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2025-04-19 11:19

自分の人生は「空っぽだな」と思った時に思い出したいこと。

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サマリー

人生が空っぽに感じる瞬間について、自己認識や他者との関係、人間の記憶の限界を考察しています。このエピソードでは、仏教的な観点から、空っぽであることを受け入れ、それを可能性として捉える重要性について話します。

空っぽな人生の認識
おはようございます、しゅうへいです。この番組では、1年後のあなたが楽になるヒントを、瀬戸内海の島から毎日披露をお届けしております。
はい、ということで今日は、自分の人生がなんか空っぽだなぁと思った時に思い出したいことというね、ちょっと仏教的なテーマでお届けしたいと思います。
はい、で、まあ、なんだろう、こう、うーん、自分の社会的なポジションとか立場、責任がやっぱみんなあるじゃないですか。
家庭のね、うーん、なんかこう、家庭でのその役割とかあったり、会社での役割とか、地域だったりとかね、うーん、家族とか、で、友達、友人関係とかもあると思うし、うーん、SNS発信してる人だったら、その、まあ、発信者としてとかね、うーん、あとは、僕とかもそうですけど、会社を経営している、まあ、行業しい言葉にはなるかもしれないけど、まあ、
ね、そういう、一応、一社の代表としてやってると、なんか、そういう自分である時間っていうのもあって、で、だけど、なんかね、やっぱね、うーん、自分のことをたまに、まあ、自分のことっていうか、なんか、ぼーっとしてる時にたまに思うんだけど、なんか空っぽだなーって思う瞬間があるんですよね。
で、それをなんか別に、うーん、今やってることが、なんか大事じゃないとかじゃなくて、なんかこう、空虚に感じる瞬間があるというか、うーん、なんか、そんなのやっても意味ないんじゃないかとかって言い始めたら、なんかネガティブなんだけど、うーん、なんかこう、うーん、まあ、疲れてる時なのかな、もしかしたらね、なんかこう、何かやってても、こう、満たされないというか、うーん、
なんか空っぽのように感じる?ちょっとあまりうまく言語化できないんですけど。で、まあ、それでいいんですよね、たぶんね、これね。うーん、いや、空っぽに感じてていいんですよっていうのが、たぶん、仏教とか全的な解釈になるのかな。
で、まあ、そもそも何か、何かしらこう、なんだろう、満たされてるってことは、何か物理的にそこに何かがあって、いっぱいになってるみたいな、うーん、充実してる感覚がやっぱあるじゃないですか。で、でも、そう感じずに空っぽだって思ってしまうのは、そこにないからだと思うんですよね。
うーん、でも、そもそも、その、僕ら、自分含めて、いろんなもの含めて、たしからしい実態みたいなのはないわけじゃないですか、その、完全固定の実態というか、ね、まあ、無我みたいな話だと思うんですけど、ね、じゃあ、僕は完全に固定で経営者なのかとか、完全に固定で村上周平という人間なのかっていうと、
まあ、違う瞬間もありますよね。それは、まあ、別にその辺で散歩してるときに、俺は経営者だ、社長だと思いながら、別に散歩してるわけでもないし、ね、あの、コンビニとか行っても別に僕のこと知らない人ばっかりです。当たり前ですけどね。そうなると、別に村上周平という言葉も出てこない。
で、昨日、紙切りに行ったんですけど、もちろん、僕の名前を知っている人が担当してくれてはいるんだけど、あの、うん、何だろう、別に、僕が今考えていることをその人が知っているわけではないから、自分の課題とかね、例えば借金6000万はどうしようとかさ、悩んでる自分なんか、まあ、その人は、まあ、たぶん知らないはずなんですよ。
ってことは、じゃあ、完全に村上周平を知ってるかというか、まあ、そんなこと気にせず、どちらかというと、ね、ちゃんと切らないといけないとかさ、あと何、この人の次はこの人が来るから、何分までにだいたいカットを終わらせないといけないで、シャンプーをこれくらいしてとか、そっちのことをたぶん考えてると思うんですよね。
僕も逆の立場だったらそういうことを考えてると思います。言われた通りにもちろんその納得してもらえるようにね、切ってって。で、こと考えたら、なんか、その、あ、村上周平みたいな、まあ、あなたもそうですけど、人をずーっとこう考え続けてくれてる人なんてたぶんいないですよね。
うーん、みんなやっぱ自分のことを気にしてるし、自分がどう思われるかを気にしてるし、ってことは、僕らなんかこう、存在しているんだけども、なんか、僕をちゃんと今この瞬間に実態として認知してくれていて、僕のことを何かしら考えてくれてる人っていうのは、まあ、そんないるわけじゃないよね。
うーん、なんかついつい自分で、自分は自分のことを考えてるからさ、世界が自分のことで満たされるわけじゃないですか。満たされてるっていうか、締めてるわけよね。なんかこうした方がいいんじゃないかとか、ああした方がいいんじゃないかとか、これができてない、あれができてないって言うけど、みんなそれほどそんな、僕、自分ができてることとかできてないことを見ているわけじゃないし、
ねえ、インスタとかで、今日ちょっとリール作りたいなと思ったけど作れなくて、朝起きて頭が眠くて全然働かなくて、あくびが出まくりながら過ごしてたんですけど、ああもうなんか作れないとかと思ってね。で、まあもうそれしょうがないじゃん。眠たいんだし疲れてるんだしね、体がもうあれなんだから。で、でもそういうふうにリール出そうと思ったけど出せなかった自分がいて、ああ良くないなとか思うけど、
でもそんなこと誰も気にしてないというか、気にしようがないよね。だって僕はリール出そうなんて思ってることなんか誰も知らないわけだから。そう、だから何が言いたいかというと、自分がこう、そういうふうに何かできてないこととかさ、思ったようにできなかったことがあって、なんかそこからもしかしたら自分の人生は空っぽとか、なんか満たされてないと思うかもしれないけど、そもそもそれって満たされることってあるのかなと思ってたんですよね。
記憶の有限性とその意味
うーん、なんかそれでこうビッタビタになるみたいな。で、でもそこにはさ、仮にじゃあ僕はリール投稿できたとかいろいろね、あの、今日やりたかったことができたって、なんか満たされてるように思うけど、別にそれって実体があるものじゃないし、他の人が認識してるものでもないし、他の人が認識できないものを自分の中でこれは満たされてるって言ったところでさ、目に見えないものじゃないですか。
要するに自分しか水が見えない買ったときにさ、この容器の中はね、水でいっぱいだって言ったって、他の人は水見えてないんだから、水いっぱいかどうかわかりませんみたいな。うーん、なんかすごい抽象的な話をしてるんだけど、なんか、なんかそういうことを思ったんですよね。そうそうそう。だから、なんていうのかな。
なんかこう空っぽって思ってていいというか、うーん、むしろなんかその空っぽであるからこそそれは容器であって容量であって、いわゆるそのスマホのギガがさ、あの余ってる状態だよね。
これなんかすごい面白いなって思ったのが、スマホのさ、ストレージ、iPhoneとかのそのどれぐらい写真とか動画をあと保存できるかっていうそのあるじゃん。ね、128とか256?あと512ギガバイト。多い人だったら1テラとか多分ストレージがあると思うんだけど、それがびったびたに満杯になってるとさ、めっちゃ嬉しいかって言うとどうですか?あんま嬉しくないよね。飽きがないと嫌じゃない?
嫌だよね。うわ、また動画消さないといけないとか、またパンパンなっちゃったとか、最近動画編集してるからさ、すぐなんかディスク容量が足りませんとかって、あのマルチカムクリップとかね、3つぐらいの4Kの動画を読み込んでやろうとするとね、それを1回最適化メディアにしないといけないから全然ディスク容量が足りなくなるんですよ。
元の素材のギガバイトのなんかね、2.5倍ぐらい多分かかっちゃうのかな。全然足りないから、あのMacBook Pro1テラぐらい積んでんだけど、もういつも消してる。消してて、あ、よしよし、500ギガバイトぐらいまで減ったとかって。減れば減るほど嬉しいっていう感覚がそこにはあるよね、ストレージの問題。
でも面白くない?でも人生はさ、いろんなことやっていろんなことできたって思って、あれができたこれができたっていろんな記憶があった方が僕らは充実したって思うし、逆にいろんな思い出とか記憶とか記録とかがなくて、空っぽだなと思ったら自分はなんて人生空っぽなんだと思うけど、スマホに関しては空っぽの方が嬉しいじゃん。
ってことは案外なんか諸行無常で全部移り変わるし、完全なものはないし、実体的なものはないし、みんなが同一に認識できるものはなんてないから、なんかそういうふうに満たされるみたいなことはまずそもそもないっていうふうに考えて、むしろだからこそずっと空きがあって、常に容量があるスマホとかパソコンなんだというふうに人生思ったら、
なんかちょっと変わりませんか?なんかメンタルがこう、あ、そっか、スマホの容量めっちゃ空いてるデバイスなんだ、自分の人生で。もっといろんなこと入れられる?うーん、それってすごいことだよね。スマホには限界あるじゃん。もうどんなに入れようと思っても、128GB以上のものは入れられないわけ。外部ストレージを取らないといけない。
でも、人生で外部ストレージなんてないわけ。他の人に覚えてもらうなんて無理なわけですよ。自分が経験したことがそこに集約されるからってことは、どんどんどんどん忘れていったり、どんどんどんどんそれをしたことを覚えてないというか、それ自分でも覚えてないし、他の人もどんどん忘れられていく。
そういうルールになっているっていうのは、物理法則というか人間の精神法則も含めて、脳の構造も含めて、忘れられるからいいんだよね。僕ら幸せなわけですよ。じゃないと怪我した時の痛みとか記憶がずっと残っちゃうでしょ。
それが本当に残ってしまうことが、今はトラウマっていう症状になっているわけで、そんなトラウマ少ない方がいいわけじゃないですか。そう考えたら空っぽな人生っていうのはものすごく可能性であるし、それがデフォルトで正しい状態。
明らかに見た状態ですよね。ちゃんと正しく如実知見した状態っていうのがまさにその空っぽな人生。だから何が言いたいかというと空っぽな人生でいいんだっていうかね。それで合ってるっていうか、むしろそれ以外ないっていうふうに思うと、最近何かできてないな、これができてないなって思ってしまうのはしょうがないんだけど、でもそれがデフォルトなんだよねって。
だから空きがあるんだからいろんなものをそこにポンポンポンポン入れられると。だからちょっとゆっくり寝てご飯食べて元気になったらまたやりたいことをやればいいよねというふうに思えるんじゃないかなと自分自身に言っております。
ということで、土曜日なので本当に緩い話ですけど、もし誰か1人の参考になったらいいなと思って、自分が聞くので自分の1人の参考になるかもしれないけど、あんまり整理できた話じゃなかったかもしれないけど、聞いていただいてありがとうございました。この後も心地いい時間を過ごしてください。バイバイ。
11:19

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