1. 志賀十五の壺【10分言語学】
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2021-03-27 10:11

#286 尊いを「てえてえ」と言うらしい from Radiotalk

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育
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こんにちは、志賀十五です。今日も志賀十五の壺、やっていこうと思います。
日本語には、まぁ日本語に限らず、あらゆる言語で新しい表現とか若者言葉っていうのが次々生み出されてますよね。
で、そういった表現に思わず眉を潜めてしまう人も中にはいらっしゃると思います。
個人的にその気持ちは分からんでもないんですけど、
ただこの番組というか言語学の立場から言うと、
そういった新しい表現に、良いも悪いもない、正しいも間違ったもないというスタンスです。
むしろ、なんでそういった表現が生まれてきたのかというところに注目するんですよね。
今回取り上げる表現は、「尊い」っていうのを「てえてえ」ということがあるらしいんですね。
このてえてえについて考えてみようと思います。
この表現自体知らない人もいるんじゃないかなと思いますね。
僕も最近知ったものだし、実際使ったことはないです。
耳で聞いたこともないし、おそらく口に出して言うような表現じゃなくて、
ツイッターとかインスタとか、そういうSNS上で使うようなネット用語みたいなところも多少あると思うんですよね。
このてえてえっていうのが、なんだその表現は、尊いとちゃんと言えとね、
そう憤慨する方もいらっしゃるかもしれませんが、
言語学の立場から言うと、このてえてえという言い方、表現は、
ある意味で言語の変化の最先端を言っているというふうに見ることができます。
言語っていうのは常に変化しているものなので、その変化自体を否定することはナンセンスなんですよね。
尊いっていう元の形自体も様々な変化を経て、現代の形に至っているわけです。
というわけで、今回のトークでは尊いあるいはてえてえの歩んできた歴史っていうのをね、説明していこうと思います。
尊いというのはまあ形容詞ですよね。
なので、高校とか中学で習った古典を少し思い返してみると、形容詞っていうのは詞で終わってたな。
じゃあ尊いの古典の形は尊しだとね、まあこう思う方いらっしゃるかもしれませんが、
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これは微妙に違って、尊しではなくたぷとしという形だったと考えられています。
たぷとし。ぷっていう音が入ってたんですね。
これは歴史的仮名遣いで書くとたふとしということになります。
昔の日本語ではひふへほで書く音はパピプペポだったと考えられているんですよね。
一番考えられる古い形はたぷとしであったと。
その後パピプペポの発音の唇の閉鎖がゆるんで、ファフィフフェフォっていうような唇で摩擦を起こすような音になったと言われています。
ここでたふとしとなりました。
でその後また変化があって、このファフィフフェフォの音が語中、単語の途中に現れるときは、
ワイブウェウォという音になるという音変化がありました。
これは例えばアハレと書いてアワレと読むとか、現代語でも ボクワーと言ったときのワーっていうのはハッと書きますけどワーと読みますよね。
それと同じことです。
なのでたふとしからたうとしに ここで変わったんですね。
でここでたうとしとなるとアウっていう母音の連続が現れるんですよね。
これは過去のトークでもお話ししているんですけど、 日本語は母音の連続を嫌う言語なので、
アウという母音連続をオウという長母音に変化させました。
ここでとうとしという形になったんですね。
今までの話をまとめると一番元になった形はたぷとし その後たふとしになってたうとし それがとうとしになったという感じですね。
今までお話ししたのは音の方の変化だったんですけど、文法の方の変化もあって、
端的に言うと、形容詞の終止形と連体形が 同じ形になるというような変化がありました。
このたうとしというのは古典でいう 句活用というもので、連体形はたうときという形なんですね。
たうとしという 終止形があったにもかかわらず、とうときの方が 終止形の役割も担うように なりました。
そして このとうときの 形の音が落ちて、とうといで 現代に 至っているということです。
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このとうときが とうといになるのは 本質的には 書いた 動詞書くの 過去形です。
これが 書きたから 書いたと同じように 異音便というものです。
これと同じ音変化だと 思います。
やっと 今 とうといに たどり着いた ということです。
ここから 定々に 向かいます。
先ほど とうときが とうといになった おかげで 最後に おいという 母音の連続が 出てきます。
先ほども 言ったように 日本語は 母音の連続を 嫌うので おいという 母音連続を えいという 長母音に 変化させました。
そのため とうていという 形が 出てきます。
方言によっては こういった 言い方が 普通です。
実際に 岡山方言は とうていが 普通の 言い方で 過去形も とうてかった という 言い方に なります。
そして この とうていの 最後の えいの 母音に 引きずられて おうの 母音も えいに 変わって 定々と なりました。
人間は 楽して しゃべりたいので 同じ 母音を 使った方が エネルギーが 少なくて 済むので 定々に なっています。
このように 考えると 定々は 変化の 最先端を 言っていると 考えることが できると 思います。
先ほど とうていから 母音を そろえるために 定々になった という 言い方を しました。
言語学的には これを 母音調和 と言います。
母音調和という 現象は トルコ語や フィンランド語で 見られる 現象です。
同じ グループの 母音しか 一単語の 中に 出てこない 現象です。
定々の 場合は どちらも 同じ 母音が 使われています。
Aという 母音は 前じた母音と 言って 下が 前の方に あるような 母音です。
一方 Oという 母音は 後じた母音と 言って 下が 後の方に あるような 母音です。
この 一単語の 中に 前じた母音しか 出てこない 母音調和っぽい 現象とも 言えるかも しれません。
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他にも 関西弁で 正変という 言い方と 詩品という 言い方が 地域によって あると 思います。
これも 母音調和っぽいと 思います。
正変は Aという 母音で そろえていて 詩品は Eという 母音で そろえています。
定々という 言い方は トルコ語や フィンランド語で 見られる 母音調和が 日本語でも 観察される 証拠と 言えるかも しれません。
全然 関係ないように 思われるような 言語の 現象も 実は 身近な ところに あるかも しれない という お話でした。
今回は 尊いと 書いて 定々と 読む という 言語現象の 歴史を 見てみました。
最後まで 聞いてくださって ありがとうございました。
よろしかったら 番組 フォロー お願いいたします。
では また 次回 お会いしましょう。
ごきげんよう。
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