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番組あてにギフトやお便り頂いております。まずは、さなだゆきさんから、ラジオトークあてにギフトを頂きました。ありがとうございます。
そして、好きな品種はどうしさんから、ギフトと一緒にお便り頂いております。
BGM、レッツゴー!
始まりました、志賀十五の壺。
世紀末だって過ぎれば昨日。
バンビーナです。
好きな品種はどうしさんからのお便りです。
志賀さん、こんばんは。裏日本で育ち、松本成長好きの私には、昭和のいろいろな懐かしい匂いのするトークでした。
これは、砂の器と方言分布のどのこのっていうね、エピソードのご感想ですね。
裏日本という言い方も、砂の器の原作の設定も、現代では扱いにくいですね。
裏日本と言わなくなったのは、私の感覚では80年代に入る頃でしょうか。
母は天気予報を見るたび、裏日本なんて失礼だと怒ってましたが、私は小学生でそういう感覚はなく、
日本海側なんて長くてまどろっこしいから裏日本でいいのにと思ってました。
こういうね、実際に裏日本というか、日本海側で育った方のお話も面白いですね。
砂の器については成長好きの父と、今のテレビドラマーではあの設定では作れないからなぁ、
やっぱりあの映画版だなぁ、などと文句を言いつつ平成ドラマも見て、あれこれ感想を話してました。
思いがけずシガさんのトークで、泣き父母と昭和を懐かしむことができました。
言語学に無関係な長文でお邪魔しましたが、これからも言語学トーク楽しみにしています。
送ればせながら、送らばせ、送ればせながら、祝700回のギフトと共にということで、好きな品種はどうしさんどうもありがとうございます。
砂の器に限らず松本成長作品は面白いですよね。
時代背景的に確かにお便りにあった通りね、扱いづらいものとかもあると思いますが、それはそれで
当時の日本の状況を知ることができるっていう意味では重要な資料と言えるかもしれません。
砂の器もそうですけど、松本成長作品は
戦争っていうのがね、一つキーワードというか、避けては通れないというかね、話に絡んできているわけですよね。
僕は松本成長の作品を全て読んでいるわけではないんでね、今後も読んでいけたらいいなと思います。
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というわけで、好きな品種はどうしさんどうもありがとうございました。
この番組ではギフトやお便り随時募集しておりますので、どうぞお気軽にお送りください。
さて今回のエピソードは、言語の変化についてちょっとね考えていこうと思います。
言語っていろんな面で変化します。語順が変わることもあれば、ある単語の意味が変化するっていうこともあると思います。
この間のエピソードで話したように、ちょっとネガティブな意味合いが強くなってくるとかね、そういうのも含めて変化と言えると思いますが、
今回は音変化、音の変化を中心にお話ししていこうと思います。
この言語の音変化っていうのが、言語学、もっと言うと歴史言語学、ないし比較言語学で
おそらく一番重視されるもので、なので言語の歴史を考えるときはどうしても音声学的な知識っていうのは必要になるんですよね。
この番組でもインドヨーロッパ語族の話とか、グリムの法則とか、歴史言語学の話はしてるんですけど、どれも音声学の知識っていうのは必要なんですよね。
言語の音の変化っていうのは、ある程度方向性っていうのがあります。
これはかなり普遍的で、つまりどんな言語でも変化するとしたら、そういう方向に変化するだろうっていうのがある程度予想ができるんですね。
例えば、破裂音っていうのは摩擦音に変わりやすいです。
逆は多分あんまりなくて、摩擦音が破裂音になるというよりは、破裂音が摩擦音になるということの方がありがちです。
破裂音というのは、例えば唇で破裂を起こすとパピプペポっていうようなPでかけるような音になります。
これに対して、同じ唇を使いますが、摩擦音ということになると、例えばFで書くようなファという音になります。
言語の変化としては、さっきも言ったように破裂音から摩擦音というのがありがちなので、パっていう音がファっていう音になるっていうことは割とあるんですね。
逆はあんまり考えられなくて、ファっていう音がパに変化するっていうのはないことはないかもしれませんけど、普通は考えられないんじゃないかと思います。
何を隠そう、日本語も同じような変化がありました。まさにパっていう音がファになったっていう事実があって、
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日本語にファフィフフェフォっていうFの音は本来的にないっていう気がするかもしれませんが、 そのFの音がさらに
ファフィフフェフォっていうHの音になったっていうのが日本語の破行の歴史なんですね。 このあたりの話も過去にお話ししたことがあるんですが、
パピプペポというのが、例えば平安時代ぐらいになるとファフィフフェフォという音になって、現代ではハヒフヘホという音になってます。
あるいは英語にも同じ変化があって、 英語のFの音は元々Pの音だったっていうことがあります。だから日本語と全く一緒です。
例えば英語のfatherというね、お父さんというこのFの音は元々Pの音だったんですね。 このように言語の音の変化として破裂音から摩擦音っていうのは割とありがちです。
音声学の基礎知識として有声音と無声音の区別というのがあります。 有声音というのは声帯の震えを伴う音で、無声音は伴わない音です。
日本語の濁音と静音の対立と平たく考えていい場合もあります。 例えばタっていう音はこれ静音で無声音です。
ダっていうのはこれ濁音で有声音なので、 この場合はTっていうのが無声音、Dっていうのが有声音ということになります。
この無声音と有声音っていうのは、 無声音から有声音になることもあれば、有声音から無声音になることもあるっていうふうにどっちの方向もあり得るんですよね。
それは環境によるというか、 例えば無声音が有声音になるっていうのは、無声音が有声音にサンドイッチされた場合、
オセロじゃないですけど有声音になるっていうことがあります。 例えば母音の間に挟まれると有声音になるっていうのがあって、
母音っていうのは声帯の震えを伴うので、 普通は有声音なんですよね。
そういうふうに考えると、 例えば英語のget outっていうのがget outっていうふうにらとかだに聞こえたりとか、
あるいはit isっていうのがit isみたいにこれもDとかdっていうふうに聞こえたりするっていうのは、
これは母音間に挟まれている、つまり有声音間に挟まれているので、 無声音が有声音になっているということができます。
日本語の連濁っていうのも、そういう側面はあるといえばあって、
坂っていうこのsの無声音が乃木坂みたいにzの有声音になるっていうのも、
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やっぱり無声音が有声音である母音に挟まれて、 一種の同化現象ということができますが、有声音化しています。
ただ日本語の連濁はそれだけでは説明できないような側面がいっぱいあるんですが、 未用によっては無声音の有声音化ということができます。
逆に有声音が無声音化するっていうのは、 例えば有声音が語末、単語の最後に出てきたとき、
後ろに何にも音が続かないときは無声音になるっていうことがあります。 これはドイツ語であって
ドルトムントとかハンブルクっていう地名がありますが、 ドルトムントの最後のトっていうのは綴りの上ではdで書くんですよね。
ハンブルクも綴りの上ではgで書くので、もともと有声音なんですが、 これは語末に出てくるので無声音になっています。
ですので有声無声の変化っていうのは、その環境によるところが ある程度関係しているかなという感じがします。
特に死因の音変化っていうのは、これも傾向として、 だんだん喉の奥の方に行っちゃうっていうようなことがあります。
専門的な言い方ですけど、 例えば南郊外の音だったのが正門閉鎖音になって、
最終的にはゼロになっちゃうっていうような変化が割とあるんですね。 なので今話されている言語で死因が現れていないところも
遡れば、かきくけこうみたいな、 k の音に行き着くっていうことも十分あり得るんですよね。
そういったことを確かめるのが歴史言語学、ないし比較言語学と言われる分野です。 それではまた次回のエピソードでお会いいたしましょう。
番組フォローも忘れずよろしくお願い致します。 お相手はシガ15でした。
またねー