自然と生きるを考える 自然資本論〜
この番組は、森で働くことを愛する高橋と奥田が、マーケティングやデザイン視点を持ちながら、森、海、里など自然資本を巡る話を面白おかしくしていく番組です。
はい、北もっくんの高橋です。 山戸はの奥田です。よろしくお願いします。
よろしくお願いしまーす。 今日は、満を持してのゲストにお越しいただきまして。
そうですね。3年間、待ちましたね。 待ちましたっていうか、食べましたね。
そうですね。なので、時間ももったいないので、早速入っていただければと思いますが、
ヒダクマの松本さんです。よろしくお願いします。 よろしくお願いしまーす。
いや、松本さんとはかなり長いのかっていう感じですけど、でも最初あれですか、フォレストガレッジの
最初の講師をお願いするあたりから、ちょっと関係。
たぶんその前にも1回、伺ってはいるんですけど、 何者やろうっていう感じで、だったと思うので、まだ僕たち自身が。
お互いが。 あれ、山戸はさんが創業したばかりの頃ですかね、来ていただいたの。
たぶんそうですね。
ヒダの方でスイスのフォレスターを招いて、紅葉樹の森作りの研修があって、そこにたぶん来ていただいたんですよね。
そうなので、そこから長々と。 長々とってよくないですね。
でもフォレストガレッジの講師も、最多4回お願いして。 ほぼ毎年。
そうなんです。 ありがとうございます。 素晴らしい。
そうなんです。
というので、自然資本論にもぜひ出てほしいなと思いつつ、僕もすごく遠慮して、松本さん忙しいからなーって思いながら。
なので、改めてちょっと簡単な自己紹介をいただきながら、お話ができたらと思いますが、よろしいでしょうか。
株式会社ヒダの森でクマは踊るという会社をやってます。松本と言います。
岐阜県の一番北にあるヒダ市で、紅葉樹の森を生かすという取り組みを始めて、ちょうど今年10年経ったところです。
おめでとうございます。 ありがとうございます。
以上。 シンプル。
まあでも自然資本論聞いてる方だと、多分ご存知の方も多いと思うんですけど。
ヒダクマさんは、本当に紅葉樹を生かしていろんなプロジェクトをやっている素敵な会社っていう印象があると思うんですけど。
プレゼンも聞くと、ほんと嫉妬するような取り組みがいっぱいあって。
キラキラしてる感じすごいするよね。 しますね。
でも分かりづらさはEQ品っていう感じもあるんですが。
いつもどんな感じで説明するんですか? ヒダクマは。
そうですね。ヒダクマってヒダ市、行政のヒダ市と、飛び虫とロフトワークって民間2社とで出資をしてできた会社なので、
地域のためにこういう会社があったらいいよねってことでみんなで作った会社ですので、そこの背景を説明することが多いんですけど。
ヒダ市って人口2万2千人ほどのちっちゃな町なんですけど、面積の94%が森林で、
この業界にいるとだいたいみんなそういうことを言って、面積のほとんどが森なのでそれを生かしていこうみたいなことを言うんですけど。
僕らの特徴が紅葉樹林、天然林が多いんですね。
面積の9割を占める森のうちの7割くらいが天然林で、逆に言うと人が植えた人口林っていうのはとても少なくて、
この天然林ってちょっとこれは話すと長いので一旦端折りますけど、なかなか使うのが難しくて、
たくさんあるけどあんまり生かされてないという状況があるので、でもせっかくそれだけの
抱負にある森林資源を生かしていくことができないだろうかということで始まった会社です。
さっきおっしゃられたようにいろんなプロジェクトをやっているのは、天然林ってやっぱり人口林、例えば杉の林とか
ヒノキの林とか松の林と違っていろんな樹種が混ざっていたり、木だけじゃなくていろんな林産物だったりとか
たくさんあるので、生かし方とか可能性ってたくさんあるなっていうことで、一つの生かし方だけで何かが解決するわけでもないし、
それを生かしきれるわけでもないので、いろんな人たちと協業しながらそこの価値を出していこうということで結果的にいろんな
プロジェクトを次々とやっているっていうことをやっています。そうすると結局抽象的で分かりづらいんですけど、
ビジネスとしてやっているのはヒダの応用樹、今まではなかなか家具とかじゃならなかったような
細いものだったり曲がったものだったりを加工して、家具とか重機とかいろんなプロダクトに変えてそれを販売して売ってるっていうのが
仕事としてはそうなっています。で、それはヒダっていうのは日本三大家具産地の一つにも数えられるくらい
応用樹を使ってものづくりする人たちが地域にいるので、そこと地域の資源をつなぐっていうことをやるっていうところから始めているので、
今は結果的に家具を作ることが多いんですけれども、個人的にはそこにとどまらずに森のいろんな可能性を引き出すような仕事がしていきたいなと思って、
いろんなプロジェクトをやっています。
ありがとうございます。
そうですよね、まさしく松本さんの個人的趣味で森のスパイスだけでカレー作るとか、
あれめっちゃ気になるな、ほんとに。
黒文字コーヒーでしたっけ?
あったりとか、いろいろその素材としての森を生かしていこうぜみたいなところを、
割と早い段階から取り組んでいる会社っていう感じだと思うんですけど、
なのでほんとここ10年で、僕らもそうですけど、そういう森林資源利用とか森と暮らしつなごうみたいな取り組みがめちゃめちゃ増えたなっていう実感があるので、
もう飽きてきたのでは?みたいなところもありつつない。
チューニカですけどね。
なので、先ほどもちょっと始まる前に話していた、わかりやすい物語、人工林が手が入らず荒れてるからそれを干ばつしましょうみたいな物語から、
さらに持続可能な林業みたいな話がある中で、天然林の利活用っていうのはまた違う話というか、
そういうわかりやすい物語よりは少し、なぜ利用した方がいいんだっけって聞かれた時に、森のためと言い切ることもできちゃうかもしれないけど、
人とか産業とか地域のためであるっていうことも結構大きな話だよ、大事な話だよなっていうところで、
結構なんかわかりやすさを求められると、難しいみたいなのがあるよなっていうのをすごい僕も感じますけど、
というところで今日はせっかくなので、そういう松本さんが普段表向きに話すこと以上に、ちょっとみんなでモヤモヤした話をしようじゃないかっていう、
趣でやれたらいいなと思っておりまして。
はい、ありがとうございます。
そうですね、10年って結構社会の変化も感じると思うんですけど、
日田くまさん自身どういうふうに社会とか自分たちの会社を捉えてるんですか、今。
そうですね、さっきお話した通り始まりは日田市には紅葉樹がたくさんあって、
でも地域で使えないまま安い値段で地域外に出て行ってしまってるっていう状況と、
一方で日田の家具メーカーさんはなかなか地域にあるものが使えなくて海外の輸入材を使っているっていう状況の中で、
そこをつなぎ直していって、何とか工夫して身近な森の資源を使ったらいいんじゃないかみたいなところから始めたんです。
家具メーカーさんが当時地元の木を使えない理由として一番出てきたのが、細すぎるっていうことがあってまだ育ってない。
家具に使うには当時ですけど、当時は30センチ40センチないと使えない中で、日田市の紅葉樹の平均の直径が26センチだったので、それ使えない。
だけど細いなら細いなりの、あと樹種が揃わないんですね。分なだけ欲しいと思ってたので、そこが不確立なので。
だけどそれはいろんな樹種が出てくるし、細いなら細いなりの使い方があるんじゃないかっていうところから始まったんですけど、
今思えば結構解像度がすごい荒い課題設定だったなと思っていて、細いものを手間をかけて作っていって価値を出すってことはできるけど、
細いだけじゃなくて例えば曲がりがあるとか、非常に出てくるのが不安定だったりっていうこともありますし、
そこを出口側で何とか解決して価値をつけるって言っても、山側でそれを出してくることだったり、それを町まで戻してきて仕分けたりとか増材するみたいな、
結構課題がたくさん、やればやるほどいろんな課題が出てきて、解像度が上がっていったっていうところがあります。
なので10年かけて、ある意味あんまりもやもやしてなかったんですよ。
細い木が使えるようになって、かっこいい家具作ればOKみたいな感じだったんですけど、あれ?と思って、
でもやればやるほど10年かけてもやもやが深まっていって、最高っすわ。
面白い。
めちゃめちゃわかるな。
そのもやもやは、そんな単純な話じゃないなっていうところから来るんですか?
そうですね、単純な話じゃないし、結局ひらくまだけでは当たり前ですけど、できない地域のいろんな事業者さんとか、
地域外のお客さんとかパートナーと一緒になって進めてきたっていうところがあって、
その人たちが仲間になってくれて進むこともあるし、その人たちもまた変化していくので、
なんだろう、だから、もやもや、すいません、早速もやもやし始めました。
わかる。
10年前と今で地域の雰囲気が変わってきたとか、最初は当然、どこかで聞いた気がするんですけど、
国産材の利用率5%ぐらいだったところからちょっとずつ上がっていったりとか、パーセンテージでそこまで劇的に変わることはないと思うんですけど、
ひらくまさんが入ったことによって、正直、生計木とか曲がり木とか、
ぶっちゃけめっちゃ効率悪いじゃないですか、その産業的に考えたら、絶対採算なんて合わないだろうみたいなことをやろうとしてると思うんですけど、
それでもみんなでやっていこうみたいな雰囲気とかは、かなり10年間で変化が起こっている感じなんですか?
そうですね、そこは全然変わりましたね。もちろん僕らのおかげでっていうつもりは全くないんですけど、
僕らがきっかけとして、みんなが諦めてた、まさに今高橋さんおっしゃったような、そんなものでものづくりできないよねっていうところを、
でもやりようがあるんじゃないかっていうことをまずやるために作ったっていうことなんです。
東には木を切る人もいますし、製材する人もやる人もいるんですけど、結局みんな理由があって地域の木は使わなくなってきたので、
それに使ってくれって言ってもなかなか使えないので、その無謀なことに挑戦する主体を作ろうということで作られた会社がひだくまなんですね。
ただやっていくと、さっきのとおりいろいろモヤモヤも膨らみますし、結局僕らはいくら頑張って、
例えばリューベータンカーって言って、今までは安いのに売れてた木が高い値段で売れたとしても、使う量って本当に大したことなくて、
当時30リューベータンカーとか言っても50リューベータンカーとか、年間ですかぐらいだったので、林業的に言うと全然誤差みたいなものなんです。
だけど今までチップにするしかないよねっていうものを喜んで買ってくれる人がいるんだとか、こんなかっこいい家具になるんだっていう事例を示していく中で、
ちょっともしかしたら可能性があるかもなとか、あとはやっぱり家具名作家さんが使ってる海外の材もどんどん値上がりしていったりとか、
材料の調達困難さも上がっていったりする中で、ちょっとこれは取り組む価値があるんじゃないかっていうことで、
ひだくまができて2年後の2017年に、ひだ師として、師をしてひだくまを作るだけじゃなくて、師としてみんなで取り組んでいこうということで、
紅葉樹のまちづくりっていうことを命打って、地域の事業者さんたちと話し合う場を設けるっていうことを始めていったんです。
そういうことを重ねていく中で、じゃあみんなで実際に山からこの木って売れないんじゃないかなっていうことで、
山から直接パルプとかチップとか、出口が決まってしまっていたところを一回町に下ろしてきて、
紅葉さんとかと一緒にその木を見て、こういうふうにやったら使えるんじゃないかみたいなことをみんなで話し合うだとか、
そういうことを重ねていく中で、それをちゃんと実行していこうということで、ひだくまができて5年後ですね、
2022年にひだ師の紅葉樹を活用するコンソーシアムっていう連合体を作って、
実際に山から木を下ろしてきたりとか、それを工夫して仕分けたりとか、
それをもっと使いやすくするために新しい乾燥木の実験を始めたりとかということで、みんなで取り組んできたっていうことがあって、
さっき高橋さんおっしゃっていただいた数値でいうと、山から出てきた木の、大体日本全国一般的にそうなんですけど、
ほとんどがチップになって、溶剤って言われる建築とか加工に使われるものは5%くらいしかない。
ひだ師もそういう状況だったんですけども、それがだんだんとみんなが使ってくれるようになって、
直近だと、大体現場とかにもよるんですけど20%とか30%くらいは、
ちゃんとチップにならずに家具とかに使われるようになったっていうのがあります。
ただそれをひだくまが使ってるかっていうとそういうわけでもなくて、ただそういう動きのきっかけになって、
今はみんなが取り組んでいる中の一つのプレイヤーとしてやってるっていう感じです。
すごいですね。5%から20%から30%が活用される現場が出てくるっていうのは結構びっくりしますね。
そうですね。でもやっぱりね、2人とも木に関わってると大変じゃないですか。
木を下ろしてくるって。それが売れるか売れないか分からないものとか、売れても安いとかっていうよりは、
そこからまとめて全部チップで確実に買ってくれるところに出した方がいいなっていうのはそうですし、
特に紅葉樹の現場なんて本当に過酷なところが人工輪にできなかったところって言ってもいいようなところなので、
そういうところから曲がりくねった重心がよく分からない紅葉樹を切り出して、
狭い山戸場で仕分けとか考えると、そこはチップになるのもいたしかたないなと思うんですけれども、
それも例えば地域で製紙会社があったりとか、例えばキノコ作ってる工場があって禁止症にできるとか、
チップになっても地域の中で使えればそれはそれでいいと思うんですけど、決してチップになることが悪いわけではなくて、
ただ日出しの場合はそういう産業は全くなくて、地域の外に最も安い値段で売られてしまって、
一方で地域でものづくりする人たちは海外から財を買ってるみたいな状況だったので、
そこをうまくつなぎ直せるといいねっていう感じですね。
それがもう、なんていうんですか、もやもやしないストーリーですよね。
わかりやすいっていう。
でもそれでしっかりとそこで山から下ろしてきて、曲がった木でも工夫して作った家具を買ってもらわなきゃいけないですよね。
そうすると企業さんとしては当然ですけど既製品の家具とか、
例えば他の産地の信用樹とかで素直に出てきてる流通代で作るより圧倒的に高くなるんですよ、手間かかる分。
だけどそこで日田でやる意味って何なのって言われたときに、
担当者の方は共感してくれてても、上司を説得するのにSDGsの何番に値しますかとか、
これをやることは森にとっていいんですよねって言われると、
ちょっと方便で言うこともありますけど、もやもやは止められないですよね。
止められないですね。
すごい最後の着地の仕方がめっちゃ嫌ですね、確かに。
いやいや、そこをしっかり熱意で、
本当に伐採前の森にも入ってくれて、木を選んで、
このままだとこの木はチップになるかもしれないからこうやって使いましょうって言ってやってくれたり、
そこを加工する過程にも何度も通ってくれたり、
何なら伐採した後の森で残された知事たちが更新する様子を見に来てくれるすごい担当者の方もいらっしゃったりするんですけど、
そういう方もそれを通すために説得をしなきゃいけないみたいなところで、
材料を提供しなきゃいけないって思いでやってるんです。
別に嘘つきたいわけではなくて、だけど嘘はつきたくないので、
森にとっていいですかって言われると、
いや…って。
いいとも言えますっていう感じですね。
確かに。
ヒダの森もだいたい戦後に一回切られた後、天然更新してる二次林、三次林なんですよ。
だからまだ家具になるほど太くはないですけど、80年とか経ってて、
高齢化社会みたいな状況なので、山を丸ごと開発するみたいなダメージが大きいですけど、
一部を収穫してそこに光を当てて、高い木の下にあった知事たちに光を当てて森を若返らせて樹齢を多様化していくっていうのは山にとってもいいことじゃないですかね、みたいなことは言いますけど、
さっき岡田さんおっしゃったような人工林みたいに、もともと人が使うために人が植えて、
本来は手入れをして収穫すべきところが放置されてるから不健康であって、
ちゃんとそれを使うことが森にとっていいことなんだって結構人工林は言い切れちゃうんですけど、
天然林はじゃあもし人が使わなかったらどうなるんですかって言われると、
自然のままいい感じに森であり続けていくんでしょうねってなるので、
人が使うことが決して森にとっていいかっていうと、そうは言えないなと思いながらやってます。
まあでも何だろうやっぱり議論というかね、多分前提が違うとは思うんですけど、
それこそ森が生態系ってよりは僕らも入れた生態系だから、
僕らも利用させてもらって循環していくならそれは森にとっても僕らにとってもいいことなんじゃないかって考えるとそんなに疑問はないんですけど、
なんかそこが森にどういいかみたいなすごい端的な説明を求められたときに、
それは森なんてほっときゃ数千年経っちゃいい感じになんだろうみたいな感じで、
いい感じになんだろうって言うほど単純ではないと思うんですけど、
何をいい感じとするかが違うよなみたいなモヤモヤの話をして、
反省して、千年経っては暗い森になるんじゃないみたいな感じで思ったりもするので、
なんでそこのなんて言うんですかね、自分たちは森に対する解像度が高まっていくけど、
順々にちょうど順々になれるぐらいの数ですね。
だから本当に開発してるのいいんじゃないのみたいな考え方もありますよね。
これで僕もいいと思うんですけど、さっきの話、人が守護になった時に森のためにとかではなくて、
せっかくこんだけ森林資源があって、もともとひらくもが立ち上がったのもどんどん人口が減っていって消滅可能性自体になった時に
地域の資源を生かして何か新しい事業を作って経済創出ができないかみたいなところから来てるので、
やっぱり人が起点なんですよね。森を守ろうみたいなところから始まっていないので。
はい。
だけどやっぱりみんないろんな事情があって地域の外に出て行ってしまうけれども、
近くにこんだけ紅葉樹の森があるからこそここですごく面白いですね。
ここですごく面白いとか儲かる仕事ができるとか、いい暮らしができるみたいになったら、
この森と共にある地域がずっと続いていくんじゃないかみたいなところだと思うんです。
そうなった時に、開発して1200年で回ってみたいなことでもいいんですけど、
開発事業者さんがそこで仕事が成り立ってるけど、
そこで住んでる人たちって別に何もそこの恩恵って預からないし、
それこそせっかくそこにある伝統文化とか高い技術のある株産業っていうのは海外から材料を買っていて、
それこそウッドショックとかありましたけど、
そういう材料が入らなくなったら産業が成り立たなくなるみたいなことって持続可能じゃないですか。
そうですね。
それよりはせっかく近くに材料になり得る工業所があるんだから、
そこでうまくものづくりができるような仕組みがあって、
それが産業になってればいいんじゃないかみたいなことなんですけど、
どっちかというと森に関わらなくなったりとか、
そういう開発して全部チップにするみたいな極端な関わり方しかないと、
結局、例えば今海外から材料売れてるけどそれが入らなくなったから、
ちょっと家具の産業はもう無理だから、
じゃあそこは違う仕事をしていこうっていう風に変わっていくと、
結局山とせっかくもともとは近くにいい工業所があったから家具の産業が生まれたのに、
その技術が失われていったりすると、
その地域に住んでる人とか山と関わる術がどんどんなくなっていくみたいなことになり、
極端ならしい田という土地が閉ざされた時に、
この山と共に生きるしかない。
だけど昔から山っていうのはエネルギーであり、
マテリアルであり、食料を育む水の出所である山があれば大丈夫じゃないかって言っても、
でもあそこにたくさん生えてる木をどうやって切ってどうやって下ろしたらいいんでしょうとか、
それでものづくりをするために製材という技術が昔あったそうだけども、
どうやって板にするんでしょうみたいなことよりは、
そこがせっかくずっと昔から人が木と付き合い続けて、
使ってきた技術とかをつなげていくっていうことが大事じゃないかなって思っているので、
森のためっていうよりは、人が森といい関係を続けていくために、
その山のものを使わせてもらうっていうことを、
時代に合わせて続けていくっていうことが必要なのかなって思ってるんです。
そこの時代に合わせてっていうところが結構、そこに関わる人たちもそうですし、
そこの営みから生まれてくるものを買ってくれる人とかの、
まさにいい感じのところを作っていきたいなって思ってるんですね。
いいですね。それ結構最初からのビジョンなんですか?
いや、それもふんわりそんな感じですか。
でもあれですよね、僕めちゃくちゃ共感しますけど、
人のために森を使おうみたいなのが、
結構ちゃんと説明しないと、「え?」っていう風になっちゃうっていうのが、
燃えるポイントだし、めんどくさいポイントだと思います。
燃えるポイントな気がするんですけど。
どっかいですよね、本当に。
そうですよね。いやまさにでも、開発的なことだけを取り組んでたときに、
森と暮らしは離れてて、授業体と森だけが一緒にあって、
むしろヒダの森でクマが踊りすぎちゃうっていう問題が結構あるよなと思います。
やっぱりそこの、今それこそクマがすごい増えて、
たくさん被害が出始めてるじゃないですか。
あれも本当僕も怖いというか、森に入るの怖いなと思っちゃうんですけど、
その時にやっぱり森と森に入らないようにしましょうねっていう風にしちゃうと、
結局すごい悪循環に陥るから、
やっぱりいかにして森、むしろ森と暮らしが離れた結果が今であるだろうと思うと、
それとかもう一回どうやって取り戻すんだっけみたいな話をする方向で話が進まないと、
すげえ怖いなというか、クマ出るから森行っちゃダメだよみたいなのばっかりになると、
余計やべえ未来だなみたいな感じに思うんですけど、
その中で多分技術、生態系の一員としての人間が木をうまく使うっていうことが、
実は森の循環においても重要だったっていう状態っていうような順番での状態を、
今の時代だからこそどうデザインし直すのかみたいなことが求められていてほしいし、
求めたいなって気はすごいしますけどね。
なんかやっぱり昔はきっと本当に暮らしの中の一部としての森と人の関係性みたいなのが、
エネルギーとして特に身近なものだったから分かりやすい形だっただろうし、
それで使う量もまあまああったから、
関係性としては作りやすかったっていうところはあるんだろうけど、
それが難しい状態になって、さっき開発したものが全部外に行っちゃうみたいな、
自分たちの身近なものではあるけど身近でもないみたいな、
微妙な関係性になっているところが本当に難しいところだよね。
産業とか暮らしと、産業ととのひも付きみたいなのが本当になくなってきているんだろうなと思うけど、
その日田の方とかだと昔から家具の産地で有名だったと思うんですけど、
実際のところ、結構長いスパンかけて、やっぱりスペースが足りなくなってきて、
比較的残っているのは、本当にずっと地域の方々が頑張ってくださっていて、
今一緒に仕事させてもらっている方とかもそうなんですけど、
まだつないでくださっているって感じはありますね。
例えば、生産業とか、
生産業の企業とかが、
もともとは、
まだつないでくださっているって感じはありますね。
例えば、ちょうど日田でホットなトピックなんですけど、
紅葉樹を引いてくれる製材所が何件かある中で、
まだ何件かありながら、製材所の葉の芽立てをしてくれる芽立て屋さんが、
2件あったところが1件、ちょうどこの前なくなってしまってとか、
そういう産業のエコシステムの中で、
みんな踏ん張っているけれども、ちょっとずつなくなっていくみたいなところがあるかなとは思います。
そうですよね。周辺からなくなっていくっていうのは結構取り戻せないよね。
ほんとそうだよ。
やっぱりさっきの、人の暮らしと森を近づけるっていうのは、
それはそれでしっかりやっていきたいなっていうのもあるんですけど、
木田っていうのはやっぱり、もともと産業があって、
産業が一般の人の生活と離れているかというとそういうわけでもなくて、
例えば昔木材は鉄道で運んでいたから、今駅になっているところで、
駅前広場とかって、もともとは木材市場だったりとか製材所だったりとか、
木が集まる場所だったところが、今はいろいろ商業施設になったりとか、
パチンコ屋さんになったりしているみたいな感じなんですけど、
結構ちょっと前までの人はあそこにはよく木が積んであったとか、
遠い途中にあそこを通ると木の匂いがしたとかみたいなことは、
やっぱり産業があると暮らしに滲み出るみたいなところはある。
で、最近日田で新しく製材所が稼働し始めたりもしたんですけど、
それの話ですごい僕好きな話は、そこに近所のおじいちゃんがやってきて、
製材所に、今度孫が帰ってくるからカブトムシ用意しとくから
お額をくれみたいな感じで、昔はその辺で産んだけど、
今はなかなかなくなったからみたいな感じがあって、
奈良の吉野とか行った時も思いましたけど、街の風景の中に
貯木場とか、製材所とかあって、そこで人が暮らしてるみたいな、
それはそれでいいなとは思うので、産業としてしっかりと
その街に根付くっていうことも良いかなと思うし、
日田は昔に比べるとそれがなくなっては来てるけど、
まだ残っているし、それをまた新しい形で次につなげるっていうことは
できるのかなとは思いますね。で、ただし、
これこそ長い時間軸で見た時に家具の歴史も
まだ100年しかないって言えば100年しかないので、
日田の地域材を使った家具がどんどん売れて
どんどん産業が育っていくかっていうとそういうわけでもないと思うので、
新しい森との付き合い方だったりとか、産業を作るっていうことが
やっていけるといいんじゃないかなっていうのは思ってます。
なんか、そうさっき松本さん結構話してくれたところ、
人のための森っていうような、ちょっと言い方のニュアンスが難しいんですけど、
そこをやっぱりちゃんと改めて考えると、なんだろう、
でも僕の中では、僕の中のモヤモヤはむしろ少し晴れるような気もするというか、
するので、資源利用みたいな話とか、
価値をつけて森に手を入れるみたいなことだけじゃなくて、
自分たちがどう生きたいのかみたいな話とか、
この土地の資源と生きるって何なのかっていう、
結構その自然に対する眼差しももちろんすごい重要だけど、
地域とか人に対する眼差しみたいなのがむしろ抜け落ちちゃってるんじゃないかみたいなことを思えた気がして、
例えば地域の赤松、僕らだったら赤松使って何か作るみたいなことが、