自動詞と他動詞の基本
番組宛にお便りいただいております、そわさんとぬふさんからいただきました。ありがとうございます。
シャープ705、先月手術したんだの言語学を聞いて、こんな言い回しが気になりました。
お茶が入った、天ぷらが揚がった、いずれも動詞は自動詞です。
佐藤拓三氏は、自動詞文と他動詞文の意味論で、こうした自動詞の用例についても言及されていますか?というお便りで、
そわさんとぬふさんとおもたより、ありがとうございます。
結論から言うと、佐藤先生の本には、動詞の事態について扱っているところはあるんですけど、
どっちかというと、他動詞について分析なさっているという感じなので、
あまりその自動詞を中心に、メインに扱っているという感じではないですね。
確かに日本語は、お茶が入った、天ぷらが揚がった、大学に受かった、宝くじが当たったというふうに、
結構自動詞をいっぱい使う印象があるというか、そういった話を聞いたことある人もいると思うんですよね。
お茶が勝手に入るわけないし、天ぷらが勝手に揚がるわけは本当はないんですよね。
必ずその主体となる人間がいるというか、お茶を入れる人間、天ぷらを揚げる人間がいるわけなんですけど、
それが出てきていません。
同じような事態は、例えば英語みたいな言語は、他動詞文で扱うと思いますね。
原沢逸夫先生の研究
始まりました。4月15日のツボ。皆さんいかがお過ごしでしょうか。
ジョニーデップです。
実はこの日本語の字多対応について、過去に関連エピソードがあります。
シャープ565が、例えば当たると当てるの対比みたいな話をしていますし、
あとは日英の比較、特に他動詞について日英の対象をしているエピソードもあります。
シャープ671、燃やしたけど燃えなかったと言えるかどうかみたいな話がありますので、
その辺が今回のお便りと関連があるところではないかなと思います。
もう一回言っておくと、シャープ565とシャープ671です。
概要欄にURLは貼っておこうと思います。
日本語が自動詞を使いがちだみたいな話は、
池上義彦先生のスルガタ言語とナルガタ言語っていう類型、タイプ分けが結構メジャーだったりするんですよね。
そんな中で今回は原沢逸夫先生のご研究をちょっと紹介しようと思います。
原沢先生の日本人のための日本語文法入門という本が、講談社の新書で出てます。
日本人のための日本語文法入門。
これはかなり手に入りやすいし、わかりやすいし、
言語学、日本語学のかなり本格的なところまで説明してくれているので結構お勧めできます。
その中で原沢先生は自動詞と他動詞の話も取り上げてるんですよね。
日本語は自動詞と他動詞がペアになっているっていうことがよくあります。
要はお便りにあったやつだと、天ぷらがあがるに対して天ぷらをあげる。
このおがつく名詞が出てくると他動詞文っていうことになります。
で、こういうのは大量にあるんですよね。
落ちると落とすとか、当たると当てるとか、この辺の話を関連エピソードでやってます。
ペアになってない自動詞、他動詞っていうのもあって、
走るっていうのは他動詞のペアを持ってないし、調べるっていうのは自動詞のペアを持っていません。
それぞれ自動詞の形と他動詞の形しかありません。
ただ、走らせるとか言って、しえき形を使ったりとか、調べられるとか、うっけみ形を使えば、ある意味擬似的に他動詞や自動詞っていうのを派生する、作ることができます。
そんな中で、日本語は割と自動詞を使いがちだっていう話が原沢先生の本に書いてて、
例えば驚くとか驚いたとか日本語で言うわけですけど、英語にも当然驚くっていう言い方はありますが、
言語の発想の違い
それは、人を守護にした場合、受け身文で表されるんですよね。
I was surprisedっていう、surprisedっていうのが他動詞で、それの受け身文で驚かされたっていう言い方になってるんですよね。
っていう風に考えると、英語はかなり他動詞中心です。
そのニュースが私を驚かせたとかね。
無生物守護っていうのが英語で可能だとか、そういった話もよくありますよね。
The news surprised meとか言って。
こういう風にsurpriseっていうのは英語では他動詞ですけど、日本語の驚くっていうのは自動詞です。
自動詞の驚くっていうのがデフォルトで、驚かせるみたいな言い方は、せるさせるっていう詞役がついたプラスアルファの派生した形ということになります。
これが英語と逆ですね。繰り返しですけど、surpriseっていう他動詞がデフォルトで、
それの受け身のbe surprisedっていうのが自動詞に相当する受動態であるということができます。
英語はわりとそういうのありますよね。interestとか興味を持たせる。
で、私は興味がありますっていうのも、I'm interested in 〜みたいに受け身文で表します。
受け身というかもう形容詞化してるかもしれませんけど、感情を表す形ですよね。
I'm excitedとか、そういうとこに顕著な対比が見られます。
あとはもちろんお便りにあったお茶が入る、天ぷらが上がる、大学に受かる、予想が当たる、犯人が捕まるとかもそうかもしれませんね。
あとは所有についても、日本語は自動詞思考というか、
私は弟がいるみたいにいるあるっていうその存在動詞を使って日本語は所有を表します。
私は弟を持っているとは、つまり他動詞を使っていうことはできないかないんですけど、親族名称は多分無理ですね。
それに比べて英語の場合はhaveっていうね、I have a brotherとかいうので、
そういう所有についても自動詞中心と他動詞中心という日英の対比がね、くっきりしてます。
なんで日本語は自動詞中心で英語が他動詞中心かっていうことについてはいろんな見方があると思いますね。
原沢先生の説明だと、日本語っていうのは人間の活動を自然界の流れの一つとして捉えてるっていうような説明をなさってます。
人間が手を下してどうのこうのっていうわけではなくて、その自然界の流れでそうなるということで自動詞が使われて、
一方英語っていうのは逆に人間によって物事が引き起こされてる、時代が引き起こされてるっていうふうに考えるので、
その発想の違いが自動詞中心か他動詞中心に反映されてるっていうようなことをおっしゃってます。
この辺は結構難しいというか、認知の観点からっていうかね。
人間の物の見方、発想の仕方っていうのが言語に反映されてるっていう見方も当然あるし、それは一理あるとも思うので、
自然界の流れの中で見るか、それとも人間中心で見るかっていう、その説明もありかなとも思うんですけど、
もしかして逆なんじゃないかなとかね、ちょっと思いますよね。
日本語は自動詞ばっか使って、英語は他動詞ばっかり使って、そういう文型の違いが自然中心の発想か人間中心の発想かに影響してるっていうね。
その文法の方が発想に影響するんじゃないかとか。
この辺の話になると言語相対論とかね、そういうことになっていきますが、
僕が一つちょっと思ってるのは、英語が他動詞中心なのは、他動詞っていうのがかなり安定した文型だからじゃないかなと思います。
つまりSVOっていうこの形、文型が英語の中では一番安定していて、
というのが英語の主語や目的語には日本語のがとかをみたいな助詞はつかないんですよね。
つまり名詞の方で主語や目的語を表す標識はないので、その位置によって主語か目的語かっていうのが決まってます。
それは動詞を中心に据えて、動詞の前だったら主語、後だったら目的語っていうこの形ですね。SVO。
日本語はSOV語順だとかも言われますけど、ただがとかをっていうのがあるので、多少語順が変わっても平気なんですよね。
名詞の方に主語や目的語のマーカーがあります。
英語っていうのは多動詞文っていうのがSVOで安定していて、何でもかんでもSVO語順にしちゃいたいんじゃないかなと思います。
だから無生物集合とかがあったりとか、所有もハブという多動詞で表したりするとかね。
そういうことがちょっと多動詞中心っていうところに関わっているのかなと思います。
それではまた次回のエピソードでお会いいたしましょう。
番組フォローも忘れずよろしくお願いします。
お相手はシガジオでした。