1. 志賀十五の壺【10分言語学】
  2. #258 「おまえは鬼か」の言語..
2021-01-30 09:21

#258 「おまえは鬼か」の言語学 from Radiotalk

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#落ち着きある #ひとり語り #豆知識 #雑学 #教育 #私の身近な鬼
00:01
こんにちは。岡山県出身の志賀十五です。
今日も志賀十五の壺をやっていこうと思います。
なんでいきなり岡山県出身とか言い始めたかというとですね、
岡山県といえば、桃太郎。桃太郎といえば、鬼退治。鬼。
そうです。今週のお題トークが、私の身近な鬼なんですね。
なんじゃそりゃってことですけど。
ここでいう鬼っていうのは、当然自由表現ですよね。
このお題トークが聞きたいことは、鬼のように、なんていうか、心の冷徹な人っていうか、
人間の心がないような人みたいな、そういう意味で鬼っていう言葉を使ってるわけですね。
隣の青鬼さんはいつも回覧板を持ってきてくれます、みたいなね。
そういうのを期待してるわけではないということです。
そんなアホでもわかることなんですが、
今日のトークはですね、こういった比喩表現についてちょっとお話ししていこうと思います。
というのも、ちょうどいいところにお便りが届きまして、
そういった比喩というか、言葉の持つ意味の幅っていうかね、
多義性とも言っていいかもしれません。
そういったことに関するものだからなんですね。
こちらお便りは、ボーンさんからいただきました。
はじめまして。ゼロに関するタイトルに惹かれてやってきた新規です。
世の中には、交通事故ゼロや不良ゼロといったゼロを使った言葉があります。
ある人は数字のゼロと解釈し、数えられる目標、ターゲットと捉え、
また他の人は観念としての無、あるべき姿やビジョンと考えます。
どちらが間違っているのではなく、
交通事故ゼロや不良ゼロに向かう段階で使い分けが必要だと思っています。
このように2つ以上の意味のある言葉を話す場合の注意点はありますか。
言語に無知な質問ですいませんということで、ボーンさんどうもありがとうございます。
ゼロという言葉を使うときに、数字の意味でのゼロということと、
概念上というか観念上の存在しないという意味でのゼロという使い方があって、
それの使い分けが必要ということなんですけど、
個人的にはこの2つの違いはそんなない気がするんですよね。
人によって感じ方は違うと思うんですけど、
僕は数字のゼロと、観念上のゼロというか無というゼロはそんな違わない気がするし、
あんまり多義語だという意識もなかったですね。
03:01
もうちょっと分かりやすいのは、人間の足と机の足といった場合ですね。
あれは多義性があるとか言ってもいいかなと思いますね。
この足に限らず、身体部位というのは非常に多義語になりやすいものなんですよね。
頭というのも当然身体部位が元にあるわけですけど、
本の頭から読んでいくといった場合に使えたりとかね。
口というのも、袋の口を閉じろとかね、そういうふうに使えるわけですよね。
このように多義性を持つ言葉というのは山ほどあるわけですよね。
それこそ言語の神髄と考えてももしかしたらいいかもしれません。
先ほど冒頭で申し上げました鬼もそうですよね。
鬼というのは元々の意味としては恐らく空想上の生き物のことなんでしょうけど、
それが比喩的に人間を指すことで冷酷な人だみたいな意味になるということで、
鬼もまた多義性を持っているということになります。
質問として、このように2つ以上の意味のある言葉を話す場合の注意点はありますか?
注意点というのはどういうことかな。
やっぱり誤解がないように伝えるにはとかそういうことですかね。
ちょっとうまく答えになっているかわかりませんけど、
誤解が生じそうなんだったら補足して言うとかぐらいしか思いつかないんですけど。
一つ言っておきたいことはですね、言語学の立場からすると正しい言葉っていうのも間違った言葉っていうのもないんですよね。
あるいは美しいとか美しくないとかいうこともありません。
僕自身がそういう立場なもんですから、話すときの注意点と言われてもあんまり言えることがないんですよね。
好きに話したらいいんじゃないかと思います。
ボゴワサの口から出てくるのはある意味で正しい形しか出てこないので、
ボゴワサが話すことが全てなので、思うようにしゃべればいいし、
もし誤解が生じそうだと思うんだったら補足して補えばいいかなと思います。
ちょっと月並みなことしかそこは言えないんですけど。
もうちょっと時間が残っているので、言葉の多義性みたいなのをもうちょっと踏み込んで考えていこうと思います。
言葉っていうのは中心的な意味があって、そこから派生的に広がっていくようなパターンが多いと思うんですよね。
そういうのをさっき比喩表現みたいな言い方もしたかと思うんですけど、
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その比喩表現についてももうちょっと細かく見ることができて、3つあるんですね。
メタファーとメトニミーとシネクドキーというこの3つのパターンがあります。
これについては過去のトークでお話ししているので、リンクを貼っておくのでそちらも聞いていただけたらと思います。
このうちメタファーっていうのが一番わかりやすくて、お前は鬼かって言った場合がまさにメタファーですね。
その人は実際には鬼ではないけど、鬼に例えてそういう言い方をしているってことですよね。
次のメトニミーっていうのは隣接関係にあるもので例えるっていった感じなんですよね。
すごく例に挙がるのは赤ずきんちゃんっていうもので、あれは赤ずきんちゃんってその女の子をかぶっている、つまり隣接しているものを通して指しているってことなんですよね。
あるいは夏目漱石のお坊ちゃんに赤シャツっていうのが出てくるんですけど、あれもその人を着ている服を通して、つまり隣接しているものを通して指し示しているっていうことです。
このメトニミーっていうのはいっぱい観察されるものなんですけど、詳しくは関連トークを聞いていただけたらと思います。
最後のしねくどきっていうのは上位概念が下位概念を指したり、下位概念が上位概念を指したりするものです。
これちょっと僕も苦手っていうかよく忘れちゃうんですけど、例えばご飯って日本語で言った場合、ご飯ってライスの意味が当然あるわけですけど、
それを飛び越えて上位概念である食事を指すことも多いですよね。
そっちの方が多いかな。
朝ご飯とか昼ご飯とかいった場合は、あれはライスの意味ではなくて食事という意味になってますよね。
これは下位概念であるものが上位概念を指しているわけですけど、逆もあってお花見とかいった場合は、花見なんだから何の花でも良さそうですけど、桜しか普通は指しません。
これはどういうことかというと、上位概念である花っていうのが下位概念である桜を指しているということなんですね。
こういうふうにメタファー、メトニミ、しねくどきっていうような比喩表現と言っていいかなっていうのが原動力になってですね、言葉っていうのは多義性を帯びてくるということですね。
鬼っていうのがまさにそうで、今週のお題トークもまさにメタファーの一種であるということですね。
今思ったけどなんで今週のお題トークが鬼にまつわるかといったら節分だからですね。
えほうまきもちょっと食べようかな今年は。
去年は食べてないかな確か。
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皆さんもぜひ良い節分をお過ごしください。
そういう言い方するかわかりませんけど。
というわけで今回のトークはここまでということで、最後まで聞いていただいてありがとうございました。
よろしかったら番組フォローをお願いいたします。
ではまた次回お会いしましょう。
ごきげんよう。
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