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始まりました、志賀十五の壺。みなさん、相変わらず元気でやってらっしゃいますでしょうか。志賀十五です。
さて、今日のトークテーマは、ご覧いただいている通り、「岡山は新橋だ」の言語学ということなんですね。
この番組を初めて聞くっていう方もいらっしゃると思うので、先に断っておくと、言語学とか言葉とかの話をよくするんですよね。
そんなことより、「岡山は新橋だ」って、意味が全然通らねえじゃねえかってことですよね。ついに気でも触れたのかって感じですが。
まあ、こんなの解説するまでもないですよね。 岡山っていうのは、中国地方、西日本の一都道府県に過ぎないと。
で、新橋っていうのは、東京の一つの地名ですよね。 だから、岡山が新橋であるはずがないですが、
これね、ちょっとこういう場面をね、思い浮かべてほしいんですよね。 こういう場面っていうのは実際にあったことなんですけど、
この間、友人と日本橋を歩いているときに、 結構アンテナショップがあったんですよね。
アンテナショップっていうのは、ご存知の方も多いと思いますけど、 その各地方、各都道府県が出展しているお店で、
そこまで足を運ばなくても、そのアンテナショップに行けば、 そこの特産物とか、名産品とか、お土産っていうのが買えるんですよね。
だから、もしかしたら、このコロナのね、こういう状況だと、 アンテナショップはにぎわってるのかもしれませんね。
そこまでちょっとわかんないですけど、 実際、遠出できないような状況だと、そういうところでね、名産品を買うことができると。
で、都内の、特に都心の方に山ほどあるんですよね。 で、日本橋を歩いて行ったら、確かね、富山のアンテナショップがあったんですよ。
で、そこで僕が言ったのが、 富山のアンテナショップって日本橋にあるんだ、みたいなことを言ったんですね。
そしたら、友人が、「あ、岡山のはどこにあるの?」って聞いてきたんですよね。 で、僕、岡山県出身だから、まあそういうふうに聞いてきたんですけど。
で、そこで答えるのに、僕が言ったのが、 岡山は新橋だと言ったんですね。
つまり、こういう文脈というか背景というか場面があれば、 岡山は新橋だって平気で言えてしまうんですよ。
これね、面白いですよね。 岡山は新橋だだけ見たら、全く意味がわかんないけど、
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なんかそういう会話の流れがあった上で、 岡山は新橋だって聞けば、全然言えるなっていうことなんですよね。
で、これはね、よく日本語学で 議論されるんですよ、こういう現象って実は。
で、そのね、現象の名前がウナギ文って言うんですよ。 なんだその名前って感じですけど。
この名付け親は奥津啓一郎先生っていう先生が名付けてるんですけど、
ウナギ文の代表例として、 僕はウナギだっていうのがあるからなんですよね。僕はウナギだ。
お前はウナギだったのか。 今まで気軽に話してたけどとかそういうことじゃなくて、
これもやっぱり会話の流れというか文脈っていうのがあって、 これはご飯を注文するときに、
俺はカツ丼にするけど、お前は何食べるって聞かれたときに、 僕はウナギだって答えるってことなんですよね。
で、いろいろこれも議論されてるんですよね。 これをどういうふうに解釈したらいいんだろうってことですよね。
これはまあ省略といえば省略ですよね。 いろんなものが削られているので、
例えば僕はウナギだだったら、 きっちりちゃんと言うとしたら、
僕が食べるのはウナギだっていうことで、 それを短くして僕はウナギだっていうふうに解釈することもできるし、
あるいは僕はウナギを食べるっていうのを、
文脈でかなり解釈ができる、理解されるっていうことで、 単にウナギだって済ませているという解釈もできるんですよね。
これはまあ先ほど言った岡山は新橋だも一緒ですよね。 岡山のアンテナショップは新橋にあるっていうのを、
文脈から推測できるとこは、 どんどんどんどん削って岡山は新橋だとなっているってことですね。
先ほどこれは日本語学で色々 議論されるみたいなことを言ったんですけど、
他の言語でも見られると言えば見られるらしいんですよね。 例えば英語でも I'm the coffee みたいな言い方ができるらしいんですよね。
I am coffee でザがない言い方もあるみたいですけど、
当然これは I am the coffee って言ったら、私はコーヒーです。 お前コーヒーなのかってそういうわけではなくて、
これもやっぱり場面としては、 注文するみたいな場面らしいんですよね、そのウナギ文と一緒で。
これ注文するというよりも、 店員さんがコーヒーを持ってきてくれて、どちらのお客様ですかみたいな時に、
I am the coffee って言ったら、 コーヒー僕のですみたいな意味になるみたいなことらしいんですよね。
だから英語の場合は注文の時というよりは、 注文の品をもらう時使うっていうことみたいなんですよ、どうやら。
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まあいずれにせよですね、 こういうふうに論理的には破綻しているような表現が各言語で許容されているというか、認められているということなんですね。
当然これは文脈がちゃんと整っていればということです。 でね、ここからまた別の話になりますけど、
岡山は新橋だとか、僕はウナギだみたいな文が、表現が日本語で認められるからといって、
日本語は論理的ではないとはね、ちょっとすぐには言えないと思うんですよ。
そこをね、結びつけるのはちょっとね、危険な気がしますね。
あるいは、こういうふうに日本語は省略をバンバンやっていく言語だからといって、
これはやっぱり日本人の心というか、国民性として場の空気を読むとか、そういうのが関係しているっていうのも、
ちょっと時期焦燥というか、そこをね、結びつけるのも危険な気がします。
確かに言語の現象として、岡山は新橋だ、僕はウナギだっていうふうに非論理的で省略しまくっているように見える表現がありますけど、
それをね、ちょっとすぐにね、日本語母語話者の国民性とか、あるいは日本社会の特徴みたいなものとすぐに結びつけない方が僕はいいんじゃないかと思います。
こういったウナギ文ってね、探してみれば結構あると思うので、ぜひぜひちょっとね、皆さんも気にしてみてもいいんじゃないかと思いますね。
ウナギ文じゃなくて、こんにゃく文っていうのもあるみたいですね。
これは、「こんにゃくは太らない。」みたいな文らしいんですけど、これはこんにゃくが太らないっていう意味ではなくて、
こんにゃくはいくら食べてもカロリーにならないっていう意味で、「こんにゃくは太らない。」っていうことで、こういうのをこんにゃく文っていうらしいですね。
こういった表現は意外と見つかるものなので、ぜひ皆さん気にしてみてください。
ずっと言ってるように、岡山のアンテナショップは新橋にあるんですね。
これね、皆さんこちらも行ってくださいね、ぜひね。
岡山は鳥取と一緒にアンテナショップを共同で開いてるんですよ。
中でもね、僕がおすすめしたいのは、岡山の大手まんじゅうっていうまんじゅうがあってね、ぜひこちら食べてみてください。
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岡山といえばきびだんごみたいなとこがあるんですけど、岡山県民としてはね、大手まんじゅうの方がおすすめなんですよね。
というわけで、今日のトークテーマは、「岡山は新橋だ。」みたいな、一見論理的に破綻しているような表現も文脈が整えば言えてしまうぞっていうね、
そういう、ある意味言語の緩さっていうかな、幅があるっていうか、そういったお話でした。
よろしかったら他のトークも聞いていただけたらと思います。
というわけで今回はここまでということで、最後まで聞いていただいてありがとうございました。
よろしかったら番組フォローお願いいたします。
ではまた次回お会いしましょう。ごきげんよう。