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始まりました、志賀十五の壺。
皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
トニートニーチョッパーです。
今回は、言語学の一分野である音韻論についてお話ししていきます。
音韻論。
この音韻論が対象とするのは、音素と言われる言語の単位で、
この音素っていうのは、言語の意味の区別に関わる音の単位なんですね。
ちょっとね、いまいちよくわからないと思うんですが、
言語音を研究する分野としては、音声学っていうのもあるんですね。
ただ、今回お話しする音韻論っていうのは、音声学とはまったく異なる分野です。
どちらも確かに言語の音を対象にしてるんですが、
音声学が対象にしてるのは音声、音韻論が対象にしてるのは音素。
何のこっちゃって感じですよね。
音声学の方はまさに音声というか、言語の物理的な側面を観察するんですけど、
今日お話しする音韻論っていうのは、もう少し抽象的なんですよね。
たとえ物理的なその単位としてっていうかね、物理的には全く違う音声であっても、
その言語の中では同じ音だっていうことがよくあります。
例えば、日本語で月っていうのと月っていうのは別の単語ですよね。
月っていうのは英語で言うとこのlikeで、月っていうのはmoon。
まあ当たり前じゃないか。
当然すーとつーっていうのは、実際ご自身で発音してみればわかるんですけど、
すーの方は摩擦音と言われるもので、下先がどこにも当たらずに摩擦を起こしています。
一方、月のつーっていうのは専門的には破札音と言われる音で、
一回下先が歯茎に当たって閉鎖が起こってから、その後その閉鎖の開放摩擦が起こってます。
すーとつー。
これ当然日本語母語話者にとっては異なる音声、さらに言うと音素なので、
実際かなでも全然違うかなが使われています。
でさっき言ったように好きっていうのと月っていうのは別語の単語ですよね。
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当たり前かと思われるかもしれませんけど、
言語によってはこのすーっていうのとつーっていうのを区別しないものだって当然あり得ます。
日本語だってもしこのすーとつーっていうのが有声音、つまり濁音になってしまうと、
途端に一緒の音になっちゃうんですね。
ずーっていうのとずーっていうのは日本語母語話者に区別できません。
まあこれも専門的な言い方ですけど、
ずーっていうのは有声の摩擦音、ずーっていうのは有声の破札音ということで、
さっきのすーとつーを声帯の震えを伴って発音しただけなんですけど、
つまり音声としては全く違う音声なんですけど、
日本語母語話者には同じ音、つまり同じ音素として認識されます。
音声学的には違うけど、音韻論的には同じっていう言い方をするんですね。
で実際、図鑑って言っても図鑑って言っても、
つまり摩擦音を使っても破札音を使っても意味の区別には関わりません。
これはさっきのすきとつきと対照的ですよね。
こういった音素というものを認定するのが一つ音韻論の仕事です。
でさっき言ったように音素というのは意味の区別に関わる音っていうことなので、
日本語ではすーとつーっていうのは別の音素ということになります。
でここで大事なのは音素自体には意味はないということですね。
意味の区別に関わっているだけであって、その指音あるいは母音自体に意味はありません。
こういう音素を認定する手がかりとして一つ最小次っていう考え方があります。
英語だとミニマルペアという言い方をして、今のすきとつきのペアがまさにそうで、
要はその音以外の環境を同じにしてやって、
つまりうきっていうところは一緒にして冒頭のシーンだけこう入れ替えてですね、
意味の対立がある場合は最小次をなすという言い方になります。
ですきとつきみたいに最小次をなしている意味が変わってくるとなれば、
日本語では摩擦音のすーと破擦音のつーは別の音素ということになります。
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つーの方はねもうちょっといろいろ考えなきゃいけないことはあるんですけど、
他にもねーとめーとかね。
ねーっていうのはねっこっていう意味だし、めーっていうのはめんたまっていう意味だしっていうことで、
日本語という言語の中では n で書かれるような音と m で書かれるような音は別個の音素ということになります。
逆に最小次にならないもの、意味の区別に関わらない場合は、
同じ音素というふうに認められるんですね。
例えば、日本語は l と r の区別がないとかよく言われますけど、
ラクっていうのを l の音でラクって言ったとしても、
マキジタでラクって言ったとしても、
まあ受ける印象は変わるかもしれないんですけど、意味の区別には全く関わっていません。
l で発音しようがマキジタで発音しようが、
ラ行の音はラ行、
こういう場合は最小次を成していないということで、
同じ音素ということになるんですね。
当然物理的には音声学的には違うんですけど、
音韻論的には同じ音素ということになります。
最小次と並んで、もう一つ音素を認める方法として、
双方分布という考え方があります。
英語だと complementary distribution っていう言い方をして、
これは双方分布、漢字のままといえばそうなんですけど、
片一方が現れる場合、もう片方は現れないみたいな、
そういった場合は同じ音素と認められます。
例えば狼男みたいな感じで、
狼男って普段は人間ですけど、
満月の夜だけ、特殊な環境の時だけ狼になります。
ただこれは人間と狼と別個の存在があるんじゃなくて、
一つの存在があるときは人間、あるときは狼として出現していると。
日本語でね、こういう場合よく挙げられるのが、
微濁音というものです。
ガギグゲゴっていう音ですね。
僕はこれを持ってない母語話者ですけど、
もし微濁音を持っている母語話者であれば、
ガギグゲゴっていうのは語中でしか現れないんですね。
一方、普通のガギグゲゴっていう破裂音は語頭に現れます。
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例えば下駄っていう時は、これ語頭なので破裂音。
一方、カゲっていう時は語中なので微濁音で現れるっていう風に、
片方が出るときは片方は出ないっていう分布、
つまり双方分布になっています。
こういう風に双方分布をなす場合は、
一つの音素として解釈されます。
ガギオの破裂音でも、ガギオの微濁音でも、
一つの音素であって、その現れ方が異なる、
こういうのを異音と言うんですけど、
そういう風に解釈されるんですね。
今回お話しした最小次っていうのと、
双方分布っていうのは音韻論という分野では非常に基本的な考え方で、
言語の最も根幹をなす概念といってもいいかもしれません。
というわけで今回は音韻論についてのお話でした。
最後まで聞いてくださってありがとうございました。
また次回お会いいたしましょう。
お相手はシガ15でした。
またねー。