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始まりました、志賀十五の壺。
世界青少年の会議長、バサロバナタリアです。
今回は、日本語の二重ヲ格制約というものをテーマにお話ししていこうと思います。
二重ヲ格制約。
まあ、平たく言えば、日本語において一つの文に
女子のヲというのは、一回しか出てこれないということなんですね。
二つ、あるいはそれ以上、ヲというものは出てくることができません。
このヲのことをヲ格と呼ぶことがあります。
対格ということもあります。
これはどうですかね。
母語というのは意識しないものなんでね。
知らない人がほとんどだと思いますが、
この同じ女子が二つ出てこれないっていうのは、
ヲ格に限ったことなんですよね。
例えば同じ格女子のガというのがありますけど、
これは二つ出てくることがあります。
例えば、
俺が焼肉が好きなことは周知の事実だ、みたいなときに
ガっていうのが二回出てこられるんですよね。
あるいは、格女子ではないですけど、
ヲっていうのも実は二回出てくることができます。
俺は焼肉は好きだ。
こういった場合ヲっていうのは二回出てきていて、
最初のヲっていうのは俺はの方は主題のヲと言われて、
焼肉は好きだといった場合は、
こっちのヲは対比のヲと言われるもので、
機能が違う場合はヲっていうのは二回出てこられます。
こういうふうにガとかヲみたいなね、
女子は二回出てこられるんですけど、
ヲについて言うと、かなりこれは厳しい制約なんですよね。
なので日本語には、
二重目的語構文みたいなものはありません。
英語だと、give 人ものみたいに、
人もものも目的語としてね、振る舞うわけなんですけど、
日本語だったらあげるっていう動詞は、
彼に本をあげるっていうふうに、
まあ平たく言えば間接目的語、
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動作の受けてっていうのがにという助詞で表されます。
他にも、例えばね、
教えるっていう動詞は、
人もその教える内容も目的語というかね、
をで表すことができます。
生徒を教えるとも言えるし、
数学を教えるということもできますが、
これが同時に現れることはできなくって、
生徒を数学を教えるとは言えなくって、
まあこれもやっぱり生徒に数学を教えるっていうふうに、
どっちかににしないといけないんですよね。
いずれにせよこのをというのが一つの文、
あるいは節の中で、
一回しか出てこれないっていうのが二重横画制約と呼ばれるものです。
この二重横画制約が問題になるのは、
特に詞彙気分の時ではないかなと思います。
まあ要は何々させるみたいな動詞の形ですけど、
詞彙気っていうのは平たく言うと、
その登場人物を一つ増やすみたいなことなんですよね。
なので目的語に当たるような名詞が、
結果的に一個増えてしまいます。
例えば、
彼女が泣くっていう自動詞、
これを詞彙気分にすると、
私が彼女を泣かせる、こうなります。
登場人物が一人増えているわけですけど、
この場合はもともと自動詞文で、
音格の名詞はないので問題ないんですけど、
問題となるのは、
もともと音格がある多動詞文が詞彙気分になる時に、
まあちょっと気を使わなきゃいけないんですよね。
彼女が薬を飲む、
これを詞彙気分にした場合、
私が彼女に薬を飲ませる、こうなります。
つまりもともとの主語が、
彼女にっていうふうに二角で表されるんですよね。
これが、
私が彼女を薬を飲ませるとはなりません。
ここに二重音格制約っていうのが働いているということです。
これはね、自動詞の場合と微妙に違って、
自動詞の場合は彼女を泣かせるっていうふうに、
もともとの主語が目的語になっていたわけなんですが、
多動詞文の詞彙気分というのは、
もともとの主語が二角で表示されて、
もともとの音格名詞、薬音っていうのが、
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そのまま音格で残っているということなんですね。
こういうふうに、もともとの主語を二角にすることで、
二重音格制約っていうのを、
なんていうんですか、守ってるっていうか、
音が二回以上出るのを回避しています。
ただ、自動詞の場合でも、
もともとの主語を二角で表すこともできます。
つまり、私が彼女を泣かせる、
これも言えるんですけど、
私が彼女に泣かせるという言い方もできます。
この場合はちょっとニュアンスというか、場面が異なって、
彼女を泣かせたっていった場合は、
本当に泣かせたっていう感じなんですけど、
彼女に泣かせたといった場合は、
何か指示を出して、
そういう泣かせるという動作をさせたっていう時に、
にっていうのが使えます。
あるいは、
彼を生かせたっていうのと、
彼に生かせたっていうのも、
ちょっと似ていて、
彼を生かせたといった場合は、
彼の意思っていうのは結構無関係に
生かせたっていう感じがするんですけど、
彼に生かせたっていうと、
彼の意思っていうのがちょっと尊重されてるっていうか、
ある程度そういったことが考慮されているように感じられると言われています。
ただ今、自分で喋っていて、
本当にそうかなっていう気もしてきますね。
彼女に泣かせた、彼に生かせた、
確かにそういった言い方はできるんですが、
この自動詞の詞役文で、
にっていうのが出てこられるのは、
意思同士の時だけなんですね。
意思同士っていうのは意思を持ってなんかやるっていうことですけど、
泣くとか、行くっていうのは意思を持ってできるわけですけど、
凍るに対して凍らせるみたいなのは、
そういう二角っていうのが出てこられなくって、
果物を凍らせる、
これはいいんですけど、果物に凍らせるという言い方はできません。
こういうふうに詞役文には、
その実際に動作を行うものの意思性みたいなものがちょっと関わってるんですね。
というわけで、今回のエピソードは二重音階制約っていうのを、
詞役文と一緒にこう考えていったわけですが、
面白いですよね。
普段全然意識してないですけど、
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皆さんが喋ってる発話の中で、
一つの文の中にね、
をっていうのは2回以上出てこないんですよね。
で、そういう二重音階制約が特に問題となるのが詞役文っていうことでしたけど、
この詞役文っていうのも、
結構奥が深いというか、
日本語だとさせるっていうのが動詞にくっつくわけですけど、
例えば英語みたいな言語だと、
分析的表現みたいに言うんですけど、
makeとかredみたいなものを使って、
その動詞のコンビネーションで詞役を表しますよね。
そういった言語もまあまああると思います。
まあそういう世界各国の詞役文を比べてみるのも面白いと思うし、
あと二重音階制約がね、ちょっと関わってるなぁと思うのは、
例えば勉強をするっていう言い方ができますよね。
それと数学を勉強する。
こういう言い方もできます。
数学の勉強をする。
これも言えます。
数学を勉強をするっていう風に、
やっぱここでもね、をっていうのは2回出てこらないんですよね。
その代わりに、今言ったのが、
数学を勉強するというか、
数学の勉強をするというかっていう風に、
巧みに助詞を組み合わせてるんですね。
その辺も面白いところではないかなと思います。
それではまた次回のエピソードでお会いいたしましょう。
番組フォローも忘れずよろしくお願いします。
お相手はしが15でした。
またねー。