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  2. 新・小農論 第2回 宇陀オーガ..
2025-10-20 59:59

新・小農論 第2回 宇陀オーガニックビレッジフェスと時代を越える農業論

宇陀オーガニックビレッジフェス2025

日時:11月22日(土) -

場所:奈良かえでの里ひらら

https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000039-I782784



サマリー

このエピソードでは、奈良県宇田市で行われるオーガニックビレッジフェスに関する詳細やレタスの生産についての話が展開されます。このフェスでは、有機農業の魅力や地産地消の取り組みが紹介され、地域の農業の未来を考えるワークショップが行われる予定です。宇陀オーガニックビレッジフェスを通じて、農業の歴史や地域の記憶、新たな挑戦について語られます。特に、農業の深い魅力とその難しさ、地域経済の未来に関する考察がなされるエピソードです。宇陀オーガニックビレッジフェスでは、有機農業の現状と地域コミュニティの重要性が掘り下げられます。このエピソードでは、過去の農業の遺産や未来の農業の可能性について紹介され、新規収納者たちの挑戦が取り上げられます。宇陀オーガニックビレッジフェスでは、地域が盛り上がりを見せ、世代を超えた交流が生まれています。参加者たちは有機農業や地域の魅力について学び合うことにより、農業技術の向上に寄与することが期待されています。

宇田オーガニックビレッジフェスの紹介
大地と人をつなげる、植をつくる、農について、そこに関わる人々の声を聞く、小農ラジオポッドキャストのシリーズ、新小農論。
今日のゲストは、ハンサムガーデンの久保さんと松田さんに来てもらっています。どうもこんばんは。
こんばんは。
ということで、新小農論第2回なんですけども、今回はですね、僕が最近ずっと喋っているレタスですね。レタスの生産、栽培について今、教わっているですね、奈良県のハンサムガーデンのお二人に来ていただきました。
簡単にちょっと自己紹介をしつつ、ちょっと今日は宣伝も兼ねて来てもらっているんですけども、先に松田さんから自己紹介してもらっていいですか。
ハンサムガーデンの農場長、松田真由子です。
今日のラジオは2回目?
2回目かな。アグリミュージックからね。
3回目かな。
アグリミュージックも出させてもらって、小農ラジ、土壌移検定の会で江田さんと一緒に出させてもらって。
そうですよね。
収録は今回3回目ということで、奈良の宇田市で、高校がだいたい300メートルぐらい、春高齢児って言われるとこで、1年中非欠給のレタスを、その後出てくる代表のクボとお二人で作ってます。
分析はだいたい400メートルぐらい。
すごい。
ほぼ全名、ゆうき、じゃす、とく、のうち。
かなり特殊ですよね。
特殊だと思う。
観光で一人、インスタでつながってる仙台の農家が、1周年作ってる。
それ以外は聞いたことがない。
4ヘクタールっていう時点で、小農というのかどうかよく分からないんですけども、小農で初めて今そういう風になってるってあたりも今日は聞きたいと思ってるんですけども、宣伝したいことがあるということなんですけども、いいですか、宣伝してもらって。
はい。ゆうちゃんがいる岐阜県白川町もそうなんですけど、私たちが農業をやってる奈良県宇田市は日本で初めてオーガニックビレッジ宣言をした町になっていて、今年もオーガニックビレッジフェスというのを今年3回目で開催します。
開催は、はい。
11月の22日土曜日、10時、朝10時から夕方16時までになってます。
今回は、幾何年ぐらいかな、木造2階建て校舎があって、宇田市に。学校としては使ってないんだけど、そこを会場にして、ワンデイカレッジをコンセプトに農家が学べる企画をやる予定です。
農業のリアルと有機農業の魅力
いや、僕もすごい来たかったんですけども、この日ちょっと用事があって行けないんですが、カレッジっていうぐらいだから、どんな感じの話をするんですか?
1限目、2限目、3限目。
授業だ。
授業なんだけど、一応双方向のやりとりがメイン。
1限目は、農で暮らすリアルを学べるということで、近畿就農者、有権若手、ベテラン農業者を相談してもらって、農業経営についてのあれこれを掘り下げていくと。
どこで失敗したとか、どこでうまくいったとか、ここで苦労した。
特に、やっぱこれから農業やりたい人に聞いてもらえると、農業のイメージ、自分が営農するイメージみたいなものをつかんでもらえるんじゃないかな。
なるほど。
松田のおすすめは2限目。
はい、2限目は。
これは、有機農業の魅力に気づくってことで、給食センターのスタッフさんが出てくるんですよ。
おー。
福田市の地産地消率って、江戸市の一学期47%だったかな、48%だったかな。
すごいんじゃない?めちゃくちゃ高い。
半分じゃん。
全国的にとも、そうそう珍しいと思うんですけど。
へー。
で、それをどうやって実現したかっていうことを、今回掘り下げれるんじゃないかなと思ってます。
はい。3限目はじゃあ何を?
3限目は未来へのビジョン育むっていうことで、みんなで寄ってワークショップ。
農業から広がる、これからのウダの可能性みたいなものを、地元の農家も含め、みんなで考えるというアニマル。
地域の農業の未来
すごい、さすが全国初のオーガニックビレッジだけあって、マジでいいことやりますね。
白川町もオーガニックビレッジしたんだけど、白川町は割と反の反X的な農業が多くて、
ウダは山口農園とか、類農園とか、ハンサムガーデンもそうだし、他にも結構生産力のある農家がたくさんいるなっていうイメージがあるんですけど、やっぱりそんな感じじゃないですか、ウダは。
経済でいくと21、個人農家も含め、販売農家は21件あります。
これはもう奈良県、ウダ州、奈良県の中ではダントツ。
多分全国的に見てもかなり珍しいんじゃないかな。
いやーすごい多いな。
ほとんどがハウス農家。
そっかそっか、ハウスが多いんだ、やっぱり。
今日はですね、このウダオーガニックビレッジフェスですね。
もう一回言うと、11月22日土曜日、10時から16時。
開催場所は奈良、楓の里、平良。
ここにその校舎があるの?廃校の校舎が。
あります。
そこでやるということで、
A4密折りのパンフレットみたいなの、
創刊号とかボリューム2号とかも手元にあるんですけど、
これチラッと今見ててもとっても面白そうなフェスなので、
じゃあ来てほしいのは農家と、
あと自治体とかも見学ぜひ来てほしいみたいな感じ?
ぜひぜひ。
そうですね。
給食のところは聞いてほしいな。
あとはやっぱウダで農業やりたい。
いいな。
ここならチャレンジできるんじゃないかって思ってくれたら嬉しいな。
ちょっと庄野ラジオをそのまま取材的に行きたかったわ。
残念。
とても面白そうなんで、
ぜひあと1ヶ月後ぐらいに行ってほしいなと思います。
ということで宣伝でした。
今日はですね、そのウダでレタスを作っている
ハンサムガーデンの松田さんとばっかり今まで話してたんですけど、
今日は久保さんにいっぱい話してもらおうと思ってます。
じゃあ久保さんも自己紹介簡単にお願いしていいでしょうか。
今ご紹介預かりました。
ハンサムガーデンの久保と申します。
NPO法人で農業を始めまして、今株式会社もあり、
NPO法人ハンサムガーデンと株式会社ハンサムガーデンの2つを
運営経営しているという状態です。
収納で17年目。2008年に京都の大原桃井町というところで農業を始めまして、
その4年後に収納して4年目に奈良県のウダ市に参りまして、
レタスの生産を開始。
最初は徐々に会社の子会社を立ち上げてウダに来たんですが、
2年半、3年ですね。
およそめどがついたってこともあって、
いよいよ自分の農業を京都に戻るかどうかっていうところで、
ウダでレタスの生産を始めて、今7年目になるかなというところです。
よろしくお願いします。
ちなみに7年前って面積どれくらいから始めたんですか?
一番最初は一旦3世ですね。
じゃあ参考になります。
桃井は色々言いつつ、レタスは今年それこそ一旦5世ぐらいなんで、
ここからなんですね。
じゃあちょっとその前の話も色々と聞いているんですけど、
今日はレタスの話ということで色々聞きたいんですけど、
まず何でレタスをやろうと思ったんですか?
4つぐらい理由があったんですよ、整理すると。
1つ目はまず相性が良かったんですね。
相性大事ですね。
自分で作ってみた野菜の中でことのほか良くできる。
2つ目は、1年中売り上げを上げる農業というのを、
深速最初考えたんですよ。
安定して収入になる作物は何だっていうことですね。
そんなときにたまたまなんですけど、
トップリバーさんが、長野にあるでっかい大百姓ですね、レタスの。
台湾に輸出を始めるというニュースが流れてきて、
日本からレタスを輸出できる農家がいるんだ、というところで、
レタスに興味を持ったっていうところですね。
あとは有機栽培で作れる産品だなというところが、
やっぱり一番大きい理由かもしれないですね。
どういう意味で有機で作れるっていうのがあったんですか。
そうですね。
僕が農業の修行を師匠筋に当たる方っていうのは、
京都でナスの大化なんですね。
染料ナスはご存知のとおり夏の作物なんですが、
一年中採れないですね。
そのほかに、例えばスイカなんかをやろうとすると、
これ有機でやるのはやっぱりかなり難しい。
自分が好きな作物で安定して作れる作物というので、
有機栽培が可能なものというと、
かなり絞られちゃうんじゃないかなというふうに思っていました。
結構有機でる場合って、品目組み合わせるパターンがわりと多いと思うんですよね。
だけど、やっぱり一つに絞ったのは何か理由あるんですか。
一年中売り上げが上げられるっていうのもあるけど、
結構組み合わせる人が多いと思うんですけども。
一個でやりたかったんですか。何かあるんですか。
僕の農業の15年を、
7年前だから、いつだ。
結局2013年、4年の頃に、
どうするというタイミングだったんですよ。
いよいよ、いろんなところからスポンサードを受けてたところから外れて、
自分の農業をやるんだけども。
自分の周りを見ると、結構みんな他品目栽培で林作体系というところに
必ずみんな行くんですが、
残念ながら僕の周りでそれがうまくいってる人たちはそんなに多くなかった。
そうなんですか。
ちょっとそこを結構聞きたいんだけど、
なんでその人たちがうまくいかなかったんだと思います。
取引先が、どうしてもショロッと扱ってくれるところに限られちゃうんですよね。
そこで、15年の自分が残された農業人生と考えたんですか、当時。
そこまでに次の世代に渡す。
そもそもハンサムガーデンっていうのは、
最初からすべてが借り物で、
すべての借り物を、人間関係やエコシステムを、次の誰かに次いでいく。
っていうことがミッションだったんですよ。
なんでそう思ったんですか。最初から。
今僕全然そんな気持ちなくやってますけども。
僕、平成元年に青色申告を届けで出したんです。
で、そこからずっと小秋内で降ってきたわけですね。
一番最初、電気メーカーを務めるんですが、結局そこ出てから、
エンジニアリングの受け負いであれ、
いろんなことやったんですが、ほんと商売買いが多かったんですよ。
いろんな商売やりました。
商売で一番足りんもんっていうのはなんだと思いますか。
なんだろうな。
これは海外で僕が勤めた会社で、ものすごく厳しく指導してくれたおっしょさんがいるんですが、
松井孫さんっていう人が、何しろ商売で、世界のいかなるビジネスでも、
最も足りないのは客だと言われたんですよ。
客なくして続かぬのだと。
で、そこを見渡した時にですね、
僕いろんな商売買いをしました。
翻訳もやり、エンジニアリングもやり。
いろいろやってるんですよね。
いろいろやりました。レコードの会社もやりました。
それをいろいろやってきた中で、レンズの設計だとかいろんなこともやったんですけど、
どのシチュエーションでも、やっぱりね、お客さんなんですよ。
いかに探客というか、探査の探客とかで探客と言いますが、
お客を見つけるかっていうところに、
遠藤修作がですね、コリアン先生の本の中で、
散髪屋と料理人は食いパグれないというコメントがあって、
あ、そうか。
普遍的な需要があるなりわいは必ずついていけると。
で、そこに自分の時間を使って培ったノウハウが、
その先を継ぐ誰かの役に立つんじゃないか。
それが農業に入ったときに、
この風光明媚な里山を生み出す価値を、
僕らがちゃんとなりわいにできたら、
この里山は過疎しないで続くんじゃないか。
と思ったわけですよ。
農業への転機
ちょっと前の経歴聞くと、
エンジニアやったりガイドやったり、
いろんなことやってますけど、
そこから結構大きな方向転換じゃないですか。
その里山とか次世代につなげていきたいみたいな。
なんかそういう心境の変化は何があったんですか。
34から42ぐらいまでですね。
結構いい目したんですよ。
いい目を、はい。
世代的にそういう世代なのかな、やっぱり。
いや、というかバブルではなくて。
そういうわけじゃなくて。
バブルのあった後ですね。
1996年から2003年、2004年ぐらいまで、
ITの絡みで、
なんで儲かってるかわからんかったですね。
たまたまそういう谷にいたっていうことだったんですが、
そのときに、だいたい週4日か5日ゴルフ行ってるわけですよ。
それでもサーバーがチャリンチャリン。
もう稼いでくれてた時代があった。
なるほど。
3人で10億ぐらいやってたわけなんですが、
全くなぜ儲かってるのかがわからなかったんですよ。
あるとき、ホットワイヤーっていう会社だったんですが、
インターネットのホテルの予約を取るサービスということでやってたら、
あるときシカゴから電話がかかってきてですね、
ネホリハホリ聞くおっさんがいたんですよ。流暢な日本語を話す外人が。
どこにいるんだって言ったら、シカゴだって言うから、
10分ぐらいいろんな話を聞かれてですね、
何の用やって言ったら、
私どものクライアントがあなたの会社に興味を持っているんだと。
クライアントって誰なんだと。
っていう話になったときに、向こうにホットワイヤー.comという上場企業があったんですよ。
日本に進出したいんだけども、
ホットワイヤー.co.jpでドメインをあんた取ってるし、
投票も取ってるし、同じ商売をやってるし。
何なんだこいつらはと。話になってるんだわと。
我々があなたのビジネスを加速できることはないかみたいな話が出てですね、
いろいろ盛り上がったんですよ。
要は売れという話ですわね。
今思えば売っちまえばよかったんですが、
だってご機嫌な暮らしがあるわけで、みんな好きなことができてですね、スタッフが。
2,30軒の広告代理店がどんどんウェブは作ってくれて、
こっちはなんか儲かってるよねと。
そんなご機嫌な環境を売るつもりが全くなかったんだけど、
そこから3年で、実はホットワイヤーは一気に業界からリタイアせなきゃいけないようなぐらい、
楽天トラベルっていうのが出てきたんですよ。
すごい強豪が出てきましたね。
ひたち造船がやってた旅の窓口という、
それを楽天が買い取って楽天トラベルにしちゃったんですよ。
そうなるといきなり不都合がたくさん出てですね。
ああ、これは英語精髄、あまりいい思い出は長く続かんなと。
売っときゃよかったなみたいな話ですね。
というか、一応こっちはかなりそこに心血を注いだつもりでいたわけなんだけども、
ビジネスモデルっていうのは陳腐化すると長続きせんなと。
そこをやってる中で、旅行会社らしいことやろうよと。
旅行会社の免許下ろしたんで旅行会社らしいことやろうということで、
スイカの収穫体験とかですね。
そこで農業なんだ。
大阪でブドウ摘んでワイン作るとかいろんなことやったわけですわ。
体験ものをいろいろやる中で、ホテルに解眠部屋を作るとかいろいろやったんですが、
そんな中で、農業だけがやたら参加者が疲弊してるんですね。
参加者っていうのは?
参加者っていうのは、いわゆるサービスを我々に提供してくれる。
南海電車笑うツアーっていうのがあったとしたら、南海電車すごくご機嫌なわけですよ。
それはつまり農家ってことですね。
そう。
で、なんでこんなに見るからに辛いし痛々しいんや、痛ましいんやというのがですね、心に引っかかって。
だんだんと売上が落ちていって面白くないけど、まあ資産はある状況だったんで。
どうしようかと。
当時の政務に任してですね、いろいろ農業見に行ってくるわとなったんですよ。
そこから今に至ると。
農業の学び
そんな感じですね。
いやー、よくそんなにご機嫌だった時代から、だんだん楽天が出てきたことで、ちょっと調子を崩したとはいえ、農業やろうと思いましたね、そこから。
あの、ここはまさに、俺だったらなんとかできるんじゃないかっていう思い上がりがあったわけですね。
今だったらこれは大きな勘違いなんだけど、特にさして若くはなかったですが、やっぱりね、この思い上がりとうのぼれは一つの資質だと思いますね、商売やる人間の。
まあでも大事ですよね。
それぐらいな気持ちを持って、最初来て、だいたい打ちのめされるんだけど。
そんな感じでスタートしましたね。
でも、単純に勇気でやろうってのは最初から思ってたわけですか。
いや、中華ね。そこはどうでもよかったんです。
ああ、そうなんだ。
今もなんで勇気をやってるのかっていうのをよく聞かれるし、自分でも整理をしてるんですが、
一番大きい理由は、僕が最初に農業を習いに行った人が、勇気の人だったっていうだけだったと思います。
なるほど。
こうやってこうやって、ここを観察するんだよと。
今、こかぶが栄養を欲しがってるのがわかるか?
この葉っぱを見てわかるか?みたいな観察が、すごかった。
その師匠のお客さんに、徳岡さんっていう京都の嵐山のちょっと有名なお店の料理長がおられて、
徳岡さんがナスを師匠のところに買いに来るわけなんですが、
自分とこの追い回しっていうか、スタッフ連れてですね。
で、「先週のナス、肥料買いました?」っていうのがポンと出るんですよ。
で、「わかったかー?」みたいなことを師匠は言うんですけど。
かっこいい。
で、「教えてください。何を変えたんですか?」って言うと、
魚カスをみかきにしんに変えたんや。
なんかだし変えたら汁の味が変わるみたいな感じで。
そうなんですよ。
カツオじゃなくてみかきにしんになったら味が違うと。
で、「わかったかいなー?」みたいなことの会話があったときに、
すんげー、これって何を言ってるのかさっぱりわかんないんだけどと。
でね、みかきにしんって肥料でむちゃくちゃ高いんですよ。
あーそうなんですか。
で、今もう入ってこないんじゃないかなー。
聞いたことないなー。
今はフィッシュソリューブルとかっていろいろ混ざってますしね。
ソリューブルねー。
何なんだろうね。
その頃から窒素・リン酸・カリウムというのをもう一度学び出したんですけども。
そこからめくるめく土の中の不思議にはまっていったっていう感じですかね。
なるほど。たまたまだったのかもしれないけど、
なんかそういう深みというか面白さみたいなのは、
僕は未だに結城の方がそこらへん深そうだなーと思ってるんだけど、
まあ面白かったわけですね。
宇陀の未来
面白かった。面白かったねー。
で、さっき言ってた多品目ではなくて、
やっぱり専門にいったっていうのはやっぱりある程度ロットを増やして、
取引先をちゃんと、つまりお客さんをちゃんと捕まえるっていうか、
ずっと付き合えるお客さんを捕まえるっていうのも考えると、
やっぱ単一作物でレタスっていうことだったんですね。
そうですね。
量を出す、スケール化していくっていうところが、
生き残りの必須条件じゃないかと思ったわけです。
これは聞いてる庄農たちは今耳が痛いと思いますよみんな。
アーリステージっていうか、僕も最初の頃ですね、
一生懸命営業電話をかけて会ってもらえるのは、
こっちもそう思考したからなんだけど、
飲食店ばっかりに営業かけたわけですよ。
飲食店でもっと入れとかいう感じで付き合いが出るところと、
やり出していくとですね、
1回の請求書が8,000円から3万円ぐらいの間なわけですね。
月の請求書が。
これって、1,000万円に持っていくにはっていうのを考えた時に。
やらなきゃならないだろうって感じですよね。
どんだけやらなあかんやろうと。
なので定点観測を始めたわけですよ。
スーパーマーケット自然食品店。
で、あと儲かってる飲食店のメニューですね。
何を野菜でどんだけ消費してるんだ、米を除いて。
と思っていたら、
共通してたのは、
必ずレタスが使われるんですね。
サラダ付き合わせに使われると。
考えれば、ホテルの取引400件あるじゃんと。
これみんな朝食にレタス使っとるわなと。
今取引がついでちゃったけど、仲の良かった人たちはいるわけで、
営業行きやすいんじゃないか。
っていうのも思ったところでしたね。
そこからどんどん増やしていって、今や400体ある。
はい、400体あるですね。50トン。
いやーすごいな。
僕が今どうだ?1週間で、
全然300とか400ぐらいしか出してないから、
60キロもないか。400だと、
0.2だと、何キロですか。
60キロぐらいかな?
そんなもんですよね。
でももういっぱいいっぱいなんですけども、
この間ちょっとハンサムガーデンの方に1日研修させてもらいに行ったんですけども、
1日にまだどれぐらい取ってるんでしたっけ?この間の朝で。
あれで1200株か1000株か、その辺りだったんじゃないですか。
もうヘッドランプつけてね。早朝から収穫したんですけども。
いやーすごいな。
レタス結構ポテンシャルあるな、可能性あるなとすごく感じてるんですよ、今僕も。
これ聞いて始める人がいたら困るな。
これやれるもんならやってみろですよ。
思いませんか?
僕も結構相性がいいなっていうか、
計画して苗作ったりするのも好きなんで、苗作ってそれを植えてきっちりキチキチと出していくっていうので、
種まいて苗植えてある程度したらパッと出てくるじゃないですか。
火災類とか楽しいんだけど、たぶんね、
うちの妻に言われたんですけど、あなたには合ってないって言われて、
やっぱそうなのか。なんかちょっと薄々そんな気はしてたけど、と思ったけど。
久保さんなんかたぶんそこらへん相性いいんでしょうね。
そうですね。
ちょっといろいろ縁あって、宇田に来たんだと思うんですけども、
もうちょっとあそこの里山とかのお話もしたいし、
なんかその周りにいる庄野とかの話もちょっとしていきたいんですけども、
宇田って結構里山ですよね、ほんと。この間も行きましたけど。
そう思っていただけると嬉しくて。
まさにね、高谷さんも白川町が気に入って、
そこでなりわいを始められたじゃないですか。
で、宇田の風光明媚なところ。
いいところですね、確かに。
いいところなんですよ。
そこも消滅下の自治体なんだけど、宇田も。
もう20年たつとたぶんなくなるんですが、
誰か住んでるかもしれないんだけども、今の2万8千人みたいな人口は維持できない。
でも産業としてそこにあった土地の記憶みたいなものは、
なんか刻めるんじゃないかな。
大日本特農家名館って知ってますか。
知らないです。
はい。国会図書館で閲覧できるんですけど。
そんなのあるんだ。
宇陀の農業の歴史
明治43年と45年に返産事業がされるんですが、
日本中の特農家の名簿が編集されるんですよ。
今の毎年出てるとかそういうわけじゃないですよね。
でも明治天皇が指示を出して、編集されたという。
そんなのがあるんだ。
だから白川町も調べると、当時の豪農というか商屋の名前が載ってたりして、
それが今残ってたりするわけですよ。
その孫族や子孫が。
地域に農業をやってたりするケースが多くて。
戦後の農業の農事界って変わったんだけども、
やっぱり実力者としてその土地に残られた元々の商屋さんというか、
それこそ昔の硝煙をやってたような人たちの代々というのは、
やはりその土地に刻まれた何かがあって、
それが残るんだなーっていうのが面白くて。
だからそこらあたりが、もしかすると、
それこそ100年後とかね。
僕らはもう生きてないんだけど。
大日本特農家メーカーに乗って100年後に。
次の天皇が号令をかけて閉山事業が行われるかもしれないですね。
でも、宇田にはそういうのかがいたんですね。
おられます。
一番最初に宇田で仲良くさせてもらった、
八田ガラス神社という神社があるんですが、
宇治湖総大の森階さんっていうのは、やっぱり名前が残ってる。
大日本特農家メーカーに池上というところで、
池上村だったかな。森階さんのお名前があって、
大体農家のご一族ですな。
土地とか気候とか、
あと都市にも近かったりとかするじゃないですか、ある程度。
なんかいろんな意味で便利だし、
栄えたというか農業が盛り上がったんでしょうね、その地域は。
農業といろんな産業がたぶん、
明治のころとか、
だいたいあれじゃないですか、
江戸時代の後半なんで、
それこそハゲ山だらけで燃料を山からどんどん切り出してですね。
薪をね。
薪を燃やしちゃってたから、六甲山なんてハゲ山だったんですから。
本当に山を完全にハゲ山になるまで全部使い切ってたって言いますもんね。
ねえ。そこを植林して今に至るわけなんですけども、
山守さんが宇田は残ってるんですね。
残ってるっていうか、地主さんですね。
そのあたりも面白い文化かなと思いますね。
山の収入があって、比較的僕が収納した京都なんかに比べると、
やっぱりね、皆さん裕福ですわ。
こっちも山いっぱいあって植林がいっぱいしてあるんですけど、なかなか。
もう早い。
いやもう本当ちょっとね、やっぱり。
同じ里山とはいっても、白川と宇田は結構違う感じでしたもんね。
白川のほうがちょっと旧春というか、谷が狭いですよね。
山の木の集めたりとか切ったりする効率もそっちのほうがいいんだろうなという感じはしましたね。
確かに。
で、ちょっと庄野の話なんですけど、宇田は今もさっき20何件ぐらいのほうがいるって言ってましたけど、
ちょっと大きいところもありつつ、本当にまだ小さい。
新規収納者とかも結構いるんですか。
いくつか大きいお百姓さんがおられて、
宇田の農業産出額の実は8割が有機農業なんですね。
おーすごいですね。
約3.2億円かな、昨年度で。
大きい農業法人で修行をして、宇田で収納を独立する小さい農家の子たちがそこそこいます。
そういうコミュニティとして、大きな農園だったり、ハンサムガーデンだったり、新規収納者、
コミュニティの役割
こういう話をしたりする機会ってよくあったりするんですか。
3年ぐらい前まで結構そこを積極的に声を求めていろんなことをやったんですけど、
もう僕が彼らと同じような悩みがあるわけじゃないなーというところに。
ステージが違いますからね。
偉そうに聞こえるんですけど、
この彼らの孤独や悩みをわかってあげて、
いいようにしてあげられる政策っていうか、もっと簡単にいいですね。
幸せにしてあげられる方法って何があるんだろうね。
というのをつらつらとこの3年ぐらい考えるわけですよ。
頑張って結婚したけど離婚しちゃったりとかですね。
落ち込んだけどもう一回農業で頑張って、
嫁と子供をもう一回読み戻すんだなんて言ってるやつもいるし、
いやー農業はこんなもんでしょーって言ってる人もいるし、
いろんなのがいるんだけど、
50年とか100年前の大日本特農家メーカーを見るたびにですね、
そこに残していけるのってどういうアプローチなんだろうと思ったんですよ。
たとえばね、ジョン・ピアポントって知ってますか。
いや知らないです。
ジョン・ピアポント、ペンシルベニアの方で、
もともと新学校出て自由軍牧師になって、
アメリカ第一次世界大戦の頃の人です。
あんまり大した成績というか、いいビジネスもせず、
最後は図書館の司書で、ペンステルとかどっかの図書館の森をして亡くなるんですが、
彼はみんなをキリスト教の世界で、
もう日本人も含めて幸せにしたんですよ。
あなたも知ってる偉大な仕事をした。
自分が雪の降るシカゴの丘を剃りで滑り降りる気持ちを歌にしたんです。
彼はジングルベル、ジングルベル、ジングルを作曲したわけですよ。
知らなかったです。
これは偉大な功績ですよね。
僕ら救われたときもあるじゃないですか。
クリスマスかって思えたじゃないですか。
そんな偶然なのかわからないけど、自分たちが楽しいと思ったことが、
衝動で、僕たちが一生懸命やってきて、
これがどう言ったらいいかな、楽しいんだよねみたいなのがですね、
作れて記録に残せたら、僕は100年残る気がするんですよ。
たかやさんも白川長楽しいじゃないですか。
どうじゃこうじゃ言ってもね、結局その人、確かに僕も言うことないなと思うんだよな。
せめて楽しくやってほしいなと思います。
そう。楽しくやってるでしょ。
なんで楽しいの?っていうのを、
当時のITの関係や大阪市の産業創造館っていう経済占領局の外閣団体があって、
そこでコンサルなんかをやってたんで、
そのときの仲間も、「続いてるね農業と。なんでやってんの?」
と言われたときに、
しょぼいんだけど楽しいんだよね。
最高じゃないですか。
そうなのよ。
レタスはさ、できてくるしさ。
これを誰かに伝えると、ひょっとすると、
このそれぞれの里山に誰かがやってくる。
で、それがもしかしたらハンサムガーデンの役割かなって思うんですよ。
相性とかってさっき話も出ましたけど、
それぞれ楽しさを見出すのって、いろんな方法とかやり方があると思うんですよ。
少量多品目で、たまになんかそれですごくうまく、
スケール感と一致すれば意外と楽しくやってる人もいるなと思うんだけど、
僕はちょっとなんか結構きついなと思ってて、
もうちょっとやめようと思ってるんですけども。
楽しそうにやってる人たちいる里山ってすごい良いですよね。
未来の農業に向けて
そういう人がいるところって本当に、
未来あるなって感じしますよね。
そうそう、未来あるんですよ。
みんなが辛そうにしてるような、
地理品な感じのところって本当なんか辛くなっちゃう。
なんかね、それをやるべくしてやってんじゃないかな。
なんかあれですね、じゃあ、
宇田はいい感じのそういうループというか、
場が盛り上がってる感じがあるんですね。
仕掛けが、いろいろ仕掛けられるところに来たかなっていう感じでしょうか。
それはやっぱいろんなプレイヤーが揃って、
やっぱ本当にその地域で一番最初の人ってもう全然違う心持ちだったろうなと思うんだけど。
そうそうそう。
今から有機というか農業をやる人っていうのはまたちょっとね、
その一番最初の人とは全然違う、
楽って言うとあれだけども、
ある程度こう気づいてる中でもっともっと楽しいことできるようになると思うと、
それって久保さんがやってきたおかげでみたいなのもあるし、
残っていくでしょうね、そういうのって。
変わってたね、あの人で終わるんだけど。
みんなそうですよね。
フランクザッパっていうミュージシャンがいたんですか?
知ってます。フランクナッパを先に知ってしまいましたけど。
フランクナッパも知ってるんだ。
ちょっとずっといろいろ吹き込まれます。
めちゃくちゃ面白いじゃないですか。
面白いですね。
わからねえと思ったけど、
ナッパさんってみんなが呼ぶんだけど、
フランクナッパのいいよね。
いいですよね。
ああいうのって文化みたいになってきてるのが、
すげえなと思うんですけど、
うだってもうそういう感じになりつつありますよね。
文化って言うとちょっと大げさだけど。
ああいう超でかい農園があって、
そこから排出された若い人がまたいろいろ始めていって、
すんごい面白そうだなと思います。
中からはまだまだそうは見えなくて、
まだ京都時代の古い仲間を振り返ると、
向こうの方が文化復育たることやっとるなあって気はするんだけど、
どうだろうね。
うだねえ。
仕掛けていけるネタがちょっと広がってきた感じがしますね。
ですって松田さん。
どうですか?
まさしく。
瞑想してる。
どう?
富豪さんは有機農業第2世代じゃない?
いや、第3世代。
いやー、第2世代じゃないかな。
京都の師匠さんが第1世代だとしたら、そのお弟子さんは第2世代かな。
そういうことか。第2世代ね。
松田は第3、ゆーちゃんも多分第3になる。
それって何?有機農業っていう大きな流れの中での、
お笑い第何世代みたいなので言うと、第3世代ってことね。
今の20代が第4世代ぐらい。
その中で、富豪さんがうだで感じてる有機農業を取り巻く仲間たちと、
松田の周りの仲間たちはまたちょっと違うじゃないかな。
だから工夫の感じ方と松田の感じ方はちょっと違う。
違うよね。
どう?第3世代から見て、うだの今の状況とか、これから先っていうのは。
いや、ゆーちゃんもスタートするけど、土壌移植が始まるじゃない?
うん、始まる。
うだでも土壌移植を去年からスタートしてて、
去年は法人さんのメンバーが6、7人ぐらいかなと一緒にやってたけど、
今年は私よりちょい上の第2世代組も入り、50代よね。
それぞれの法人で経営してる人もいれば、農場長みたいな役割をしてるような人もいれば、
みんな20代戦士なの。
そういう人たちが、面白そうやんって言ってやってきて、
去年の過去問を解いてもらったのよね。
俺、全部間違えたとかさ、一問しか合わなくてとかさ、
面白い。
明らかにと。
で、それを楽しめる人が周りにいるっていうのは、
なんかこれ未来あるなー、楽しいよなーって思ったのよね。
なるほど、それ面白いな。
そこでさ、そこで自分はこうだからとか、
なんか、これを突っ跳ねるんじゃなくて、
土壌移植のセーキストを見て、
俺知らなかった、知らなかった、知らなかったって20年戦士たちが言うわけ。
なんか、それは本当、楽しいし嬉しいし、
次につながっていくなー、それを若い子たちが見るから、余計に。
またね、それが刺激になって。
だってそんな20年やってきた人たちがさ、
地域の盛り上がりと交流
あれ読んでちゃんとなんか、知識まで、経験だけじゃなくて、
得ちゃったらもうますます勝てなくなるから、
みんな焦っちゃうよね。
おいおいおいおい、つって。
でもなんか面白いな、そういう刺激与えあって、
地域が盛り上がっていってるみたいなのってすごいな。
だから参加してる若手が、20代、30代が、
もうちょっとでも彼らに、
彼らからノウハウを得ようとか知識を得ようとかと思って、
そこへやってくるという循環になりそうで、
これは地域全体で多分、私たちの農業技術が上がることになるので。
すごい。面白いなー、なんか盛り上がってますね。
これ絶対オーガニックビレッジフェス楽しいでしょう。
しかもなんかそれもね、1弦2弦3弦とかっつって、
またこうちょっと学びっぽい感じだし。
いやー、いいですね。
そうですね、時間もちょうどいい感じになってきたんですけど、
なんかあれだな、アグリミュージックを思い出すような、
今日は進行だったな。
久しぶりに僕は原稿もちょっとちゃんと作って、
今日はちゃんとやったんですが、
なんかすごく面白かったです。
宇田というオーガニックな街が、
いろんな世代がいたり、プレイヤーがいたりしつつも、
久保さんみたいな面白い人もいて、
非常に魅力的だなと思いましたし、
久保さんからちょっと経営の話ももう少しね、
久保さんがガンガン攻めていく営業の仕方が
僕全然できないので、
もうちょっと習いたいなと思ってますけども、
レタスのことは引き続きいろいろとご指導よろしくお願いします。
ぜひ。
広域産地連携をやりましょう。
そうですね。ちょっと標高高いんで、
なんとなくリレーできたりしたら面白いな、
なんていうのもちょっと思いますけども。
何か言いたいことありますか。
別な、ぜひオーガニックビレッジフェス来て、
その日、興味がある方はですね、
お寺で一泊安く泊まっていただけるように調整しますんで、
そこで宿棒に泊まって、
飲むもよし、話をするもよし。
いいですね。
皆さんのね、
有機農業と楽しい農業が、
ここが俺好きなんだよな、
をぜひ教えてもらいたいなと思います。
それはちょっと楽しそうですね。
俺はこういうとこが楽しいと思うんだよな、
みたいなのって、
たぶんそれぞれいろいろあると思うけど、
こういう話できるといいですね。
そうですね。
はい。
そんなウダオーガニックビレッジフェス、
もう一度、11月22日土曜日ですね、
奈良県宇田市の方で開催されますので、
ぜひお近くの方、興味ある方は行ってください。
感想なんかも聞かせてもらえると嬉しいです。
これちょっと勝手に思いついてたんですけど、
昇能ラジオ聞いてきたよって人いたら、
僕単純に嬉しいんで、
もし昇能ラジオ聞いていく人は、
久保さんか松田さんに、
昇能ラジオ聞いてきましたって言ったら、
僕はステッカー事例に送っておくんで、
いいですね。
昇能ラジオのステッカーがもらえるんで、
100枚ぐらい送っておきますわ。
ありがとうございます。
絶対そんなに来ないけど、
ちょっと送っておくんで、
ぜひ昇能ラジオきっかけで、
これ言ってもらえたら嬉しいなと思います。
わかりました。
イベントの案内と参加者への呼びかけ
はい、ということで、
今日はハンサムガーデンの、
久保さんと松田さんに来てもらいました。
今日はどうもありがとうございました。
お疲れ様でした。
ありがとうございました。
準備あと1ヶ月頑張ってください。
はい。失礼します。
さよなら。
59:59

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