1. 【10分言語学】志賀十五の壺
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2025-11-11 10:47

#807 “〜させる”文の中には、もう一つの文がある?使役文のなぞ from Radiotalk

主要参考文献
久野暲 (1973)『日本文法研究』東京: 大修館書店.

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育

サマリー

今回のエピソードでは、日本語の使役文における「せる」と「させる」が文全体に与える影響を探ります。具体的には、動詞の構造や文脈による使役化の事例を示し、受け身との関連性についても考察します。

使役文の構造
子供に勉強させるといった場合、
勉強するという動詞にせるさせるがついて、勉強させるになっていると。
普通はそのように考えられると思います。
別に勉強するに限らず、子供に食べさせる、子供に歌わせる、何でもいいんですが、
動詞にせるさせるがついて、使役形、使役動詞というのが派生されてますよね。
それはそれで正しいというか、疑いようがないことではあるんですが、
ただ、せるさせるがくっついているのは、動詞単体というよりは、文にくっついているという解釈もあるんですね。
つまり、子供が勉強する、こういう文があって、この子供が勉強する全体にさせるがくっつく。
子供が勉強する、させる。
これで使役形を作ってる。
自体、出来事全体を使役化してるんだという分析の仕方もあるんですね。
それって一体どういうことなんでしょうか。
使役の具体例
BGMです。
始まりました。死が十五の壺。みなさんいかがお過ごしでしょうか。超特急ヒカリアンです。
お便りいただいております。
エピックさんからギフトと一緒にいただきました。
ありがとうございます。
シャープ804聞きました。
このシャープ804がまさに使役のお話をしているエピソードです。
まず、サムネの看板を立てさせるは、看板を立たせるではないでしょうか。
おっしゃる通りで、これはちょっと間違えてましたので、
タイトルは多分合ってたと思うんですけど、サムネの方は修正しました。
ありがとうございます。
それから、切るが自動詞とありますが、多動詞ではないでしょうか。
これ自動詞って言ってたんですかね。すいません。これも多動詞です。
その上で、一つの分析の方法として、
切るは直接目的語のみを取る多動詞で、
着せるは直接目的語と間接目的語を取る多動詞と考えることができると思います。
切る、着せる、着させるは、見る、見せる、見させるにも同様に当てはまると思いました。
それから個人的な感覚では、子供をバスから降ろす、子供をバスから降りさせる、
子供にバスから降りさせるの順で、子供による降りる意思が強まります。
子供をバスから降ろすという多動詞を使ったのが一番強制力が強いみたいなことですね。
走る、振るの対となる多動詞がないゆえに、
無生物を主語にして走らせる、振らせるとしても違和感がないことの説明は初耳で、
非常に勉強になりました。ということで、エピークさんどうもお便りありがとうございます。
この最後の無追自動詞というか、
追になる多動詞がない場合、走らせる、振らせるというのがある意味多動詞の領域をカバーしているわけですけど、
同様のことは受け身でも言えて、
つまり無追多動詞、追になる自動詞を持っていない多動詞の場合、
読むとか殴るとかだと対応する自動詞ないので、読まれるとか殴られるっていうのが、
そういう受け身形が自動詞のない分カバーしているということも言われるんですね。
そういったことで詞役と受け身って結構裏表というか、似てるようなとこがあるんですよね。
あとは子供を折りさせるか、子供に折りさせるか、
このを書くとに書くですけど、これもシャープ804でお話ししたかどうかちょっと忘れちゃいましたけど、
を書くの方が強制力が強くって、に書くの方が本人的というか許可みたいなニュアンスが強いみたいなことが言われております。
今回のエピソードはまた日本語の詞役、せるさせるについてもう少し踏み込んでいこうと思います。
せるさせるっていうのは見た目の上では動詞にくっついているわけで、
勉強するから勉強させる、食べるから食べさせる、折りるから折りさせる、
受け身との比較
動詞にせるさせるがくっついて新しい動詞、詞役動詞を派生しているとそのように思われます。
実際それはそれで間違いではありませんが、
ただ、太郎に勉強させるというのは太郎が勉強する、これ全体をさせるが詞役化しているんだと見た方がいい。
その根拠がいくつかあります。
一つは副詞で、例えば太郎がとことん勉強するといった場合、
このとことんがかかっているのは太郎の動作です。
勉強しているのが太郎なんだから、そりゃそうですよね。
同様に徹底的にもそうで、太郎が徹底的に勉強する、徹底的にというのは太郎の動作です。
ただこれが詞役になって、花子が太郎にとことん勉強させるといった場合、
このとことんというのは果たして花子の動作なのか、それとも太郎の勉強するという動作なのかが曖昧というか二義的になります。
どちらでもいいんですよね。
花子は太郎に徹底的に勉強させたといった場合も、この徹底したのは花子なのか太郎なのかっていうのは解釈が揺れます。
これは太郎がとことんやったり徹底的にやったりするという解釈が生まれるのは、
太郎がとことん勉強する、これ全体をさせる、詞役化しているからなんですね。
同様に徹底的にっていうのも、太郎が徹底的に勉強する、この事態全体をさせるで詞役化しているので、
花子は太郎に徹底的に勉強させるといった場合、要は徹底的に含めて全部詞役化しているということです。
こういった現象があるためにセルさせるっていうのは文全体というか、専門的には説といった方がより正確ですが、
事態全体を副詞も含めて詞役化しているんだと、そのような分析もあるんですね。
セルさせるは文全体、事態全体を詞役化しているんだという証拠として、別の証拠として自分というのがあります。
自分というのは、普通は主語と一致するというか、主語と同一人物を指すんですよね。
これもまた太郎と花子の例で考えると、詞役化する前で考えると、太郎が自分の部屋で勉強する。
これは登場人物太郎しかいないので、当然自分の部屋といった場合は太郎の部屋と解釈されるんですよね。
で、これが詞役化して、花子は太郎に自分の部屋で勉強させる。
果たしてこれは誰の部屋でしょうか。
一つは全体の主語、花子の部屋、自分が花子を指しているという解釈。
そしてもう一つは勉強する張本人の太郎の部屋であるという解釈ですね。
花子は太郎に自分の部屋で勉強させた。
で、これもやっぱりさっきのとことんとか徹底的にと同様に、太郎が自分の部屋で勉強する。
これ全体を自分もひっくるめてさせるによって詞役化しているので、
太郎に勉強させるっていうふうににっていうのがついているので、
一見主語には見えないんですが、小さい文の中での主語であるので、自分と同一指示になれるということなんですね。
これはなかなか面白いですよね。
せるさせるっていうのは、見た目の上では動詞単体にくっついているように見えるんですが、
副詞とか最期代名詞、自分みたいなものの振る舞いを見てみると、
文全体、埋め込み文とか言ったりしますけど、
ちっちゃい文全体をせるさせるで詞役化しているんだと見ることもできるんですね。
さっきちょっと言いましたけど、れるられるの受け身はせるさせると表裏一体というか似ているところがあります。
で、れるられるもやっぱり自体全体をれるられる化してるっていう、受け身化してるっていうことが言われて、
雨に降られたとかがそうなんですね。
太郎は雨に降られたっていうのは、太郎は雨が降るられたみたいに、
雨が降る全体をれるられるで受け身化してる、そういう分析の仕方もあります。
子供に一日中泣かれたとかもそうで、子供が一日中泣く、これ全体をれるられるで受け身化して、
ここでは被害というか迷惑的なニュアンスを表してるんですね。
というわけで今回は、日本語のせるさせる、ないしれるられるっていうのは、文全体を詞彙化、受け身化しているという、
まあそういったお話でございました。
それではまた次回のエピソードでお会いいたしましょう。
番組フォローまだの方、よろしくお願いいたします。
お相手はシガ15でした。
またねー。
10:47

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