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おはようございます、小松でございます。
今日、日中所要で少し歩くところがあるので、その過中でですね、配信を撮っております。
立花の大学のですね、ウコンっていう障害教育のシリーズがあってですね、
近藤光一先生のコーディネートで、ほぼ西の学校のもうちょっと深掘りしたような感じの会なんですけど、
それで、年に10回くらい開催されるんですよね。それで今日、第1回目ということで、第7期の第1回目かな。
それで、僕は8月に出るんですけど、初っ端ということで、五感を鍛えていく、五感を整えるっていう会というかシリーズで、
それで、今日はですね、穂村さんっていう歌ですね、歌人の方のゲストで、どんな内容になるかすごく楽しみなんですけど。
でですね、それに今日はちょっと近い話かもしれないんですけど、余白の美学みたいな話をね、ちょっと歩きながらしてみたいと思います。
今ね、目の前にノレンがあってですね、それで多分アサーのノレンなんだけども、
それで、炭でですね、炭というかデザインで、書みたいな感じで、そこのロゴが書いてあるんですよね。
それはもうね、どこでもあるようなものなんだけども、そういうところをちょっと見ていくと、やっぱ何かね、余白ですよね。
何にも書いてないところに、すごく大事な要素というかね、ものが詰まっているんじゃないかなっていう、そういう印象があるんだよね。
だから書なんか特に典型的なんだけど、紙の上で筆で描くというか書くじゃないですか。
そしたら、主人公はもちろん炭で書かれた書であったり、記号だったり絵であったりはするんだけれども、
その背景に伴うその美しさというか、背景は単なる背景じゃないんですよね。
意図的に作り上げていく背景ということがね、とても大切なんですよね。
それがね、ちっちゃい時なんかただオンかオフかみたいな感じで、もう筆で書いたらもうそれで終わりっていうか、そこにもう意識を集中させるところがすごくあるわけですよね。
でもその余白があるっていうことによって書は生かされるし、逆に余白がないとですね、書が生かされないっていうような、
これ心理学でいうルビンの壺みたいな感じかな。ルビンの壺っていうのは一つの絵があってですね、見たてによったら壺にも見えるし、
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人間が対面してね、向き合っている影にも見えるっていう図形の表彰なんですけど。
だからゲシュタルト心理学でいうところのね、人間ってどっちかしか見えないわけですよね。図と字の関係というね。
それで言うとですね、本当にさっきの書の話というと、図っていうのが書かれたもの、黒いところね、いわゆるね。
字っていうのが紙であったり余白だったりするわけですよね。
そこの対比っていうのが本当にね、小っちゃい時なんかもう書いたらおしまいっていうことなんだけど、
僕の音楽であったりとか、考え方なんかもやっぱり余白の部分。
これちょっと心理学的に言うとですね、意識と全意識と無意識っていうね、心相心理の区分けがあるわけなんですけど、
そこの全意識なんですよね、余白の部分って。
その全意識のあたりに意識を向けていくことによって、全体の成り立ち、図としてのね、全形としての表現も生かされるし、
重ね合わさったところのね、組み合わさったところの表現の美しさというのがやっぱりね、大事になってくるんじゃないかなと思うんですよね。
でね、それはすごくね、空白をコントロールってね、並々ならぬ難しさがあるんですよね。
で、これは僕の音楽の話でまた言いますけれども、ピアノを弾いた後ね、自分の曲でも即興でもいいんだけど、
終わりがありますよね。一番典型的なのが曲の終わりですよね。
そこでパッて終わる場合もあるし、ダンバーペダルで音を弾き延ばして、それで終わる場合もあるんだけれども、
特にね、僕がよくやっているのは、だんだん音をね、静かにしていくみたいなね、そういうやり方が結構あるんですよね。
そのためにはダンバーペダルをハーフペダルにして、じわじわと音を制御していくというか、
キュッて終わるのと、ハーフペダルでゆっくり音を消していくのとね、やっぱり全く印象が違うわけで、
特に音楽とか音の世界っていうのは、音が消える瞬間に全意識の部分で、
頭の中でですね、意識されないというか、認識されない音、耳には入っている、脳には入っているんだけれども、
それが音であることとか意味とかね、そこまで届かないような認知できない音ってあるんですよね。
その認知できない音っていうのが、音が消える瞬間によって認知される領域の可能性のね、相乗に立っていくわけなんですけどね。
そういうあたりのところで、あれ普段とちょっと違うな。日常に空白というかね、叫びを出すっていうのかな。
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そういう力がやっぱり余白にあるわけなんですよ。余白というか音が消える瞬間。
それってすごく作るの体力がいるんですよね。聴く方も感度がある人、感性がある人に限っての話なんだけど、なんか感じる部分がありますよね。
そのあたりにやっぱり僕は持っていきたいと思うんですよね。僕のライブとか、演奏とか、環境音楽とかね、背景で聴く場合はそんなことないんだけれども、
やっぱり集中して聴いていただく曲とかね、時間的なパフォーマンスでは最後のところだよね。
そのあたりが大事なんですよね。これ録音の場合でもそうなんですよね。音が消えたらシュッと録音止める場合あるけど、そうしたら全く素材としてダメなんじゃないって感じだよね。
やっぱり余白。電車が通り過ぎて、例えば目の前。それで録音したとするじゃないですか。その音が最後の最後まで、電車は見えないけれども余韻とか響きとかで残っていくわけですよね。
まだ音が最後まで残っていて消えないのにも関わらず、初心者はブチッと切るわけですよ。その瞬間をね。するともうそこは再現ができないし、そこにこそ音の旨味というかね、そういうのもあるしね。
あとは単純に編集する場合でもですね、やっぱりノリ代みたいなものがいるんですよね。衣服でもそうじゃないですか。布があってね。ある布と別の布があった時に、もうカッチリと採寸した時に、その通りの大きさでやらないでしょ。
やっぱりノリ付けするための余白を入れてのデザインするわけですよね。うちの母親が家庭画の先生で裁縫めちゃくちゃ得意だったんですけど、型紙なんか見せてもらうと常に余裕のある余白を作っていましたよね。そういうのが録音の時にもいるわけなんですよね。すごくね。
だからね、ブチッと切るとあかんし、逆を言うと始まる前もね、音を聞いてから録音では遅いんだよね。なんか音がちゃんと出る手前で、それは1分でも2分でもいいでしょ。ずっと録音機回しっぱなしで後でどうせ編集できるからね。
それでやっていかないと、最初の空気ですよね。その手前の空気がないと、やっぱり録音できないというかね、録音したものが作品としてね、やっぱり成立しないんですよね。だから最初のところ10秒、終わった後もですね、できたら最低でも30秒から1分はきついかもしれないけど、それぐらいの余白を持ってですね、録音の素材をね、
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構築していってほしいんですよね。そういうところも含めて、やっぱり余白の力を感じないと、特に音の世界と書の世界は共通してますけれども、成り立たないと思いますよ。
うーん、それって教えたらそうするとは思うんだけど、学生にね、こういうことを教えるわけなんだけどね、するとそれは本当に自分からそうなんだ、これは本当にちゃんと余白を作らなければならないんだっていうのを体感させないといけないんですよね。
頭でそれを伝えて、表面だけで伝えるとしてもそれはうまくいかないわけで、どうしたらいいかというと、録音したものをね、例えば聞かせるわけですよね。録音したものをもう一回聞いてみると、やっぱり客観的だから、記録物ってめちゃくちゃ客観的じゃないですか。
だから聞くとね、あれ、もう音が途中から始まってるよ、あれはダメなんじゃねーとかね、あと終わった後もね、余韻がまだ残ってるようにプチッとかね、はい、これでアウトってことですよね。プロの世界、プロというのをピンキリだから一概に言えないけどね、厳しいですよ本当に。
そういうのをね、丁寧にね、教えていくっていうのも、小松瀬店はそれを鍛えられまくってますけど、しつこいくらいに言いますからね、するとね、やっぱりね、作品レベルめちゃくちゃ上がりますよね。
でまあそれは機械を使うといえば精神性の問題、美学の問題だよね。美学的にそれをね、美学と言ったらちょっと大げさかもしれないけど、生き方ですよね。
全意識でどうものを感じるか、そしてだいぶ前に言ったことあったかな、氷山の威嚇の、氷山で面に見えないところをどう耕すか、そこがね、やっぱりね、重要になってくるんじゃないかなというふうに思いますね。
ということで今ね、寺町通り歩いて小松屋があるな。小松屋は僕の好きな和菓子屋さんなんですけどね。僕とは関係ないかもしれないけどね。
小松屋の近くにね、トンコリ買った、いつもよく出入りしている小泉楽器があったり、ここは本能寺かな。本能寺の入り口とか。
まあ本当この辺りはね、土曜日だと本当にお客さんが多かったりするし、外国人の方もたくさんいるんだけど、人が増えたよね。
もっと土曜日でもそんな人いなかったんだけど、当社費、誰やねん当社費って。当社費のね、まあ、当社費の3倍はいるよね。
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そういうところでちょっと抜け切ったところで、目の前が京都市役所ね。
京都市役所、前ここでワークショップ、3年前だったかな。
京都でね、やりましたでしょ。
ボンジュール現代文明でね。
そこで朝ワークショップやったけど、暑かったよね。
ここ変わらずに。
ここね、あのね、市役所すごく新しくなって、表面は変わってないんだけど、すごく綺麗になりましたんで。
いい場所にまたなって。
いつもなんかね、振馬とかなんかやってますけどね。
まあ、ここの繁華街という中心地ですけど、そこの音もね、見守ってきて、やっぱ静寂空白みたいなものがね、空間みたいなものがあればいいかなと思うけど。
でもやっぱそういう単純なもんじゃないですよね、音っていうのはね。
だからまあ、またそのうちそういう哲学的な話もね、していきたいと思うんだけど。
つまり、まあ、こんだけ都市がガンガンうるさいのは、静寂を求めるというより、人はそういう躍動感とかね、刺激を欲しがっているところがあるから、こんなにね、人がガンガン来てても平気になってくるわけで。
まあ、そこの答えは出てないけど、僕の一つの答えはね、そういうにぎわいもあれば、静寂を与えるような機会を与えていかなくちゃならないってことですよね。
そういうのがやっぱりすごく大事になってくるので、やっぱり環境を与えなくちゃダメだよね。環境ね。
知らなかったらわかんないんだからね。だからワークショップとか体験系の授業をすごくやるんだけど、やっぱり感じないとできない。
しかしね、多分、音声にしてもね、文章にしても無理なんですよね。現場で体験しないとっていう。
だから、たくさんそういうことを求めたいって、しなければならないってことあるかもしれないけど、僕あんまりドゥイングでやりたくないよね。
わかってる人がわかればいいな、別に。自分がガンガン行っても仕方ないじゃないですか、そんな行ったところで変わりはしないので。
だからまあね、機嫌よく生きていくっていうことが一番大事だし、僕も機嫌よくね、15分くらい喋りましたけど。
という感じで、今日もですね、配信。本当に何を喋ろうか考えてないんだけど、まとまるっていうね。
これもね、ありがたく自分のスキルとしてはめちゃくちゃ即興力が出てきたので、感謝したいなっていうふうに思っております。
ということで会場に着きました。会場がね、クエスチョンっていうところなんですよね。
クエスチョンマークがね、ちょこちょこちょこってあるので、まあそういうところでちょっと、はい。
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どんなクエスチョンが出るか。7階とか行ってたね。いやいやいや、ちょっとね近くまでちょっと行ってみようかな。
なるほどなるほど。
お願いします。かしみません。