1. 志賀十五の壺【10分言語学】
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2024-11-19 10:16

#705 「先月手術したんだ」「手術したのは医者だろ」の言語学 from Radiotalk

関連エピソード
https://radiotalk.jp/talk/752592

参考文献
『自動詞文と他動詞文の意味論』(佐藤琢三、笠間書院)

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育

サマリー

このエピソードでは、「先月手術を受けた」と表現する際の言語学的な成立過程を探ります。特に、改材性の多動詞文について解説し、患者が手術を受けた際にどのようにして自分が手術を受けたと言えるのかを論じています。

手術の表現の考察
始まりました、志賀十五の壺。みなさんいかがお過ごしでしょうか。
フィリポス二世です。
今回のエピソードのタイトル、「先月手術したんだ」、「手術したのは医者だろ」の言語学。
言われてみたら、そうですよね。
手術したのはお医者さんであって、手術はむしろ自分はされた側?
手術してもらったとか手術されたという方が、本当は正確な気がしますが、「先月手術したんだ」ということができます。
もちろんお医者さんが先月手術したということはできます。もちろん。
しかし、患者側も先月手術したんだということができるんですよね。
冷静に考えるとこれはおかしいことです。
ブラックジャックは自分で自分を手術したことがありますけど、そうではなくても、完全に自分は患者側なのに、
メスとか持ってないのに先月手術したと言えます。
こういった例は他にもあります。
家を建てたんだと言った場合は建てたのは大工さんだろうだし、
髪切ったんだと言った場合も切ったのは美容師さんだろうとね、こうなるわけです。
もちろん大工さんが家を建てた。あるいは美容師さんが髪を切った。
当然これも言えますが、されてもらっている側なのに家を建てた、髪を切ったと。
あたかも自分がやったようになぜ言えるのかということですが、
実はこれ、過去に同じような内容でエピソードは配信したことがあります。
シャープは418で美容院で髪を切ったと何で言えるかみたいなエピソードを配信しています。
概要欄にURLは貼っていますので、よろしかったら合わせて聞いていただけたらと思います。
改材性の多動詞文
同じような話をしていると思います。
こういった表現のことを改材性の多動詞文と言うことがあります。
改材性の多動詞文。
これは佐藤拓造という先生がご研究なさっていて、
今回はその佐藤先生の本。
自動詞文と多動詞文の意味論という本を参考にお話ししていこうと思います。
改材性というのはどういうことかというと、
手術した場合は、事情はいろいろあると思いますが、
考えられる状況として、患者側がお医者さんに頼んで手術をしてもらうと、
その事態のスタートというか、始まりというのは患者側だということが言えます。
それで、先月手術したという言い方ができると。
家を建てるというのも一緒ですね。
家を建ててくれと頼んで、別の人を通して家を建てるということですね。
紙を切るも同様です。
その依頼者というか、その事態を引き起こす人というのが、
実際にその事態を行う人と異なるわけですが、間に改材するわけですね。
それにも関わらずあたかも自分がやったかのように、
手術した、家を建てた、紙を切ったと言えてしまいます。
このような改材性の多動詞文が可能なのは、まず多動詞文に限ります。
改材性の多動詞文と言ってますので、多動詞に限られるんですよね。
例えば、自動詞だとこういった言い方はできなくて、
自動詞は例えば、行くとかいう動詞ですけど、
社長が自分で銀行に行かずに秘書に行かせた場合、
秘書という改材したものを通して銀行に行ったということを表すのに、
社長が銀行に行ったとは言えないんですね。
社長が秘書に銀行に行かせたという意味で、社長が銀行に行ったとは言えません。
そういうことで、自動詞では改材性の文というのは言うことができません。
ただ、多動詞だったら何でもかんでもいいというわけではなくて、
そこに2つぐらい条件みたいなものがあります。
1つは、自体の結果というのがコントロールできるかどうかというのと関わっています。
これは結構難しいというか、程度の問題な気はするんですけど、
要は、誰かにそれをやってもらうときに、
誰にやってもらうかによって結果が結構左右される、
あるいは完成品が違ったものになるというような場合は、
使えないというのが松本先生の主張です。
どういうことかというと、これがちょっとどうかなというところがあるんですけど、
家を建てるっていうのは、ある意味大工さんが誰であっても変わらないけど、
家を設計するっていうのは、誰が設計するかによってその完成品がかなり異なると。
ですので、誰かに頼んで家を設計してもらった場合は、
私は家を設計したとは言えません。
私は家を設計したと言えるのは、本当に自分で設計したときだけです。
それに対して、家を建てたっていうのは、
自分が家を建てた場合にも使えるし、
誰かを通して、つまり大工さんを通して、
大工さんに家を建ててもらったときにも使えると言うんですが、
さあこれはどうでしょうか。
家を建てるというのも大工さんによって結構違うんじゃないかという気もします。
手術するっていうのもお医者さんによって結果が異なるとも言える気がするので、
程度の問題な気はするんですよね。
髪を切るっていうのはさらに美容師さんによるみたいなところがあると思うので、
より個性が出るっていうかな。
条件と概念の整理
誰に切ってもらうかによって違う気がするので、
その事態の結果が買い在している、
頼んでいる人によって異なるような場合は、
使えないという条件が一応ございます。
2つ目の条件として、
動詞が動作の過程に注目しているようなもの、
動作そのものに注目しているような場合には使えないというのがあります。
逆に使えるのは動作の結果に注目しているようなもので、
家を建てる、手術をする、髪を切るっていうのは動作の結果に注目しているんですけど、
その動作そのものに注目しているような場合、
例えば車を運転するっていうのは、
運転した結果どうのこうのっていうところには注目していないので、
例えば誰かに頼んで車を運転してもらった場合、
私は車を運転したとは言えません。
言えるとしたら本当に私がドライバーであるという解釈しかできません。
私は弟に車を運転してもらったっていう風にね、
してもらうみたいな言い方をしないとダメなんですよね。
これは開在性の多動詞文が多動詞に限られるっていうこととちょっとつながっています。
多動詞っていうのは目的語が出てくる動詞ですけど、
その目的語っていう変化する対象が出てくるということなので典型的には。
その多動詞の中でもさらに結果に注目するような多動詞にだけ
開在性の多動詞文は可能であるというようなことでございます。
ただよくよく考えてみると、手術するっていうのはこれは多動詞なんですかね。
手術をするのをが出てきてないと考えるか、
あるいは手術するで一単語と考えるかっていうのは、
ちょっとまた別の話になるので置いておきますが、
ひとまず先月手術したと言えるのは、
つまり自分がやってないのにあたかも自分がやったと言えるのは、
誰がやっても同じ結果になる、誰が手術しても同じ結果になる場合に言えて、
そして動作ではなく結果に注目するような場合に言えるというようなお話でございました。
関連エピソードもぜひ聞いていただけたらと思います。
それではまた次回のエピソードでお会いいたしましょう。
お相手はシガ15でした。
またねー。
10:16

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