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2025-07-05 10:27

#770 シニフィアンとシニフィエ、コノテーションとメタ言語:ロラン・バルトの記号学 from Radiotalk

関連エピソード
https://radiotalk.jp/talk/1200073

主要参考文献
加賀野井秀一 (1995)『20世紀言語学入門: 現代思想の原点』東京: 講談社.

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育

サマリー

このエピソードでは、ロラン・バルトの記号学について、シニフィアンとシニフィエの概念を通じて言語と記号の関係を探っています。特にコノテーションやメタ言語の役割についても触れ、多様な文化の中での記号の意味を考察しています。

記号とその側面
本日のテーマは記号論、ないし記号学です。記号論と呼ぶか記号学と呼ぶか。
まあどちらにしろ、これは言語学に非常に関わりのあるところで、記号学の中に言語学があるのか、あるいは言語学の中に記号学があるのかっていうのも議論があったりします。
記号論っていうのはその名の通り記号を扱う学問なわけですけど、その中でも言語が中心的なメンバーというか対象であるということは、
まあ多分異論はないと思うんですよね。で、言語が記号であるっていうことについてのエピソードは過去に何度も撮ったことがあります。
だいたいソシュールについての話になっていると思うので、興味のある方はいちいち関連エピソードをURL貼りませんが、
過去のエピソードを遡って、大変でしょうけどね、見つけて聞いてみてください。
言語記号というのはシニフィアンとシニフィエという2つの側面からなっているというふうに言われることがあります。
まさにこの話をしているエピソードがどこかしらにあると思うんですが、シニフィアンというのは表すもの、シニフィエっていうのは表されるものっていうふうに、
どちらもフランス語の文字系ですけど、日本語だったら脳記と書記とか、もうちょっとわかりやすく記号表現と記号内容と言われることもあります。
例えば日本語のキツネという言語記号にもシニフィアンとシニフィエの側面があり、シニフィアンの方はキツネという音ですね。
書き言葉であればキツネという文字になるわけですが、その表している方、聴覚イメージとか言われることもありますけど、
端的に言えば音の側面がシニフィアン、キツネという動物、動物それ自体というよりはキツネという概念ですね。
その概念的側面のことをシニフィエと言います。
で、それが一色たになったのがシ・ニュと言われる記号なんですね。
BGMです。
始まりました4月15のツボ。皆さんいかがお過ごしでしょうか。虫場建設株式会社です。
キツネというシ・ニュは、キツネという音の側面、シニフィアンと概念の側面、シニフィエからなっていて、
そのシ・ニュ全体がキツネという指示対象を指しているということなんですね。
この辺がちょっとややこしいですけど、キツネという音がキツネという動物を指しているわけではなくて、
音と概念が一色たになった記号がその指示対象を指しているというふうに考えます。
シニフィアンとシニフィエっていうのはよく紙の裏表とか言われて、切っても切り離せないものというふうに言われます。
ただ、固有名詞、4月15みたいな固有名詞はシニフィエなきシニフィアンと言われることもあるんですね。
これについては関連エピソードを概要欄、URL貼付けておこうと思うので、ぜひこの後聞いてみてください。
そういう固有名詞は別として、シ・ニュ、言語記号というのはシニフィアンとシニフィエ、
音の側面と概念の側面という2つの側面を持ったものであるとざっくりとまとめることができます。
コノテーションとメタ言語
ここまでの話、シニフィアンとシニフィエの話とかは過去のエピソードでやってますが、
今日はもう一歩を踏み込んで、繰り返しですけど、シ・ニュ自体はシニフィアンとシニフィエからなっているんですが、
それ全体がシニフィアンやシニフィエになることがあるんですね。
このことを指摘したのはロランバルトという学者です。
まずシ・ニュ全体がシニフィアン、何かを表すものになるというものから考えていきますと、
一言で言うとそれはコノテーションと言われるものです。
コノテーション。コノテーションっていうのは簡単に言うと含みとか、あるいは背後の意味ということができます。
さっきのキツネの例だと、キツネという単語、ないし言語記号、すなわちシ・ニュ全体で
ズル賢いとかね、あるいは陰謙なとか、そんな意味がついてもあることがあると思います。
これがコノテーションと言われるものです。比喩的な意味と言ってもいいかもしれません。
このコノテーションにおいては、キツネというシ・ニュ全体が、シニフィアンとシニフィエの結合体であるシ・ニュ全体がまた
シニフィアンとなって、ズル賢いみたいなシニフィエと結びついているということなんですね。
ちょっとマトレオシカっぽいね、そういった状況になっています。
では逆に、シ・ニュ全体がシニフィエになる、意味されるものになるっていうのはどういうことかというと、
これはメタ言語と言われるものになります。 メタっていうのは日常生活でも使われることはあると思うんですよね。
ドラマとか映画とかアニメの中で、そういう創作物の中で現実世界のことを揶揄したりとかね、そういうのをメタ発言とか言ったりしますけど、
イメージとしてはなんかそういうのに近いと思いますね。 なんか一個上から見てるというか外から見てるっていうような感じで、
さっきのキツネの例だと、 キツネがタヌキをからかった。
この文章でキツネは守護であるとか言った場合のキツネはメタ言語ということになります。
言語学でこのメタ言語っていうのはたびたび起こるものだと思いますが、
キツネという音と概念の結びついたシーニュが、 今度は表されるものシニフィエとしてメタ言語では機能しているということなんですね。
メタ言語っていうのは要はその述語の定義の時にね、 かなりわかりやすく表れるもので、
だから辞書っていうのはメタ言語ばっかりだし、 それが外国語だとさらにわかりやすいですね。
メタ言語で別の言語を使っているということになるので、
フォックスとは日本語でいうところのキツネだとか言った場合は、 このフォックスっていうのがシニフィエ、表されるものとなっているんですね。
このテーションとメタ言語という、一見全然違うようなものが、
シニフィアンとシニフィエという観点から説明できるっていうのは、 なかなか面白いですね。ロランバルトのすごいところだと思います。
文化と記号の広がり
この記号学とか記号論っていうのは非常に面白くて、 僕も言語学を勉強し始めた当初、
この辺に結構のめり込んだというか、いろいろ勉強したことはあるんですけど、 ほどほどにしておいてよかったかなというかね。
記号論のその対象とするものは言語にとどまらず、 いろんなものに広がってるんですよね。
シニフィアンとシニフィエが認められたら、それはもう記号論の射程圏内っていう感じで、
例えば服装とかね。 模服っていうのは、
そういう服装でもって、 哀悼の意を表していると考えれば、
それで記号だっていうことになるし、 警官の制服とかもね、そういった側面があると思います。
あの服装でもって警官であるということを表しているわけなので、 表すものと表されるものがセットになっています。
そういう意味では、この世の中のありとあらゆるもの、 文化と言われるものすべてが記号論的に分析できると思うんですよね。
実際そういうふうに考えている人もいるわけですが、 それこそ人間の本質であるとも言えるかもしれません。
最後はちょっとね、ふわっとした大きな話になってしまいましたが、 ぜひ記号論については関連エピソードがいくつかあるはずなので、
やる気のある方はぜひ過去のエピソードを遡ってみてください。
それではまた次回のエピソードでお会いいたしましょう。 番組フォローもお忘れなくよろしくお願いします。
お相手はシガ15でした。
またねー!
10:27

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