1. 志賀十五の壺【10分言語学】
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2020-10-07 10:21

#188 「推し」と「パシリ」の言語学 from Radiotalk

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育 #推しへの愛を語る
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始まりました、志賀十五の壺。皆さんいかがお過ごしでしょうか。志賀十五です。
今週のお題トークが、「教えの愛を語る」っていうことになってるんですね。
割とラジオトーク界は、そういう熱い方っていうのがね、多いような気がするんで、
なんとなくね、盛り上がるお題トークなんじゃないかなと思います。
で、一方、僕はというとですね、 そんなことよりっていうかね、この推しっていう、この言葉自体がなんか
興味深いんじゃないかなーってね、ふと思ったんですよね。 この番組初めて聞くぞっていうね、方もいらっしゃると思うので、申し上げておくとですね、
言語とか言葉に関することを よく話している番組です。
で、今回もその例に漏れず、この推しっていう言葉をね、ちょっと考えてみようと思います。
で、当然この推しっていうのは、まあ動詞で推すっていうのがあって、 まあそれが元というかね、由来となって派生してできた言葉っていうふうに、
まあ普通解釈されるし、それで正しいと思いますね。 まあそれは誰でも思いつくことだと思うんですけど。
もっと言うとこの推しっていうのは、連用形ですよね。 まあ日本語学というか、日本語教育ですね。
日本語教育では、こういう連用形のことをマス形って言ったりするんですよね。 というのも推しマスみたいに、マスっていうのが後に続く形なので、
そのままマス形と言ったりすると。 日本語ではこういうのはよくあるんですよね。
こういうのっていうのは、つまり連用形がそのまま名詞となるっていうことですね。
まあ探せばいくらでもありますよね。 光るから光になったり、話すから話し、
痛むから痛みとか、流れるから流れとかね。
この連用形がそのまま名詞となるっていうのは 山ほどあって、特にさっき言った光とか話みたいなのは、
もう光るとか話すからの派生とあんまり考えられずに、もうそれ自体が名詞みたいな感じで考えられてるんじゃないかなと思いますね。
というのがその証拠に、光とか話っていうのは送り仮名つけないんですよね。
痛みとか流れっていうのは見とかれっていう送り仮名がありますけど、
光とか話っていうのはそのまま送り仮名なしで使われたりするので、
そういうところに現れていると思うんですよ、その名詞としての意識がね。
それは今回どうでもいいと言えばどうでもいいんですけど、
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こういうふうに割と連用形は名詞として用いられることが多々あるということですね。
ただね、これを連用形と見るかどうかはね、割と人によるんですよ。
僕はもう連用形が名詞として使われてるっていうふうに考えてるんですけど、
つまり名詞化の機能があるってことですね、硬い言い方をすると。
ただ人によっては連用形の光っていうのと名詞の光っていうのを区別する人も多いと思います。
もしかしたらそっちの方が多数派かもしれませんね。
ただここは話を簡単にするためにとりあえず連用形が名詞化として機能してるっていうふうにしておきますね。
連用形が名詞として使われているということです。
話はこの推しに戻りまして、この推しっていうのは僕はあんまりよくわかってないんですけど、
やっぱり人に使われることが多いのかなと思いますね。
もしかしたらその成立過程を考えると推し面とかが先にあって、
それの省略形みたいな感じで推しっていうのができたのかもしれません。
ひとまず人を指すことが多分多いんだと思うんですね、推しっていうのが。
それに対してさっき言った光、話、痛み、流れみたいなものは人ではないですよね、表しているのが。
こういうの何て言うんですかね、出来事とか事象を表しているってことですよね。
ただこの連用形が人を表さないかというと決してそういうわけではないんですね。
例えば物知りとか魔法使いとか、ういろうりとか嘘つきとか、こういったのって全部連用形が使われていますよね。
物知りの知りは知るから来ているわけだし、魔法の使いっていうのは使うから来ているっていうことで、
全部連用形が名詞として使われていて、今言ったものは全部人を指しているので、
連用形が人を指すってことはこういうふうにあり得るんですけど、
推しっていうのが面白いのは、その連用形単体で人を指しているっていうのが多分面白いんだと思うんですよね。
今言った物知り、魔法使い、ういろうり、嘘つきっていうのは全部名詞たす連用形の組み合わせで人を指していますよね。
なので、この推しみたいに連用形単体で人を指すっていうのが多分ね、まず面白いんだと思うんですよね。
普通はさっき言った光とか話とか痛みとか流れみたいにね、事象、出来事を指すのが多分ね、連用形単体だったら普通だと思うんですよ。
人を指すんだったら魔法使いみたいに、なんかね名詞と連用形の組み合わせじゃないと多分いけないんじゃないかなと思うんですけど、
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推しっていうのはね、それに沿ってないというか、連用形単体でも人を指しているんですよね。
で、この推しっていうのが面白いのはもう一点あって、一つは今言った通りその連用形単体で人を指しているっていうのと、もう一個は
押されている対象を指すってことですよね。
つまり、アイドルだったりキャラクターだったりするんでしょうけど、押されている対象を推しっていう言葉は指し示しているということですね。
これね、ちょっと説明しづらいんですけど、例えば、嘘つきっていうのは嘘をついているその調本人を指しますよね、嘘つきっていうのは。
一方、推しっていうのは、推しているその調本人ではなくて、押されている対象の人だったりキャラクターだったりを指しているってことですよね。
だから、私の推しみたいに私のっていうのが付けられるんですよね。
私の嘘つきっていうのも言えなくはないですけど、ちょっと意味は全然変わってきますよね。
そういうことで、この推しっていう単語は少なくともこの2つの点で変わっているなってちょっと思ったんですよね。
もう一回言っておくと、連用型単体なのに人を指すことができる。
もう一個は、その動作の対象の方を指すことができるっていうね。
ちょっと説明しづらかったんですけど、伝わっているといいなと思います。
でね、今ちょっと思いつきで話してるんで、この推しと同じような特徴が当てはまる単語っていうかね、連用型が他にももしかしたらあるかもしれないんですけど、ちょっとね、全然思いつかないんですよね。
やっぱりね、連用型単体だったら普通は物事だったり事象だったりのはずなんですよ。
例えば、読み書きみたいに、これ連用型単体というよりは連用型2つの組み合わせみたいな感じですけど、連用型だけだったらやっぱね、事象なんですよね、物事なんですよ。
で、これが物書きみたいに名詞プラス連用型になると一気に人を指すことができるようになるんですよね。
こういうふうにね、大抵の動詞は、やっぱね、連用型単体で人を指すことができないし、かつその動作の対象を指すことも多分ね、ほとんどないんだと思うんですよね。
で、今んとこね、一つだけこの推しと同じパターンのものを見つけまして、それがパシリですね。
で、パシリっていうのは、これもね、もともと使いパシリからですけど、一応走るの連用型のちょっと音が違うバージョンと考えてパシリっていうのをね、考えると、
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これは当然人を指してて、使いパシリをする対象の方ですよね。
なので、私の推しと同じように私のパシリっていうふうに言うことができるんですよね。
っていうふうにね、この推しとパシリだけね、ちょっと変わった振る舞いをするんじゃないかなーってちょっと今思ってるんですよね。
まぁちょっとね、これはね、全然まだ調べてもないし、探せばもしかしたらどんどん出てくるかもしれないので、
あのね、もしね、コメントとかご意見あったら、ぜひね、送っていただきたいと思うんですけど、ちょっとぱっと思いつく限り、
やっぱり推しとパシリっていうのはね、変わってるんじゃないかなと思います。
というわけでね、今日のトークは日本語の連用型が名詞として使われる時の特徴というかね、まぁそういうお話でした。
なんかね、あんまり伝わってないんじゃないかなって気がします。ちょっとね、分かりづらいトークになっちゃってすいませんでした。
というわけで今回はここまでということで、最後まで聞いてくださってありがとうございました。
ではまた次回お会いしましょう。ごきげんよう。
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