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2025-11-15 11:04

#808 マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』 from Radiotalk

主要参考文献
ヴェーバー, マックス (大塚久雄 (訳))『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』東京: 岩波書店.
仲正昌樹 (2014)『マックス・ウェーバーを読む』東京: 講談社.

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育

サマリー

マックス・ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』において、プロテスタント精神が資本主義の基盤にあるという考えが述べられています。このエピソードでは、カルバンの教義や予定説が現世における行動とどのように結びついているのかが考察されています。

プロテスタントの倫理と資本主義の関係
この番組では時々、ブックレビュー的なエピソードを配信しています。
僕が読んだ本を、僕が理解できたことをなんとなくまとめるという、自分のアウトプットのためのエピソードを、時々ないしよく配信していますが、今回もそういった類のエピソードです。
今回は、マックス・ヴェーバーのプロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神を、恥ずかしながら最近読みましたので、それを自分なりにまとめられたらなと思います。
マックス・ヴェーバーは、僕は当然名前は知っていたし、今日ご紹介するプロテスタンティズムの倫理と社会主義の精神という、長めのタイトルのこの本ですけど、社会学の古典とおそらく言われていて、大学時代とかにね、取り扱ったとか読んだことのある人もいるんではないかと思います。
あとは、マックス・ヴェーバーは職業としての政治とかね、職業としての学問とか、日本語でも読めるものがたくさんありますが、今回はプロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神を扱います。
タイトルからわかるようにというかね、タイトルがそのままですが、プロテスタンティズムの倫理、要はプロテスタント的な考え方、姿勢みたいなのが資本主義とつながっているという話なんですが、
資本主義の土台としてプロテスタントの精神があるっていう、倫理があるっていうのが大まかな内容です。資本主義っていうのはヨーロッパで始まっていて、プロテスタントっていうのはキリスト教の一派なわけなので、資本主義の下地としてキリスト教的な考えがあってもおかしくないという気もしますが、
ただ特にカルバンの競技として金欲っていうのがあるんですよね。その金欲っていうのが金儲けである資本主義とどう結びつくのか、むしろ真逆じゃないかという気がするんですが、そのことをマックスウェーバーが説明してるんですよね。
BGM、行けい!始まりました4月15日のツボ。サビを取り、きしみを抑え、動きを良くする。クレ556です。
そもそもプロテスタントって何なのっていうとこからね、確認していく必要があるかと思います。
キリスト教の一派は一派ですが、このプロテスタントというのは宗教改革によって起こったキリスト教の一派で、宗教改革で重要な役割を演じたのはさっき言ったカルバンもそうですが、あるいはルターですね。
マルチン・ルターという真学の先生が中心となってドイツで宗教改革が起こりました。
当時のキリスト教世界というのは、教会が免罪符を売って、今でも日常会話で免罪符みたいな言い方をしたりしますが、それで利益を得ていたっていうようなことがあったんですよね。
要は教会が腐敗していたっていうふうにルターは抗議してですね。
聖書は当時ラテン語で書かれていたわけですが、それのドイツ語訳を作って、さらに印刷技術がね、そのドイツ語訳の聖書の普及っていうのを後押ししてですね。
教会や司教に頼らず、聖書に頼った信仰っていうのがルターの目指していたところでした。
後にカルバンも宗教改革を起こすんですが、ウェーバーの考えでは資本主義の精神と関わりがあるのは、
このカルバンの教義の方です。
カルバンの宗教改革も当時腐敗していた教会から離れるっていうのが土台としてはあるんですが、
カルバンの教えとして特徴的なのは予定説と言われる考え方で、
これは人間の日頃の行いっていうかね、現世の良い行いとか悪い行いとか、そういうのとは関係なく救われるものは決まっているというのが予定説です。
なんとなくね、日頃良い行いしてたら死んだ後良いことあるよみたいなのが、日本人の感覚としてはそっちの方がしっくりくるというか、
仏教的にもね、輪廻転生的な考え方でも、なんとなくそっちの方が感覚としてね、分かるとこがあるんですが、カルバンはそうではなくて関係ないんですね。
日頃の良いことやったとか悪いことやっちゃったとか関係なく、救われるものはすでに決まっていると。
そうなると、現世で何やったって救われるとは限らないんだったら、なんていうか、やる気がなくなっちゃいそうですよね。
怠惰になっちゃうというか、いくら良いことをやったって救われるかどうかわかんないんだったら、好き勝手生きてしまいそうなものですが、
ウェーバーはここで逆説的な説明をしていて、救われるかどうかはもうあらかじめ決まっているのだから、それを確かめようと思ってもどうしようもないんですよね。
救われるかどうか知ろうとするというよりも、その神の意思というか決定に疑問を抱くんではなくて、むしろ積極的に神の意思を実現しようという、
予定説と行動の逆説
あれこれ疑うんじゃなくて、とにかく行動で示すというか、実践することで神の意思に応えようと人々は行動するようになったというんですね。
神に与えられた役割、それは職業も与えられたもので、すなわちそれが天職ですね。
その天職を全うするというか、職業を勤勉に勤めるということが神の期待に応えることだと、そういった姿勢が資本主義へとつながっていくんですね。
プロテスタンティズムにおいて重要なのは、禁欲を日常生活で実践していたということで、
宗教改革以前は、禁欲というのは修道士の問題で、生活において自分自身を立するということが修道士もあったわけですが、それはどっちかというと特殊な状況というか、修道士が行うことだったわけですが、
プロテスタンティズムにおいては、それが日常生活なし、世俗で実践されるようになりました。
そして、自分に与えられた職業、天職をしっかり全うする、真面目に働くというのが、神の意思に応えることになるということです。
つまり、真面目に働くということが、宗教的なモチベーションに支えられていたということですね。
そうすると、たくさん働くということは悪いことではなく、むしろ良いことで、お金を稼ぐということもまた否定されなくなったというか、良いことだと認識されるようになります。
それが資本主義の土台になったということで、金欲的という言い方をすると、どうしても贅沢とは真逆というか、正反対という気がするんですが、
合理的に節制して働くということが金欲だとすれば、それが資本主義につながっていったというのもわかるっちゃわかるんですけど、
ちょっと難しいですね。僕も完全に理解したとは言えませんし、
さっきも言ったように、予定説のところですけど、自分が使われるかどうかというのは既に決まっちゃっているというところから、
じゃあ自分のできることをちゃんとやろうという逆説ですよね。
それが最終的に資本主義につながっていくわけですけど、まだしっくり自分の中では理解しきれていないなという感じがします。
というわけで今回のエピソードはここまでということで、また次回のエピソードでお会いいたしましょう。
番組フォローも忘れずよろしくお願いします。
お相手はシガ15でした。
またねー。
11:04

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