おいしい 野菜と勇気を君に
はいどうも、有機農業系ポッドキャスト、小農ラジオです。 前回のですね、有機農業は観光農業より優れているのか、というファーマーズイングリッシュだったんですけど、
こちらがですね、非常にあの反響がありまして、コメントなどもたくさんいただきまして、どうもありがとうございます。 またこのコメントについては、ちょっとそのうち間音を拾おうと思うんですけども、
まあそんなね、ちょっと社会派の小農ラジオなんですけども、 今日は
先日行われた、令和の百姓一揆について、ちょっとお話ししたいと思って、ゲストを2人呼んでいます。
真央と田村さんです。どうも今日よろしくお願いします。 また来ちゃいました。真央です。
真央はね、はい皆さんわかると思うので、田村さん、はい。 ちょっと簡単に自己紹介の方お願いしていいですか。
はい、小農ラジオを聞きの皆さん、こんにちは。田村のりえと言います。 本業は大学教員で、研究者ですね。
食と農の研究者、持続可能な食と農の未来を探しております。
農業とか漁業とか林業とかの研究、特に社会科学的な制度とか政策とかの研究をしてますが、
えっとなんていうか、私は本を読んだり論文を読んだりして、いっぱい調べるタイプの研究者というよりは現場に出ていくタイプの研究者で、
研究活動の一環として、私京都府京都市に在住しておりますが、京都府下でですね、京都府の中でオーガニックを盛り上げようという運動をしている、
京都オーガニックアクションという団体もちょこっと手伝ったり、まあ手伝ったりというか、混ぜてもらったりしているという感じです。
京都オーガニックアクションというのは、京都の八百屋さんと有機農家さんが共同で物流を動かすという活動をしている団体なんですけれども、
ラジオもやってまして、京都、なんだっけ、忘れちゃった。ありがとうございます。
京都オーガニックラジオの聞き手をやってます。なぜ聞き手かというと、農家は忙しいので暇な勤め人が聞き手をやっているという感じですね。
よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
田村さん実はこの間、何回か前の京都オーガニックエキスポで会場で収録した回に、
実はもう1回ショーのラジオに出てもらっているんですけども。
驚きのタイミング。
あの京都オーガニックラジオっていうポッドキャストがすごく面白いんですよね。
京都ってやっぱなんかちょっと、何かな、やっぱちょっと独特な雰囲気というか、農家も、有機農家変な人ばっかりだから。
京都だけでもないと思いますよね。
八百屋文化みたいなのが京都があって、それがやっぱりすごく独自の文化だなと思って。
で、その中でやっぱりたくさんの小さな農家とたくさんの小さな八百屋をつなぐ流通を作ったのが京都オーガニックアクションなんですけども。
その京都オーガニックアクションをやっている京都オーガニックラジオですね。
これが非常に面白いので、ぜひ。
田村さんの出ている回もめちゃくちゃ面白いので、概要欄にリンクを貼っておくので。
ありがとうございます。
ぜひ皆さん聞いてください。
農畑で農家呼べないときに呼ばれて喋ってるっていう。
あとは聞き手を務めているという、そういう感じでやらせていただいております。
でも田村さんがやっぱりさっきちらっと言ってたように、フィールドワークをメインにやってるっていうので、
やっぱなんかこう、なんていうの、気上の、空論じゃないけど、
そういう座学的なことだけじゃなくて、現地に入ってて感じたことみたいなのが、
聞き手としてもやっぱりね、打てば響くみたいな感じがあって、そこがやっぱりすごい面白いですね。
ありがとうございます。
ということで、そんな2人をゲストに。
今日はこの間あったですね、令和の百姓一揆というのがあったんですけども、
これは何だったのかっていうような話をちょっと、僕がしたいなと思っててお呼びしました。
これ実際何だったのかということで、ちょっと今、僕ホームページ見てるんですけども、
クラファンのサイトを今見てますけども、
ちょっとざっくりとというか、この序文みたいなところだけ読みますね。
ますます厳しくなる異常気象で災害が次々に生じています。
また世界の状況は戦争に進んでいく中、輸送が止まれば食料自給率が低迷している中、
私たちは何を食べればいいのでしょうか。
かろうじて現在の食料自給率を維持してきた日本の農家も、
自給10円でそれでも頑張ってきましたが、もうこれ以上農業を続けられない状況にあります。
ヨーロッパやインドでは、農家がトラクターで高速道路を占拠したり、
国会周辺を包囲するなどして抗議を続け、
その声は確実に国民や政府を動かしています。
日本も今が正念場。
日本も食を守り、農業を守るため、
今一人一人が立ち上がらなければならない時です。
農と食の問題は命の問題。
歩いて更新のデモみたいなのをやったんですけども。
この公式のサイトには書いてないですけども、
求めたのは、ヨーロッパ並みの個別所得補償を求めるみたいなのが、
この令和の百姓一揆の目指してたところなのかなと思うんですけども。
時給10円っていう言葉がめっちゃバーンって出てて、
それキャッチなんだろうけどさ、
内訳とか知ってる?どういう意味?
これは僕もちょっと調べたんですけども、
納粹の稲作の統計みたいなので見ると、
1形態あたり平均作付面積約2.8ヘクタールとした時に、
1形態あたりの農業所収入が403万円で、
経費393万円を差し引いた農業所得が9.7万円だったと。
これを平均労働時間が年間1000時間ということで、
それで割ると時給が97円となって、
これは時給10円の年じゃなくて、
それよりもちょっと良くなった年の場合で97円で、
それよりもっと悪い時は時給10円だったみたいな、
ようなデータがあるみたいなんですよ。
これは1000時間というかだいぶ多いんじゃないかなという気はするんで。
1000時間ってどういう…。
1000時間もいるかな。3ヘクタールでしょ。
そんなにいらない気がするんだよな。
まあなとしても、要するにほとんど何も残らないって言ってるんだよね。
そう。
赤字にはなってないけどぴったりぐらいですみたいな。
だからすごい単純にこれを聞いて疑問に思うのは、
え、なのにどうして続けられるの?っていう。
その1万円しか年間に所得がない人がどうやって食いつなげるの?っていう。
どういうことなの?これ兼業農家さんとかそういう話なの?
だからもういろんな農家を全部ならした数字がこの数字なんだよね。
しかも1ケータイあたり2.8ヘクタールっていうのは、
まあそんなに大きくもなく、
どちらかというとわりと米農家にしては小規模な方で。
ちょっと解説的なことを言うと、
やっぱりお米って非常に特徴的なアイテムで、
お米の農家さんってすごい多様な人がいるんですよね。
自分の食べるために作ってるっていう人もいるし、
兼業で主な収入は農業以外のお仕事から得てて、
農業もやってるし販売もしてるけど、
それはメインの収入じゃないよっていう人もいるし、
お米で子供を大学にやってますみたいな農家さんもいて、
そういうのをギュッとまとめて割ってるんですよね、この10円って。
だからちょっと統計的には若干怪しいっていうか。
微妙だよね。
皆さんのお父さんとかお母さんとかで、
自分と家族の食べる分だけ作って回すみたいなのも、
統計上は米農家で上がってくるから、
それを全部入れちゃってるのは入れちゃってるんですよね。
だから農業、米稲作で食べていきますみたいな人だけだと、
こんなことにはなってないと思う。
なってないはずですよね。
でもそういう、いわゆる本当の意味で言うとおかしいけど、
私たちが思う、
お米でお作って農業をやって生計を立てていますっていう人の、
平均みたいなのを出して提示してほしかったなっていうのがあるかな。
そうだとすれば。
そうなんですよね。
それだったら別にそんなに高くないから、
そっちに出せばいいねって気はしますけどね。
確かにそんなに高くはないね。
僕はこの令和の百姓一揆っていうのが、
最初やるぞっていうようなのが盛り上がった時に、
結構冷ややかな目で見てたんですよ。
そうなんだ。
なぜ?
まあでもね、
それはどっちかというと、
なんかデモ的なもので何が変えられるんだろうみたいな感じの思いと、
なんかもっと他に解決できる方法があるんじゃないのかなと思ったから、
そんなトラクターでデモするの?というふうに思って、
結構多くの農家は割とこれに対して、
どちらかというとなんか冷ややかな感じで見てる人が多いような、
僕の周りではそういう人が多いなという印象を受けてて、
だけど当日は、
トラクターも何台くらい行ったのかわかんないけど、
結構テレビで見るとたくさん並んでたし、
何よりこう沿道には人が結構たくさんいて、
なんか応援というか、
共感してる人はすごいいるんだなと。
YouTubeに動画とか上がってるけどさ、
結構本当に頑張ってくださいみたいなの、
うちは?配ったのかなんかわかんないけど、
振って、
結構ちゃんと応援してる人がいっぱいいるんだと思ったよね。
孫なんかは、
どちらかというと、
消費者的な立場じゃない?米に関して言ったら特に。
これやるって聞いた時どういうふうに感じた?
やるっていうの全然知らなくて、
こういうものがありましたっていうのを見て、
ヘッとなって、
最初、一瞬、
え?なんだろう、あんまり良くないものをよぎりつつも、
だけど、ちょっと待てよと思って、
これは結構面白いことだなと。
だからアメリカに行った時にデモとか見てたし、
いいなと思ってたから、
こういうことやるのすごく大事なことだなと思っていたので、
日本ってあんまりないじゃん?よほどのことがないと。
デモとかね。
こういうことちゃんとやる人いるんだ、しかも農業でと思って、
それ自体はいいんじゃないかな、
そのアテンションを引くというか、
やっぱり今回ので、
あ、そうなの?っていうので注意を引いて、
そこから調べたりとか、
関心を持つっていうのはすごいあるんだろうなって思うし。
田村さんは、多分これ最初やるってなったあたりから、
もう知ってたんじゃないかなと思うんですけど、
どんな感じで見てたんですか?
全然知らなくて、
あ、そうなの?意外。
全然、私なんかダメなんですよね。
まあでもなんか、へーと思って。
で、よくわかんないなと思ったのは、
そうだな、ちょっと言い方が難しいんですけど、
前提として、私はこういう市民運動的なものはもっとあればいいと思ってるので、
さっき真央さんの話にも近いですけど、
あったことはいいと思うし、
今改めてクラウドファンディングのページをマザーマザーと呼んでるんですが、
結構やっぱり注意深くやってらっしゃって、
例えばちょっと読み上げますけど、
なんか、総括ご報告みたいなページでね、
令和の百姓域は純粋に食党の未来の子どもたちを守るための取り組みです。
それ以外の課題も世の中には様々あります。
それらの課題に取り組まれている方々や団体の参加を拒むものでありません。
しかし、そういうプラカードを掲げるのは違います。
みたいなことを書いていらして、
あ、すごいなと思って、
そのいろんな、後での話題なんですけど、
食党の問題ってなんかすごい吸引力があって、
いろいろな主張の人が入ってくるので、
たぶん当日いろいろなプラカードが上がってたんだと思うんですけど、
それは本位じゃないっていうのを、ちゃんと報告で出してるのとか、
何々反対、何々解体、急断、粉砕などの主張は私たちの主張ではないっていうのは、
しっかり言ってはって、あ、こんなんすごいなと思って、
ちゃんとやろうとしてる感じはあるなと思って、
それはすごいいいなと思っておるわけですが、
ようわからんなと思ってたのは、この人たちは、
欧米並みの、欧米並み?ヨーロッパか。
ヨーロッパ並みの個別所得補償を求めてやってるんですよね。
でも私の業界でトラクターデモっていうと、
去年オランダですっごい大きいトラクターのデモがあったんですよ。
いやいや、ヨーロッパの個別補償を受けてる農家もしてるやんデモっていうのが、
一番最初の私の印象で、え、何?っていう。
オランダのデモはちょっと文脈が違くて、
オランダのデモは、EU委員会のレベルで、
窒素の規制がちょっと厳しくなるってことだったんですよね。
生物多様性の保全のために、
生物多様性のための自然保護地区みたいなところがあって、
そういうところに窒素の流入、今窒素危機なので、
窒素の肥料をみんながいっぱいやるから、
その水系の中に窒素がジャンジャン流れてきて、
不栄養化がジャンジャン進んで、もうなんか死ぬみたいになってて、
窒素危機っていう、ナイトロジェンクライシスっていうのがいます。
もうここに1、2、3年ぐらいすごいホットな話題で、
それは農業が大きなインパクトがあるので、
その窒素危機を回避するために、
政府が保障するから農場やめてくださいみたいな、
結構踏み込んだ政策をオランダが取ろうとしてて、
それですごいトラクターデモにつながったんですよ。
だから自然保護vs農業みたいな文脈だったんですね。
なのでちょっとそれとはまた違うんやなと思って、
なんか私は最初文脈のズレみたいな、文脈ってことはないか。
別にヨーロッパでもデモをしてますって書いてあるけど、
ヨーロッパのデモはまたちょっと違うんやけどなーっていうのがちょっと引っかかってました。
そうですね。なんか僕も見たけど、
ヨーロッパのデモってやっぱり全然違うんですよね。
田村さん今言ったような環境保護に対して農業がすごい攻められるから、
それに対するデモという感じで。
かたや日本の今回の百姓一揆は、
百姓があまりにも経営が厳しいから、
個別所得保障しろというようなデモだったんですけども、
これね、いろいろ解説みたいなのもいろんなの出てて、
僕結構見たりしたんですけども、
理論的に言うとやっぱり日本はもう農家が多すぎると。
みんな工作面積がすごく小さいのにたくさんいて、
兼業農家がいたりとかで、
それを全部個別所得保障をしてもあまり意味がないだろうということで、
なんかそういうふうに欧米と同じように個別所得保障を求めるっていうのは、
ちょっと違うんじゃないの?みたいなのが解説としてはたくさんありました。
面積に対する農家の数が全然、やっぱり日本はすごく多いと。
なんかさ、すごい混乱するんだけど、
農家の数、そっか面積に対してか。
効率の悪い農業をやってる。
なるほど、なるほど。
そっか、なんかそうだよね。オランダとか農家の数自体は少ないとか言うよね。
なんかすごいとんでもなく少ない。
なんか大規模農家しかないみたいな。
でもさ、なんかそういう一方で、
日本って食料自給率はとても低いですみたいなことを言ってて、
ちょっと米はそれに当たらないと思うんだけども。
でも面積は足りてないってこと?
そうだよね。面積と数は一緒にしちゃいけないってことだよね、農家の。
どういうことかな。面積と数は一緒にしちゃいけない?
自給率が低いってことは、工作してる面積自体は少ないってことでしょ?
人口が多すぎるって。
自給率はあくまで需要に対する供給のバランスだけなので、
面積はあんま関係ないから。
食べる量が少なければ自給率は高くなるし。
私はですね、ここしばらく自給率のことを気にするのはやめましょうという運動をしておりまして。
ちょっとそれ聞かせてほしい。
いやもうバカばっかりですよ、自給率とか言ってるのは。
え、ちょっとそれめっちゃ聞かせてほしい。
なんか自給率って、自給率って何?っていう話なんですけど。
何なんですか。
カロリーベースとかある?
カロリーベースってありますよね。
まずカロリーベースっていうのが、まあアホみたいな話なんですよね。
熱量ベースだから、熱量が低いものが低く出る。
だから野菜とかって実は自給の度合いすごい高いんですけど、野菜ってカロリー低いから低く出ちゃうね。
米はカロリーも高いし、米はなんか日本人にとって神秘象徴的なアイテムなので、
非常に高く保護されているので自給率も今高いですが、
小麦とかそういうことで自給率って下がるんですけど、
自給率の計算って本当にすごい精密な計算だから、
すごいしょうもないことで上がったり下がったりするんですよ。
例えば、カロリーが高くて輸入に依存しているって言うとお砂糖が必要なんですけど、
例えばね、去年自給率が上がったとか下がったみたいな話に、
日本の国内のお砂糖って北海道で作ってる天才とか、南西諸島で作ってるサトウキビなんですけど、
気温の問題だったかな、とにかく天候不順で不作で、
サトウキビの糖度が十分に上がらなかったので、
国産の糖の生産量が少なくなったので自給率が下がりましたみたいなことを、
農水省の自給率の分析のとこ見に行くとちゃんと書いてあるんだけど、
みんなそういう話はしないでしょ。
しないですね。
明日にも私たちの食べ物がなくなるみたいな煽り的な感じで自給率っていうのを使うけど、
それはどうなんかなと思っております。
もう一つ問題なのは、自給率ってどこまで言っても、
所詮国境の内側で食べ物に対する食べる量と供給量がどうなってるかっていう話なんですよ。
だから自給率が高いっていうのは、国境の内側に統計上計算した国民の口の数と、
国境の内側で統計上計算したカロリーが釣り合ってるっていうそれだけの話なんですよね。
だから自給率がどんだけ高くても、分配が失敗してれば国内で植える人は植えるし、
お金がなければ食べ物を買えないんだから、国内でお金がないから食べ物買えないです。
私っていう人は自給率では全く出てこない。そういう実態は。
じゃあ例えば、めっちゃ食料作っていっぱい輸出してるけど、
国の中に全然行き渡ってないってこともあり得る?
あり得る。十分あり得ます。
国は自給率200%とか出てるけど、
王様とその一族みたいなのが、国内産の米は全部持ってて、
貧民はその米は食べてません。草の根をちぎって食べてますみたいな。
江戸時代の日本みたいな。
それでも自給率200%ですね。
当時自給率は100%って言える状況だったわけですよね。
それでも打ち壊しはあったし、行きもあったわけで。
行きもあったのがありましたね。聞くところによれば。
だから、もちろん立場として、
国境の内側に食べる人がこんだけいて、必要なカロリーがこんだけで、
それに対して国境の内側で生産がっていうのを心配する役割の人っていうのはたぶんいるんですよ。
どこにいるか知らない。農水省にいるのか、厚生労働省にいるのかわかんないですけど、
そういう人とか、あるいはお米の会社の人とかかな。
わかんないけど、そういう人たちは心配すればいいと思いますけど、
一人一人の市民が自給率っていう指標を見て、騒いだってさーっていうのが、
私は非常に不思議に思ってて。
もう一つすごく不思議なのは、自給率が低いことに、
いわゆるネトウヨの人も怒ってるし、いわゆるネトサヨの人も怒ってるし、
なんなんやと思ってる。
ネトウヨ区的な人は、美しい日本、水穂の国、米、その米が苦しんでるみたいな感じで怒ってるし、
サヨ区の人は、サヨ区っていう言い方が正しいのかわかんないけど、
巨大な多国籍アグリビジネスが私たちの市場を支配してるって言って怒ってるし、
なんでみんな怒ってるんやっていう、変な指標なんですよ自給率って。
だからその両者は、私の素朴な理解では、
その両者はいいと思ってる農業のスタイルとか、
いいと思ってる食と農のシステムは多分違うはずなのに、
両方ともなんか怒ってるから、なんなんだろうと思ってて。
もう一つよくわかんないのは、
自給率が低い。
これはでも、最近トランプさんの動きが怪しいので、
だんだんこの議論するの、ちょっと難しくなってきたんですけど。
差額を支えてあげましょう。
それは自給のためにというようなことでやってるんですが、
この辺の話はそうですね。
農作物、例えば大根1個売っても10円ぐらいにしかならないって言うんだったら、
50円を政府が補填してあげましょうみたいな、
そういう所得補償ってことですよね。
作っても作っても売り根よりも経費のほうがかかるよっていう状況だと、
それはちょっともうやってられないから、
それは個人の農家の経営努力の問題っていうのは、
もう構造的にそうなっちゃってるので、
大規模化だとか流通だとか、
そういうことを考えると、
もちろんもう儲からないからって言って、
辞めていってもいいんだけど、
辞められても困る事情もいろいろあるので、
それをいやいや何とか踏みとどまってねっていうために払うのが、
個別の所得補償っていうのはそうですよね。
農業保護政策ですね。
なるほど。
農業が資本主義がっつりっていうのがやりにくいっていう理由は、
結局食っていうのは基本的人権に関わってて、
みんなが食べれなきゃいけないわけじゃないですか。
だからキャベツが1000円したら食べれなくなっちゃうから、
そういった意味である程度安価でなければいけないっていうところで、
そういう補償っていうのが必要になってくるのかなっていうのは、
すごいわかるし、それをヨーロッパがやってるんだったら、
それも日本でもやってくれっていう。
だってみんな安いってある程度抑えた値段で、
供給されないといけないでしょって。
でもそれじゃあ生活が農家側成り立ってないんだから、
その分は補填してくださいっていう、そういう考えですよね。
一応それはそうなんです。全然それでいいんですけど、
でも一方で、私たちは自由貿易のメリットも受けてるわけで、
トヨタ自動車をガンガン売って、そのリターンを得たりしてるから、
売るのは売るけど、買うのは買わないっていうわけにはいかないから、
農業に補助金を入れてもいいんですよ。
農業はもちろん工業製品とは違うような働き方をする産物だから、
補助金入れてもいいけど、
農業に補助金つける場合は、
ちゃんと国際的に合意したルールでつけてね、みたいな縛りもあるわけですよね。
だから、個別所得補償とか農政の補助金って、
実は日本の政府をひっくり返せば変わるかというと、そうでもない。
国際貿易と連動してるので、
いろんなことに調整しながら、ちょっとずつ整理していかないといけない話だと、
私は長らく思ってたんですけど、
なんかトランプさんが自由にやってるから、自由にできるんだと思って。
でも確かにそう考えると、
そういうしがらみって言っちゃいけないのか、
関係性の複雑さみたいなものを、
もう知らんわーって言いたいっていうところを、
トランプさんはガーンとやっちゃってくれてるっていう言い方もあれですけど。
なんか前回からショーのライブでそういう論調があるんだけど。
トランプのおかげで。
おかげとは言いたくないような気もするけども、
でも打ち壊さないともうガンジがらめになってて、
いろんなものが動かせないってなってるっていう感じは、
今の話からするとしますね。
個別所得保障の制度って、
だから農業の補助金の中でも結構難しい補助金で、
本当に国際貿易システムとくっついてる話なので、
こういうタイプの個別所得保障はOKだけど、
こういうタイプの、さっき言ったような環境に貢献してるとか、
ここに水田があることで明らかに洪水が防がれてますとか、
あるいはここに水田があることで山崩れが防がれてますみたいなことだと、
さすがに国際貿易ルール上もツッコミを入れづらいので、
そこはもうフリーハンドで個別保障してもらっていいですってなるけど、
すごい条件のいい平地で、
それは個別所得保障というよりは、みたいなところもあるので、
そういうの辺は、だから結構これ繊細な話といえば繊細な話なんですよね。
そうだったんですね。国際ルールだっていうのは全然知らなかった。
田村さん、そういうのはどこで読んだり聞いたりするんですか。
そういう研究者だから。
この話、こういう話全然出てこないでしょ。
どこで見ればそれが出てくるのかっていう。
それは一つのあれですよね。
みんな輸出とか輸入とかいうと、
かわいそうな日本の農家がいじめられてるっていうイメージが強いと思うんですけど、
そうでもないんだよなっていう気もするし、
あと私TPPの寒太平洋パートナーシップ協定の時に、
すごいびっくりしたのが、アメリカの農家はTPP大反対だったんですよ。
私もそれは、え?あなたたちにメリットがある話じゃなかったの?
同じ論調を向こう側でもやってて、ちょっと待ってみたいな。
アメリカって日本から見るとでっかい農家なんですけど、
カナダとかオーストラリアに比べると圧倒的にちっちゃい農家なので、
そういうところからすると、
そこに危機感を感じてるわけですね。
カナダが来たらこっちは困るんだよみたいな。
カナダはFDRからすでにだいぶ来てるし、
トランプさんも言ってたでしょ。すごいなトランプ。
オーストラリアの牛肉が来たらアメリカンビーフがダメになっちゃうみたいな話とか。
やっぱりそういう感じなんですよね。
じゃあ結局同じことをいろんなところで。
だからTPPは誰がこれはハッピーなんだろうって。
それはあの時思いました。
トランプさん出てきた時に、TPPが向こう側でも反対していて、
TPPは取っ払うって言った時に、
アメリカは喜んでるのかと思っていましたよっていう。
それ誰得なのかね。
その時わからなくなりました。
なんか話がわからないみたいな。
令和の百姓域は日本の中の話だけでは収まらないテーマなのかな。
いいじゃないですか。めっちゃ面白い。
本当にそうなんだけど、
令和の百姓域は私はいまいちよくわからないなと思ってるのは、
この人たちが、個別所得保障が欲しいっていうのはわかるんですけど、
それ以外にどういう農業のスタイルがいいと思ってるのかがちょっとよくわかんなくて。
さっきイユちゃんが言ってた農家の数が多すぎるっていうのも、
これも結局適正な農業の規模って何なのっていう話を、
みんなずっとしてて。
余談ですけど、民族学者の柳田邦夫っていう人がいますね。明治の人ですけれども。
彼は元々当時の農商務省のお役人で、
もうちょっと小農でも大農でもない中農っていうのをやらないと日本はだめだっていう論を張ってた人なんですよ。
だけど負けて辞めて民族学者になったっていうような経歴なので、
どれぐらいのサイズがいいかっていうのは結構ずっと議論がある話なんですけれども。
中農ってどれぐらいの規模なのかな。
どこか真ん中の。
小農でも大農でもないのがいいっていう。
今で言うとどれぐらいですかね。
どれぐらいの面積のことをそう言うのかな。
10ヘクタールとか。
農家個数が十分に減って、多すぎるとみんなが市場で競合しちゃうから十分に減って、
減りすぎると農村に人がいなくなっちゃうから、その間ぐらいがいいっていうのが。
農村に人が5つ適正な数。
これはでもすごい今から見ると本当そうだよねと思うんですけど、
当時は全然受けなかったらしくて、なんかダメだったみたいです。
当時は大農家小農家みたいな大議論があった。
そういう中葉みたいのはダメだったわけですね。
ダメだったわけです。
地味だよね。極端に言った方がアピールできるもんね。
時給10円もそうだけども。
そうだから時給10円っていうのがこれすごくインパクトがあって。
なんか私この言葉言ってよかったのかどうかちょっとよくわかんないっていう言葉のような気がするんだけど、
でも注意を引いて結局自分もそうやって調べたから、
そういったところを意図してるんだったらそこは成功してるけど、
でもその運動の信憑性みたいなものをコンプロマイズしてしまったっていうのはあると思うから、
微妙だなっていう気はしますね。
そうだと思います。
真面目に応援してた人がバカバカしくなって離れちゃう原因になったんじゃないかなとちょっと心配している。
だってそれ出た瞬間になんかやっぱりフェイクニュースだとか統計の使い方がおかしいみたいなカウンターがいっぱい出てくるから、
だからさっきも言いましたけど、
すごい儲かってるって言ってる農家でこのレベルなんですよみたいなリアリティのある話を出した方がこれは大変なことだって思ったんじゃないかなと思うけど。
でもさっき田村さんがおっしゃってたみたいにどういう農業を目指してるわけっていうのは、
例えばさっき言ってたみたいな超冷裁な本当に家庭再營みたいなレベルな人たちと法人で大きくやってる人たちを一緒くたにして語るのはものすごく無理があるわけで、
それをこれは全部一緒にしてしまってる感じがあって、
っていうことですか。そんなことをやっちゃって大丈夫みたいなそういう意味ですか。どういう農業がいいんですかっていうのは。
そういう意味ですね。
ある意味カウントしちゃいけない人もカウントしてませんかみたいな。
結局、企業化して人を雇ってそれでどんどん回していくのか、それとも農家さんがそれぞれ自分と家族ぐらいでやるのかで、話の持っていき方もずいぶん違うじゃないですか。
それをどういう農業をいい農業だとこの人たちは思ってるんだろうと思って、
補助金入れるっていうことは補助金の効果を求められるので、補助金を入れるといい効果が出たねみたいな話になっていこうと思うと、
ある程度やっぱり農家にも求められる要求があるだろうし、数ももしかしたら減らさないといけないかもしれない。
全部そんな趣味みたいな農業からプロフェッショナルの農業まで一律に補助金は入れられませんよみたいな話かもわかんないし、
どういう農業のあり方を模索してて、そのうちのどこに補助金が欲しいのかがよくわからんなと思って聞いてました。
これが僕が思うのは、これをやった人たちは結構性能の人が多いんじゃないのかなって気がしてるんですよね。
実際わかんないですけども、主催したカンノさんっていう山形の農家は、もともと成田の空港のところで反対運動とかをやっていた、そもそも結構そういう活動家みたいな人だったんだけども、
割と小規模な農家なんだよね。そういった小規模な農家は食べていけないみたいなのが、このデモというか百姓一揆のやるきっかけだったと思うんだけど、
なんかねわかるんですよ。さっきも言ったけど、感情的な意味では俺たちはこんなに頑張ってるのにみたいな。
ただ冷静になって今のような話聞くと、じゃあお前やめろっていうことになっちゃうじゃない。そういう小規模な農家は。
もう早く引導を渡して、もうちょっと大きくやれる人に集約して、農業の効率化をしてみたいな。
そう、だから私最初に聞いたみたいに、時給10円って聞いた時に、じゃあなんでやってるんですかねっていう。
悪口じゃないですよ。単純にそれでも続けたい理由とか続けられる理由は何なのかっていう方にむしろ注意が行ってしまったんだよね。
時給1000円ないとダメですよねって思うんじゃなくて、それでどうしてできてたりやろうとしているのかが素朴に疑問だなみたいな。
だから俺も農家の端くれとして、やっぱりこう土地に対する執着というか先祖代々みたいなものに対して、
これをやめるなんてやめるわけにはいかないみたいな気持ちがすごい強いんだと思う。
で、そこを守るためには、安くてもこの農業を続けていくんだけども、でももう限界だみたいなことでこうやってデモになったのかなと思うんだけども、
いやいやでも、税金っていうものは別に農業だけのものじゃないし、もっと困ってる人っていうのもちょっと相対的だからわかんないけども、
農家にだけ挙げるわけにもいかないから、そこはやっぱり全体のバランス見て考えなきゃならないし、
最終的にはもうそういう、濁るな、俺が言うとすごく口がうまく話せない。
すごい気を使ってるね。誰に気を使ってるのか。
理論的に言ったら、そんな業球は通らないでしょっていうのはすごくわかるんだけども、
感情的に考えると、農業と資本主義の同じ枠の中の収まりの悪さみたいなのがすごく露呈したのが今回のデモだったのかなと思う。
デモした人たちもみんなずっと個別所得保障を求めるデモじゃ最終的にはなかったような気がする。
そうでしょうね。この現状に対するアピール、不満?もやもや?みたいな。
それはむちゃくちゃわかるんですよね。
最終的にデモが実際あって、それがニュースで放送されたときとかには、あまりそこら辺を求めてるっていうよりは、
農家は今結構大変なんですよみたいな状況が伝わったという意味では、
ある意味デモは成功だったのかなと僕は思ったんですけども、困ってるから保障してくれっていう話なんだけどね結局。
でもそこはあんまり訴えてるのはちょっと感じなかったなっていう。
これさ、日本の食と農を守ろうって言ってるわけなんだけど、
この人たちを所得保障しないと日本の食は守れないのかな。
さっきの田村さんの話だとグローバル経済というか、グローバルに食を供給し合うっていうトレードしていくっていう考え方でいくなら世界が平和で、
だったら別に無理してやらなくてもいいじゃんっていう風になってしまうわけで、
そこに自分が農業にすごい執着があって、やりたいからやってるんだから保障してよって言ってしまうのは、
そんなこと言われてもみたいな感じになって聞こえちゃうじゃん。そういう考えでいくとだよ。
それか、日本で今農業やってる人を所得保障しないと、日本人は本当に食べるものにことかく感じになっちゃうのか、
そこの2つをくっつけて考えていいのかどうか、今話を聞いてて、ん?ってなったんだけど、どうですか。
なんか結構本当に今いろんな話が、マオさんおっしゃるようにいろんな話をみんな雑に喋ってるから、私は結構イライラしてて。
なんか今日田村さんと話してて、自分がそうだっていうことにすごく気づかされたというか、そもそもの前提がめっちゃ解像度が低すぎて、
っていうことなのかなっていう。米とこれくっつけて話さない方がいいんじゃないのってことをくっつけてたのかもと思って。
だって世帯あたりの米の消費量ってずーっと減ってるんですよ。米の購入量って。
そう、それも疑問。
世帯因数が減ってるし、子供の数も減ってるし、年寄りばっかりになってるから、っていうのはあるとしても、
なんかこの間までみんな別に米なくても大丈夫とか言ってたのに、なんで今急に米が高い、政府は米を守れって、えーと思って。
私今でも覚えてるんですけど、私大学入学したときが、その前の年が平成の米争動の年で。
大米。大米っていう言葉がすごいよね。90年代だよね。今言ったらもう大問題な言葉。はーっていう言葉だよね。
で、私大学に入学して初めて一人暮らしして、なんかあまりに馬鹿馬鹿しいと思って、もうなんか炊飯器は買わないと思って。買わずにしばらく生活。
なんか腹渡って、なんか米、だってその、だから本当にお天気一つですよね。
なんかお天気が良かったら、お米はいつも通り取れて、でいつも通り取れてると誰もお米買わないのに、ちょっと減ると、なんかすごいもうこの世の終わりみたいにみんな騒いで、
先買い先買いして、買い溜め買い溜めして、それで足りないからタイから輸入して、輸入してタイ米はまずいとか言って。
そう、あれは失礼だよね。本当にダメだよね。
今思うと本当に失礼なことを言ってたよなーっていう。
1994年、93年、94年の話ですけど、なんかだから本当に馬鹿みたいだなと思ってたんですけど、また馬鹿みたいになってると思って。
やっぱあれなんですかね、日本人にとって、日本人って米が絡むと、なんかみんな頭がおかしくなってしまう人たちなんですかね。
そうなんですよ。米が絡むと、なんかすごくみんな感情的になる。
で、ほら今回結局最後政治の問題、政治の人たちも入ってきちゃって、なんかまあ主催者側は本意ではないというか、別に入れないようにしてたんだけども、来てしまったみたいな感じだけど。
なんかね、政治の道具にもされちゃうし、やっぱなんですかね、僕らの深いところにその米に対するパッションがものすごくあって。
なんかやっぱなんかみんなすごい、なんだろう、自分は体験してないけど、大塩平八郎とかみんな思い出しちゃうかなと思って。
山瀬の夏はオロオロ歩きとかがなんかもうみんな染み付いてるから、なんか米が減ることへの異常な恐怖感があるのかなと思って。
食べてなくても。
食べてなくても、なんか。
食べないくせにね、ある時は。
むしろ小麦の方が食べとりますがなと。
ラーメンでいいとか言ってるのに。
今回令和の百姓域もそうなんですけど、1個のポイントが減炭政策は間違ってたっていうのがあって。
結構いろいろ議論があって、私自身も減炭はやめろと思ってるので、それ自体はいいんですけど。
でも統計見ると、ずっと右肩下がりで米の消費量が減ってる中で、
価格を政策的に設定できない、国が米の価格を決めるのはもうやめたから、
そうなると需給バランスで価格維持するしかないから、そうすると生産絞るしかないから減炭政策だよねっていうのは、一応理屈は理屈だから。
そういう仕組みだったんですね。
私は減炭はあんまり賛成してないんですけどね。
でもまあ、わからんでもないと思ってたんですけど、
一旦米の入手可能性が悪くなると、みんなこんなすぐ反対してくれるんだなと思って、
隠しといたほうがいいんじゃない、みんな米の皮潔拓して。
そこら辺も、今だからデモを始めた人たちの年代っていうのは、もともと食管法って言って、
政府が全部米を買い取って、でそれを売るっていうような仕組みだった頃には、
もっと作れもっと作れでどんどんどんどん頑張って田んぼを作っていったのに、
もうちょっと増えすぎたから田んぼ減らしてくださいって言って、
減炭政策にいきなり切り替えられみたいなので、
農政に振り回されていることへの不満みたいなのも、
やっぱり世代的にちょうどある人たちが今回のデモを起こしたのかなっていうのもあって、
なんか作れって言ったりやめろって言ったり、その上でこんな10円というのはちょっとあれですけども、
っていうので不満が爆発したみたいなのが百姓一揆だったのかなと思うけど、
その直後にこのなんかちょっと米価高騰とかでなんかちょっとよく意味がわからないというか、
どっちが先かわかんないんですけど。
なんかちょっとそれ国民性な感じするな。
かもしれない。
例えば教育とかも似たようなものがあるかも。
そこまでやったげる必要なくないっていうのと、
でもそこまでねだってるっていうか、
お願いしてるっていうのもあるの?
なんか奇妙なべったり感みたいな。
あとは、下から組織を作るのがみんな苦手なんですよね。
PTAとかはやりたくないわけじゃないですか。
直接隣の人とぶつかるから。
PTAとかで、ペアレントとティーチャーがアソシエーションして、
この学校はこういうふうにいきましょうって決めるより、
これは政府がこうやれって言ってるんでって言った方が、
なんかお互いやりやすいみたいな。
だからこう、オカミが言うに言うっていう。
その感覚が、
やっぱり江戸幕府長く続きましたし、みたいな感じで、
ずっと支配されているところでの自分みたいな。
道さんは今支配って言って、
それは一つの見方なんですけど、
私は責任棚の上ぶん投げ体質だと思ってて、
自分のせいじゃないです。オカミです。みたいな。
原短だって別に原短に乗らないで解きもらわない。
やらなきゃいいじゃんっていう。
自分で米作って普通に売ってくればいいじゃんっていう。
現場ではそんなに、特に米の場合は穀物なので、
一人の農家さんが売るって言ったっていろいろ限界あるので、
現場ではそんな簡単な話ではないと思いますけど、
その時に一人で原短やりませんっていうのは無理だけど、
グループでやりませんっていうのはもしかしたらできたかもしれないけど、
そういう風にはいかなかったんですよね、多分ね。
いったところもあると思うんですけど、場所によっては。
結局そういう制度が運用され始めた頃のことっていうのが忘れられて、
形だけがずっと残っていくと、
なんか出るはずの補助金が出ないとか少ないとかっていう風な方向になっちゃうんだよね。
もう考えなくても、
変化大変の世の中だったら何にも別に、今のままこのシステムが続いていけばいいやみたいな感じになっちゃうのは、
まあなんかわからんでもないかな。
私一回なんかお米屋さんと喋ってて、
お米屋さんがなんか、
まあでも農家には補助金出るけど、米屋には補助金ないからねって言ったのが忘れられなくて。
だからなんか、
日本の食と農を守ろうと思ったら、本当はそこまでガチガチに、
米屋だって保護されていいと思うし、
何だったら町のおばちゃんの食堂だって保護されていいと思うんですけど、
町のおばちゃんの食堂は、
ナショナルチェーンのチェーンレストランに比べれば地元の農産物を買ってる可能性が高そうじゃないですか。
セントラルキッチンでなんか本部が送ってくる野菜を使ってるチェーンレストランに比べれば、
町の独立経営のおばちゃんの食堂は、
日本の食と農に貢献してると思うんですけど、
そういうふうにはならないんだよなーと思ってます。
確かに。
それはそうだな。
全部は面倒見てないのに、農家はもっと保護しろっていうだけ言うのは確かにちょっとおかしいです。
そこも違和感なのかもしれないよね。
全然農家を責めてるわけじゃなくて、せっかく新しい時代の新しいこういう動きが出てきたんだから、
今度はそこまでやりましょうっていう感じかな。
せっかく令和って言うんだったら、百姓域に食堂とかも入れてもいいじゃんみたいな。
そうですね。なんかあれで何が変わる。
知ってもらうことにはなったけど、変わる形が見えないデモではあったかな。
集まってるんだ大変な農家はみたいな。道場はすごく引いたかもしれないけど。
やっぱり野菜売ればよかったよね。
2000万集まったからすごいでかい。
でも所得が少ないのが問題なんだとしたら、確かにその方が直接的な解決にはなりますよね。
令和の百姓域マルセってよくないですか。
だって売れたらいいんだもんね。
この間話してたみたいにアメリカのオーガニックファーマーズマーケットとかだと、
すごい高いにもかかわらずたくさんの人が買いに来ていて、
明らかにこれは利益が出てるんだろうなと思わせるシーンができてるわけですよ。
それはもうオカミとかそういうものは関係なく自分たちでそういうものを作り上げてるんだなっていう。
それをサポートしようとする消費者であって、
例えばレタスヘッド、レタスひと玉がちっちゃいんだよ。
だけど5ドルとかしても買うと。
それは農家を支えるためだみたいな。
自分にはそういう経済力もありますみたいな。
こういうお金の使い方をしたいんだみたいな意思表示とか、
そういうことをやってるわけですよ。
それが日本にもないとは言わないけどめちゃくちゃ小さすぎて、
ムーブメントとは言えないけど、
他の国ではもうすでに一つの形、産業というか、
こういうやり方でこういう販路を拡大することはもう確立されてますぐらい、
言えるぐらいどこでも見れるわけで。
そういうことですか。
そういうことだね。
なぜそういうことをやらないのかと。
やってみないのかみたいな。
なんかそうでしょうね。
あんまりそんな難しいこと考えてなかった。
沿道に3000人集まったんだったらみんなに米2キロ売ればよかったのに。
どうせならね。
買ってもらえる。
ついでに。
あそこで売ればね。
あそこで売ったら連帯買いですごいいっぱい、
ちょっと上乗せしてもみんな連帯ですとか言って買ってくれそうな感じがするけどなと思って。
それは確かにクラファンとかもいいけど、
そういうやり方でお金を集めればいいのかなみたいな。
そうだな。
ちょっと僕一気をした人たちの側の気持ちで話そうと思って今心の中でいろいろ考えてるんだけど。
いでよって気持ちをそっちに持っててんのね。
寄せてんの。
そっちに持っててるんだけど。
やってみて。
ちょっと待って。
いや、そういうことじゃないだろうっていうことをどう言えばいいのかなと思って。
言ってみてくれ。
まあでもそういうことじゃないだろうとしかならないけど。
全然出てこないじゃん。
まあだから知れば知るほど別にあれこれ通るわけないなというか、
これをしたからって問題解決しないなっていうことだったんじゃないかなとは思うんだよね。
みんな分かってたけど、でもやるしかないぐらいな感じになったんだと思うのよ。
その気持ちも全然肯定はしないというか、あれが本当にもう物手を挙げて良かったとは思わないけど、
なんかまあやる気持ちも分からなくはないなみたいな。
いや、あれはすごい良いんですけど、なんかもったいないなっていう感じがする。
え、それは何がもったいないんですか。
なんかみんなが、米騒動もですけど、なんかやっぱ食と農の話って結構関係がない人はいないので、
しかも農家ってやっぱりすごい力がある存在なので、農家が立ち上がったって言ったら、
できることだったら応援しようって思う市民もいっぱいいて、
それでじゃあどうするって言った時に、どうしたら良かったんだろうなっていう。
今回はアピールだからアピールで良かったのかな。
私は自分が農業してないし農家でもないので、また落下はって言われるのはと思いますけど、
それは分かった上で言いますと、
お家が農水省に要求するっていうのが私はあんま面白くないなと思ってて、
なんかみんなで全然農水省と関係ない農業やろうぜみたいな。
そしてこの沿道に集まった3000人を巻き込んで、それこそCSAやれば面白いよねとか。
3000人もどうせそうなると話が違ってくるみたいになってひよるから、そこでなんか盛り上がるしとか。
本当に農水省にやらせすぎだと思うんですよね。
そんなにやってもらわなくていいよっていう。
そんなに補助金配ってくれなくていいから税金取らないでっていう方向に持って行った方がいいと思うけどな。
そっちの方が全然いいですよね。
そうしたら大規模にやってる人たちは税金取られなくて済むし、税金が減るから。
小規模の人たちはもともとそんなに納めてないから。
その方が絶対いいんだよな。
保証するよりは農業に対して税制を優遇するような仕組みの方が。
田村さんから見てこの国はうまくいってるなみたいなのってあるんですか。
全然私詳しくないんで。
そうですか。
どこを目指せばいいのかなっていうのがわかんなくて。
でも私一個思ってるのは産業としての農業と地域を守る農業は分けた方がいいと思ってて。
産業としての農業はじゃんじゃん儲けていこうと思うと、
明らかに規模の経済を働かせて機械化して集約化して大規模化して専門化してっていうのは明らかに一つのパターンだし、
あるいはすごい尖った品目作り込んで深か地下をバーっていくっていうのもあれなんですけど、
それってやっぱりなんていうかすごい尖ったどっちの方向に行くにしてもすごい尖った世界で、
それしか農業がないっていうとなんか狭すぎる農業が。
だからその兼業農家なのか、家庭再縁なのか、週末再縁なのか、あるいはバリバリの稼ぐ農業を、
去年まではやってたけどもう年がいってしんどいから引退して、なんかそういう自分と直売所ぐらいのサイズでやってるわみたいな、
そういう農業もあっていいんですけど、それを質的に違う、バリバリ稼いで会社も作って人も雇って税金も払うぜみたいな、
バリバリの農業と地域の土地と水と人々と調和してやっていくんじゃみたいな農業を、
同じ箱で扱うと話がわからんくなってくるから、これは分けて扱ったほうがいいんじゃないかなとずっと思ってるんですけど、
そうなってないですよね、あんまり。
でも今それこそ中産艦地の補助金とか、なんかもうちょっと欲しいなみたいなこともあるんですけどね。
そういう斜面とか不利地なところでやってるところに対して出てるのは、
里山とかそういう小規模なこういう不便な場所での農業を応援する仕組みなのかなと思いますね。
もう一つ言うと、中産艦のそういう農業とかは農水省を持って話してもいいかもしれないと思ってて、
その部分の予算を総務省とか環境省とかに預けて、そっちの目線でやってくださいってやったほうが、
本質的に意味がある補助金になるんじゃないかなと実は思ってるんですけど。
確かにそうですね。
日本中が小農だった時代は農林水産省が小農の先頭に立って、農業の近代化を進めてたんだと思うんですよね。
でも今も農業がいろいろな農業があるので、そうなると産業としての農林水産業を面倒見る農林水産省は産業部門だけありますので、
その地域の自然とか村とかを守る農業は、
総務省、村を守るといえば総務省さん、だから消防団的な、消防団を扱うのは総務省ですから、
あるいは環境を守るという意味では環境省さん、地域循環共生圏の中でみたいな感じで、
切り分けて預けたほうがいいんじゃないかなと思ってるんですけれども、
現実は逆で農林水産省が、僕たち別に産業以外もできますけどみたいな、
農村も僕たちやっぱり大切だと思ってて、みたいな、
農という字が一文字でも絡むと農林水産省やってきますみたいになるから、
それをやめろっつってんだっていう、そういう感じですけどね。
はい、すごくわかります。
そうなんだよな。
環境省とか総務省に中山幹地とかそういう農業を移しちゃって、別にするのね。
そうすれば補助金とかいろんな制度が分かれるから、お互いにとっていい気がしますよね。
農林水産業の枠組みでやる限りやっぱり農産物をカウントしないと、どうやったってそれが出てくるので、
そうなるとちょっと違うんだけどなっていう気がします。
イギリスは昔農水省だったところを田園省みたいなところと農林水産省みたいに分けたんですよね。
でもそれ協業業の関係とかもあるので、そんな別に綺麗な話ではないというか、結構ガタガタした話なんですけれども。
でもそういうのも一つだよねっていう。
なるほど。
情報がいっぱいあふれているように見えて、実際はそうでもないと思うんですよ。
同じ言葉をコピペしてどんどんどんどん拡散しているだけで、メッセージは案外単調で両極端な気がするんですよね。近頃。
こうやっていろいろ調べているというか、調べられている方の話を聞くと、いかに一部の切り取られたところのコンテクストしか知らない、知らされていないというか、
これインターネットでわーっと情報を見ても、同じやつが本当に何度も何度も出てくるんですよね。
新しい情報って案外ない。びっくりするぐらい。
だからこの人はこれを、さっき見たあれを元にこれを書いているんじゃないのかなみたいな、そういうのが見えてくるだけで。
なんかその辺問題な気がしますね。
なんかやっぱ、脳と職の問題ってやっぱみんな何か言いたいんだなっていうのも思うんですよね。
みんななんか、それはいいことなんだけど、最近の私、呼んでもらって喋ったりするときのキーメッセージは、複雑さに耐えるっていうのがいつもキーメッセージで、
簡単に善悪言わない、二項対立に飲み込まれないっていう。
ショーのラジオのテーマとぴったりじゃない。
テーマだったのそれ?なりゆきでそうなってんじゃないの?
複雑なものを複雑なままに話しましょうっていうのがショーのラジオね。複雑がテーマなのね。
そうなんですよ。
そういうことですよね。
みんなそうじゃんっていう。
みんな自分の生活は複雑さに耐えてるのに、農業やってない人は農業にすごい極端なこと言うからな。
私有機農業を推進してるんですけど、
私別に美しい日本の国土を守るために推進してるわけじゃないので、
そんなこと言われても困ると思うんですけど。
ちなみにそれもちょっと聞いてみたいんですけど、
田村さんは有機農業を推進される理由って何ですか?
それは、なるべく農薬とか化学肥料とか使わないほうが、土と水が痛まなくていいじゃんっていう、そういう感じですね。
環境保全的な。
どっちかっていうと、今農薬ってすごく進歩してるので、
使ってたちまち死ぬみたいな農薬もあんまないし、
残留しててすぐ死ぬみたいな農薬もあんまないし。
やっぱそうなんですね。
なんですけど、補助って開放系っていう私たち言うんですけれども、
開かれてる生態系なので、
やっぱそれはちょっと、使わないで済むなら使わないほうが。
それが流れていって、どこでどういう。
農薬そのものの成分は大丈夫で、それが水に入って流れていって、
どこかでまた別の化学物質とくっついて、
何か思いもよらない何かができるかもしれないし、みたいなことを考えると、
使わないで済むんだったら使わなくていいじゃんっていうのと、
あとやっぱ生産者の健康に悪い。
農家の健康もすごいリスクなので。
そうですよね。傍聴とかはやっぱり憂鬱だって農家は結構言いますからね。
実際もう僕は前の修行会社にいたときは、当然薬産があるわけですよね。
あれやっぱりね、なんか調子悪くなるんですよね僕は。
やっぱあのブームスプレーやみたいなのがバーっとここにあるんだけど。
薬産というのは薬を散布するってことね。
そうそう。殺菌剤とかはね。
やっぱ活性炭のマスクつけてもちろんやるんだけど、それでもなんかねもうだるくなるし。
手指消毒もね自分たちでやるときもあるんだけど、
やっぱりなんかちょっと多分吸引してるんだけどさ。
やっぱそれはもう薄めて農場に撒く量からするととんでもなく高濃度だから。
すごくやっぱり体には良くないね。
なんか肌も荒れたりもするし。
みんな本当は使わないで済むんだったら使いたくないと思ってると思う。
じゃあ農薬を使わなくても農産物は十分な量できると思います?
その話、そう前回の放送を聞いてこの話しなくちゃと思ってるんですけど。
ぜひお願いします。
できるんですよ。
今ノーオーガニックで80億人の人口をまかなうだけの生産はできます。
なんで今そうなってないかっていうと、
今作った農産物が必ずしも人の口に入ってないんですよね。
それはなぜ?
一つはフードロス的な話がありますよね。
もう一つは家畜の口に入ってるっていう話もあるし、
あとは加工原料になってる。
花糖、液糖、ブドウ糖みたいなやつの原料ってトウモロコシなので。
限りある、
湘南ラジオ、結一郎ファンの人はよくご存知のとおり、
土壌って人が手をかけてできる。
人が人がってこともあるけど。
とにかくお野菜や穀物が育つ土っていうのは、
土があればいいわけじゃなくて、
なんらか畑ってだから人工資産ですね。
土壌ですね。
限りある人工資産を、
花糖、液糖、ブドウ糖とかアルコールとかのために作ってるわけですよ。
それを全部人間の口に入るものを作るように転換すれば、
別に生産性落ちても間に合うはずで、
だから畑で何を作って何で商売しますかっていう、
アグリフードビジネスの構造の問題ですよね。
花糖、液糖、ブドウ糖を作って、
それを清涼飲料水にして売ってるのをやめて、
おいしい主食用のトウモロコシにしませんか、
みたいなことをやれば変わるとは思うんですけど、
それは一朝一夕には変わらないから、
その辺はちょっとどうすんねんっていう。
それこそなんか政府的なものがやらないといけないやつですね。
だからそれってアメリカのコーンシロップとかそういうやつですよね。
結局結果的に肥満とか栄養のアンバランスを引き起こして、
健康問題につながってますよと。