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始まりました、志賀十五の壺。みなさんいかがお過ごしでしょうか。志賀十五です。
今回はお便りを2通いただいているので、まずそちらから読んでいきたいと思います。
まずは1通目、ドゥムイさんから、ギフトと一緒にいただきました。ありがとうございます。
ご返信ありがとうございます。思いがけず褒めていただき、照れくさいやら嬉しいやらですが、嬉しいが勝っております。
私の場合、自分がしたい格好をするのにひけ目があったかなと、それはきっと感性が未熟でコーディネートに納得できないというのもありましたかね。
古着が好きなのですが、着こなしている人を見て憧れつつ、いつか、とか思ってました。
自分は、違う違う違う、自我はあったけど、そこに自信を持てていなかったのだと自己分析しています。
立ち位の話、リスナーさんからのお便りで、いろんな角度から見る方だとは思いますが、まだまだだなと分岐しました。
このやり方には弊害もありそうだなとなんとなく思いましたが、ではまた。ということで、最後意味深な感じで終わってますけど、ドゥムイさんありがとうございます。
前半は何の話をしていたかというとですね、
年とともにというか成長とともに、人のセンスというか感性というのは変化していくもんだみたいな、そういった話をしたんですよね。
ドゥムイさんの場合それがファッションに現れてたってことですけど、
自我はあったけどそこに自信を持てていなかった、こういう経験は結構皆さんあるんじゃないですかね。
本当に好きなことをやれてるかっていうことですよね、平たく言うとね。
いろいろ人間ね、社会的な生物なので、周りから自分がどう見られてるかとかね、そういったことも気にしていかなきゃいけないというか、折り合いをつけていかなきゃいけないんで。
なかなか難しいところもありますけど、ひとまずドゥムイさんお便りありがとうございました。
続きまして2通目のお便りはKJさんからいただきました。
こちらもギフトと一緒にいただきました。ありがとうございます。
ポッドキャストアワード推薦おめでとうございます。
ありがとうございます。
水曜深夜のライブ配信ではうまく伝わらなかったのでお便りします。
ライブより収録がいいと言ったのはシガさんのことではなくてラジオトーク全体の印象です。
何より収録は好きな時間に自由に聞けるのがいいですね。
ただその収録を探すのが大変で、ライブではコメントやアイコンから新しいトーカーを見つけるのに使ってます。
しかしライブがスコア表示になったのはなんだかなーって感じですね。
収録メインのトーカーにももっと注目が詰まるようにしてほしいです。
それではこれからも配信楽しみにしています。
ということでKJさんどうもありがとうございます。
僕が言いたいことはだいたいKJさんが書いてくださってますね。
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確かにこの水曜深夜のライブ配信の時はとんちんかな返答してしまってた気がしますね。
僕も再三言ってるんですけど、ライブ配信はどっちかというと苦手なので収録の方が好きだし自分の中では得意だと思ってるんで。
だからこそポッドキャストアワードで推薦作品になったのは喜びも等しいというかそういうことだったんですよね。
ラジオトークの中だとどうしても収録のトークよりもライブ配信の方が評価されやすいっていうか
何だっけ?注目の配信者ですっけ?
あれもライブ配信の方がスコアを稼ぎやすいっていうのもあってね。
どうしてもライブ配信の方に比重が傾いてるかなって感じがしますね。
これはいろんなトーカーさんあるいはリスナーさんが感じてることでしょうね。
で、KJさんがまさにおっしゃってくださってるようにですね。
僕の方もライブ配信はどちらかというと新規のリスナーさんを見つけたいっていうか
だから予告なしにいろんな時間にやったりもしてるんですよね。
そういう方結構いらっしゃるんじゃないかな?ラジオトーカーの中でもね。
というわけで、まずはNitsunのお便りをご紹介いたしました。
今日のトークなんですが、今週のお題トークにのっとってやっていこうと思います。
テーマは幼い頃感じていた疑問ですね。こんなに山ほどありますけど
どうせなら言語学と絡めて考えたいと思うんですが
幼稚園に行ってた時、小学校入る前だったと思うんですけど
逆さ言葉を言っていくみたいな遊びがあって
対義語ですよね。
暑いに対して寒い、軽いに対して重い、高いに対して低い。
今思えばだいたい形容詞だったんですね。
というふうに対になっているペアを言われたら言い返すみたいなゲームをやってて
僕も普通に楽しんでたんですけど、ちょっとそこに疑問を持ってたんですよね。
暑いに対して寒い、表情はそういうふうに答えてましたけど
本当は寒くないじゃないのかな?とかね。
重いに対して軽いじゃなくて、軽くないじゃないかな?と思ってたんですよね。
ここで混乱するのは、暑いの反対が寒くないだと意味が変わってないということですよね。
これでさらに混乱しちゃって、さらにそれを人に伝える手立てもないというかね
うまく言葉にすることができなかったので黙ってたわけですけど
ずっとそれは疑問だったんですよね。
暑いに対して寒くないじゃないかと。
これはどういうことかというと
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暑いの意味的な対義語っていうのは当然寒いなんですけど
僕はそれと合わせて文法的な反対っていうのも想定してたんですよ。
当時そんなこと思ってないですよ。今になって思えばですけど。
つまり暑いっていうふうに言い切ってる形、言い切りの形の反対は何々ないっていう否定の形だっていう意識があって
両方ひっくり返しちゃってたんですよね。
語彙的な形容詞の方もひっくり返すし、文法的な言い切りの方もひっくり返してないをつけちゃってるんで
マイナスかけるマイナスはプラスだから結果的に意味は暑いと寒くないで同じになってるわけですよね。
今思えばこういう感覚があったからマイナスかけるマイナスはプラスだっていうのも大して疑問には思わなかったかもしれませんね。
それは置いといて、周りの友達はみんな語彙的な対義語、つまり形容詞の反対の意味を持つものの方にしか注目してないので
暑い寒い、重い軽いみたいにこう言ってたわけですけど
僕はそれと合わせて文法的なね肯定否定っていう方も注目しちゃってたっていうかね
なので2つひっくり返しちゃったからなんかわけわかんないことになってたということなんですね。
当時こういったことは当然口で説明できないので今になって思えばっていうことしか言えませんけど
ちょっとかっこよく言うとゼロを認めていたということですね。
暑いという言い切りの形というか暑いに何もつかないことはつまり肯定を表しているということですよね。
否定の方はないというのをくっつけることによって表されているということなので
言語の形式の中にゼロというものを感覚的に認めてたんだなと今になって思います。
ただ日本語においてわざわざゼロを肯定形とは言わないですね。
そういうことをやっているとキリがないのであるいは英語の複数形はs単数形をゼロとは普通しないですよね。
そういうことをやっているとキリがないんでね。
言語学においてはゼロを認めるのは結構慎重にならなきゃいけないところなんですけど
どういう時に言語学でゼロが使われるかというとちょっと今思いつくのはね
モンゴル語とかトルコ語でいわゆる主語を表すがっていう形ですね。
日本語のがにあたるものは名詞に何もつかないんですよね。
をとかにとかそういったものは日本語と同じように名詞の後ろに何かしらつくんですけど
がの時は何もつきません。
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こういう場合は主語を表すマーカーとしてゼロっていうのを認めることが多いですね。
こういうのはパラダイムになっているというか表になって書けるようなものなので
名詞に何かつくっていうそのパラダイムの中でゼロがつくっていう風に認めたほうが都合がいいということで
こういった場合はゼロを認めます。
余談ですけど日本語の主語を表すがっていうものは世界の言語を見回すとちょっとレアといえばレアなんですよね。
主語を表すマーカーっていうのはトルコ語モンゴル語みたいにゼロであることが多いんですよね。
何もつかないことが多いんですけど日本語は何かつくんですよね。がっていうのがつくんですよね。
これは実は歴史的な変遷が関わっているんで過去のトークでそういった話をしているはずなんで
探してきてリンク貼っておくんでそのがについての話も聞いていただけたらと思います。
というわけで今回のトークは幼い頃感じていた疑問ということで
感覚的に言語の中のゼロっていうのを認めてたんだなっていうかっこよく言うとそういった話でございました。
というわけで今回のトークはここまでということで最後まで聞いてくださってありがとうございました。
よろしかったら番組フォローをお願いいたします。
ではまた次回お会いしましょう。ごきげんよう。