1. 志賀十五の壺【10分言語学】
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2020-03-22 05:38

#33 夏目漱石『夢十夜第八夜』朗読 from Radiotalk

00:01
都会の敷居をまたいだら、白い着物を着て固まっていた三、四人が、「一度にいらっしゃい。」と言った。
真ん中に立って見回すと、四角な部屋である。窓が二方に開いて、残る二方に鏡がかかっている。鏡の数を勘定したら六つあった。
自分はその一つの前へ来て腰を下ろした。するとお尻がぶくりと言った。よほど座り心地がよくできた椅子である。鏡には自分の顔が立派に映った。顔の後ろには窓が見えた。
それから長馬格子が蓮に見えた。格子の中には人がいなかった。窓の外を通る往来の人の腰から上がよく見えた。
翔太郎が女を連れて通る。翔太郎はいつの間にかパナマの帽子を買って被っている。女もいつの間にこしらえたものやら、ちょっとわからない。双方とも得意のようであった。
よく女の顔を見ようと思ううちに通り過ぎてしまった。豆腐屋がラッパを吹いて通った。
ラッパを口へ当てがっているんでほっぺだが蜂に刺されたように膨れていた。膨れたまんまで通り越したものだから気がかりでたまらない。生涯蜂に刺されているように思う。
芸者が出た。まだお作りをしていない。島田の根がゆるんでなんだか頭に締まりがない。顔も寝ぼけている。色艶が気の毒なほど悪い。それでお辞儀をしてどうも何とかですと言ったが、相手はどうしても鏡の中へ出てこない。
すると白い着物を着た大きな男が自分の後ろへ来て、ハサミと櫛を持って自分の頭を眺め出した。
自分は薄い髯をひねって、どうだろう、ものになるだろうかと尋ねた。
白い男は何にも言わずに手に持った琥珀色の櫛で軽く自分の頭を叩いた。
さあ頭もだがどうだろう、ものになるだろうかと自分は白い男に聞いた。
白い男はやはり何も答えずにチャキチャキとハサミをならし始めた。
鏡に映る影を一つ残らず見るつもりで目を見張っていたが、ハサミの鳴るたんびに黒い毛が飛んでくるので恐ろしくなってやがて目を閉じた。
すると白い男がこう言った。
旦那を表の金魚売りをごらんなすったか。
自分は見ないと言った。
白い男はそれぎりでしきりとハサミをならしていた。
すると突然大きな声で危ねえと言ったものがある。
はっと目を開けると白い男の袖の下に自転車の輪が見えた。
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人力の舵棒が見えた。
と思うと白い男が両手で自分の頭を押さえてうんと横へ向けた。
自転車と人力車はまるで見えなくなった。
ハサミの音がチャキチャキする。
やがて白い男は自分の横へ回って耳のところを刈り始めた。
毛が前の方へ飛ばなくなったから安心して目を開けた。
あわもちや、もちや、もちや、という声がすぐそこでする。
小さいキネをわざとうすえ当てて表紙を取って持ちをついている。
あわもちやは子供のときに見たばかりだからちょっと様子が見たい。
けれどもあわもちやは決して鏡の中に出てこない。
ただ持ちをつく音だけする。
自分はあれだけの視力で鏡の角を覗き込むようにしてみた。
すると長馬格子のうちにいつのまにか一人の女が座っている。
色の浅黒いまみえの濃い大柄な女で髪をイチョウ返しにゆって
黒ジュースの半襟のかかった巣合わせで縦膝のまま札の勘定をしている。
札は十円札らしい。
女は長いまつげを伏せて薄い唇を結んで一生懸命に札の数を数えているが
その読み方がいかにも早い。
しかも札の数はどこまで行ってもつける様子がない。
膝の上に乗っているのはたかだか百枚ぐらいだが、その百枚がいつまで勘定しても百枚である。
自分は呆然としてこの女の顔と十円札を見つめていた。
すると耳のもとで白い男が大きな声で
「洗いましょう。」と言った。
ちょうどうまい折りだから椅子から立ち上がるや否や長馬格子の頬を振り返ってみた。
けれども格子の内には女も札も何も見えなかった。
台を払って表へ出ると門口の左側に小判なりの桶が五つばかり並べてあって
その中に赤い金魚や不入りの金魚や痩せた金魚や太った金魚がたくさん入れてあった。
そうして金魚売りがその後ろにいた。
金魚売りは自分の前に並べた金魚を見つめたまま頬杖をついてじっとしている。
騒がしい往来の活動にはほとんど心を止めていない。
自分はしばらくたってこの金魚売りを眺めていた。
けれども自分が眺めている間金魚売りはちっとも動かなかった。
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