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こんにちは、志賀十五です。毎回テーマを一つ決めて、それに沿ってトークしています。
今回のテーマは、「余所で話せる理論」です。
皆さんそれぞれ生きていく中で、自分なりの理論っていうのをお持ちだと思うんですよね。
例えば、モテるためにはこうした方がいいっていう理論とか、
人笑い撮るにはこういう理論がいいとか、友達を作るためには、
上司に好かれるためにはとか、そういったことについて何でもいいんですけど、
まあ理論、自分なりの理屈、まあこれ説って言ってもいいかもしれませんけど、
まあちょっと違うかな、まあ理論っていうのを意識的であれ無意識的であれお持ちだと思います。
この「余所で話せる理論」っていうのは、僕が持っている、僕なりの理論ですけど、
まあね、地球上70億人、噂によるとそのくらい人がいるらしいので、
まあどうですかね、同じ理論を持って生活している人は山ほどいると思います。
で、これを聞きの方の中にもいると思います。
で、この内容自体は本当に大したことないです。そのままです。
例えば、生きていて辛いこと、失敗したこと、悲しいこと、恥ずかしいこと、いろいろマイナスなものってあると思うんですよね、どうしても。
そういうことが自分の身に降りかかってきた時に、これはそのうち余所で話せると思おうという理論です。そのまんまですね。
で、これはね、いろんな意味で理にかなっているんですよ。
で、その中の1個は、人って自分に対して弱い面を見せてくれている人にすごい親近感を覚えるんですよ、多分。
なんかそういうの聞いたことある。逆に、まあ高圧的な人もそうですけど、
すげえ自慢話とかしてくる人はあんま近づきたくないなと。
まあその人が相当魅力的だったり尊敬している人だったらまた別でしょうけど、っていうのがあるので、
人と距離を縮めるきっかけとして自分の失敗談を話すっていうのはあるんですよ、おそらく、セオリーとして。
そういう意味で、こういう社会的な意味で、この余所で話せる理論っていうのは非常に有効で。
で、その失敗とかをこういう余所で話せるって言って話すときに、やっぱり面白、おかしくするっていうのがポイントですね。
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まあ何もその爆笑をとれっていう意味じゃなくて、やっぱりちょっと笑い話にしようと、勤めてそうしようとするのが大事だと思います。
これを、その失敗談をネチネチネチネチね、陰気臭く暗く話してたらダメです。
時々ね、小説とかね、漫画とか読んでるといるでしょう。
何年も前のすんごい些細なことをいつまでもネチネチネチネチ言ってるやつ、そして多分現実にもいるだろうということなんですけど、
それよりはさっさと自分の中で笑いに消化しちゃって、それを面白おかしく人に話せたら友達も増えるしっていうことで、そういう意味で、あの余所で話せる理論っていいと思うんですよね。
大抵、笑い話になるっていうのは経験でわかってきますよね。大人になればなるほど、あの時中学の時のあの失敗、すげー当時恥ずかしかったけど今となってては笑い話だなーっていうことが皆さんあると思うんですよね。
なのでそういう経験を踏まえれば、今日やっちゃった失敗もまあいつかは笑い話になるんだろうなってなんとなく経験的にねわかると思うんですよ。
ただね、これわかんない人もいるんですよね。いつまでも引きずる人。
まあそれはその人の生き方なんでどうでもいいと言えばどうでもいいんですけど、それよりはやっぱり
笑い話として、ある意味ね、その自分の鉄板、ネタ、定石としてどんどんどんどん人に話していく方がいいかなと思います。
で、これがこのよそで話せる理論の実際的な、実用的な面なんですけど、
これね、もっと深く考えるとね、深く考えると深いことがあるっていうちょっと重複しちゃいましたけど、深いところがあるんですよ。
っていうのは、何か失敗した時に、よしじゃあよそで話そうって思うだけでいいんですよ。
そのうちよそで話そうと。実際に人に言わなくてもいいんですよ。
この潜在的によそで話すことによって、よそで話そうってちょっと思うことで、その失敗からちょっと距離を置くことができるんですね。
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その事実を客観的に見られるというかね、これがすごいポイントで、
その失敗自体は、失敗とか恥ずかしいこととかね、そういうことって、それ自体は大したことないんだけど、問題はそれに執着してしまうことが問題であることが非常に多い。
それに囚われて囚われちゃって、執着し続けちゃって、他のことに手つかなかったりとか、あるいは気分が落ち込んじゃってご飯も食べられないみたいなことになってしまうことの方が実は問題なので、
これ、そのうちよそで話そうって思うだけで、客観的にその事実を見ることができて、それで気持ちも楽になると。これはある意味、仏教的な考え方なんですよ、多分。
僕、仏教徒なんで、熱心な仏教徒というわけではないですけど、仏教的な考えで言うと、やっぱり執着することが良くないんですよ、なんでも。
ただ、それでいて、なんでもかんでも冷ややかに見るっていうのも、それはそれで人間味がないし、なんでもそうですけどバランスが大事だと思うんですけど、要は執着することが良くないということで、
その失敗にとらわれないために、このよそで話せる理論はぜひお勧めしたいですね。
皆さんもぜひこのよそで話せる理論、よかったら使ってみてください。
それではまた次回。ごきげんよう。