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瞑想のおはなし
2026-06-06 38:54

瞑想のおはなし

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このポッドキャストで何度も登場する瞑想について細かくしゃべっています。

感想

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00:03
では、しゅらしゅしゅしゅの4月22日収録会、3回目ということで。
よろしくお願いします。
一方でって言って終わろうかな。
追加されることも大事だと思ってて。
追加されることも大事だと思ってて。
何にしても、さっき前の教えで言った通り、初心を忘れるなっていうのが、全部が一回限りのことだからっていうのは、それはそれで真実だと思うんですけど、
一方で積み重ねないと至れないことってのがあるっていうのは、これもこれで真実だと思うんですよね。
矛盾するわけじゃなくて、ちょっとでも段が上がったら景色が変わるみたいなことだと思いますし、
段が上がったっていうのはそれまでの積み重ねがあると考えることもできるし、全く新しい地平だと考えることもできるみたいなのは、矛盾することなく両立するなと思ってて。
確かに。
ピアノをやってると忘れること結構あるんですよね。
ピアノって正直言うと楽譜、どういう曲を弾くかとか、クラシックなんかに曲を覚えるってなると、やっぱり楽譜をアンプしてからが本番なんですよね、正直言うと。
はいはいはい。
どの音を弾くかなんていうのは結構前提条件で、どういう音を出したいかとか、ここの繋ぎをどうしたいかとか、この曲をどう表現したいかみたいなことに意識を向くためにはまずアンプして体に入れないといけないんですけど、
これね、ちゃんと音楽理論とか勉強してる人だと、アンプするときに構造とかで理解してるから、やっぱりアンプも早いし擦れづらいんですけど、
自分みたいにあんまりその辺の知識ない人だと、とりあえず体が勝手に動いてくれるからそれに合わせるっていう感じになっちゃう。
で、忘れるんですよ。
本当にびっくりするんです。漢字の書き順を、漢字が出てこないときに近いです、正直言うと。
なんでっていう感じ。嘘でしょってことが起きるんですけど。
でもそれってなんか続けて、ずっと続けてて、で、なんかある程度のとこに行ったからむしろ忘れちゃうみたいなことだと思うんですよね。
消えるんですよ。
面白いなあ。
03:01
なんかありそうな気がする。
ありそうな気がする。
どの音、どの音でもいいですね、どの鍵盤を押すかっていうことを意識したとこから離れまくるとそういうことが起きるんですよね。
どんな質感の音が出したいかとか、この質感のあたりにこの質感をつなげたいとか、この感触が欲しいみたいなことを意識するようになってくるんで、次第に。
そうすると自分が何の音階の音を弾いてるかわからなくなるんですよ。
起きるんですよね。
これはさっきも言った通り、僕がちゃんと音楽理論とか勉強してないから、それが起きやすいことだと思うんですけど。
理論を勉強してる人はそういうの起きにくいんですか。
構造を理解できる、英語の文法とか覚えてる人がやっぱりその辺の強いのと同じで、
ここはこういう構造になってるから、この関係性で次はこうくるよね。
でもこの曲の場合は実は伏線が張ってあるから、こうなっちゃうんだみたいなことで理解してるんで。
それはメタ情報を埋め込まれてるんで、暗記しやすいですよねっていうのはわかるんですけど。
でもなんかそれはある、さっき話したやっぱり漢字の書き順忘れる感覚にめっちゃ、漢字が出てこない感覚にめっちゃ近いですね。
しかもなんかめっちゃ簡単な漢字とか難しい漢字出てこないのがあれですけど。
大義の戒ってなんだってやることですよね。
大御塚たちのなんか嘘だろ俺みたいな感覚に近い。
なんかその今聞いてて、
その瞑想にもそういうそれ近いものがあるな、近いものっていうかまさにそれがあるなと思ったんですよね。
その何だろう、実践と理論が両輪じゃないと、やっぱり瞑想もよろしくないって誰かに言われたんですよね。
松浪龍弦さんだった気がする。
結局瞑想でやっぱりなんだろうな、その神秘体験というかなんていうんだろうな、
神秘体験でくくっちゃいますけど、そういう体験をされる方はいらっしゃるんですよ。
いらっしゃったりするんですよ。
頂上体験みたいなこと。
だけどそれを理論的に説明している先人たちが仏教の中ではいて、
06:00
これはこういうことだよみたいな。
だからこうなったんだよみたいなことがあるみたいなんですよね。
だからその理論をもとに照らすと、いやそれは違うでしょっていうこともあるし、
逆にその理論を知らないが故に、そんな頂上体験だけで片付けてしまうのはもったいないよっていうことも起こってたりするから、
だから自分の感覚、体感でしか瞑想というのは測れないけど、
理論を勉強することも大事っていう話をしてた。
確か松上由美さんの時やったと思うんだけど、
だから俺としては理論を勉強したいなと思ってるんですけど、
最近なんか良いのは触れてるんですけど、新しいのに触れられてないなっていう感じが。
新しいの?まだ自分が知らないの?
そうですね。何度も読み込みっていうか、同じ本を何度も何度も繰り返し読んではいて、
良いなと思う本を繰り返し読んでいるんですけど、
最近なんか新しいものには出会ってないなっていう感じ。
分かるなぁ。僕は本を読んではちゃんと勉強できてないんですけど、
瞑想合宿で毎晩講話があったんですよね、1時間超えの。
それはいつでも聞けるんですよ。卒業生だったら。
それは定期的に聞いていて、
でもさっきの理論と実践っていう話で言うと、ここでもう言っちゃった気もするんですけどね、
僕は前本を一冊だけ読んでそれに沿ってビバッサのを勝手にやってた時は、
なんか順番逆だったっていう感覚で、
無思考、思考がない状態を目指すように誘導された感覚だったんですよね、その本から。
なんとなくですけど、僕の読み方の問題かもしれないけど、
でもそれは本当に蜘蛛をつかむような話で、
つらかったんですよね。つらかったからあんまり続かなくてやめちゃってて、
で、瞑想合宿に行ったら逆に理論の方で打ち抜かれちゃって、
もうやる理由がはっきり見えちゃったから、
09:02
それがこう、さっきというか前回かな、前回か前々回、22時間、1日は22時間と思って、
それ以前に2時間確保するみたいな、最優先にしてやっているから、
それがベースとしてある中で、臨時体験みたいなことは僕はないけど、
その感覚として、今回はいい感じだったなっていう感覚になる時がたまにあったりとかするけど、
その理論がなくそれをやってたら、なんかこうフラフラフラフラして凹んだりして、
いつの間にかまたやめてたのかもなって思ったりしますね。
両輪でちゃんと回るっていうのはすげえしっくりきましたね。
同時にその新しいのに触れてないっていうのも、それもそうだなと思ってて、
もう瞑想合宿の時、その場で本当に初めてその講話を聞いた時に、
僕5日目の講話、確か5日目の講話を聞きながら、初日も衝撃を受けたんだけど、
5日目の講話がもうドンピシャに心に響いて、もう顔が嬉しくて顔がニヤニヤしながら口を押さえながら、
やべえって叫びたいっていうほど感動したし、感激したし、自分にしっくりくるっていう感じだったけど、
終わってから何回も聞いてるから、今はあれ、どこに感動したんだっけみたいな。
もう自分の中の当たり前になっちゃって、みたいなところがあるから、
確かに自分が知らない、もうちょっと深掘りしたのを、ちゃんと理論に触れるっていうことはやった方がいいのかもなって、今思いました。
これだけ長く瞑想というものが世の中に残っていて、
それこそ、いろんな人の評価を受けて、すごいというものが残ってるから、
こんな新しくて、っていうのはあんまり出てこないのは確か。
全体の中、ごめんなさいごめんなさい。
俺はなんかその、知識欲というか、好奇心とか興味みたいなのが強いから、
新しいの出てないかな、みたいな。
愛着というか、伝え方が、入り口が違う見方で見てる人いないかな、みたいな。
12:07
そういうレベルですけどね。
そこはあれかな、まだ自分が人に伝えられるほどの状態になってないから、
そこをもっと自分の中で安定化させたいというか、自分の言葉で言えるぐらいのものにしたいから、
それではあの子だけではちょっと足りてないかもなって、なんとなく思ってるという感じかな。
問題はですね、じゃあ次行くときに道筋を示してくれる先人がいないという感はめっちゃありますね。
自分でめっちゃ探りで探せみたいなのが大事かな。
それもそれで大事だと思うんですけど、
とはいえ信頼できるあの人が言ってるからとは信頼できないんですよね。
そこを間違えたりとか、むしろ逆の方向に進めるものに触れちゃうと、
なんだったんだあれは、みたいな。
誰かいないんで。
まあでもな、なんだろう、自分の場合は衝撃受けたっていうのは自分の中にあるものが反応したって感覚なので、
あんまり変な方には反応しない気はしてるんですけどね。
っていうのと、僕の場合はまだまだ京都と千葉にある美髪さんの瞑想センターでの教えみたいなのに全部目を通せているわけじゃないんで、
テキスト苦手すぎてホームページとかの書いてある文章まださっぱり読んでないんで、
教師データっていうとちょっと違うか。僕がAIみたいになっちゃうのかな。
読む対象はいっぱいある。
実際、合宿に奉仕者として参加するとまたちょっと運営してる人とかとなんとなく近づけそうな雰囲気を感じてるんで、
その人たちからもいろいろ襲われるかなーみたいには思って。
僕の場合はまだしばらく先生に困らなそうな気はしてますけどね。
俺も先生には困らないかな。
今やってるところの先生にアドバイスもらうっていうのがあるから。
15:04
違うところにっていう実感が来たときは困っちゃうかもな。
完全なる違和感っていうのが来るはずっていうか、やっぱりそれが来て、
ヨガやる内容が変わったりとか、迷走の内容が変わったりとか、
俺もしてるからな。
もっと動きの多いヨガを今やってたりする。
新しいものって絶対に違和感伴うんで、
そこの悪い違和感と良い違和感をどう見分けるかっていうのは結構、
何しても課題ない気がしますね。
やっぱりバッハキモイなーって思いながら。
バッハキモイなーって思いながらいつも。
バッハキモイ?
キモイです。
そうなんですか?
分かんない。僕がバッハをちゃんと触れたのが遅かったのもあるんですけど、
多分これね、やってる人みんな通じると思うんですけど、
バッハ的なタイプを弾いてるときと、いわゆるポップスとか弾いてるときと
頭のモードが違いすぎて、
マジで別競技やってる感覚になるんですよね。
えー。
俺あれなんですよ、俺のメースをやるときは、
バッハの曲をかけることが多いです。
聴くのはいいんですよ。
何なんですかね。
僕がやってるのは優しい曲ばっかなんですけど、
難しい曲を弾いてる人が宇宙に飛びそうになりますって言ってるのが、
そうだよね。分かる。
そうなんだ。
演奏するとそうなんですね。
飛びそうになるのは、なんか行き着いた先がそれってのは、
そうなるんでしょうねって感じはめっちゃ残酷できる。
ピアノ弾いてるときってやっぱり普通に過ごしてるときと頭の状態は違うんですけど、
でもバッハ、もう一つなんかちょっと違う感じがする。
不思議ですね。
18:01
なんか俺の先生からの教えっていうか、
オススメでもあったんですけど、
バッハっていうか、バッハじゃなくてもいいんだけど、
意図がないものを音楽、BGMにするといいよみたいなことを言われたんですよね。
BGM使ってる理由っていうのは、リラックスするっていうのもあるんですけど、
何人かでお瞑想するときに、
服の絹ずれの音とか、
途中で参加される方の胃動の音とか、
ちょっと気になっちゃうときとかもあったりするんで、
それを音楽を流しとくと、そういうのも若干気にならなかったりするっていうのもあって、
一人のときも何人かでやるときもかけてたりするんですけど、
YouTubeとかにもいろんな瞑想の曲がアップされてるんですけど、
ジョーカーとか、いろいろ波動を上げるとか、
そういうので結構タイトルになってるのもあるんですけど、
それって人の意図がやっぱり入ってるから、
意図を持って仕掛けられたものは、
なるべく外した方がいい、みたいなことは言ってて、
バッハは神様のためにってわけではないけど、
誰かのために、誰のために音楽を作ってるのって言われると、
大いなるものとか神様みたいなのに捧げるみたいな感じで、
俺は曲を作ってると思ってて、みたいなことを説明されたんですよね。
他のクラシックにはソニックがいればみたいな。
だからバッハは前方がいいよ、みたいな。
すごいざっくり言うと対移法っていう技法が使われてるんですけど、
ん? 対移法?
対立に位置で、位置の位置で対移法っていう音楽技法が使われてるんですけど、
ざっくり言うと構造美なんですよね。
構造美。
構造をかっちりかっちり固めていくことで、
美しさを生むっていう技法なんで、
言っちゃえばシステマティックに作ってあるんですけど、
そこの中で神業をやったのがバッハっていう評価なんですよね。
バッハの時代で既に対移法っていうのは研究され尽くして、
時代遅れだよ、みたいな感じになったのに、
バッハがえげつないことやってて、
当時は僕でしたけど、
21:02
一回忘れられて、誰だっけな。
結構後世の作曲家が発掘して、
ちょっと忘れちゃったんですけど。
だから今、人の意思がないっていう意味で言うと、
当然意思は入ってるんですけど、
ただその意思の加わり方が、
なんかこっちに誘導してやろうみたいな感じじゃなくて、
構造をひたすら、
どういう構造にすると美しくなるのかみたいなことを、
いつも考えられてるってことなんで、
理にかなってるかなと思います。
エロしない言い方ですけど。
でもわかります。
ちょっとキモいのが、
そんなに練習してない曲でも、
めっちゃ頭に残るんですよね、弾いた後に。
ずっと頭の中で流れるんですよ。
あとバッハは落ち着いたというか、
割と暗めな曲も多いから、
オススメって言ってました。
バッハの場合は、
いわゆるキー、
単調、超調、12つ合わせて全24、
全部作ったりするんで、
シリーズもみたいな感じで。
全部あるって感じですよ。
どの色でも5才みたいな感じではあります。
暗い曲が多いのも当然そうで、
暗いの作ってるやつも多いんで。
リラックスとかだと、
モーツァルトとか、
よく言われるんですけど、
モーツァルトは結構明るい曲も多いので。
気持ちいいですもんね。
バッハは持ってかれる感じが好き。
持ってかれる感じ。
でもそこに近いのかもね。
持ってかれるっていうか、
持ってても弾いてても。
持ってかれるっていうのは、
そっちに意識が奪われるって感じなんですよ。
違うんですよね。
上に上がるみたいな感じがする。
自分自身が。
さっきの宇宙に持って行っちゃうみたいなのが、
その曲系なんだなってのがちょっとやっぱり、
想像できる。
バッハ聴いてみよう。
なぜぐるさんにとっては、
あんまり、
なんだろう。
バッハがですか?
24:01
なんかこう、
良い影響、悪い影響の話の延長から始まったかなと思ったんですけど、
バッハの、
キモいから悪い影響の例として出されたのかなと思ってたんですよ。
キモい、
良い悪いって言うのもキモいんですよ。
悪いって言うのも、
あー。
悪い例ではないんですね。
悪い例ではないんですけど、ただキモいですよ。
バッハでしか味わえない脳体験みたいな。
なるほど。
こいつしか出ない、
ここの具材でしか味わえない味があるみたいな。
全然知らなかったな。
親密っぽい。
親密っぽい。
でも僕はプレゼントが遅かったんですよ。
だから僕が今やってる曲って、
ちゃんとピアノ勉強してる人だと、
小学校2年生とかで全然やってる曲とかなんで。
へー。
その頃からしっかりやってれば、
当然の技法としてインプットされてるはずなんですけど、
僕の場合、かなり遅くなってからやり始めてるんで、
そんなことがあるのかと思いながら、
引き返しを修練してました。
へー。
なんか音数でこんなのいけるやろうみたいな感じで、
引き割れに始めたら、
もうなんか全然歯が立たない。
へー。
違う興味。
次が始まったって思いながら。
へー。
違和感で言うと、
あの時の違和感は本当に忘れられないです。
へー。
あまりにないでも、
20年以上ピアノやってきた俺が、
この音数に殺されるのかと思いながら、
やっぱり、
それだけ大方っていうのは珍しいってことなんですかね。
珍しい。
やっぱり独自の技術ってことだと思うんですよね。
うーん。
そう、なんかあの、
ちょっと、
どう言ってるんですかね。
いわゆる、
ショパン以降の、
ショパンの遺跡かな、
ベートーベン以降の、
ハッチリとした構成の曲、
エモーショナルな曲、
それを表現するのはちょっとやっぱり違うんで、
あの、さっきしゅらさん言った通り、
神に捧げる曲みたいな感じで、
なんか、
建築物とかの方が感覚的には近いかもしれないですね。
とか、
モザイク模様の、
綺麗なモザイク模様のものみたいな。
ほうほうほう。
ものをイメージした方が、
なんかアクセサリーとかに近いかもしれないですね。
音楽っていう。
うーん。
うん。
なんか、
感情を揺さぶってくるものっていうよりも、
すごい、
豪華なタペストリー。
で、木加工模様がこう、
めちゃくちゃ複雑に、
色が綺麗みたいな、
感覚の方が近いかもしれない。
27:04
むずい。
でも、やっぱり、
あの時の違和感は本当にびっくりしましたね。
また恐ろしいのが、
右手やって、右手をしっかり覚えて、
左手しっかり覚えて、
左手で行けるだろうと思って、
両手にやった瞬間にすべてが崩壊するんですよね。
へえ。
組み合わせるとってことは、
同時にやると?
そうなんです。
ピアノって、まず、
色んな練習の仕方ありますけど、
片手ずつ覚えて、
基本的なメソッドですし、
両手から最初からやる場合もありますけど、
でも、どっちにしても片手練習はどこかでしなくてはいけないんです。
で、
基本的には片手練習して、
両手にするとつまずくってのは当然なんですけど、
そのつまずき方が、
右手、
右手50、左手50までやって、
合わせてどうにか60グラムで行けるだろう、
みたいなのが、
今までの、それまでの感覚だったんですけど、
右手50、左手50、
で、やった瞬間にマイナス20、
みたいな感じだったんです。
崩壊して、
マイナス20。
崩壊して、そうそう。
何もできてないんですけど。
へえ、不思議。
不思議ですね。
パニックになりました。
バッハの曲、どの曲やってもそれが起きるんで、
慣れてきましたけど。
へえ。
両手で弾けるようになってから、
どうする?
両手でやったら全然弾けないんでしょって。
やっぱり弾けないわ。
そうなんだ。
そこの違和感は、
違和感に慣れたっていう絵はあれなんですけど、
違和感にも型があるなっていう、
さっきの話について言うのに、
向けるのがあれですから。
だから、なんかちゃんと僕は指導、
ですね、指導を受けながら、
その違和感に触れてるから、
よかったと思うんですけど、
例えば独学でやってて、
で、習ってないのに自分だけでバッハちょっとやってみようか、
みたいな感じでやってたら、
多分ね、あの、
全くもうやんなくなってるか、
バッハを全くやんなくなってるか、
普通に打ち止めされて、
ピアノから離れるみたいなことはないかもしれない。
そのレベル。
だから、なんか違和感って、
さっき話し合った時に色々考えてたんですけど、
やっぱり、
でもね、
これはやっぱり経験積んだ上での違和感じゃないと、
やっぱり見極め難いんだろうなとは思いますね、
そこは。
これがなんか新しいことに繋がりそうな、
違和感なのか、
それとも単純に、
単純に良くない、
っていうものを、
Qとか書き取ってるだけなのか、
みたいなことは、
ちょっと経験が浅いうちには、
なかなか見極められないんじゃないかな、
っていう。
30:06
あんまりこう、
いいのと悪いのの、
差を、
差があるもんなのかな、
みたいな風に、
普段からちょっと考える癖があるもんで、
僕の場合は、
どっちかっていうと、
目的に合う、合わない、
みたいな、
良い、悪いって、
無理して言うとすれば、
合う方が良い、
みたいな感覚なんですよね。
そういうバッハの話で、
無理に、
そういうものが迷走の世界にあるかは分からないけど、
今までの感覚では、
理解しがたい何かが出てきた時に、
それが理解できるまでは、
悪いと感じちゃうかもしれないけど、
そうですね。
一体でも、
バッハなんて先人がやり尽くしてることなんで、
こんなこと言うとあれなんですけど、
悪いわけがないじゃないですか。
そういう感じなんですね。
でもそれでも、
読書家でやったら、
話が違ったと思いますし、
あとは、
聖徳先生の、
迷走とかの世界だと、
どこまで信じればいいんだろう、
みたいな情報に出会った時に、
でも神秘性がかなりある時に、
結構、
自分で委ねないといけないことがあるんだろうな、
ってちょっと考えてたんですよね。
その時に、
自分が察知した違和感みたいなことが、
果たして、
いい予兆なのか、
それとも悪い予兆なのか、
みたいなことを、
結構見極め、
自分でしないといけないのは、
むずいだろうな、
っていうのを感じてた次第です。
それこそ僕は、
理論から入るから、
その心配はあんまないかな。
どうこうみたいなのは、
まだ経験するまでは、
現れないだろうけど、
理論に納得していれば、
現れるかもしれないし、
現れないかもしれない。
でも、やり続けることが、
それ目的っていうと、
また目的が2つになっちゃうけど、
目的に向かってやるっていう、
それが自分の決めたことになってるから、
そこはそんなに、
まわずに済むかな。
感覚を頼りにいくってなると、
それはきつかろうなっていう、
気がしますよね。
まあまあまあ、そうですね。
中さんは、
その瞑想をやる目的、
目標って、
何なんですか?
悟ることです。
悟りですね。
悟りですね、やっぱりね。
俺もまあ、そうなんだけど。
この人生で、
まあ今世、来世ってのがあるのか、
33:00
本当にあるか知らないけど、
死ぬまでの間に、
悟れるかどうかは、
まあわからないけど、
少なくともベクトルはあるなって思ってるんですよね。
悟りっていうものに向かうベクトル。
まあ今の自分が、
そう捉えられるものっていう程度かもしれないけど、
その方向にベクトルを向けて歩み続ける、
っていう目的に沿っていればもう、
OKって感じですね。
うーん。
そうか、悟りか。
うーん。
いや、俺は何だろうなと思いながら、今。
うーん。
悟りは悟りなんだけど。
まあ一言で言うと悟りなんですけど、
まあぶっちゃけ、
戦争のもうちょっと起こりづらい世界になったらいいなとか、
僕みたいな生き方が許される世の中になったらいいなとか、
そういうのも全部混ざってはいますけどね。
うーん。
そうですね、まあ。
それとの相性がめちゃくちゃ良かったんで、瞑想が。
うーん。
なんか、
帰ってみるのも面白いなと思いました。
なんだろう、俺、
俺、なんかいろんな瞑想に、
で、瞑想に出会って、
やってみて、でも続かなくて、
で、今の瞑想は続いてて、みたいな、
うーん。
のがあるんで、
でも果たして何が違ったのかとか、
何を目的とか、
目標にしてるのかみたいなの、
ちょっと考えてみても面白いかなと思いました。
うーん。
うーん。
なんかね、その、
瞑想合宿行きましたとか、その後瞑想続けてますって言うと、
どういう感覚になりましたかとか、
うーん。
その時にどういう効果があるんですかとか聞かれることが多いことに、僕はすごい、
いや、そっちは後付けなんだよな、みたいに思っちゃってて、
さっき言ったみたいに、理論が先なんで、
さっき言った弟とかは、なんか、瞑想さっぱりわからんみたいなこと言ってて、
なんか検索したらしいんですよ。
うーん。
そしたら、鶴太郎さん?
あー、はいはいはい。
なんかYouTubeとかが出てきちゃったらしくて、
うーん。
で、なんかね、ヨガやりながら毎日瞑想してんのかな、鶴太郎さんも。
うーん。
で、なんだっけな、なんとかさんっていう、吉野なんとか先生とか言う、
四読抜きとかの本を書かれた人との対談のYouTubeを見られて、
その先生が、瞑想の時にはβエンドロフィンが出ててとか言う、
なんかそんなこと言われてたんですよ。
うーん。
36:01
弟が、弟は僕のことをシューって呼ぶんですけど、
シューもβエンドロフィンが出てるから瞑想やるんじゃないとか言われて、
いや、そうかもしれんけど、
別にβエンドロフィンをゲットしたくて瞑想をやってるわけじゃないよ、みたいな。
確かに確かに。
確かに。
βエンドロフィン今出てるわって思ったから瞑想したら瞑想じゃないって。
絶対違うじゃないですか、それ。
それは違うな。
だからなんかね、表面から推測されようとするとだいたいずれるんだよな、みたいに思う。
うーん。
そもそも瞑想で変化が起きるみたいなこと自体が、
うんうん。
疑うべき、疑うべきってあれですよね。
無自覚に、
無批判か無批判に信じられてると、
そうでもないよなって。
うーん。
それに沈黙しますよね。
変化を出すためにやってるとはまた違う。
そうですね。
常に変化してるものってのはあるから、
常に変化してるっていう状態を気づくというか、
そっちが正しいんだよみたいな。
そうですね。
特に無常じゃないですけど、
いやいや、変わってくんだよっていうのを気づくための、
そうですね。
テーパーディスコとか言ってると、
いい時間になってきてしまいました。
しゅうさんがVivaさんへどれだけ変化して帰ってくるか楽しみにしてる。
変化みんなしてますから。
今もこの瞬間も。
いつでも。
出る前と帰ってきた後で、
測るよ、ベータエンドルフィンの量、どれくらい。
そうですね。
自己評価でいいんで。
感覚の評価でいいんで。
分かんない分かんない。
聞いてみようかな。
アトリア人と比べてどう?って。
ということで。
気をつけてというところですね。
そうですね。
気をつけて来ていただいているというところで、
今回のしゅるしゅるの収録は以上となります。
はい。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
38:54

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