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もう一回。始まりました、志賀十五の壺。
皆さんいかがお過ごしでしょうか。志賀十五です。
始まりましたが言えないんだな。
今日のトークはですね、トークタイトルにもございますように、
『うっせぇわ』っていう曲っていうか歌がすごい流行ってるんですよね。
その『うっせぇわ』についてお話ししようと思います。
僕もこんな流行に敏感なわけではないですけど、
やっぱりそれでも聞いたことはあるし、
実際ちゃんとYouTubeの動画も見てしっかり聞きました。
なんかいろいろ問題になってるみたいですね。
子供がうっせぇわうっせぇわ言っちゃうみたいな。
教育上どうなんだみたいなね。
こういうのって定期的にありますよね。
僕がその子供の時なんかはね、
小島よしおさんのそんなの関係ねぇっていうのがめちゃくちゃ流行ってて、
例えば親とか教師がなんか怒ったりしても、
子供はそんなの関係ねぇで返しちゃうみたいなね。
そんなの関係ねぇ禁止令みたいなのが出たみたいなニュースもあったりしたんじゃなかったかな。
こういうのは定期的にあるものだと思いますが、
そういったことは今回全く関係なく、
うっせぇわこれ自体を言語学的に見るということになっております。
初めて聞く方もいらっしゃると思うんで言っとくとですね、
そういうことをよくやる番組です。
何かを言語学的に分析するとかね、そういうことをよくやってます。
うっせぇわっていうのはかなり交互的っていう感じがすると思うんですよね。
元の形はうるさいわでしょうね。
このうるさいっていうのがうっせぇになっているということですね。
ここは大きくね、2つの変化があるということができると思うんですよね。
1つはうるのるが小さいつに変わっているという点。
もう1つはさいという音がせぇという音に変わっていると。
この2つがあると思います。
今回のトークではそれぞれの変化について言語学的に考えていこうと思います。
1つ目はうるがうっていう音に変わっているという点ですね。
結論を先に申し上げますと、日本語でこのラリルレロの音、
これはどう言ってもいいですけど、流音という言い方をすることもあります。
流れる音と書いて流音。
あるいはRの音と言ってもいいかもしれないんですけど、
単にラ行の音でもいいんですけど、とりあえず流音という言い方をここではしますね。
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日本語においてこの流音っていうのは非常に同化しやすい音ということができます。
同化って同じバケルと書いて同化ですね。
どういうことかというと、うるさいがうっさいに変わる変化を丁寧に見ていくと、
まずルの母音のウが落ちて、そうするとRのシーンとSのシーンが並ぶことになりますよね。
シーンがこう連続するわけですね。
そうすると後ろに出てくるSのシーンに引っ張られて、うっさいになっているということです。
この流音の音変化はいろんなところで観察されるものです。
例えばわかんないとかいった場合ですね。
わからないがわかんないになるのも一緒で、わからないのラのAの母音が落ちて、
RとNのシーンが続いて、
後ろに出てくるNのシーンと同化することで、わかんないになっているということです。
他にもそろそろやるかというのがやっかになったりすると、
これもやるのルのウの母音が削除されて、RとKのシーン連続になって、
後ろのKに引きずられてやっかになっているということです。
こういうふうに流音は日本語において非常に同化しやすいシーンということがわかるんですが、
それがもう同化した形で定着してしまっているものもあります。
それはいわゆる音便と言われるものですね。
例えば、紙を切るという動詞の過去形は切ったですよね。
この切ったというのも元の形をたどれば切りたという形になります。
この切りたのDの母音Eが削除されて、RとTのシーンが連続して、
後ろのTに引きずられて切ったになるということです。
まったく同じ変化になっています。
ただ、うっさいとかわかんないとかやっかっていうのがまだ書き言葉にはなってないのに対して、
切るの過去形が切ったになったのはすでに十分な市民権を得ているということになっております。
このトークでの説明は、まず流音の後の母音が削除されてシーン連続になってっていうふうに考えたんですけど、
そう考えない人ももしかしたらいるかもしれません。
いずれにせよ流音は同化しやすいシーンであるということですね。
うっせい和のもう一つの音変化は、うるさいのさいがせいという音に変わっているということです。
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これは端的に申し上げますと、日本語は母音の連続を避ける言語だからということです。
これは日本語だからってわけでもしかしたらないかもしれません。
ひとまず日本語は母音が連続するのを避けるんですね。
つまり、あいっていう二つの母音が並んでいるのを、えいという一つの長母音に置きかえているということですね。
同じ変化は探せばいっぱいありますよね。
ながいがなげえ、やばいがやべえ、あかいがあけえ。
方言によってはそれが普通の言い方だというところもございます。
これは何もあといの母音の連続に限った話ではなくて、
例えばえいごとかあれはえいごと書きますけど、発音上はえいごって伸ばすし、
おうさまとかおとうさんっていうのもおうと書きますが、おうの長音で発音するということですね。
形容詞を考えると結構あったりするんだよな。
ふといがふていになるのもおいいという母音の連続がえいという長音に変わっているし、
さむいがさみいになるのもういいという母音の連続がいいという長音に変わっているということになっています。
というわけで、今回のトークはうっせいわっていうこの短い単語と言っていいですかね、
に見られる音変化を二つご紹介いたしました。
一つはうるがうっていう音に変わっているという点。
もう一つはさいがせいという音に変わっているということですね。
前者のほうは流音の同化現象ということができて、
後者は連母音の長母音かとかそういうふうに専門的には言うことができると思うんですけど、
原理としては同じ原理が働いていると思いますね。
つまり、楽して話したいということですね。
うるさいというよりうっさいと言ったほうが下の動きが少なくて済むということです。
さらにうるさいよりうるせえのほうがあいっていう母音を発するよりも、
えーって同じ母音を伸ばしたほうがエネルギーが少なくて済むということなんですね。
大抵の音変化は楽したいからで説明がつきます。
今回の例で言うと、発音の労力をあまりかけたくないという、
そういった怠惰な気持ちというか、これも当然無意識なものですけど、
その怠惰なモチベーションによって言語が変化しているわけですよね。
他にも、怠惰の種類っていうのはあって、
例えば記憶の負担を減らしたいから言語は変化するということもあります。
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これは不規則動詞が規則的な動詞になったりするということなんですね。
英語でもあったりするんですけど、
日本語でも早くしろっていうのを早くすれっていう人がいたりするんですよね。
これはすれっていう形が出てくるのは、
例えば書くっていう動詞だと書けばっていう仮定形と命令形の書けっていうのが同じ形なんですね。
つまり仮定形と命令形が同じ形だ。
そのルールを左辺動詞にも応用して、
すればと同じ形のすれっていうのを命令にも使っているということです。
そうじて言うと、人間は怠惰だから言語は変わっていくということですね。
それを今回はうっせいはを例にとって考えてみました。
というわけで今回のトークはここまでということで、
よろしかったら番組フォローをお願いいたします。
ではまた次回お会いしましょう。
ごきげんよう。