1. 志賀十五の壺【10分言語学】
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2024-07-09 09:56

#667 七夕と書いてなぜ「たばばた」?熟字訓と当て字 from Radiotalk

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育

サマリー

熟字訓と当て字について解説されています。

00:10
始まりました、志賀十五の壺。皆さんいかがお過ごしでしょうか。ドクターペッパーです。
お便りいただいております。ソア・サントヌフさんからいただきました。ありがとうございます。
ソア・サントヌフさんのね、以前のお便りはね、以前のエピソードでお答えしているので、もう聞いていただけましたかね。
もし聞いてたら、何らかね、リアクションくれという感じなんですが、別にお礼を言えと言っているわけではないんですけど、
何らかのリアクションがないと、ちゃんとお答えできたかどうかっていうのがね、不安だというのもあるし、
何らかのリアクションとか感想をね、言うというのが礼儀だと思うので、
自分が聞きたいこと聞いておしまいじゃなくて、実際お便りには質問しか書かれてないので、
こっちも生身の人間がやってますんでね、質問したら自動に回答が出てくるっていう機会ではないので、
あくまでお便りですんでね、人間のやりとりというかね、人としての礼儀としてお答えしたエピソードについて何らかの反応をしていただけたらと思います。
無理にお礼を言えっていうのも変ですけどね。
聞きたいこと聞いておしまいっていう風になってますので、申し訳ないですけどね、礼儀としてよろしくお願いします。
ただもちろんまだ聞いてらっしゃらないという可能性もあるので、その場合は申し訳ありません。
もしね、聞いたらリアクションしていただけたらと思います。
ちょっとね、いきなり説教から始まってしまいましたが、
では、そわさんとぬふさんのお便りです。
熟字訓について
七夕、土、霜、旅、異鳥、紫陽花、海老、日和、三見垂れ。
これらは一種独特の読み方で、漢字に対応した読み、音読み、訓読みではなさそうです。
熟字訓ってやつですね。
和語、山と言葉が先にあって、それに漢字が当てられたものに思えます。
こうした漢字表記はどのように生まれ、寛容化したのでしょうか。解説をお願いいたします。
いわゆる当て字とどう違うのでしょう。
一方、山と飛鳥、武蔵といった地名表記は成り立ちが少し異なるようにも感じます。
ということで、そわさんとぬふさんお便り。
どうもありがとうございます。
先に言っちゃいましたけど、こういうのは熟字訓と言われるもので、
訓読みは訓読みなんですよね。
ただ普通の訓読みっていうのは一つの漢字に和語を当てているわけですけど、
熟字訓っていうのは熟字というか熟語、複数の漢字に訓読みを当てているので、
おそらく典型的にはというか原則として、複数の漢字に一つの和語が対応しているということになると思います。
ただ複数の漢字に一つの和語、一つの訓っていうのが、
これもそのバリエーションはいろいろあるんですが、
要は繰り返しですけど、熟語単位で訓読みを当てているというものです。
こういう熟字訓は常用漢字表に一覧っぽいものがあるので、
すべてを網羅しているわけではないと思いますけど、そちらも見ていただけたらと思います。
当て字との違い
別の言い方をすると熟字訓っていうのは寛容的な読み方ということなので、
1日と書いて1日と読むとかね。
この1日っていうのは多分過去のエピソードで取り上げたことがあって、
これは月立ちから来ています。月立ち。
月が始まるということで、月立ちがイオン便で1日になって、
それが1日という、1と日という漢字に当てられて熟字訓になっているわけですが、
歴史的には全然関わりがないですけど、寛容的に1日と書いて1日と読むことになっています。
さて、このような熟字訓が当て字とどう違うかというと、
当て字というのは本来の漢字の意味から離れて、音だけに注目して用いるというもので、
国の名前なんかはこれを使っていると思います。当て字だと思います。
フランスとかね、仏という字が封に当てられているわけですけど、
当然その仏さんがいるわけではないので、封というその音だけを当てているということで当て字です。
こういうのは広い意味ではカシャと言われるものかなと思います。
このカシャっていうのは仮に借りると書いてカシャですけど、
漢字の使い方の用法の力書というのがあるんですけど、それの一種です。
いずれにせよ音だけに注目しているのが当て字です。
それに対して熟字訓というのは、漢字の意味というのはそんなに離れていません。
さっきの1日だと、1日と書いて1日と読むのはイレギュラーはイレギュラーですけど、
意味としては月の1日目だから、1日で別にずれてはないんですよね。
一方当て字っていうのは意味を完全にしかとしていますので、
中国語がまさにこういう当て字的なことをたくさんしているはずです。
というのが日本語はまだかなというのがあるので、音だけを表すということができるわけですけど、
中国語は標語文字である漢字しかないので、ある意味その意味っていうのをしかとしないと
釈用っていうかね外国の言葉を表すことができないんですよね。
でその場合に翻訳釈用するか、音だけを借りるこの当て字的なねやり方で釈用するかっていう2つやり方があると思うんですが、
いずれにせよ当て字というのは漢字の持っている意味を無視して、その用法を無視して音だけを当てるというのが当て字で、
熟字訓というのは複数の漢字に訓を当てるという構造なので、一応違いがあるっちゃあるんですよね。
熟字訓というのは一応漢字の意味を失っていないと、保持しているということです。
熟字訓の成立過程
さてこのような熟字訓がどのように成立していったかというと、そして寛容化されていたかというと、
まあ普通の漢字と別に変わらないとは思うんですけどね。 調べたらわかるかもしれないですけど、
僕自身はねあんまりその辺は興味がなくてですね。
というのが熟字訓にしろ規則的な漢字の読み方にしろ、
まあそういうもんならそういうもんなんですよね。
言語の恣性っていうのが言語学の根本的な考え方ですけど、
その言語形式と表している概念という結びつきはどうでもいいんですよね。
その文字でもってどういった概念を表すかというのは、
同等でもなるというか、和謝にとってはそういうもんだと思えばそういうものなので、
そういうことになっているからそうなっているということだと思います。
和謝にとって歴史っていうのは関係ないので、
さっきの1日っていうのは月たちから来ていると言いましたけど、
そういうことは和謝は知らなくても1日っていうのは1日目を指すっていうのはわかってますので、
こういう熟字訓は共同体が受け入れたから受け入れられてるっていうかね、
熟字訓はそれぞれ成立過程はそれぞれの熟字訓にあると思いますが、
調べてみるといろいろわかると思いますが、
僕は和謝にとって歴史は関係ないものだと思ってますんでね、
この辺で終わりにしようと思います。
それではまた次回のエピソードでお会いいたしましょう。
番組フォローも忘れずよろしくお願いします。
お相手はシガ15でした。
またねー。
09:56

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