1. 志賀十五の壺【10分言語学】
  2. #265 なぜあなたは「エモい」..
2021-02-13 10:09

#265 なぜあなたは「エモい」に嫌悪感を覚えるのか? from Radiotalk

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
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始まりました、志賀十五の壺。 皆さんいかがお過ごしでしょうか。志賀十五です。
言葉っていうのは常に変化しているものですよね。 で、どんどんどんどん新しい表現とか言葉っていうのが
生まれているわけでございます。 例えば、エモいとかね。
このエモいっていう言葉も出てきてどれくらい経ちますかね。
まあ若い人たちだったら普通に使うし、 かなり市民権を得たと言って言うような言葉ではないかと思いますね。
逆に年配の方だったら、 そもそも聞いたことがないとか、聞いたことがあるけど自分は使わないとか、
さらに言うと嫌悪感を覚えるような人もいるんじゃないでしょうか。 僕自身はエモいに限らずですけど、
そういう新しい言葉とか表現が出てきても、 どうでもいいと言えばどうでもいいんですよね。それを使おうが使わないが、
好きにしたらいいと思っているんですけど、 言語学の立場は多分そういう立場だと思いますね。
言葉そのものに良い悪いはないということなので。 ただ、世の中言語学で動いておりませんので、
まあ嫌悪感を覚える人もいるだろうと。 というわけで今回のテーマはなぜこのエモいというものに
なんか嫌悪感を覚えてしまうのかということをね、 考えてみたいと思います。
これはね、単にね、 新しい言葉だから
受け入れられないっていうね、ことだけではないと思うんですよね。 もっとそれ以上の要因が関わっていると思います。
今までもエモいに限らず、 ちょっと時代を遡るとナウイとかいうのもありましたよね。
これは皮肉なものでナウイっていう言葉はもうナウイというわけではないっていうことになっているわけですが、
おそらくこのナウイっていう言葉が出てきた時も、僕は全然世代ではないですけど、 嫌悪感を覚えた人っていうのはいると思うんですよね。
このエモいとナウイっていうのはどちらも新しく出てきた、 つまり伝統的な日本語にはなかったものっていう点でも共通してますけど、
もう一つ共通しているのは形容詞であるということですね。 いっていう音で終わるエモいナウイってね。
僕はね、この形容詞っていうのが一つキーになっているんじゃないかと思うんですよね。 この形容詞っていうのは品詞の一つで、
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当然日本語の中にもあるわけですけど、いろんな外国語でも見られるものですよね。
ひとまず日本語の中の話をしとくと、 形容詞以外の品詞には名詞とか動詞とか、
形容詞とよく似た形容動詞っていうものもあるし、 あるいは助詞と言われるようなね、
独り立ちできないような何か別個の単語にくっつくような品詞っていうのもあります。
あるいは指示詞とかもね、これそれあれとかいったものもまあ一つの品詞かなと思いますね。
一方、英語みたいな言語だとまた別個の品詞の種類があったりして、 漢詞とかいうのは日本語にはないものですよね。
あとかざっていうのは英語をはじめいろんな言語で見られるものではありますけど、 日本語にはないものです。
っていうふうに各言語それぞれいろんな品詞を持っているわけなんですよね。 単語のグループっていうことですが、
この品詞っていうのもね、また大きく二つに分けることができます。 一つは開いたクラス、もう一つは開いたがあるってことは閉じたクラスっていうのがあるんですね。
これはどういうことかというと、開いたクラスっていうのはどんどんどんどん新しい要素を増やしていけるような、 何でもウェルカムな品詞ということができます。
一方閉じたクラスっていうのはなかなかね、その新規参入のメンバーが入ってこなくて、 昔ながらのおなじみのメンバーでやっていっているような品詞ということになります。
例えば日本語の助詞がーとかおーとかにーとか、 あるいは英語の漢詞あーとかざーとかっていうのは閉じたクラスということになりますね。
こういうのは滅多に増えることはないでしょう、おそらく。 増えるとしてもかなり長い時間をかけて新しいメンバーが入ってくるといった感じだと思います。
一方開いたクラスっていうのは一番わかりやすいのは名詞だと思いますね。 名詞っていうのは常に新しく新しくできているものだし、誰でもすぐに新しい名詞を作ることができます。
新しい製品とか新しい概念とかが、あるいは制度とかこういったものができたときに、 それを指す言葉が必要ということで、
普通はそういうふうに考えられますよね。 だから名詞っていうのはもう絶え間なく増え続けている、開いたクラスということになります。
あるいは動詞っていうのも、ある程度開いたクラスかなと思いますね。 日本語の場合は何々するっていうのをつければ、もうそれで動詞になっちゃうんで、
いくらでもメンバーは増やすことができるんですよね。 何でもいいですけど、
カモフラージュするみたいに外来語だってするをつければ、 もう動詞のメンバー入りを果たすってことなので、開いたクラスですね。
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さて、ここで本題のえもいとかなういといった形容詞ですが、 形容詞はね、日本語では閉じたクラスなんですよ。
全然メンバーは増えないんですね。 これはね、
全ての言語の形容詞がそうであるわけではありません。 形容詞が開いたクラスだっていう言語もたくさんありますけど、
閉じたクラスっていう言語もどうやらそれなりにあるみたいですね。 なので日本語の形容詞っていうのはね、かなり古典まで遡れるはずですね。
たかしとかさむしとか、 この古典ではしで終わる形ですよね。そこまで遡れるはずですね。
形容詞が閉じたクラスであることっていうのはね、 色を表す形容詞を見てもね、確かめられるんですよ。
色を表す形容詞って日本語では意外と少なくて、 黒い、白い、赤い、青い、
黄色いっていうのがかなりイレギュラーですけど、ぱっと思いつくのはこのぐらいで、
あとは水色とか桃色とか橙とか、 名詞由来のものばっかりなんですよね。
黒い、白い、赤い、青いみたいに、 いいっていうちゃんとした形容詞で色を表すっていうのは非常に少ないですね。
緑とか紫とは言わずに、 緑色のとか紫色のというしかないんですよね。
このことからわかるようにですね、 形容詞って全然新しいメンバーが入ってこないんですよね。
じゃあもし新しい概念を形容詞で表したかったらどうするかというと、 ここで形容動詞を使うんですね。
形容動詞っていうのは古典ではなりがつくようなものですけど、
もともと漢語由来の形容詞的な表現をするためのものだと言えると思うんですよね。
で、現代日本語では漢語以外の外来語も形容動詞に取り入れちゃって、 例えばレトロなとかですね、これは形容動詞ですよね。
なので、形容詞的な意味を表したいときは、 新しいメンバーはどんどん形容動詞に流れていっちゃってるんで、
形容詞のメンバーは増えることがないんですよね。 なので、ずっとおなじみのメンバーで形容詞ってやってたんですよね。
語尾がCで終わる古典の時代から仲良く内輪でやってたところに、 いきなりなういとかえもいっていうのが入ってきたら、まあそれはびっくりするだろうっていうことなんですよね。
内輪で楽しくやってるのに、なんかいきなりやってきたぞっていうことでね。
というわけで、えもいに嫌悪感を覚えるっていうのは、 もちろんそれ自体が新しい、まあ新しいものだということもありますけど、それに加えてね、
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日本語の形容詞っていうのは閉じたクラスで、 新しいメンバーをあまり許容しない品詞だからだということができると思います。
現に新しいメンバーをどんどん取り入れる開いたクラスである形容動詞についてはね、 そんな文句は出てないはずなんですよね。
レトロなとかエモーショナルなとかね。 こういった新しい形容動詞については嫌悪感を覚える人はほとんどいないんじゃないかと思います。
というわけで、今回のトークはなぜえもいに嫌悪感を覚える人がいるのかというお話でした。
そして品詞には開いたクラスっていうのと閉じたクラスっていうのがあるというね、 そういったお話をいたしました。
最後まで聞いていただいてどうもありがとうございました。 よろしかったら番組フォローをお願いいたします。
ではまた次回お会いしましょう。 ごきげんよう。
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