1. 志賀十五の壺【10分言語学】
  2. #554 バズるためにやってるの..
2023-06-10 09:56

#554 バズるためにやってるのではない(部分否定) from Radiotalk

関連エピソード
https://radiotalk.jp/talk/707316

参考文献
『中上級を教える人のための日本語文法ハンドブック』 (庵功雄ほか、スリーエーネットワーク)

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
00:07
始まりました、志賀十五の壺。複雑に入り組んだ現代社会に鋭いメスを入れ、様々な謎や疑問を徹底的に究明する探偵ナイトスクープ。
ラジオトーク宛にギフトをいただいております。ハッシュさんからね、ギフトをいただいております。ありがとうございます。
メッセージもね、あるんですけど、まあかなり指針的なね、ものですので。
はい、僕の胸の内にね、とどめておこうと思います。ありがとうございます。 この番組ではラジオトークから送ることのできるギフト、
ラジオトーク以外からも送ることのできるお便りを随時募集しておりますので、どうぞよろしくお願いします。
さて、今回は否定文というのをテーマにお話ししていこうと思います。
特に日本語についてですが、日本語の否定文というと普通はないっていうのがね、出てくるんではないかと思います。
行くに対して行かないとまあこうなるわけですよね。 まあこの否定っていうのも詳しく見ていくと結構
複雑なことをやってるんだなぁということがね、わかると思います。
で、今回のタイトルみたいに、 バズるためにやってるのではない。
あるいはバズるためにやってるんじゃない。 もしこういう言い方をした場合、
じゃあ何のためにやってるのかっていう風にね、こう聞き返されるというか、そういったことが想定されると思います。
何が言いたいかというと、バズるためにやってるんじゃないといった場合、
やっているというところは否定していないんですね。 否定しているのはバズるためという、まあここでは目的と言っていいかもしれませんけど、
バズるためにというところが否定されていて、 やっているというところは
まあ肯定されているというか、まあ否定はされてないんですよね。 つまりこれは部分否定ということができます。
英語でもね部分否定ってあったりしますよね。 not always みたいに、なんていうかな、not っていうのをその直前に付けたら部分否定になったりするっていうのが英語でもあったりしますけど、
まあ今回は英語はとりあえず置いといてですね。 まああるいは英語他の諸言語は置いといて、日本語に注目してお話ししていこうと思います。
03:07
まあこういう のではない、
話し言葉だとんじゃない、 これはのだっていうのが非常に重要な役割を果たしていて、
日本語学だとのだ文ということがあります。 こちらについては関連エピソードがあるので、この後ね
合わせて聞いていただけたらと思います。 概要欄に url は貼っておこうと思います。
こののだっていうのがあるおかげで 部分否定というのができてるんですね。
こののだを使った否定文、のではないを使えば 文の中のいろんなものを部分的に否定することができます。
さっきの例だとバズるためにやってるのではない、 これは
まあ理由のところを否定しているわけですけど、他にもテレビで見たのではないといえば
テレビ以外で見たんだなっていうのがわかるし お前にあげたんじゃないといえば
あげることにはあげたんだけど そのあげた受けてっていうのはお前ではないっていうことが
含意されているというかね、その部分が否定されているということになります。 まあいずれの例も動詞
あるいは述語の部分は否定されてないんですよね。 ちょっと繰り返しですけど
バズるためにやってるのではない、これはやっているということは否定していません。 が
こののではないっていうのは一応述語を否定することもできて このカバンは買ったんじゃない
といえば そのカバンを所有しているのは
買う以外の行為 まあもらったとかね
まあそういったことが含意されるということになります ただ述語を否定する場合はのではないよりもわけではないの方が
しっくりくることが多いようです このカバンは買ったわけではないみたいに
このようにのではないとかわけではないっていうのは 部分否定をするのに役立っているっていうかね
まあそういった機能を持っています この部分否定と普通の否定っていうのを
きちんとね区別する必要があります ありますけど日本語母語話者は別にその辺は
意識せずできるんですけど 例えば
部分否定で 悔しいから泣いたのではないといった場合と
06:00
普通の否定で悔しいから泣かなかったといった場合 意味が全然違いますよね
悔しいから泣いたのではない これは
泣いてるにはない点ですよね そこは否定していません理由の方を否定しています
一方 悔しいから泣かなかったといった場合は
その泣くという行為自体を否定しているので まあ意味が全然違うんですよね
日本語母語話者はこの辺の部分否定や まあ普通の否定っていうかねまあそういったところを巧みに使い分けてるんですね
他にも日本語には部分否定を表す表現というのがあって
何々死はしないみたいなものです まあこれを部分否定と言っていいか
まあ多分言っていいと思うんですけど 例えば泣きはしなかった
といった場合確かに泣いてはいないんですけど それに近い何かをしたっていうことがががん引されています
なので完全に否定しているわけではないんですね 泣かなかったという普通の否定に対して泣きはしなかった
まあ目に涙を浮かべていたとか 悔しさが
溢れ出していたみたいにねまあそういったことががん引されるんですね 他にも買わないに対して買いはしないというと
本当は欲しいんだけどまあ買わないっていうかね それに近い状況になるということが何々死はしないっていうことでね
表されています こういう部分否定っていうのも面白いですよね
今回は日本語の話しかしてませんけど まあ各言語でこういったのをどうやって表すかっていうのは
調べてみると面白いかもしれません まあ繰り返しですけど日本語ではのだっていうのがね非常に重要な役割を果たして
いるんですよねこの部分否定において 何々のではない
こののだっていうのは一種の名詞化なので その名詞化と部分否定の
相関関係とかねそういったとこももしかしたらあるかもしれません 冒頭言ったようにですねのだ文
何々なのだ まあこういった文についての関連エピソードがございますのでぜひ合わせて聞いて
いただけたらと思います こののだっていうのは歴史的に見ても面白いんですよね
09:06
古文で習う係結びっていうのがありますけど まあ係結び当然現代語では残ってませんよね
少なくともいわゆる共通語には残ってなくて その係結びが衰退
し始めてその穴を埋めるようにのだ文っていうのができたというふうに考えられています
いろいろねこの辺は面白い話があるんですが今回は部分否定のエピソードということで 最後まで聞いてくださってありがとうございました
また次回のエピソードでお会いいたしましょう 番組フォローも忘れずよろしくお願いします
お相手はシガー十五でした
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