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ようこそ、足さない、急がない、よそわない、しょうこのわーままラジオへ。
このチャンネルでは、私、本当はどうしたいか、わからなくなったママと、日常のモヤモヤから、まだ言葉になっていない本音を一緒に見つけていくような番組です。
私自身も、そういった、こう、あれ、私本当はなんて、そういった気持ちに気づく対話を、セッションをやっております。
今日も、私の声で、この番組で、皆さんも私自身、自分自身に矢印を向くような時間を過ごしていただけたらな、なんて思います。
はい、ちょっとね、今日、ゼロ歳のベビーも一緒に参加して収録をしてもらっています。よろしくお願いします。
はい、えっと、今日は、あの、ここ数日ね、私、上野息子の好きなこと、好きについて話をしています。
ブロックが好きだと思っていたら、このブロックを完成させることより、この完成したものからごっこ遊びを始めることの方が、もしかしたら好きなのかもしれないって。
じゃあ、うん、そりゃ分かった。だから、ただただブロックをいじりを好きだわけではなくて、彼なりにそこから広げる世界があったんだっていう、それを見ていて思った。
そういうことを話していたんだけれども、じゃあ、ちょっともう一つね、息子の好きなことで、私がまだちゃんと咀嚼できていないものがあって、ゲームです、ゲーム。
ちょっとここもね、やっぱ一度、私も向き合わなければいけないなって思ったんです。
結論から言うと、まだゲームはさせたくないというか、嫌、嫌です、単純に。そんなにね、ゲームからこんなことが、とかね、まだそういうふうに気持ちがなれないんですよね。
で、私が一番嫌だったのって、ゲームそのもの、ゲーム自体だけじゃなくて、毎日のように、今日ゲームしていい?次いつできる?今日できる?とか、今ちょっと時間あるからいい?とかね、聞かれることが一日に何度もね。
それが本当に、それが私は嫌だった、聞かれることが。ゲームをしている時、ゲームをするっていう時よりも、ゲームをしていい?って聞かれることが本当に嫌だった。
もう本当にそれしか話すことがないんかいって思ってしまったし。
今日は今はダメだよ、とか、土曜日になったらだよ、あと2回寝たらだよ、とか、したらしたで、今日はもうこれ最後だからね、とか、あと何分で終わるかな、約束した時間になるから気持ち整えてね、とかさ、
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気づいたら、私と息子の会話が、ゲームをしていいかどうかの許可取りとそれに対しての回答みたいになっていたんですね。
どういうことかというと、息子がゲームしていい?今ゲームできる?って。私はそれに対して今はできないよ、今日は違うよ、って。
カレンダー見て、今日じゃないよ、と。息子はなんで?って。楽しくないですよね、この会話。どうです?皆さんもありますか、この何々していい?ダメ?
これゲームじゃなくてもさ、これ今食べてもいいかな、とか、お菓子今食べてもいい?とか、そういうのもあると思うんですよね。今はダメって。なんで?ご飯の前だから。なんで?って。
なんかこの許可取りと回答、これあんま面白くないですよね。しかも何回も聞かれると、だんだん私も、さっき言ったじゃんって、もう聞かないでって。
でもやっぱり息子は興味があるものだから、いつできるんだろうっていう、たぶん次に向かうワクワク感もあると思うんですよね。
それを確かめたい。きっと彼も分かっていると思うんですよ、今日できないこと。だけれども、ワクワクした楽しいっていう思いは知っているから、それが待ちきれなくて聞いてしまう。
でも私がまたそれに対して、いやできないって言ったじゃんって思って、こうイライラし始めちゃう。この会話は何なんだって。この許可取りと回答の会話はって思っちゃう。
朝起きて、今日ゲームできる?保育園から帰ってきて、ゲームちょっとできる?あと何回寝たらゲームできる?って。
いやーってゲームゲームゲームってなるんですよ。でも私心配だったんですよね。
こんなにゲームばっかりで大丈夫かって。他の遊びをしなくなるんじゃないかって。
もっと外で遊んでほしいし、今雨続きでできなかったけれども、今日ちょっと晴れるっていう予報だったんで、外で思いっきり遊んでほしいなと思う。
あなたが好きなブロックもある。絵本も好き。何ならママとも遊べるじゃんって。
だから私はゲームの実感を決めたり、今日はやらないよって言ったりして、制限ということを設けるわけ。
これは親として必要なことだと思っている。今もそこは変わっていない。
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でもある日息子にゲームしていい?って聞かれた時に、この嫌な気持ちになっている自分を見つめてみたら、いつもとイライラが違ったっていうなって。
多分見つめたからいつもとちょっとイライラが違うかもって感じ取れたのかもしれないんだけれども、腹が立つっていうよりかは悲しいっていう。
悲しい。ゲームされるのが嫌なのに、なんで私悲しみが感じられたんだろうと思ってね。
自分の中にあった言葉っていうのも、やっぱりかっこ悪いけれども、あったんですよ。悲しいっていうの。
悲しい。なぜならって。そのなぜならの後に続くのを息子に聞いてみたんです。
ちょっとかっこ悪いなと思ったけれど、悲しいなって。なぜなら、君はママとは遊びたくないの?って。
4歳児もちょっとびっくりしていましたけど、OKと。
でもね、これ私が自分で自分のその気持ちに気づいた時に、ちょっと笑っちゃいましたけどね。
だってね、息子はそんなこと一言も言ってない。ゲームしていい?しか言ってない。
でも私の頭の中では、いつの間にかこのゲームしたいが、ママといるよりゲームの方が全然楽しいからゲームしたいになってた。勝手にね。
それをずっと無意識のうちに変換していたから、そりゃ寂しくもなりますよね。
私ね、ゲームが発育にどう影響するかとか、スクリーンタイムが依存しないかとか、そういうことをもちろん考えているし、もちろん本当に心配している。
それしか興味持たなくなっちゃったらなぁとか。
でもそんなことないし、外で遊ぶの好きだし、一緒に絵本見るのも好きだし、ブロックで遊ぶのも好きだし。
でもね、それだけじゃなかった。
めちゃめちゃ個人的なところに私の嫌さっていうのがあった。
私は本当に息子と話をしたかったんだなって。
その話っていうのが、さっき言ってた許可取りの会話じゃなくて、ラリーじゃなくて、ゲームしていい?だね。
いつだったらいい?あと何回でたら?とか、こういう会話じゃなくて、
今日何があった?とか、これ面白いね。
変な歌歌ったりだとか、ブロックで彼のまだ分かりきれない世界を見たりだとか、一緒に作ったり。
そういうのを息子と毎日楽しみ、楽しいを味わいたかったな、私自身。
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ゲームしていい?って聞かれるたびに、私はお願いを処理する、彼のお願いを処理犯みたいになっていたのが嫌だった。
許可をする、禁止はする、あと時間の管理、終わらせる、でまたお願いされる。
それを繰り返すわけですよね。許可、禁止、管理、そして終わらせる、でまたお願いされる。
私ね、息子の子の管理人にはなりたくないんだよなって。
ここで皆さんにも思うことがあると思うんだけれども、ゲームだけの話じゃないかなって、この管理になってしまう。
例えば旦那に、今日ご飯どうする?って聞かれて、なんかこう、嫌って思うときありませんか?もやもやする日。
別にご飯どうする?っていう質問が嫌なわけじゃないと思うんですよね。
質問が嫌というか、ご飯どうする?っていう日本語が嫌いなわけじゃないというか。
もしかしたら、また私が決めるの?っていう、私がやるのかまたっていうところが、もやもやの原因だったり。
子供にさ、ママ見てって何回も言われたりするじゃないですか。
ママ、見て、ママ、ママって。
でもその、ちょっと待ってって言ってしまう日って、子供を見ることが嫌なんじゃなくてね。
ママ見てっていうことに対して、見るっていうことが嫌なんじゃなくて、もしかしたら今日1日1回も自分を優先していない。
自分のことを優先して、自分のことをしていないっていうのが嫌なのかもしれないとかさ。
今日飲みに行っていい?とか、今日飲み会だからって旦那に言われて、別にいいよって言えるのに、なんかこう、もやっとする?
きっと旦那が飲みに行くことが嫌なんじゃなくて、私はいつ一人になれるのかな?なんて。
彼は一人の時間、自分の世界、子育てとか、家から一回離れて楽しい時間を過ごす。
仕事の付き合いだから100%そんなことないよって言われるけど、それも理解できる。
でもじゃあ私はいつ一人になれるのかな?なんて、こういうのないですかね。
でもね、この目の前の言葉、私たちはそうやって目の前の言葉に、言われた言葉にさ、もやっとしたり腹を立てているようで、
本当はその言葉によって、自分の中の何かが押されている。苦しめられているとか、
自分の中の何かが、感情が寂しいであったりだとか、不安であったりだとか、ちょっと理不尽さとかもあるかもしれない。
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そういったのが押されているような気がしてね。
私の場合は、ゲームだった。
ゲームしていい?って聞かれるたびに、このゲームしていい?って聞かれると、私が押されていたところは、たぶん寂しいだった。
そう、寂しい。
でね、このここで、だから息子のゲームを温かく見守れるようになりました。
まあ、私って言えたらすごくいい話なんですけど、なりません。
普通に、またゲーム?って思うし、今だめ?って言ったところじゃんって、イライラもするし、ゲームが好きになったわけでもない。
でもね、時々隣で見ていると、立派にクリアするな、ゲームを。って関心はしたりする。
だからね、一緒にゲームを好きになるっていうのは一つかもしれません。
それをまた、私の成長記録というか、成長記録っていうのは、ゲームに対する自分の心の持ちを、というのはまた徐々に放送でも伝えていきたいなと思う。
でも一個だけ違うのは、イライラした時に息子だけを問題にしなくなったことかな。
息子にそれを言われるから嫌だ。
ではなくて、この聞かれたことで、私今何が嫌なんだろう?って、かっこいいこと言えたかな。
たまーにですけど、自分にも聞けるようになったことかな。
ゲームばっかり嫌って。聞かれるの嫌だなって。
なんで?って自分に問うと、私ともっと話ししてよって。
いるじゃんって、ママが。
私寂しかったんだって。
寂しいって私が自分の気持ちわかったからって、問題は解決しないんですよね。
だってゲーム時間っていうのも決めなきゃいけないし、
ゲームやる時間、日程っていうのかな。
何回も聞かれたらやっぱしめんどくさいと思うし、
私も私でね、疲れたみたいになるけれども、
でもわかったことは、息子がゲームばっかりで腹を立ててる私。
ゲームゲームって、そればっかりでイライラしている私より、
息子ともっと関わりたい。息子ともっとバカやったり話したりしたいっていう、
そういうのに寂しさを感じている私の方が、
自分らしいなぁなんて、思えたんだよね。
もしかしたら、私もこういうふうに思ったこと、あなたにもありませんか?
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最近やたら腹が立つ言葉であったり、家族からの一言。
旦那さん、お子さん、また職場の人、親とかで何回も言われると、聞くだけで気がめいる言葉。
もしよかったらその言葉を一つだけ思い出してみてください。
そして今日すぐその答えを出さなくていいので、一度だけ聞いてみてほしいことがあって、
それは、私、この言葉の何がそんなに嫌なんだろうって。
私、この言葉の何がそんなに嫌なのかなって。
相手を理解するためじゃなくてよくて、優しいママとか、いい人になるためでもなく、
相手を許すためでもなくて、何のためかっていうと、あなた自身のため。
私みたいにゲームが嫌。ゲーム、ゲーム、ゲーム。
でもその奥からまさかの、私を構ってよ、みたいな。
息子、私と遊んでよ、っていうのが出てくるかもしれない。
どうです?このアラフォーの私が、4歳児に心の中で、私と遊んでって言ってるんですよ。
でもそれも私がです。
そして今度息子に、ゲームしていい?って聞かれたら、私は多分また普通に、今日はダメって答えます。
そこは変わらない。きっとね。
でもできたらその後、ゲームじゃない話を、私から話しかけることができるかなって。
今日ゲームじゃないよ。ゲームする日じゃないよ。って終わりにする。
今日さあって、私が欲しかったのは、だってね、ゲームをやめる息子ではなくて、息子との会話が欲しかったから。
だったら私が会話を始める。欲しいんだから。やりたいんだから。
さて、実際できるんでしょうか。
またもうゲームの話やめてーって。
パーンって破裂したら、それもそれでまた話します。ここで。
皆さんもぜひ、何かこうもやってする言葉があったら、そこからね、この言葉の何がそんなに嫌なのかなって、ぜひぜひ自分の中でも聞いてみてください。
今日も最後までお聞きいただきありがとうございました。
今日から10月ですね。今年もあと残り数ヶ月。怖いですね。
今日もまたゆるりと皆さんやっていきましょう。
はい、しょうこでした。それではまた。