1. 志賀十五の壺【10分言語学】
  2. #131 ワキ毛剃ったら風邪引い..
2020-07-09 11:04

#131 ワキ毛剃ったら風邪引いた from Radiotalk

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
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始まりました、志賀十五の壺。 皆さんいかがお過ごしでしょうか。志賀です。
日本語は曖昧な言語だ、とかね。 こういう話を皆さん1回ぐらい聞いたことあるんじゃないかと思います。
あるいはご自身で言ったことさえあるかもしれませんね。 もっと具体的に言うとですね、日本語っていうのは
主語を省略する言語なので曖昧な言語だ、とか さらに飛躍させてですね
そういう言語が日本語が曖昧なのは その日本の文化とか
まあ民族性というか国民性っていうかそういうのを反映させているんだとか そういう主張も聞いたことがあるかもしれません。
今回のトークではですね 果たして
こういった主張は妥当なのかどうかっていうのをね、ちょっと考えてみたいと思います。 まあ確かにね
日本語って主語を省略する傾向があるとは思うんですよね。 まあそれ自体は正しいと思うんですけど
ただねそれだけじゃちょっと説明しきれない 現象っていうか
半分ぐらいしか当たってないんじゃないかなって僕自身の感覚では思います。 確かにね英語みたいな言語と比べるとですね
英語って当然主語なしで 動詞から始まる文とかっていうのは普通ありえませんから
そういう言語と比べると まあ主語を省略する言語と言えるかもしれませんが
ただ主語を省略する言語っていうのは何も日本語だけではありません。 まずねこれを
知っていただきたいというか頭に入れといてほしいんですよね。 世界中の言語を見渡せばですね、その主語を省略する言語なんて山ほどあるんですよ。
よく例に挙げられるのはですねスペイン語とかイタリア語とかポルトガル語とかそういうロマンス系の言語と
言われるものなんですけど、フランス語は別なんですけど。 なので主語を省略するという点において
何ら日本語は特殊ではないというか 割とよくある現象だということですね。まず一点。
なので主語を省略するから曖昧な言語で その曖昧さっていうのが民族性とか国民性に基づいているんだったら
結構な数の言語がそういうことになってしまうので やっぱねちょっとそこにすぐね文化的な
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特徴っていうか特性と結びつけるのはね 危険な気がします。関係がないわけではないと思うんですけど
まあちょっとね危ないかなっていう感想ですね でですねさらに僕はその疑問を持っているのはそもそも省略なのかということですね
省略っていうのは当然そこにあるべきものを 出さないっていうことですよね
でまぁなぜ省略できるかというと 文脈からあるいは
その時の発話の発話時の状況から 推測できるから推測可能なので省略するっていうのがまあ
その一般的な了解だと思うんですよね 実際そういう例はあると思います例えば走れメロスの冒頭とかそうですよね
メロスは激怒したから始まって2文目が必ず彼の邪地暴虐の王を除かなければならぬと決意した
これは主語はありませんけど当然 除かなければならぬと決意したのはメロスですよねでこれは何でメロスっていうのが
あるいは彼で置き換えててもいいですけどメロスはとか彼はとか っていう主語が2分目にないかというと文脈から推測できるから
だからまあこういう場合は省略と言っていいと思います ただね
この主語が現れないっていうのがすべて省略で説明できるかというとそうではないと思いますね
ここで今回のトークのタイトルですね 脇毛剃ったら風邪引いた
これを見てあの再生し始めた人はですね多分 僕シガ10号が
脇毛を剃ったら風邪引いた話をするんだろうと思ったと思うんですよ これは日本語母語話者であればほぼ100%思っていると思います
果たしてこれは省略なのかどうかということですね っていうのが
これは独立したまあ発話というか文っていうかなので その前後に何もないのでその文脈っていうのが全くないのに僕の話だと
皆さんは思ったわけですよね 理論上は僕の話じゃなくて僕の友人かもしれないし
歴史上の人物かもしれないし 小説の中の人物かもしれないしもありとあらゆる可能性がある中で
ほぼ100%の人が 僕シガ10号が脇毛を剃ったら風邪引いたと思ったはずです
でこれはね当たり前だと思われるかもしれません それで私はっていうのが省略されてんだっていう人もいると思うんですけど
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それはねちょっと微妙なんじゃないかと思うんですよ 例えばもしこのトークのタイトルが私は脇毛を剃ったら
風邪引いたとかあるいは私がでもいいですけど私が 脇毛を剃ったら
風邪引いた これね私はとか私がっていうのを
無理やり入れると変な含みを持つと思うんですよ 私はの方がちょっとわかりやすいと思うんで私は
脇毛を剃ったら風邪引いただったら 他の人は知らないけど私はみたいなそういう
対比的なニュアンスがちょっと出てきたりするんですよ なのでこのトークのタイトルの脇毛を剃ったら風邪引いたは
主語の私はとか私がが省略されているのではなくて 何も主語が現れないことによって
主語が私であることを表しているとそういった方が正確なんじゃないかと思います つまりあるものを消しているんじゃなくてゼロがあることによって
もっと専門的な言い方をすると主語が一人称であることを表しているとそういうことですね なのでこの話をもうちょっと一般化すると
主語が出ないっていうことは主語は一人称である つまり主語は話し手であるっていうことを
表していると 省略っていう
じゃなくてそういうふうな説明の方がしっくりくると思います まあもっと言うとね日本語は一人称の主語を好む言語
つまりデフォルトは一人称主語だって言ってもいいと思うんですよね 例えば
これがねわかりやすく出るのは感情を表す表現とかの場合なんですよ 犬が怖いって言った場合
犬を怖がっているのは話して私としか多分解釈されないと思います もし怖がっているその主体というか
怖がっているそのなんてか超本人っていうかが 犬であることを言おうと思ったら犬が怖がっている
っていうふうに そのがるとかがっているっていうのをつけないとねダメなはずなんですよ
なのでここでもですね単に怖いって言った場合は 犬が怖いって言った場合は主語はデフォルトで一人称で
犬が 怖いと思っている超本人だとしたら
怖がっているとか怖がるみたいにちょっと形を変えないといけないっていうことはやっぱり 日本語はね一人称主語をちょっと好むっていうね
一つの現れじゃないかなと思います 実際にですね
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普段の発話をちょっとでもね気をつけていただけたら 滅多にね私は私がっていうのをね
わざわざ使わないと思うんですよ むしろ私はとか私がっていうのが出てくると
別の ちょっとね含みというかニュアンスが加わると思います
なのでこれ繰り返しになりますけどやっぱり 主語を省略している
というよりは 出ないことによって
主語が話し手であることを表しているといった方が正確じゃないかなと思います はいというわけで今までの話をまとめるとですね日本語はよく曖昧な言語っていう
ふうに言われます でその理由っていうのが主語をよく省略できるっていうことなんですが
まず第一に主語を省略できるっていうのは何も日本語に限ったことではありません よく見られることですので珍しいことではありません
で第2にですね 確かにその走れメロスの例みたいに文脈から推測可能だから主語を省略してるみたいな例も当然ありますけど
それよりむしろ 主語が現れないことによって話し手が主語であるということをね
表しているっていう例もたくさんあるということですね なのでそれはもうもはや省略とは言えないということです
まあこのことからですね安易にその 日本語は主語が省略できるから曖昧な言語でそういう曖昧性は
国民性とか民族性とか文化的背景とつながっているとは 言わない方がいいんじゃないかと思います
ちょっとねごちゃごちゃした話になっちゃいましたね もし感想等あるいは意見等
ございましたらマシュマロを投げつけていただけると助かります というわけで今回はここまでということでよろしかったら番組クリップお願いいたします
ではまた次回お会いしましょう ごきげんよう
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