1. ママが自分を取り戻すラジオ
  2. 515.映画「怪物」の話がしたい..
映画「怪物」の話をしています!
1ミリもネタバレしたくない方は聴かないで🧌

・体調不良はドミノ倒し
・言葉にならないこともある
・「怪物」ありがとう
・子どもに優しくなれる映画

▶︎フードコードで爆書きした怪物の感想(初回ver.)
https://note.com/hellome/n/n79b1e1805e8b

【コメントや感想】
公式ライン⬇︎
https://lin.ee/UMRKKfL

またはTwitterにて
#ママが自分を取り戻すラジオ
をつけて聞かせて下さい!

【HP】
https://hellome-mama2023.my.canva.site/dafdd7bipmm/#top

【SNS各種】
https://lit.link/hellomemama

▶︎Voicy
https://r.voicy.jp/nEmNGpBr9Xk


【お仕事のご依頼】
hellomesugibe@gmail.com

【番組を応援する】
活動のサポート、よろしくお願いします💪🏻
https://qr.paypay.ne.jp/p2p01_yQ7TtyLmFe5IddmI

サマリー

映画「怪物」を見た人は、子供の存在が肯定され、物事の理由や原因がシンプルでないことを映してくれたことに感謝します。この映画を見た人は、子供に優しくなれると思いました。

00:04
こんにちは、すぎべです。皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
我が家はですね、先週、長女が学校休んでたりとか、週明けから末っ子が幼稚園休んでたりとかして、
体調不良がグズグズグズグズ、こういう家族の中で続いているっていう感じなんですよね。
誰かが体調を崩すと、それをまた誰かがもらって、またそれを誰かがもらって、みたいなドミノ崩し状態になるわけですよ。
それが一番大変なので、家族全員全滅みたいなのだけは避けたいなと思ってるんですけど。
でも比較的、末っ子の発熱、発熱でお休みしてたんですけど、発熱もすぐに収まったし、次の日には通常通り登園できたから、
お休みがね、そんなに長く続くことなくてよかったなと思ってるんですけど。
ただちょっと昨日、パパがうつったかもとか言って薬飲んでたから、これ怪しいやつやなと思っております。
子供からうつる病気って大人の方が結構ね、しんどくなったりするから。
気をつけたいな、でも気をつけようがないよな、こればっかりは仕方ないよなと思っております。
プールとかが始まると、またヘルパンギーナとか手足口病とかプール熱とか、いろいろね、いろいろ出てくるじゃないですか。
ねえ、気をつけようがないんですけどね。
まあ、しゃあないけど、しゃあないし、本人が一番大変ってことはもうわかってるんですよ。
わかってるけど、やっぱりこう、看病してるというか、一緒にいるこちらも人間なもんですから、
なかなかこう、すんなり眠れなかったり、夜中しんどくて起きてきたりっていう対応したりとか、
あと体調悪くて、こう、機嫌悪かったり、いつもは言わないわがままとかを、すごい言い放題みたいなのに対応するのってすごいエネルギー持ってかれるし、
こっちのこう、機嫌もだんだん悪くなってきたりとかするから、本当に大変なんですよね。本当に大変。
で、ね、なんか幼稚園お休みしたり、学校お休みしたりとかしたら、ずっと家にいるだけやし、
なんならそういう時とかって、YouTubeとか、ネットフリックスとか見せ放題に我が家はするし、
それやったらそれ見させといて、家のことできるやろとか、家でできる仕事できるやろって思われるかもしれませんが、そんなこと全然ないですからね、本当に。
家に誰かがいる状態って、もう脳みそが完全にお母さん脳みそになるから、お母さん脳みそ、お母さん脳になるから、
なかなかね、そのみんなが出払ってる時みたいに動けたりとか、頭が回ったりとかってこともないわけなんですよ。
そう、それも疲れるんですよね。ずっと足踏みしてるみたいな、なんかいろいろせなあかんことあるし、したいこともあるんだけども、
なんかうまいこと進まんし、それに対して気力も上がってこう変死みたいな、この足踏みの状態。
それがこう、もどかしいですよね、ほんとね。
私はもう子供たちが休んでる時は、もう自分も身も心も休みの日にしようと思ってますね。
まあこれただ日が続いてしまうと、そうも言ってられないから、やらないとあかんことせなあかんかったりとかね、動き出さないといけないんですけど、
もう、休むってなった日は、もう一緒に休もうかなという気持ちですね。
それの方が、お互い健全な空気感で過ごせるような気がするなと思ってますね。
はい、もう健康第一、本当に健康第一、当たり前ですけど、もう健康が一番ですので、気をつけていきたいなと思います。
子供の存在を肯定する
はい、今日はですね、映画、怪物についてお話ししたいなと思います。
できればネタバレしたくないけど、多分するような気がするんですよね。
映画の内容はそんなに話すつもりはないんですけど、多分そこから感じたこと、そこから思い出したことっていうのを話すから、
多分ネタバレになる気がするので、1ミリもネタバレしたくないという方は、聞かずにいただきたいな。
聞かずにね、もう違うやつとかを聞いておいてもらったりとか、コラボのやつとか、最近しているコラボのやつとか、そういうのを聞いてほしいなと思いますね。
まず、この怪物を見て、全くネタバレをしていない、怪物を見て私が思い出したことっていうのをノートにしたためたんですよね。
これは本当に見てすぐに映画館の近くの、イオンの映画館で見たんですけど、イオンのフードコートに座ってブワーって打ったものなんです。
で、一発目の感想はそれ。
でもその後、この怪物についての感想を言葉にすることがすっごく嫌だなって思ったんですよ。
最初この感覚が何なのかわからなくて、どこかそれこそインスタとかツイッターとかノートとかポッドキャストとかで怪物のことを話してしまうと、他の人にとってネタバレになるから話したくない、文字にしたくない、言葉にしたくないのかなと思ってたんですよね。
だけど、どうやらそうではないことに気づきました。
本当に気づいたから、今回改めて話そうかなと思ったんですけど。
なんで言葉にしたくなかったかというと、言葉にできないような気持ちを映画から受け取ったからなんですよね。
それを言葉にできないぐらいのすごく温かくて美しい気持ちを受け取ったのに、言葉にしてしまうと、もうそれ以上にはならなくなってしまうような気がする。
言葉にせずに、あえて言葉にせずに持っておきたいなっていう感覚になったんですよね。
私は結構、このポッドキャストをやってるっていうのもあるんですけど、言葉にならないような気持ちを言葉にしたいと思ってきたし、なるべく言葉にするようにしてきたし、
もやもやする気持ちとか、しんどいなっていう気持ちを言葉にすることで楽になってきたりとか、前を向いてこれたっていう経験があるから、
だから、みんな言葉にできる、自分の言葉で自分の気持ちを語れるっていうことができるようになったら楽になるんじゃないかなとかって勝手に思ってる派なんですよ。
だから、かなり意識的にいろんな気持ちを言葉にしてきたなと思うんですよね。
そういう考えがそもそもあったから、この怪物を見たときに言葉にしたくないっていう感覚がすごい不思議な感覚だったんですよ。
いつもだったらもう言葉にしたくてたまらないのに、もう書けって言われてなくても、なんかちょっと文章を書き出したらもう一気に一万字とか言ってしまう人なのに、
この言葉にしたくないっていう感覚が本当に不思議で新鮮で、これなんなんやろうなってずっと思ってたんですよね。
ずっとそういうふうに思いながら、映画を見てから1週間、2週間ぐらいかな、過ごしていて。
本当はもっと見てすぐぐらいにポッドキャスト撮りたくなるんやろうなって思ってたんですけど、そういう気持ちにもなかなかならなくて、言葉にしたくないっていう気持ちの方が大きかったんですよね。
でもそういう気持ちをずっと1週間、2週間ぐらい持っていく中で、人って本当に言葉にならない気持ちもあるし、存在するし、言葉にならないままで持っててもいいんだよねと思えるようになったんですよね。
特にポジティブな気持ちは。
この怪物を見て感じたことっていうのは、すごくポジティブで美しくて温かい気持ちになったから、ただそれだけでいいわみたいな、それだけで十分やわっていうふうに思ったんですよ。
もしこれがすごくモヤモヤする、なんかわからへんけどすごい不快だな、違和感があるな、なんか嫌やなっていう言葉にならない思いだったら、もしかするとそれは言語化した方が、言葉にしてしまった方が自分自身が楽になって、もっと前に進んでいけるのかもしれないなと思うんですよね。
だけどそのポジティブな感情の場合は、無理やり言葉にする必要ってないのかなって思ったんですよね。
だから一応ポッドキャストだから、ポッドキャストを話してるくせに配信してるくせに言葉になりませんとか言ってたら、こんなエピソードなしになっちゃうから、言葉にできない部分も残しておきながら、言葉になった部分っていうのをシェアできたらなって思ってますね。
前置きがめちゃくちゃ長なりましたけど、とにかく私がこれを見て、怪物を見ての感想を一言で言うなら、ありがとうございますっていう感じなんですよ。
ありがとうっていう気持ちなんですよね。
ありがとうには2種類あって、1つ目、1種類目は、子供たちをそのままでいいんだよっていうふうに、子供たちそのままの存在を肯定してくれるように表してくれて、ありがとうございますっていうありがとう。
2つ目は、世の中に起きていることとか、人々の言動とかって、すべてが説明がつくこととか、言葉になることとか、全部理由、原因があって物事が起きているっていう、そんなシンプルなものじゃないよねっていうことを表して、映してくれてくださって、ありがとうございますっていう、その2種類なんですよね。
まず1つ目の子供がそのままの存在でいいんだよって、全肯定してくれてありがとうございますの話なんですけど、私自身、子育てをしている中で、子供と上下関係になることって、とってもたくさんあるなって思ってきたんですよね。
やっぱりね、親と子、大人と子供、年の差もかなりあるってなったら、やっぱり何もわからないこの小さい子に大人である私が教えてあげないとみたいなスタンスになって、教えるってなると上下関係ができて、親の言ってることが絶対だとか、親の言うこと聞きなさいみたいな感じに、そういう構図が出来上がってしまいがちだし、私もそういう構図になっていた時期が長かったんですよね。
だけど、なんかよくよくうちの子たちが成長していく姿を見ていく中で、見ていきながら迷ったり困ったり悩んだりね、葛藤したりしていく中ですっごく今感じているのは、確かに生きていく上で必要なことはこちらは子供たちに伝える必要があると思う。
だけど、大人が子供のことを基本的に舐めすぎてるな、これ諸誤が大きいけど、私が子供のことを、我が子たちのことを舐めすぎてたなって反省することがすごく多いんですよ。
どういうことかっていうと、子供たちって本当にどんなにちっちゃくてもいろんなことわかってるし、感じてるし、気づいてるし、気を使ってるし、見たものから吸収して学んでるんですよね。
どんなにちっちゃくても、例えばハイハイぐらいの1歳にもなってない息子がハイハイをしてるときにね、ちっちゃな段差をハイハイで降りようとしたんですよ。
子供の視点からの日常生活の本質
だけど彼の体の大きさとその段差っていうのは結構その前向きのハイハイで降りるのが難しかった。このまま行ったら頭からゴロンって行ってしまうなってなったときに、誰にも教えてもらってないのに後ろを向いて後ろから降りるみたいなことをするんですよね。
子育てされてる方は本当にあるあるな光景かなと思うんですけど、すごいちっちゃい段差で、これ子供にもよりますけどね、末っ子は全然ガンガン頭から行くタイプだったんですけど、長男はちょっとの段差、それぐらい前から行けるやろっていうぐらいのちっちゃな段差でも後ろ向いて後ろからそーっと降りるみたいなことをしていたりとか、
あとこう指差しが出てきた時期には、なんかわからんけど必死に指差してるっていう方向を真剣に何を指してるの何を指してるのって見たら絶対にアンパンマンがあるとかね、めちゃくちゃちっちゃいこんな大人やったら見つけられへんわみたいなちっちゃなアンパンマンもすっごい遠くから見つけるとか、
なんかそういう日々の些細な、え、子供すごいみたいなことをいっぱい目撃してきてるんですよ。だからそういうのを目撃していると、なんかただただ体がちっちゃくって語彙力がまだなくて自分の気持ちをうまく言葉で表現することがするスキルがまだまだ低いだけで、
人間としての上下関係とか、なんか人格としての上下関係みたいなものって本当にないなって思うんですよね。なんなら子供の方が上やなって。子供の方が感覚が鋭かったりとか、本能で生きているから雑念がなかったりとか、いらんこと考えてなかったりとかね。
なんか人からどう思われるかとか、プライドがどうのこうのとか、ここまでやったから辞めるもったいないなとかさ、そういうの全く考えずにツルツルの状態で生きてるわけじゃないですか。だからそういう子供たちと傍にいると、子供ってすごいなっていうふうに感じる機会がすっごい多いんですよね。
だから、どうしても子供と上下関係になる、私が教えたりまして、みたいなスタンスがちょっとちゃうよなっていうふうに思ってたんですよ。
だけどどうしてもその社会、今の社会に子供たちを合わせる、合わせるために子供たちを変えるみたいなスタンスってやっぱりどこか風潮として残ってるよなっていうことも感じていたから、だからこの映画は最後の方で大人が先生が子供たちに謝るっていうシーンがあるんですけど、
それがすごく、子供は間違ってない、間違ってたのは間違ってる正しいの話でもないんですけど、でもなんか子供に謝るっていうシーンで、子供が何も間違ってなくてそのままで良くって、勘違いしてたのは大人の方なんだみたいなふうに表してくれたことがすごく嬉しかったんですよね。
子供たちの存在をそのまま尊重して、全肯定してくれているような気がした。そういうふうに私は受け取ったんですよ。なのでそれが本当にありがとうございます。なんか子供たちをそんな風に扱ってくださってありがとうございますっていうね、気持ちになりましたね。
もう一つの説明がつくことばっかりじゃない?言葉にならなくてもいいし、そういうこともあるっていうことも、それについて教えてくださってありがとうございますっていう話は、私冒頭でも話しましたけど、結構いろいろなモヤモヤした気持ちとか、自分の気持ちをちゃんと言葉にするとか、しかもそれを子供たちと対話する、会話するみたいなことをめちゃくちゃ大切にしてくれたんですよね。
めちゃくちゃ大切にしてきているし、それがすごく重要だと思ってきたんですよね。思ってきたし、今も思ってる。だけど、なんかそれを思いすぎていた節があるなと思ったんですよ。
言わな分からんやろ?とか、話さな分からんやろ?ママはこう思っている。あなたはどう思ってるの?とか、これをした時どう思ったの?どう感じたの?とか。で、この会話が成り立っている、親子の会話が成り立っているってことは、成り立つんだったら成り立つで、それがいいと思うんですよね。それが理想だと思うんですよ。
だけど、子供って時に何でか分からんけどやっちゃったとか、何でか分からんけど言っちゃったとか、あんまり深く考えずにその言葉を言っちゃったみたいなことってあるよなって、この映画を見てすごいそうよなって思ったんですよ。
別に嘘ついてるつもりもない。嘘つくつもりもなかった。だけど、なんかこう話の流れでポッと言葉が出ちゃったとか、なんかこう、お母さんの顔色を見たりとか、お母さんの声色を聞いたりとかして瞬発的に言葉が出ちゃった。
だけど、それに対してすごく問い正されたとしても、そこにあんまり大きな意味はなかったりとか、別に嘘つくつもりもなかったみたいな、なんかそういう言葉では説明できない理屈じゃない、なんかそういうやり取りっていうのがあるよなって思ったんですよね。
特にね、これまた、怪物に出てきている子どもたちって小学5年生の設定なんです。我が家の長男、小5、長女が小4。だからね、もう年代的にどんびしゃーやったんですよね。だから余計に子どもたちと重ね合わせて、なんていうのかな。
あーそうよなーとか。普段の子どもたちとの会話と重ね合わせて、あー私なんかなんで嘘ついたんとか、なんで本物のこと言わんかったんとか言うてしまってるし、パパも言うてるなーみたいな。
でも、あの言葉、あの長女の言葉って別に本人が嘘をつこうと思ったわけでもないし、どっちかっていうと瞬発的に出てしまった言葉。なんやったら、こちらがそういう言葉を言わせるような状況に追い込んでしまったみたいなこともあるんだろうなとか。
なんかそんな風に思ったんですよね。なんか、事実とは違うことを言っている。それは嘘だ。嘘は悪だ。みたいな風に。で、嘘つくなんて、みたいな。お母さんに嘘をつくなんて、みたいな感じでね、なっていくと、なんか大事なところを見落として、その嘘ついた。なんで嘘ついたんや。嘘つくっていうことはこの子はなんかこう欠落してるんじゃないかみたいな、こう本質のところからどんどんどんどん離れていくんですけど。
でもこの怪物を見て、追求しないといけないとこは嘘ついたかどうかのとこじゃないなって、すっごい思ったんですよね。なんかこう揺らぎがある年代だからこその立ち振る舞いかもしれないし。
なんかね、本当に見てよかった。結局そういうすごくシンプルな感想に行くんですけど。なんかね、子供に優しくなれるなって思いましたね。
この映画を見た後、すごく子供のことを優しく見守れるような気がすると言いながらも、もう早くお風呂入ってとか言ってるんですけど、現実はね。現実は言ってるけど、でもなんか心のその早くお風呂入ってって言ってるその一歩後ろみたいな、一歩手前のところでは、すごく子供に対して温かい眼差しを送れるようになってる気がするんですよ。
だから本当に見てよかったなと思ってますね。
どうしてもさ、大人の都合のいいように子供を変えようとしてたりとか、これ無意識ですよ。無意識に変えようとしてたりとか、コントロールしようとしてしまうんですよ。
加害者と被害者になる可能性
それあかんよっていろんなところで言われてるのも知ってる。知ってるけど、どうしても日常生活回していこうと思うと、子供を変えよう、変えなければいけないと思っちゃったりとか、こっちの都合のいいようにコントロールしたがっちゃうんですけど、やってしまいがちなんですけど、でもそうなった時にふと思い出したい映画だし、何度も見直したい映画だなと思いましたね。
ちなみに多分この映画の感想とかも私そんなに見てないんですよね、あえて。なんかその感想、誰かが言ってる感想とかを見たり聞いたりしちゃうと、それが全てになってしまう気がして、だからあえて今回は見たいけど見たくない。
いや見たいけど見たくないみたいな感じであんまり見てないし、聞いたり読んだりしてないんですけど。
もしかすると世の中の感想としては、このいろんな視点がある。一つの物事が起きても、違う視点から見たらそれって全然違うように見えるし、自分も無意識に誰かを傷つけてるかもしれない。自分も無意識に被害者じゃなくて加害者になってるかもしれない。それってすごい怖いことだっていうところにフォーカスを当てている感想が多いのかもしれないなと思ったんですよね。
私もそこはすごい作り、映画として、映画を語れるほどのものじゃないんですけど、すごい作りだなと思ったんですよ。だけど、自分が加害者になってるかもしれないとか、自分の何気ない一言が誰かを傷つけてるかもしれないっていうのは、結構いつも私は思っていて、
このポッドキャストを配信してることもそうだし、子どもたちに言葉をかけてることもそうなんですけど、こちらは良かれと思って言ってる言葉でも、相手にとってはそれはすごく相手を苦しめてしまう言葉になり得るし、受け取り方によったりとか、言葉の概念のすれ違いとか、
いろんなすれ違いってやっぱり人と人、違う人と違う人だから、たとえそれが親子でもあり得るなって思うんですよね。だから、私が子どもたちを1ミリも傷つけずに、1ミリも嫌な思いをさせずに育てていくことって、傷つけないでおこうと努力することはできるけど、でも実際に嫌な思いをさせないことって結構不可能に近いんじゃないかなと思ってるんですよね。
だから、常にそれは思っている。私がどういう接し方をしてもどういう言葉掛けをしても、子どもたちはそれによって苦しむときは苦しむし、自分の価値観と合わないってなって、違和感を抱くときは違和感を抱くんだろうなとは思ってるんですよね。
だから、そこの自分は加害者にもなり得るっていうところは、結構常にあるところだなって思ったんですよ。先生の立場とか保護者の立場とか子どもの立場とかっていうのもね。結構常にそれは考えているし意識してるなってところだったんですけど、
私はそれよりも、子どもを大切に描いてくださってありがとうございますという感じですね。それが嬉しかったし、美しいなと思ったし、良かったとにかく。
私ね、映画館に映画見に行くって、ほんまに1年に1回か2回歩かないかぐらいなんですよね。もうどうしてもその時間を作るのが難しいと言ってしまったらいいわけですけど、もうnetflix出てからにしようかとか、見たいけど配信されるかなもうすぐみたいな感じで映画館に足を運ぶっていうことになかなかならないんですけど、
でも今回は音楽を映画館で聞きたいなと思ったんです。映画館のあの環境でスマホ見ながら配信見るみたいな感じじゃなくて、映画だけに集中をして音楽だけに集中をしてっていう環境で味わいたいなと思ったから、映画館に一人で時間を作って行ってきたわけなんですよ。
それで良かったなと思ってるんですけど、ただ一つ言いたいことがある。音楽を聞きに行ったのにも関わらず、映画館の音が割れているという本当に大事件が発生しておりまして、しかもさピアノの音よ。ピアノだけの音。ズンチャズンチャの音は入ってない。ピアノだけのエンドロールの音楽が映画館の音響で音が割れてたんですよ。
それが結構私としてはめちゃくちゃショックで、というかなんならショック通り越して行き通りみたいな感じだったんですよ。年に1回か2回しか映画館はこうへんし音楽聞きに行ったのになんで音割れてんねんみたいな。そう思って、もうめちゃくちゃ良かったのに音が割れてたのが残念だったと思って、この愚痴をちょろっとね、ある方に言ったんですよね。音割れてましたみたいな。最悪とかって言ったら、
それ映画館に言ったら調整してもらえますよというねあの耳折り情報をゲットしました。そうそうらしいです。映画館の調整でどうにかなることもあるらしいです。だから私はもうすぐさまメールを送りましたね。
映画館にね。クレームっぽくならないように。とても素晴らしい映画だったので、ぜひとも音響の調整をご対応いただけましたら幸いですみたいな感じで、よろしくお願いいたしますみたいな感じのメールを送りました。そうしたらちゃんと帰ってきました。
私は2回目を見に行きたいなと思っているので、同じ映画館に行くかちょっとわかんないですけど、もしね、レアケースかもしれないですけど、もし音割れてるみたいなことがあったら、映画館に連絡するっていう技もね、ちょっとゲットしましたので、必要な方は使ってみてはいかがでしょうか。
はい。ということで今日は怪物の話、ずっとしたかった怪物の話をね、させていただきました。
怪物の話を募集
周りで怪物を見たという方が、周りってまあね、パパとかですけど、いなくて、怪物の話したいしたいって言ってるんですけど、公演とかでまあもうそれめっちゃ怪物とかいろいろ言ってるんですけど、なかなか怪物のお話できる人がね、いないので、
もし怪物を見たよという方、そしてこんなふうに思ったよとか、こんなことを感じたよとか、いや言葉にはなりませんわという方とか、いろいろいらっしゃると思うんですけど、ぜひメッセージをいただけたら嬉しいです。
もう、それの回とかしたいもんね。怪物について語り合う。あれはしようと思ってます。絶対。ネットフリックスもしくはアマプラに怪物が出てきたときには、一緒に見るっていうパーティーをしたいと思いますので、覚えておいてください。
ということで、今日も最後まで聞いていただきまして本当にありがとうございます。実は怪物の話をするのはこれで2回目でして、1回目はまさかの45分間も話してしまったので、今回は30分以内に収めたいなと思って話しました。
ちょうどそれぐらいかな。
ご意見ご感想あなたのエピソードがありましたらぜひLINEの公式アカウントにメッセージをいただけましたら嬉しいです。概要欄にURL貼ってますのでそこからお友達登録そしてメッセージをよろしくお願いいたします。では今日も素敵な一日になることを願っております。
28:38

コメント

スクロール