1. 志賀十五の壺【10分言語学】
  2. #101 言語学とは鼻づまりであ..
2020-06-01 08:53

#101 言語学とは鼻づまりである from Radiotalk

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始まりました、志賀十五の壺。皆さんいかがお過ごしでしょうか。志賀です。
先日ですね、このラジオトークの番組、志賀十五の壺も数三百回を数えまして、いつも聞いてくださっている皆様方、ありがとうございます。
そして、今回このトークが初めてだという方もありがとうございます。聞いてくださって。
でですね、まあ志賀十五の壺っていうその番組名はそういうことなんですが、
内容はですね、結構雑多と言えば雑多なんですけど、圧倒的に言語学の話が多いんですよ。
言語学、その字が表す語徳ですね。 言葉に関する学問です。
で、 振り返ってみたらまあ
日本語の話が多いと思うんですけどね。数えたわけじゃないですけど、
やっぱりそんなね、突拍子もない言語の話とかしても仕方がないかなーっていうのもありし、
まあ日本語とかね、英語とか誰でも触れたことがあるような言葉の話の方が
皆さん実感を持って聞いていただけるかなということで、そういうことにしてるんですよ。
ただね、まあ時々 他のトークでもね自虐的に言ったりしてるんですけど、
皆さんこれ聞いてくださっている方はほとんど 日本語母語話者だと思うんですよ。
でね、日本語母語話者にね、日本語の話したって どうしようもねえじゃないかっていうことなんですよね。
これもね繰り返し言ってるんですけど、母語話者っていうのは天才なんですよ。
母語話者が話していることがもう全てっていうかある意味で。
だからもう何の意識もしないで、文法なんか学ぶ必要もなく、正しい形っていうのが出てくるので、
まあまさに釈迦に説法っていう感じですよ。
言葉を喋るっていうのは 人間の能力の一つではありますけど、やっぱり本能とは違ってですね、
肯定的なものなんですよね。 ただもうそういう意識はほぼなくなってますよね。
日常生活においてね。息をするのと同じくらい言葉を喋るっていうことは、
我々の生活にとって当たり前のことであるし、 だからこそねそういうことを意識しません。
だったら僕がこのラジオトークで言語学の話をしょうこりもなく繰り返し繰り返ししているのは何の意味があるんだと考えたときにですね、
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一つはですね、僕は自信を持って話せるからっていうのはあるんですよ。
自信を持ってっていうかその責任を持って話せるので、
これは何もですね、正しいこと言ってるとか間違ったことは言わないよっていうことではなく、
割と発言に責任を持ってですね、 ちゃんとお伝えできる内容だからっていうのがまずあります。
僕自身は全部トークでお話ししてるのは面白いと思って話してますけど、
それはね、みんながみんなに当てはまるかっていうと、そうはいかないだろうなとは思ってます。
だいたいね、自分が好きなものを押し付けるっていうのは皆さん経験あると思うんですよね。
自分がやっちゃったこともあると申し上げられたこともあると思いますが、そういうのは不愉快ですから。
何が好きかっていうのもセンスの問題なので合う合わないはありますから、
何もですね、みんな言語学を好きになろうよ、言葉って素晴らしいんだよってこういう気持ちで別にやってはいません。
僕は僕のセンスで面白いと思ってる、終わりって、その話はそこでおしまいなんですよ。
じゃあ何なのかっていうとですね、僕がやってることは、僕がやってることというか言語学っていうのは、
その一部の人形を除いてですね、多くの人にとって鼻詰まりみたいなもんだと思うんですよ。
さっきですね、言葉を呼吸になぞらえましたけど、こういうことありますよね。
風邪ひいたりして鼻詰まったりすると、今まで鼻で呼吸してたんだなーって、
あーなんて楽な呼吸をしてたんだろうとかね、バンプの歌でそういうのありますよね。
スーパーノーバーっていう歌が、名曲がありますけど、まさにそういうことで、
なんていうかな、その初めて不便をこう思って初めて、そのありがたさに気づくみたいなことですよね、あれは。
言語学はまさにそれだと思うんですよ。
つまりですね、皆さん母語として多くの人が日本語を話していると思うんですけど、
そこにね、ちょっとね、きっかけというかつまづきというか障害みたいなものを与えると、
自分がどういうふうに喋っているかとかね、どういう仕組みで日本語っていうのが使われているかとかね、
そういうことに目を向けるきっかけとして、僕のトークは機能していたらいいなと思います。
なので言語学が鼻詰まりとしたらですね、僕のトークっていうのは鼻詰まりの原因ということなので、
なんだろう、風邪の菌みたいなもんですよね。
なんか例えがよくないけど、まあそういうことですね。
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だからまあそういう鼻詰まりの状態って短い方がいいんですよ。
時々鼻が詰まって呼吸のありがたみを感じるそのぐらいでいいと思うので、
だからね、進んで鼻詰まりになりたいみたいなのはね、いないんですよ。
一部の変態だけですね、そういう人はね。
進んで鼻詰まりになって呼吸のありがたみを感じたいっていうのは変態です。
そういう変態のことをおそらく言語オタクとか言語学者って言うんだと思うんですよね。
なので繰り返しになりますけど、僕のトークがそういうきっかけとかつまづきになって、
ご自身の話されている言語や、あるいは学習されている言語、学習したことがある言語でもいいですけど、
そういうことに目を向けていただけたらなと思います。
あるいはですね、僕のトークがきっかけとなって、
別にそれが言語学でなくても、言語でなくてもいいので、何か別のことでもいいのでね、
少しでも視野を広げるきっかけになればなと思います。
学問って往々にしてそういうところがあると思うんですよね。
その当たり前と思われているところを、実際どうなのっていうふうにちょっと上った見方をするっていうのが、
そういう面がどんな学問でもあると思います。
言語学の場合、それがわりと分かりやすいんじゃないかなという気がするだけでね。
トークで話している内容自体は面白い自信はあるんですよね。
あるいは僕のトーク力が追いついていないという面はあるにしろ、
やっぱりそこはセンスですよ。
何が面白いと思うかは各々のセンスというか感性の問題なので、
それは他人が口出しすべきことではないですけど、
もしかしたら何か視野を広げるきっかけになるんじゃないかなとね、うっすら思っています。
まだまだ言語にまつわる話はあり余ってますから、
100回超えましたけど、どんどん配信していきたいと考えているので、
引き続きご視聴、ご視聴じゃねえのか、ご聴取お願いいたします。
それと番組クリップの方もよろしかったらお願いします。
そういうわけでまたお会いしましょう。ごきげんよう。
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