1. 志賀十五の壺【10分言語学】
  2. #595 再録!連濁からはじめる..
2023-10-31 10:36

#595 再録!連濁からはじめる!言語学入門 from Radiotalk

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
00:10
始まりました、志賀十五の壺。皆さんいかがお過ごしでしょうか。C3POです。
この番組も、まあそれなりに長くやってるんですよね。
で、その中でね、実はね、削除したエピソードっていうのもあるんですよ。
本当は非公開っていう風にしたかったんですけど、ちょっとやり方がなくてですね。
涙ながらに削除したエピソードもございます。2つあるんですね。
1つは、シャープ150 連濁からはじめる言語学入門
2つ目がシャープ162 バドミントンはなぜバトミントンと言われがちなのか
まあこの2つのエピソードはね、削除したんですよ。
というのも、ちょっとね、まずいなっていうところがあって、削除して
できるだけね、僕はその、決断を作りたくないというか
シャープ1から連綿と数字を並べていきたいというかね。
番組始めた時からね、それを思ってたんですよ。
なんか空きを作りたくないなと思って。
おそらく後から見返せば、聞き返せば、なんか恥ずかしいなとかね。
まあそういうことになるだろうとは思って、そういった覚悟の上で
番組始めてますので、多少のことでは動じないというか
基本的に残す、原則エピソードは削除しない。
そういった方針でやってたんですけど
それよりも、やっぱり内容がまずいというところがあったので
2つのプライドのせめぎ合いですよね。
できるだけその決断を作らない。
ずっと続けていきたいというそのプライド。
間違ったものを配信したくないというプライド。
後者のプライドウィンみたいな感じで
結局今2つ決断があるということになっております。
どっちもね、濁音の話をしてるんですよ。
簡単に言うとね、連濁とバドミントンとバトーミントンの話ですので
2つとも音源自体は手元にあるので
公開はしてないし削除はしてるんですけど
そのエピソードの内容、本体というかね
その音源自体は持っているという状況になっております。
というわけで今回は
再録、連濁から始める言語学入門ということで
シャープ150のやり直しといったような感じでやっていこうと思います。
03:03
シャープ150を録った時もね
多分同じようなことを思ってたと思うんですけど
連濁っていうのは言語学の入り口として結構最適なんですよね。
まず日本語の現象であるということで
身近にある現象ということで実感が湧きやすいし
今まで気づいていなかったことに気づけるという
そういった側面もあります。
音の側面からも面白いし
あとは歴史的な側面からも面白い現象なんですね。
連濁っていうのは一言で言えば
一言で言えばっていうか
シンプルに言うと
有声化なんですよね。
有声化っていうのは
有声音になるということなんですけど
この有声音とか無声音っていうのは
特にシーンについてね
言われることで母音にもあるんですけど
シーンは大きく無声音と有声音に分かれます。
シーンの無声音っていうのはだいたい声音のことで
シーンの有声音っていうのが
濁音を含む声帯が震える音のことなんですね。
無声音というのは声帯が震えません。
よく喉に手を当ててね
シーっていった場合とジーっていった場合と
このシとジで声帯の震えが感じられるとかね
そういったことを言ったりします。
でこの無声音が有声音になるというのが連濁
さらに言うと
複合語、単語の足し算で
後ろの要素の頭の無声音が有声音になるのが
連濁と言っていいと思います。
紙っていうのが手紙になると
これは声帯の震える有声音に変わってますので
日本語だと濁音になってますので
連濁という言い方をするんですね。
紙が手紙
このかとが、真音だけ見比べたときに
調音位置っていうのは一緒なんですよね。
くっていうのとぐっていうのは
発音する場所っていうのは
南郊外と言われるところで
上あごの奥の方なんですよね。
ですのでかとがっていうのは
声帯が震えていないか震えているかだけの対立ということになります。
他の詩音も同様です。
例えば塩っていうのが森塩になったりします。
これも同様ですね。
他行についても寺っていうのが山寺になるということで
06:03
こういったものは
無声詩音が有声音になっているだけということなんですよね。
で日本語のその発音の性質上
単語の途中の詩音っていうのは
母音で挟まれることになります。
母音っていうのは
基本的に有声音なんですよね。
なのでオセロと同じで有声音に挟まれた無声音は
有声音になっちゃうということで
紙っていうKの音は
母音に挟まれて
Gの音というかね
有声音に変わって
全体として手紙という連濁が起こっているということでございます。
しかし連濁というのは単なる有声化ではないんですね。
というのが派行というのを考えた時に
なんかちょっとおかしなことになります。
派行。
例えば花っていうのが
単語の途中に出るときりばなみたいになりますので
はがばに変わるわけですよね。
はひふへほがわびぶべぼうに変わる。
他のかなと同じように声音と濁音の対立になっているじゃないか。
そう思われるかもしれません。
文字で書いたらそうですよね。
かなで書いた場合は点々がついてるんだから
他のかなと同じです。
が、花っていうのは
はっていう音はこれ
声紋摩擦音と言うんですけど専門的には
喉の奥の方で摩擦を起こす音です。
一方きりばなといった時は
唇を使う音なんですよね。
確かにこれね
無声音と有声音の対立ではあるんですが
他の連濁のペアと違って
調音位置が違います。
さっき言ったように喉の奥の方か
唇を使うかっていう違いがあるのと
調音方法も異なります。
摩擦音が破裂音になるっていうことで
他のものはね、調音方法も一緒なんですよね。
紙が手紙になるのは
無声音が有声音になっているだけで
両方破裂音だし
両方南高外音だしっていうようなことで
一箇所だけ変わっているって感じなんですよね。
しかし破行が馬行になるっていうのは
全く違う音になっているといった感じです。
無声音が有声音になり
摩擦音が破裂音になり
調音位置も喉の奥の方から唇に変わっております。
09:00
これは一体何なんだということなんですが
実は破行の音っていうのは
その昔パピプペポという音だったんですね。
破行だったんですね。
これについては関連エピソードあるので
合わせて聞いていただけたらと思います。
このパピプペポという音が
唇のその閉鎖っていうのが緩くなって
英語のFに似たような音に変わったんですね。
ファフィフフェフォ
それが喉の奥の方に移っちゃって
現代ではハヒフフェホになっております。
フだけは今でも唇を使った音に
摩擦音になっているんですね。
ですので破行の音っていうのは
喉の奥の方の摩擦音に変わってしまったんですけど
連濁の時には
ある意味昔の名残というかね
唇を使った音で出てくるということなんですね。
そういうことで連濁というのは
日本語の歴史という観点からも
面白い現象なんですね。
というわけで今回のエピソードはここまでということで
また次回のエピソードでお会いいたしましょう。
番組フォローも忘れずよろしくお願いします。
お相手はシガ15でした。
またねー。
10:36

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