまず大まかの分類としては青と緑は同じように見えてたと。
あるいは日本語母語話者にとっては虹は7色だとか言ったりしますけど、これも言語によって違うんですよね。
言語によっては8色のこともあれば6色のこともあったり、5色4色3色とかもあって、
もっと極端なのは2色っていうのもあるみたいなんですよ。
当然ご存知のように色っていうのは特に虹なんか見てわかるように連続体ですから、どこで区切るかっていうのはこちら側の勝手なんですよね。
まあ黄色と緑の間に黄緑とか入れてもいいんですけど、そういうことはしてなかったりするわけですよね。
この虹が何色かっていう問題もやっぱり言語によって色の見え方が違うということで、サピア・ウォーフの仮説を支持するものとなっています。
面白いですよね。なので外国語を学ぶっていうことは単に翻訳するとかいうわけではなくて、もう一つの世界の見方を学ぶっていうことだと思うんですよね、ダイナミックに言えば。
というわけで今回のトークはここまでということで、また次回お会いしましょう。ごきげんよう。
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