1. 志賀十五の壺【10分言語学】
  2. #89 「うれしいすぎる」という..
2020-05-20 08:44

#89 「うれしいすぎる」という表現を言語学的に考える(後編) from Radiotalk

#ひとり語り #落ち着きある #豆知識 #雑学 #教育

Twitter
https://mobile.twitter.com/sigajugo
匿名での質問(マシュマロ)はこちら。
https://marshmallow-qa.com/sigajugo?utm_medium=twitter&utm_source=promotion
BGM: MusMus
http://musmus.main.jp/
00:02
始まりました、志賀十五の壺。
皆さんいかがお過ごしでしょうか。志賀です。
今回のトークはですね、前回のお続きとなっております。
ので、前回のトークをまだ聞いていらっしゃらない方がいらっしゃいましたら、
まずそちらを聞いていただいて、こちらを聞いていただけたらと思います。
前回お話ししたのはですね、タイトルにもあるようにですね、
うれしいすぎるという表現についていろいろ考えたんですよね。
うれしいすぎるってなんか変なんですよね。教科書的な意味で言うと変で、
本来ならばうれしいすぎるみたいに、形容詞の語幹にすぎるがつかないといけないのに、
うれしいすぎるみたいな最近よく見かける表現は、形容詞の終止形にすぎるというのがついているということになっている。
なんでこういうことが起こったのかなと考えると、
日本語にはですね、その形容詞に限らずですが、終止形の後に何かがくっつくという形が多い。
例えば、うれしいことだ、うれしいかもしれない、うれしいはずだ、うれしいつもりだ、うれしいのだ、このように大量にですね、
終止形の後に何かがつくっていうパターンが多いので、そのパターンに従っちゃって、
うれしいの後、終止形の後にすぎるがついていると。
こういう形が生まれちゃったっていうのが一つ考えられるっていうのと、
あとはですね、うれしすぎるみたいに形容詞互換プラス何かっていうパターンがあんまりないっていうのも一つ考えられると。
例えば、あるとしたら近寄るとか遠のくとか厚がるとか割と少ないので、
そういうことも影響して終止形プラスすぎるっていうね、そういう形になっちゃったと。
何て言うんですか、数が多い方のパターンにどんどん飲み込まれていっていると。
実際、厚いがるとか寒いがるみたいな形も観察されると。
前回まではこういうお話をしたんですよね。
そういうお話をしたんですけど、ひょっとしたらもっと別の視点でこの現象は見ることができるんじゃないかということで、
というのが、厚いすぎるっていうのは今言ったように終止形プラスすぎるだけど、もしかしたらこれも互換プラスすぎるなんじゃないかと。
つまり終止形プラスすぎるになったという変化ではなくて、形容詞の方が終止形と言われていたものが今まで互換になってしまった。
そういうふうにもしかして考えられるんじゃないかとふと思ったんですよね。
03:03
つまり今まで互換って言われていたものは嬉しいだと嬉しいまでが互換で、その後に嬉しいとかがついて、
あるいは嬉しいの後にかったがついたりしてたんですが、そうではなくて嬉しい全体で互換になっちゃって、
その嬉しいという互換の後にすぎるがついているという説明も可能なんじゃないかと思ったんですよね。
というのが、こういう表現もTwitterで見つかるんですよ。
例えばね、怖いかったとかね。怖かったじゃなくて怖いかったとか。楽しかったじゃなくて楽しいかったとかね。
こういうのね、皆さん今Twitterだったらまた検索してほしいんですけど、検索したら大量に出てくるんですよ。
つまりですね、これは怖いとか楽しい、これ全体で互換になってて、その後過去形にかったというのがくっついていると。
今までの形容詞はコアまでが互換で、現在形だったらいをつけて過去形だったらかったをつけてたんですが、
もしかしたら今後の日本語は、怖いが互換で、現在形の場合は何もつけないで怖い、互換のまま使って、
過去形の場合は怖いにかったをつけるっていうふうに変化していくんじゃないかと。
つまり今は日本語の形容詞がどんどんどんどんそういうふうに変化している途中なんじゃないかっていうね、
ちょっと大胆な仮説が思いついたんですよね。仮説を思いついちゃったんですよ。
これはどうだろうな。
実際ね、怖いかったとか楽しいかったは出るんですけど、楽しくないとか怖くないとか、
ちょっと否定の場合は寒くないとか多少あったかな。否定の場合はあんまりヒットしないんですよ。
過去形は結構ヒットします。怖いかったとかは。
怖いくないは意外とヒットしないんで、やっぱりまだ変化の途中なのかもしれません。
なので未来の国語ではですね、形容詞の語幹は怖じゃなくて怖いって教えられている可能性があります。
これはまだわかりません。今多分変化の途中だと思うんですよね。
もしかしたらこれが一時的なもので怖いかったとか怖いくないとか、
そういう表現はこの先廃れていく可能性ももちろんありますし、
逆にそういう勢力がどんどん力をつけて怖いで語幹になるという可能性もあります。
なので嬉しすぎるもそういった変化の一場面かもしれませんね。
その嬉しい全体で語幹なので、それに語幹プラスすぎるをつけているというだけのことかもしれません。
06:05
これ前回のお話の続きなんですけど。
これはちょっとまだわからないし、多分同じように考えている人はいると思います。
まだ調べられていませんけどね。
なので今後形容詞がどういうふうに変化するかは注目していきたいと思います。個人的にはね。
日本語の形容詞って結構激動の変化をたどってきたんですよ。
ご存知の通りですね。
日本語の形容詞って活用するんですよね。
だから形容詞自体に現在形と過去形があるということなんですけど、
嬉しいと嬉しかったとこういうふうになります。
こういうことって例えば英語と比べると全然違いますよね。
英語も形容詞の形は変わりますけど、比較級と最上級とかで。
ただ英語の場合は形容詞自体に現在形過去形というのはなくて、そういうのは全部 be 動詞がやりますよね。
ただね、日本語の形容詞が今確かに現在形と過去形があって、そういうふうに形を変化させるつまり活用があるんですけど、
過去の日本語はそうではなかったんですよ。
今例えばね、嬉しかったって言ってるのは、歴史的に見るとですね、嬉しくあったなんですよね。
それが縮まって嬉しくあったが嬉しかったになってるんですよね。
なので、その昔の日本語、過去の日本語もありっていう動詞の助けを借りて過去形を表していたので、
そういう意味ではね、英語の形容詞っぽかったんですよね。
それが時代を下るに従ってですね、一談語になって、現代の形容詞は活用があるということになってるんですよね。
そういう変化を経て現代に至って、これからの日本語の形容詞はどうなるかなっていう局面だと思うんですよね、今ね。
もしかしたら今から、嬉しい、嬉しかった、嬉しくない、こういった形が定着していって、活用のパターンもどんどん変わっていくかもしれません。
まあ、こうご期待っていうところですね、そこはね。
そういうわけで、今回は前回の続編でですね、日本語の形容詞について結構大胆な話というかね、大きな話をいたしました。
よろしかったら番組クリップもお願いします。
ではまた次回お会いしましょう。ごきげんよう。
08:44

コメント

スクロール